魔力至上主義世界編 - 19 天使の正体
天使たちがイリス市民に恵みを与えるようになってから、2ヶ月が過ぎていた。
その日、アコリリスは、宝石団員たちを引き連れてイリスの街中に行く前に、いつものように弾正に挨拶をした。
「神様、行って参ります!」
「うむ、せいぜい市民どもをびっくりさせて参れよ」
「はい! いっぱいびっくりさせてきます」
◇
その日、市民たちは、いつものように広場に集まっていた。
ここ2ヶ月、市民たちは、毎日毎食、美味に酔いしれていた。
さすがに慣れてはきたが、慣れるということは、もう元の食生活には戻れないということである。
「ああ、今日も天使様がお恵みをくださった」
そう言って袋を開けて中の食べ物を取り出そうする。
そこで、異変に気づいた。
1枚のカードが袋に貼り付けられているのだ。
「ん? なんだ、これは?」
そこにはこう書いてあった。
『わたしたちは泥草です』
「は?」
「へ?」
「え? はい? なにこれ?」
市民たちは驚きの声を上げる。意味がわからない。
「え、どういうこと?」
「わたしたちは泥草? え? え? だって、天使様でしょ? これ、天使様のお恵みでしょ? 神官様たちもそうお認めになったんでしょ? なのになんで泥草の名前がここに?」
「泥草ってあの気持ち悪い連中だよね? あの出来損ないの連中だよね? なんで? なんでその泥草の名前が天使様のお恵みに?」
市民たちは混乱する。困惑する。
意味がわからない。訳がわからない。
ひたすらに「は?」とか「え?」とか「ほわ?」とか言うばかりである。
そんな中、“天使”たちは、すっと高度を下げた。
その顔がはっきりと市民たちに見える高さまで、舞い降りてきたのだ。
そして、一斉に赤いサングラスを外した。
「あ……あ……ああっ!」
「な、な、なんじゃありゃあーーー!」
「目が! 目が赤くない! 黒い! 青い! 黄色い! 赤じゃない! あれは泥草……泥草だーーー!」
市民たちは騒ぎ出す。
「どういうことなの? なんで……なんで天使様が泥草なのよ!」
「嘘だろ……おい、嘘だと言ってくれよ、なあ……」
「ってことはあれか? 俺たち、ずっと泥草の恵んだ食い物を食ってたってことか? なんだよ……なんだよそれ……なんだよそれえーーー!」
「騙したなあ! 騙したなあ!」
騙してなどいない。
泥草たちは自分たちが天使であるなどとは一言も言っていない。
彼らはただイリス上空を飛び、市民たちに食べ物を与え、そのケガや病を治しただけである。
「ちくしょう!」
市民の1人が怒りのあまり、魔法を放つ。
赤い弾が宙に浮いている泥草めがけて飛んでいき、ぱっと弾け飛んだ。
「なっ!?」
あるで効いていない。
ある者は石を投げつける。ある者は木の棒を投げつける。どこから持ち出してきたのか、刃物を投げつける者もいる。
いずれもバリアに当たったかのように弾き返される。
「くそぉ! くらえ! くらえ!」
広場はもう大騒ぎである。
包丁だの石だのを投げつける者。ショックのあまり倒れ込む者。泣き出す者。混乱のあまり叫び声を上げる者。
みな、正気を失ったように騒ぎ出す。
「ぎゃあっ!!!」
そんな中、悲鳴が上がった。
若い女の腹に、包丁が刺さったのだ。
誰かが投げた包丁が弾き返され、運悪く刺さってしまったのだろう。
「あっ……ぎっ……が、がはっ……」
女は苦しそうな声を上げる。身にまとうゆるやかなローブが、見る見ると赤く血で染まっていく。
「おい? どうした?」
「包丁だよ。誰かの投げた包丁が、あの女の腹に刺さったんだよ」
「やべえな、あれ、どうするんだよ」
「どうもこうもないだろ……」
女は地面に倒れ、苦しそうに身をよじらせながら、あたりを血で濡らしていく。
