魔力至上主義世界編 - 15 小神官の逆襲
パドレが殺されなかったのは、弾正の好みのおかげである。
弾正は武士である。
武士は体面を重んじる。
生き恥をさらすことほど屈辱的なことはない。
「死は、時として名誉となる。ムカつくやつは、できるだけ殺さず、みじめに生き恥をさらさせてやるのが、もっとも哀れというものよ」
このような考えを持っている。
弾正がそうであるから、アコリリスもまたそれに従っている。
それゆえパドレもまた殺されず、屈辱を味わうだけですんだのだが、それで本人は大喜びしたかというと、無論そんなことはない。
パドレは怒り狂った。
彼は気がつくと、小聖堂の前に寝転がされていた。
失禁していた。
顔には『私は泥草に負けました』と書かれていた。洗っても落ちない。何度も何度も水で洗う。少し薄くなる。が、落ちない。まだはっきりと文字が見える。
小聖堂の連中が自分を見て笑っているように見える。ギロリとにらみつけると慌てて顔を伏せる。伏せた顔もどことなく笑っているように見える。
「ちくしょう! ちくしょう!」
やけ酒を飲む。高価なワインを浴びるように飲む。
泥草街で飲んだものとは比べものにならないまずさである。こんなものを今まで美味そうに飲んでいたのかと思うと、屈辱の極みである。それでも飲まずにはいられない。
「くそっ! くそっ! どいつもこいつも俺のことを馬鹿にしやがって!」
飲むうちに、うっかり銀の杯を傾けすぎてしまい、顔にワインがかかる。
いまいましそうに、それを拭いたところで、鏡を見る。
顔の文字が薄くなっていた。
「これか!」
ワインをばしゃばしゃかけ、やっとのことで顔の文字を消すと、小聖堂の面々を集めた。
復讐戦である。
「全員聞け!」
小聖堂の広間に集まった一同150人を見わたし、パドレは叫んだ。
「いいか! これからクソ泥草どもを殲滅する!」
もはや日ごろの穏やかな仮面は脱ぎ捨てている。
取り繕っている場合ではない。
助官、魔法兵、魔法兵従者、下男、といった面々が小神官の話を聞いている。
小神官を見る目は、どこか冷めているような、敬意が失われているような、そんな風に見える。
教団からしてみれば、泥草は最下層の連中である。
その最下層民に追い返され、失禁し、顔に「負けました」と落書きされて、小聖堂の前にかっこわるく放り出されていたのだ。
威厳も何もあったものではない。
パドレも必死である。
ここで失点を取り返し、大事になる前に何とか事をおさめなければ、出世どころか、降格・左遷である。
何が何でも泥草たちを叩き潰さなければならない。
「それで? いったいどうすればいいのでしょうか?」
泥草街には同行しなかったミセという助官が、言葉づかいこそ丁寧なものの、どこか「こいつ大丈夫か?」と値踏みするような目でたずねる。
「簡単だ。泥草どものところに行って、片っ端から魔法で撃ち殺す。それだけだ」
「し、しかし、前回、我々の魔法は、その、効かなくて……」
泥草街でアコリリスに魔法を弾き返された助官が、恐る恐る発言する。
「あれは何か間違いだ!」
「で、ですが……」
「いいか、間違いだ! なんかの偶然だ! とにかく泥草どもを見かけ次第撃ち殺す。殺して殺して殺しまくる。そうして盗んだ物を没収する。それだけだ。簡単だろう」
「し、しかし……」
「ああん!」
「い、いえ、なんでも……」
「よし、行くぞ!」
パドレ一行は泥草街の中心部に向かう。
(しっかし、まあ、何を考えているのかねえ)
助官のミセは、歩きながらそう考えていた。
(泥草どもを殺すのは、俺らとしては別にいいけどさ、街のやつらから、こきつかえるやつがいなくなるって苦情がくるじゃん。
やなんだよなあ、めんどくて。
小神官は大げさなんだよ。魔法を弾き返されたって……どうせ、酒でも飲み過ぎてて上手く撃てなかったんだろう? かっこわるいよなあ。
それになんだっけ? 泥草どもが、すげえいい暮らしをしている? 盗んできたもので、しょぼい宴会か何かしてただけだろ。酔っ払ってたんじゃねえのか。
ああ、もう、めんどくせえ。せいぜい、いっぱいぶっ殺してうさでも晴らすか)
彼はこれまで何人もの泥草を殺してきた。
罪悪感も何もない。
自慢の魔法で泥草たちがみじめに死ぬ姿を思い描きながら、目的に着く。
そして、口をあんぐり開けた。
「は? へ? あれ? え、え、なんですか、これ、え?」
丁寧に整備された広い石畳の街路。その左右には立派な建物が建ち、道行く人々はみな、ひと目で最高級とわかる服を身につけている。
例のごとく、高級住宅街でもありえないほどの光景である。
意味がわからない。
「おい、ミセ! ぼけっとするな!」
パドレが怒鳴る。
