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魔力至上主義世界編 - 27 泥草 VS 中神官 (3)

 中神官ドミルはエリートだった。

 10歳の時に、強力な魔力の保有者だと判明して以来、魔法エリートとしての道を歩んできた。

 誰もがちやほやしてきた。誰もが尊敬のまなざしを向けてきた。

 ドミル自身も、自分は神に選ばれた特別な存在なのだと思っていた。

 45歳になり、髪もすっかり薄くなり、肉体的にも衰えてきたが、魔法の腕は若い頃のままだと自負している。


(この魔力の高さこそ、私が神から祝福を受けた証だ)


 そう信じている。

 その祝福を受けた自分の魔法が、よりにもよって泥草(でいそう)ごときに弾かれるなどありえない。

 そう、ありえないのだ。


 なのに!

 なのに目の前の光景はなんだ!?

 なぜ泥草どもに魔法が効いていないのだ!?


 自分の魔法があっさりと弾かれたという現実を受け入れられないドミルは叫ぶ。


「う、うそだ! 何かの間違いだ!」


 他の中神官たちも同じである。


「バ、バカな!」

「ありえない!」

「な、なんだこれは!? これも幻覚なのか!?」


 叫ぶ。叫びながら、魔法を放つ。何度も何度も放つ。

 まるで効かない。


 ぽふっ。


 という間抜けな音と共に、すべて弾かれてしまう。


 しまいには、自分たちのすぐ真上にいる金髪の童女(わらべめ)の泥草に向けて、中神官7人で一斉に魔法を集中砲火するというこれ以上ないくらい強力な攻撃を放つが、放たれた童女は全くの無傷である。