素人目にも、もう手遅れであるかのように見える。
(あれ? そういえば前にもこんな事があったような……)
誰かがそう思い出した時である。
泥草が舞い降りた。
金色の髪に、形の良い水色の目をしている。
2ヶ月前、のど元を切った男の子を治療した天使と似ている。
いや、同一人物かもしれない。
サングラスを外したその顔は目鼻立ちの整ったもので、あどけなくも可愛らしい。
その可愛らしい泥草は、血を流す女に近付くと、さっと手を振りかざした。
女の腹からすっと包丁が抜けた。
抜けただけではない。
血が止まっている。
女は「あれ?」という顔をして、不思議そうにお腹をなでる。傷がなくなっているのだ。
顔色も良い。もはや苦しんでいる様子はない。
泥草が、女を瀕死の状態から救ったのだ。
けれども今回は、歓声は上がらなかった。
しーんとしている。
誰もが、どう反応していいのか、とまどっていたのだ。
「泥草街に来ていただければ、いつでも今までと同じ食べ物はお出ししますし、ケガ・病気も治療してあげますよ」
女を治療した泥草は、にっこり笑ってそう言うと、さっと上空に飛び立っていった。
◇
天使は泥草だった!
この事実が知れ渡るやいなや、イリス中が大騒ぎになった。
「いったいどういうことだ?」
「そんなバカなことがあるのか?」
「何かの間違いではないのか?」
だが、大勢の市民たちが、黒い目や青い目の“天使”たちを目撃している。
物的証拠もある。
食べ物の袋に貼られた『わたしたちは泥草です』と書かれたカードである。
カードの裏には『泥草街なら毎日食べ放題』とも書いてある。
皿にも異変が現れた。
一部の市民の家には、“天使”から料理が載った皿が贈られていた。
その皿は、白くて透明感のある見事なもので、贈られた市民たちは感激し、料理を食べた後も皿を大切に飾っていた。
その大事に飾られた皿に、どういう仕組みか、こんな文字が浮かび上がったのだ。
『わたしたちは泥草です』
そうして、見る人を驚愕と絶望に落とし入れた。
たとえば、ある気位の高い裕福な中年の貴婦人は、自分の家に天使が料理を差し入れたことを自慢していた。
「やはり、わたくしのような貴い身分の者のところにこそ、天使様はふさわしいのですわ。オホホホホ」
このように化粧の厚い顔で自慢していた。
天使から贈られた皿は派手に飾られ、訪問する客全員に必ず見せびらかしていた。
その自慢の皿にも、やはり『わたしたちは泥草です』という文字が浮かび上がったのだ。
「はぁっ!? ふぁっ!? な、な、な、なんですの、これは一体ーーー!」
文字を見た貴婦人は卒倒したという。
誰かがいたずらで落書きしたという可能性も低い。
文字は皿の内側から発光するように浮かび上がっており、あらかじめ仕込まれていたとしか思えないからだ。
もはや間違いなかった。
天使は泥草だったのである。
市民たちは驚いた。嘆いた。怒った。憤慨した。混乱した。
「……へ? て、天使様が泥草? またまた冗談を……え? 本当? 間違いない? 嘘……嘘だろ……おい……」
「いやぁ! なんでよ! なんで天使様が泥草なのよ! なんでなのよ!」
「ふざけるなよ、泥草ども! 天使を騙りやがって!」
「ちくしょう! じゃあ何か? 俺たちは泥草ごときに騙されたってのかよ! ちくしょうがぁ!」
「ああ、神よ……こんなことが許されていいのでしょうか……泥草ごときが天使を称するなんて……」
市民たちは天使を詐称し(詐称していないが)、人々を惑わした泥草に対し、怒りと憎しみをぶつけた。
彼らは泥草を蔑視していた。同じ人間であるなどとは思っていなかった。神官様がそう言っていたのだから、間違いないと思っていた。
そんな下等な泥草が、天使のふりをして、神に祝福された我ら市民を騙すなど万死に値する!
