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魔力至上主義世界編 - 18 中世の常識

“天使”の恵みは、毎日のように続いた。

 降ってくるのは肉だけではない。

 パンも降ってくる。

 中世では高級な果物であるオレンジも降ってくる。落下の衝撃でつぶれてしまわないよう、袋を二重にし、袋と袋の間には梱包材が入っているという気のつかいようである。

 いずれも極上の味わいである。


 弾正(だんじょう)の渾身の自信作である。

 この男は、日本人らしいこだわりをこめて、徹底して美味い飯を作らせたのだ。


「いかん! これではまだ味に深みが足りぬ! もっと深みを出すのじゃ!」


 こんなことを言いながら、天使の正体である泥草たちの食糧生産の現場に乗り込み、ついには現代人ですら驚愕するほど美味な料理を作り出すことに成功したのだ。

 美食に乏しかった中世の人からすれば、天国の食事かと思えるほどであろう。


 弾正のこだわりはまだ続く。


「この世界には存在しない飯も作るのじゃ」


 そう言って、これまで様々な異世界で見てきた料理を作らせる。

 泥草達は、見たこともない料理を、弾正の「こう、サクっとしてじゃな、中がジューシーでふわっとしてじゃな」などという説明をもとに作らされる羽目になったのだが、苦労した甲斐があって、ついに成功する。

 こうして、とうとうイリスの市民たちの前に、見たこともない食べ物までもが降ってくるようになったのだ。


「あたしね、最初、普通のパンだと思って食べたのよ。そしたら、白くてとろけるような甘い塊がパンの中に入ってるの! とにかくすっごく甘くてとろとろしてて美味しいのよ!」

「俺のとこだと、肉と野菜に食べたこともないソースがかかってて、それをパンで挟んだものが降ってきたな。味はどうかって? 聞くまでもないだろ? 最高さ!」

「私のところでは、材料は何かわからないけれど、薄くて丸くて塩と油のきいたカリカリしたものだったな。一度食べ出すとやめられないんだよ」


 要はクリームパンと、ハンバーガーと、ポテトチップスなのだが、中世人からしてみれば初めての味であったし、どれも現代基準で見ても極めて出来が良い。

 たちまちのうちにやみつきになる。


 やみつきになれるくらい、食べ物は大量に降ってきた。

 街の到るところで、朝に、昼に、夕に、天使の恵みは降り注いだ。


「今日はどんなお恵みだった?」


 こんな挨拶が、街中のいたるところで交わされるのだった。


 イリスの市民たちは、こんなにも美味な恵みが与えられるのは、自分達が泥草(でいそう)なんかと違って神から祝福された身であり、その祝福された自分達が毎日神様にお祈りを捧げているからだと思っていた。そして何より、偉い神官様たちが、自分達のお祈りを神様に届けてくださっているからだと考えていた。


 ◇


「どうしよう……」


 その偉い神官様であるところの中神官たちは、会議の席で頭を抱えていた。

 ここ最近の天使騒動についてである。

 教団として、あれを天使として認めるかどうか、彼らは判断を迫られていた。

 なにしろ街中、この件で大騒ぎであり、教団として正式な見解を早急に出す必要に迫られていたのだ。


 すなわち、あの“天使”たちが本物か偽物か、である。


「あれは本当に天使様なのでしょうか?」


 中神官の1人が言う。


「もし偽物なら、天使様を名を(かた)った罪は重い。火あぶりが妥当ですぞ」

「しかしですなあ。現に空を飛んでいるのですよ? しかもケガ人を治療したというじゃないですか」

「聞くところによると、病人も治したそうですな」


 話によると、病気で苦しみ、寝込んでいる市民のところに、天使がひょっこり突然現れることがあるのだという。

 家族があっけに取られている中、子供のように小柄な金髪の天使は、にっこり笑って病人の側に寄り、手をかざす。

 すると、たちまちのうちに病が治ってしまうのだという。

 苦しい咳が止まらない病も、激しい関節の痛みが絶えず襲ってくる病も、全身が衰弱して次第に動けなくなる病も、何もかも回復するのだという。


「まあ、病を治すのはいいでしょう。聖典にも、大天使エリエル様が地上に降臨されて、人々の病を癒やしたと書いてある。でも、食べ物を恵むのはどうでしょう」

「そうですな。聖典の中には、天使様が食べ物をお恵みになられたという記述はない。偽物の可能性があります」

「しかし、偽者が空を飛び、病を治すでしょうか?」

「うーむ……」


 中神官たちはその後も「聖典のあの記述が」「聖典ではこう書いてあって……」「聖典のこの部分の解釈は……」と、ひたすら聖典に基づいて何が「真実」かを議論する。


 現代人の感覚からすれば奇妙である。

 現代人なら「聖典なんて昔に書かれたもので間違っているかもしれないんだから、そんなものを引用しているヒマがあったら、さっさと街に現れた実物の天使をもっと詳しく観察するなり、直接いろいろと話を聞くなりすればいいのでは?」と思う。