「え、でも、あれ? ここ泥草街? うそ? え?」
パンッ、とパドレがミセの頬を張り倒す。
「あ……」
「ぼけっとするなと言っただろ。今から、盗っ人猛々しいクソ泥草どもをぶっ殺すんだ。ぼーっとしているヒマなんてないぞ!」
「え、いや、盗んだって、パンとかならともかく、あの建物を? 道を? どうやって?」
「おい!」
とまどうミセに、パドレが怒鳴りつける。
「は、はいっ!」
「お前はなんだ!」
「え?」
「俺は小神官だ! お前はなんだ!」
「じょ、助官です!」
「なら何をする?」
「しょ、小神官様の命令に従います」
「なら、さっさと構えろ!」
「は、はい!」
この頃になると、突然現れた150人もの教団の面々に、泥草街の住民が「なんだなんだ」と騒ぎ始める。
その泥草たちに向けて、教団の者たちは一斉に手を突き出した。
「撃て!」
パドレの号令のもと、魔法が放たれる。
道を歩く子供に当たる。その子供をかばう母親に当たる。店先で商品を売る店員に当たる。見回りをしている宝石団の童に当たる。
何発かは外れる。石畳に当たる。建物の壁に当たる。そして砂煙を上げる。
「よし、やめろ!」
パドレは言った。
泥草街の大通りで、いきなり1000発もの魔法を放ったのだ。
当然、死体がゴミのように積み上がっているものとパドレは思っていた。
ところが、砂煙が晴れてみると、そこには無傷の泥草たちがいたのである。
誰一人として血を流していない。
誰一人として傷ついていない。
それどころか、ある泥草は「困るなあ」と言いながら、魔法で穴が空いた家の壁に近寄ると、さっと手をかざし、それだけで壁の穴をふさいでしまったのだ。
「しょ、小神官様……」
ミセが体を震わせている。
つい先ほどまで、頭の中で思っていた(泥草どもをぶっ殺してうさでも晴らすか)という気持ちは、もはや完全に吹き飛んでしまっている。
自慢の魔法が、よりにもよって泥草たちに完膚なきまでに弾き返されたのだ。
弾き返されたのは、泥草たちがみな、配給された不動服を着ているからなのだが、そんなことは想像の範囲外である。
わけがわからない。意味がわからない。悪い夢でも見ているとしか思えない。
「ええい、何をしている。撃て! 撃て!」
パドレは絶叫した。
ここで、やめるわけにはいかない。
やめたら、出世が消えてしまう。地位が消えてしまう。立場が消えてしまう。
(そんなのは嫌だ。俺は偉くなるんだ。偉くなって贅沢をして、威張るんだ。なのに、なんでお前ら邪魔すんだよ! やめろよ! 死ねよ! 早く死ねよ!)
パドレは必死で魔法を放つ。
「死ね! 死ね! 全員死ね!」
叫びながら魔法を放つ。
助官達も、困惑しつつも魔法を放つ。
泥草たちはもう、魔法を怖がっていない。うるさいハエでも追い払うかのように、しっしと手ではじき飛ばす。
それでもパドレたちは魔法を撃つのをやめない。
彼らにとって魔法は最強の武器である。ずっとそう教えられてきた。疑いもなくそう信じてきた。魔法は最強であり、その最強の武器を自在に操れる自分達聖職者は、人々の上に立つエリートであり、特別な存在だとずっとずっと信じてきた。そうでなければならないのだ。そうでなかったとしたら、これまでの人生は一体何だったというのか。
何度も放つ。何度も何度も放つ。
けれども、まるで効果が上げられず。
迷惑そうな顔をされるだけで。
とうとう、誰も彼もが疲れ果てて、魔法が撃てなくなってしまった頃、あの童女がやってきた。
金髪に水色の目をして、供を数人引き連れた童女。
アコリリスである。
「き、貴様ぁ……」
パドレは怒りの視線を向ける。
必死で右手をアコリリスに向け、けれどももう精根尽き果てていて、何もできそうにない。
「わたし、わかりました」
アコリリスは笑顔で言った。
「な、何がだ?」
「きっと屈辱が足りなかったんです」
「……は?」
「神様は言いました。できるだけの屈辱を与えろ、と。でも、あなた方は、こうしてまた来て、みなさんにご迷惑をかけている。屈辱が足りなかったんです」
アコリリスがさっと手を挙げると、ロープを持った宝石団員たちがやってくる。
疲れ果ててロクに動けないパドレたちは、あっという間に縛られてしまう。
「さて、ちょっと痛いかもしれませんが、我慢しててくださいね」
「な、何をする気だ!」
「前回と同じです」
前回、パドレは顔に『私は泥草に負けました』と書かれた。
「ですが、インクだと落とされてしまいます。ですから」
アコリリスはにっこり笑うと、こう言った。
「ですから、今度は皮膚に直接染みこませます。入れ墨のように書きます。もう落とせません」
「……へ? は? え?」
言葉の意味が分かると、パドレはぞっとした。
もう落とせない? もう消せない?