いや、そもそも、どうやって空を飛んでいたのかとか、どうやってケガを治療したのかとか、そういった疑問は残るが、どうせ泥草のことだ。何かインチキをやったに決まっている。
とにかく万死に値するのだ!
……ただし、舌は別である。
実は、天使の正体が泥草だと明らかになった後も、泥草たちによる食べ物の降下は続けられていた。
以前より頻度も量も減ったものの、肉やパンは空から落とされ続けていた。
その食べ物はどうなったか?
「泥草の作ったものなんて食えるか!」と放置されていたか?
違う。
毎度毎度きれいになくなっていたのだ。
市民たちが、食べ物を持ち帰っているからである。
表向きは食べ物など見向きもせず、けれども実際はこっそり近寄って、そっと服の内側にしまい込むのである。
中にはゴミ掃除だと称して、大きな袋に食べ物を次々と入れていき、それを裏通りで販売する者までいた。そして販売するたびに完売した。
市民たちは、あの美味に慣れてしまったのである。
今さら、元のまずい飯など、食べられたものではない。
「ま、まずい! こんなまずいものを今まで食っていたのかよ!」と舌が拒絶するようになってしまっている。
毎日の食事が苦痛である。まるでゲテモノを食べているようである。
そしてあの美味を思い出すのである。
いっそ、もう二度と食べられないとあれば、あきらめがついたかもしれない。
が、泥草たちによる食べ物の降下は、以前より量は減ったものの、その後も続けられていた。
そして運よくそれを食べられるたびに「ああ、この味だよ! この味!」と思い出してしまうのである。
ああ、もっと食べたい!
もっともっとあの味をあじわいたい!
どうしたらいいのか?
そんな時、誰かがカードの裏面の記述を思い出した。
『泥草街なら毎日食べ放題』
そしてこんな会話をかわす。
「泥草街かぁ」
「あれだろ。泥草どもの住む汚ねえところだろ? 気持ち悪いから近づきたくねえんだよな」
「でもよ、気持ち悪いけど、行くことであの美味い飯が食べられるのなら、行ってやってもいいんじゃねえか?」
「まあ、しょせん泥草だもんな。市民様である我々が行けば、這いつくばるに決まっているし、喜んで飯を差し出すだろうしな」
「なんだったら、全員奴隷にして、市民様のために飯を作らせる栄誉を与えてやってもいいんじゃねえか」
「ぎゃはは、そりゃいいや。飯奴隷か」
そう言って、一同がゲラゲラ笑う中、一人がおずおずとこう言った。
「で、でもよ、そもそも……なんで泥草どもが空飛べるんだ? ケガとか治せるんだ? ……不気味じゃね?」
「バーカ。あんなのはどうせインチキなんだよ」
「インチキって……実際に飛んでるし……」
「お前、本当にバカだな」
男は哀れむような目で言った。
「いいか、泥草ってのはどんなやつらだ?」
「え? えっと、まあ、出来損ない……って言われているが……」
「その出来損ないが、空飛べたり、ケガ治せたり、そういう天使様みたいなことができるってのか? ありえねえだろう。ちょっと飯を作るのが上手いだけじゃねえか。それともなんだ? お前、俺たちが間違っているっていうのか?」
「い、いやいや、そんなことは言わねえけどさ……」
「だったら、バカみてえなこと、言ってんじゃねえよ」
「そうそう、しょせんは泥草だろう? 俺たちに頭を下げて、殴られても黙っているクソ泥草どもだろ? あいつらは俺たちの言いなりなんだよ。何をしようが怖くねえさ」
天使の正体がわかってからしばらく経ち、頭が落ち着いてくると、市民たちの中にはこのように考える連中がぼちぼちと出始めていたのである。