 そして、すぐ上に泥草がいるということは、泥草の攻撃もすぐ上から降ってくるということであり……。


「ぐぎゃあ!」

「ぎひゃ!」

「あがぁっ!」


 童女の放った散弾銃のような無数の石により、中神官はそろって気を失ってしまったのである。

 自慢の法衣は確かにバリアを張ったが、石はそれをあっさりと突き抜けてしまったのである。


 ◇


 中神官たちが目を覚ました時、戦いは終わっていた。

 結局、教団側も市民兵同様、9割ほどを戦闘不能にされ、残り1割が逃亡という有様であった。

 泥草の被害はゼロである。

 完全なる教団の惨敗である。教団側に1人の死者が出ていないことも、泥草たちの余裕をうかがわせる。


 教団側は、みな、縛られている。

 縛られたまま、戦場に転がされている。


 聖職者たちは呆然としている。

 信じられない思いでいっぱいである。


「うそだ……俺たちが泥草なんかに負けるはずがないんだ……」

「なんでだよ……なんでこんなことになるんだよ……」

「ちくしょう……泥草どもめ……きっと何か卑怯な手を使ったに違いないんだ……でなきゃ、俺たちが負けるはずがないんだ……ちくしょうめ……」


 中神官たちは、より一層呆然としている。


「なぜだ……我ら中神官は、神から特別に祝福されし者。出来損ないの泥草など、ゴミではないか……。なのに、なのになぜこんなことに……」

「ああ、神よ! これも試練なのでしょうか? こんなことがあっていいのでしょうか? 我ら中神官らの日ごろの祈りが足りなかったのでしょうか?」

「泥草め……許さぬぞ……我ら神から祝福されし者たちをこんな目にあわすとは……おのれ……よくも……」


 その中神官たちのところに、10人の泥草が舞い降りた。

 中央には、中神官たちを気絶させた金髪の童女、アコリリスがいる。


「あっ! き、貴様ら!」

「おのれ、不遜な泥草どもめ! 我らにこんなことをしてただで済むと思っているのか! さあ、今すぐ縄をほどけ!」


 中神官たちは口々にそうわめくが、泥草たちは意に介さない。

 アコリリスがさっと手をかざす。


「なっ!」

「わ、わ、な、なんだこれは!」


 中神官たちの体がふわりと浮き上がった。


「暴れると危ないですよ」


 アコリリスはにっこり笑ってそう言うと、ふわりと空を飛ぶ。

 中神官たちも、アコリリスから見えないロープで引っ張られるかのように、空を飛んでいく。


「ひ、ひいいいい!」

「と、飛んでるうううう!」


 アコリリスは、泥草たちと、ロープで縛られながら悲鳴を上げる中神官たちとを引き連れ、泥草街へと飛んでいき、ほどなくして陣幕の中に降り立った。

 弾正(だんじょう)のところである。


「うぬらが中神官か」


 甲冑に陣羽織をまとい、床几(しょうぎ)に腰を下ろした戦国武将そのものの男が、縛られた中神官たちに向けて問う。


「な、なんだ、貴様は!」

「わしは謀反(むほん)の神、弾正である」


 弾正の言葉に、中神官たちは目をむく。


「か、神だとぉ!?」

「で、でで、泥草ごときが神を名乗るとはなんたる不遜な!」

「死刑だ! 死刑だぁ! 死ね! 死んでわびろ!」


 中神官たちは、弾正に罵声を浴びせ続ける。

 アコリリスが殺意に満ちた目をするが、中神官たちは罵声に夢中で気づかない。

 弾正はアコリリスの殺意を「まあ待て」と抑えると、中神官たちの罵声がやむのを待つ。

 中神官たちの喉が枯れ、ぜえはあ息を荒げ始めた頃、弾正は口を開いた。


「さて、うぬら教団は負けた」

「なっ! ま、負けてなどいない!」

「あれが負けでなくてなんなのだ」

「ぐっ……」

「わしが言いたいのはな、魔法などしょせんはその程度、ということじゃ。大して役に立たぬ」


 弾正の言葉に神官たちは目を丸くした。

 信じられない言葉を聞いた、という顔である。

 彼らにとって、魔法とは神から地上に生きる人々に贈られた特別な祝福であり、魔法を放つことは神のお力をお借りしているようなものだからだ。

 要するに魔法とは神の象徴なのである。

 聖典にもそう書いてある。

 その神の象徴を「しょせんはその程度」とは、なんたる冒涜か!


「き、き、き、きさまぁ! 神を愚弄するか!」

「こたびの(いくさ)で魔法は役に立たなかった。その事実を言っておる」

「黙れ! 魔法とは神の象徴! 神の祝福の証! これを批判することは神への批判と同じ! この異端者めぇ! 異端者めぇぇぇ!」

「そう、それよ。わしが聞きたいのは」


 弾正はあごに手を当てて言った。


「うぬらは、魔法は神の象徴、と頭から信じておる。決して疑おうとしない。なぜじゃ? なぜそんなことを信じる?」

「バ、バカなことを言うな! そんなの当たり前ではないか!」

「なぜ当たり前と思う?」

「当たり前なものは当たり前だ! 聖典にもそう書いてあるぞ!」

「聖典なんて、昔の人が書いたもの。間違いもあろう」

「な、ななな、何を言うか! 聖典を冒涜するというのか!」


 中神官たちは怒りをあらわにして、弾正の言葉を否定する。


 中世人である中神官たちと、近代思考を持つ弾正との、思考のズレである。


 中世人は「我々は正しい」と考える。

 正しさの中心にあるのは聖典である。聖典は絶対的に正しい。

 魔法は神の象徴であるとか、魔力が強いやつが偉いとか、泥草は出来損ないとか、これらは聖典に書かれていることであり、全て決して変わることのない「真実」である。

 疑うやつがいたら、それは聖典を疑うということであり、死に値する。


 近代人は「我々は間違っているかもしれない」と考える。

 聖典だろうと何だろうと疑う。

 世界の果てまで探検し、科学実験をし、常に「真実」を更新する。

 たとえば、科学的に研究して「魔法は神の象徴ではなく、単なる科学現象」ということが判明したら、遠慮なく真実を更新する。


 弾正はこの2つの思考の違いについて、なんとなく気づいてはいた。

 ただ問題は、中世人の「我々が正しい」が思った以上に頑迷である、ということだ。


(最強のはずの魔法が弾かれ、劣っているはずに泥草にボコボコにやられ、それでもなお自分たちの正しさを疑おうとはしないとはのぅ……。驚きの頑固さじゃ)