 が、中世の常識は違う。


 中世の常識は一言でいうと「我々は正しい」である。

 市民たちは「我々は正しい。なぜなら神官様が何でも知っているからだ」と思っている。

 その神官様は「我々は正しい。なぜなら聖典に全ての真理が書いてあるからだ」と思っている。


 神官たちにとって、聖典は絶対的に正しい。

 この世界の法則とか、身分のあり方とか、飢えと病を減らして世の中を良くする方法とか、全て聖典から読み取れるものである。


 神官たちは、こう思っている。


「我々は聖典を読み込んでいる。ゆえに、絶対的な真理を知っている。

 その真理に従って、神に祈ったり、儀式を行ったりして、日々、世の中のために力を尽くしている。

 今の世の中は、そうやって我々が力を尽くした結果であり、最良のものなのだ。

 何も変える必要などないのだ」


 もし「技術を発展させて世の中を良くしよう」などと考える者がいるとしれば、その者は、中世では異端であり、処刑の対象である。


 技術発展とは、現状をもっと良くできると考えることである。

 ある意味、現状否定である。

 神官からしてみれば「我々の作り上げた最良の世の中を否定するのか!」と思ってしまう。


 だいいち、聖典には「技術発展で世の中を良くできる」などとは書かれていない。

 清い心を持ち、神に祈り、汗水を流して畑仕事のような昔ながらの労働に身を捧げることでのみ、世の中は良くなると書かれている。

 技術発展で世の中を良くしようなどというのは、聖典の否定であり、神への冒涜である。

 処刑の対象でしかない。


 中世人はそういう常識の中に生きている。


「実に壊しがいのある常識じゃ。その常識をぶっ壊された時の、皆の顔が見物(みもの)じゃわい」


 弾正(だんじょう)なら、ニヤリと笑ってこう言うだろう。


 なお、中世から先の、近世以降の常識は「我々は間違っているかもしれない」である。

 間違っているかもしれないから、真実を更新すべく、科学実験をする。地球の裏側から宇宙まで探検する。新しい技術を開発して、古いものを否定する。

 弾正の価値観は、こちら側である。



 中神官会議の結論が出た。

「本物の天使と認定する」である。


 決め手となったのは、白い皿である。


 天使たちは、食べ物を空から降らせるだけではない。

 時には、市民たちの家の中に直接置く。

 玄関に、寝室に、仕事場に、気がつくと料理の載った皿が置かれているのだ。


 その皿が、不思議なものであった。

 中世という時代、皿と言えば、木皿、金属皿、素焼きの皿、といったものしかなかった。あとは固いパンを皿代わりにしていた。


 ところが、天使の料理の載った皿は、どれとも違う。


「不思議ですな。透明感のある真っ白な色をしている。表面は異常なほどに滑らかだ。触ると、凜とした音がする。こんな皿、見たことがありません」


 皿の実物を見ながら中神官は言う。

 現代人から見れば、ただの陶磁器なのだが、そんなものを知らない中世人からしてみれば、神秘的な器に見える。


 皿を持ってきたのは、最年長で議長格の中神官ドミルである。

 天使から食べ物を直接届けられた家は、そう多くない。

 届けられた家の人間は「天使様に選ばれた!」と大喜びし、食べ物を食べた後も皿は大切に飾った。

 とはいえ、中には借金のカタに皿を手放さざるを得ない者もいる。

 そうして手放した皿が、巡り巡ってドミルのところにやってきたのだ。


「聖典の中にも、天使様が白く滑らかな器で聖なる水を飲む描写があります。これがまさにその器なのではないでしょうか。こんな神秘的な器、天使様の贈り物としか思えません」


 ドミルがそう言うと、一同「ううむ、確かに」とうなった。

 結論は出た。



「神官様たちもお認めになったぞ!」

「やっぱり天使様は天使様だったんだ!」


 市民たちは歓声を上げた。

 彼らは「神官様たちがそういうなら間違いない」と思っていた。

 彼らにとって「神官様は絶対的に正しい」からである。


 中神官たちも、自分達の出した結論に自信を持っていた。

 世界の中心都市イリスの中神官という、教団のエリート中のエリートである自分達が、あれだけ聖典を引用し、解釈して出した結論である。

 正しいに決まっている。

「我々は正しい」のだ。


 ところが、そんな彼らに激震をもたらす事件が起きた。

 天使たちが「我々は泥草(でいそう)である」と告白したのだ。

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