一生顔に『私は泥草に負けました』と書かれる?
そんなことになったら、出世どころか、左遷……いや、教団をクビにすらなる。教団の恥ということで処刑されるかもしれない。命が助かっても、一生屈辱だ。会う人会う人に笑われ、バカにされ、嘲笑されるみじめな人生……。
「嫌だ……そんなの嫌だ……」
心臓がバクバク言う。全身が震える。頭が真っ白になる。
「ご安心ください。小神官様だけにそんなことをしません。みなさん全員にやってあげます」
ミセが「ちょっ!」と慌てた声を上げる。
「……え、ちょ、待てよ、やだよ! いや、俺知らなかったんだよ! ただの巻き添えなんだよ! そう、巻き添え。こいつ、この小神官の豚野郎に言われてやっただけで、俺被害者なんだよ!」
ミセの言葉に同調して、別の助官もこう叫ぶ。
「そ、そうです! 私もこのデブに無理矢理やらされただけなんです! 実はずっとあなたがた泥草のことは哀れだと思っていたんです。だから、ほら、私の魔法、泥草さんには当たっていないでしょう? ね、ほら、あそこの地面に空いた穴、あれ、実は私が空けたものなんです。わざと地面に撃ったんですよ。ね?」
助官見習いも下男も一斉に、自分は被害者だの、泥草様を尊敬しているだのと口々に言い始める。
アコリリスはそれに対し、笑顔でこう言った。
「大丈夫です。わたしもひどいことはしたくありません。ですので、顔の文字を消したくなったら、いつでもわたしたちのところに来てください。
ただし、教団とは縁を切ってもらいましょう。そうですね。教団に対して、彼らの信ずる神を侮辱する手紙を書いてもらいましょうか。
で、5年間、わたしたちの下で働いたら、顔の文字を消してあげます。簡単でしょう?」
(これってとっても屈辱的ですよね。神様も大喜びしてくれますよね)と心の内で思いながら、アコリリスは言った。
教団の者たちにとっては、とうてい受けいられる条件ではない。
自分の権力の源である教団を捨てる? ケンカを売る?
今までずっとゴミ扱いしてきた泥草の下で働く? 5年間も? あのクズの泥草どもの下で?
そんなことできるか!
しかし、それをしなければ、一生顔に『私は泥草に負けました』と書かれる人生である。
どっちに転んでも地獄である。
「や、やめろ! や、やめ、やめてくれ!」
パドレは叫ぶ。
恐怖のあまり、しだいにその声は泣き声になってくる。
「や、やめてくだしゃい……お願いしましゅ……お、俺が悪かったでしゅ……だから、許して……」
目から涙がポロポロこぼれてくる。鼻水がぐしょぐしょとあふれる。
ついには土下座する。
縛られたまま、頭を地面に何度もこすりつける。
もっとも、本心では自分が悪いとは思っていない。この場を切り抜けることができたら、きっとパドレは「よくも俺に恥をかかせやがって! クソ泥草どもが!」と怒り狂うことだろう。そして、また復讐を計画することだろう。
が、今は怒り狂う余裕などない。
この場を切り抜けなければ、待っているのは地獄なのだ。
贅沢な暮らしも、偉そうにできる地位も失われ、人から笑われ続ける惨めな人生が待っているのだ。
想像するだけで、恐怖のあまり、気が狂いそうになる。
だから必死で謝る。
「ごめんなしゃい……すみましぇんでした……」
何度も何度も謝る。
頭を地面にガンガンぶつけながら謝る。
泥草たちは誰も同情しない。
アコリリスのお供としてついてきているネネアも、宝石団員たちも、泥草たちも、誰一人として同情の目を向けない。
教団の人間たちは、泥草を率先して虐げ、飢えさせ、凍えさせてきた。そのせいで大勢の泥草が死んだ。
そのことを思えば、まったく同情に値しない。
アコリリスはにっこり笑った。
「はい。そんな感じで5年間、反省していただければ、文字も消してあげますよ」
「ひっ! そ、そんな! い、嫌だ……た、助けてくだしゃい……許してくだしゃい……や、やめ! やめてーーー!」
アコリリスは手をかざした。