 だが、ここまで頑固だと、逆にどこまでやったらこの頑固さがへし折れるか、挑戦したくなる。

 高い山ほど登りがいがあるではないか。


(ふむ、あれを見せてやったらどうなるじゃろう)


 弾正は1つ思いつく。


「アコリリスよ」

「はい」

「泥と草のやつ。やって見せろ」

「はい。わかりました」


 アコリリスはそう言って、陣幕の外に出ると、すぐに片手に泥と草を、もう片方の手に火のついたタイマツを握りしめて戻ってくる。


「さて、中神官どもよ」

「な、なんだ?」


 弾正はニヤリと笑うと、聖典の一節を暗唱した。


「神の子は、魔力のない者たちの前で、こうおっしゃった。

 『このように役に立たない泥と草からも、役に立つものが作り出せる』

 そして、泥と草をたいまつの火であぶると、パンができていた」


 中神官たちは「何を言っているんだ、こいつは」という顔をする。


「これが聖典の一節であることは知っておるな」

「あ、当たり前ではないか! 我らは中神官だぞ!」

「よろしい。今から始まる光景をよく見ておけ」


 そう言ってアコリリスに目配せをする。

 アコリリスはうなずくと、泥と草をさっと火であぶった。

 またたくまに、泥と草はパンになった。


「……は?」


 中神官たちは、きょとんとする。そして驚愕の声を上げる。


「……な、な、な……なんだああああ!」

「パ、パン! 泥と草がパン! ま、まままま、まさか! まさかあ!」

「さよう。ここにいるアコリリスは神の子なのじゃ」

「う、嘘だ! そんなわけあるかあ!」

「アコリリスよ」

「はい」


 アコリリスは、泥と草を箱一杯に持ってこさせると、中神官たちの目の前にビチャビチャとばらまく。


「見よ。どう見ても、泥と草じゃろう。アコリリス!」

「はい」


 アコリリスはさっと手をかざす。

 もう面倒なので火であぶることもしない。

 泥と草は、次々とパンになる。肉になる。野菜になる。果物になる。


「ほれ、食え」


 弾正はパンを中神官たちの口に突っ込む。


「むぐ、むぐう!」

「どうじゃ、確かにパンじゃろう」


 最年長の中神官ドミルは、弾正をにらみつけた。


「バ、バカなことを言うな! 泥草が神の子であるはずがないだろう! 聖典の教えと真逆ではないか!」

「途中で教えが歪められたのではないかな。古い宗教ではよくあることじゃよ」

「き、きさま! 聖典が間違っているというのか!」

「うぬこそ、目の前で神の子の奇跡を見て、それでも信じぬというのか?」

「そんなのインチキに決まっているだろう! 我々は騙されぬぞ!」


 ドミルがそう言うと、他の中神官たちも口々に「そうだ! インチキだ!」「見え透いた嘘を言うな、泥草どもめ!」と言う。


 泥草たちは、もともと教団から虐げられていた。

 教団の教えに疑いを持っていた。

 だから、アコリリスが神の子であると素直に信じた。


 しかし、神官や市民たちは違う。

 彼らにとって教団の教えは絶対である。

 真実である。

 頑固なまでに「自分たちは正しい」と信じている。


 最強であるはずの魔法が効かず、出来損ないであるはずの泥草に完敗し、そして今、神の子の奇跡を目の前で見せられて、それでもなお「正しいのは我々だ!」と言い張る。


「よろしい。うぬらのその頑固さ、見上げたものよ。ここまでくると、あっぱれじゃ。わしも全力でもって、その頑固さをへし折れるよう、今以上に謀反を派手に、大規模に、徹底的にやるとしよう。だが、まあ、それは先の話。まずは今やるべきことをやらねばな」

「な、なんだと?」

「うぬらはわしらを皆殺しにしようとした。その罰を与えねばならぬのじゃ」

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