魔力至上主義世界編 - 139 中世の終わり (11)
イリスの人々にとって、そして何より教団にとって、衝撃的な事実が明らかになった。
魔法が通じなくなったのだ。
どの市民に対しても、魔法攻撃で一切ダメージが与えられなくなったのだ。
殴ったり蹴ったりする、いわゆる普通の暴力は通じる。
しかし、魔法だけが通用しない。
どれだけ高位の聖職者が、どれだけ本気の力をこめても、どれだけ弱そうなやつに魔法を食らわせても、かすり傷ひとつおわせることができない。
ぽふん。
そんな間の抜けた音を立て、魔法は消えてしまうのだ。
威力は、猫パンチ以下である。
紙くずでも丸めて頭にぶつけられた方が、よほどのダメージになるだろう。
魔法という暴力でもって世界を支配してきた教団。
その魔法を教団が失った瞬間であった。
◇
もし、この時、教団が方針転換していれば、彼らの運命も今少しマシな物になっていただろう。
『魔法で支配する』という今までのやり方を変えていれば、教団の未来はもっとまともなものだったかもしれない。
魔法が使えなくても、教団は十分に力を持っているのだ。
何しろ、彼らには富がある。
権力がある。
組織がある。
人員がある。
暴力だって、手に入れようと思えば手に入れられる。
何も魔法だけが暴力ではない。
弓矢や槍や剣は使える。
聖職者自らが武器を手に取らなくてもいい。
教団には金がある。その財力で、傭兵を雇えばいい。
そうすれば、教団は市民たちを暴力面で圧倒できる。
教団の魔法は確かに通じなくなったが、市民たちも同じである。
教団は一寸動子を使えないが、市民たちも同じである。
魔法がなくなっても、決して教団は市民たちに劣っているわけではない。
人数の比率で言えば、教団は市民たちの6%でしかないが、市民たちとて一枚岩ではない。
一枚岩ではないどころか、百枚岩くらいに分裂している。利害関係がグチャグチャで、一致団結などできない。
教団もがっちり一枚岩かというと怪しいが、それでも市民たちに比べれば、よほどまとまっている。
魔法をあきらめ、代わりに武器防具を集め、傭兵を集める。
そうして、王や貴族に取って代わってしまえばいいのだ。
地球の王侯貴族たちだって、別に魔法が使えたわけではなかった。
農民たちと比べて、人数も圧倒的に少なかった。
それでも上に立つことができたのは、富があり、組織があり、暴力があったからである。
要するに、普通の王侯貴族になるように路線転換してしまえばよかったのだ。
教団はそれができたのだ。
だが、教団はそうしなかった。
◇
「魔法だ! 魔法は最強なのだ!」
会議の場で、大神官ザリエルがわめいた。
最強の武力である魔法。いや、最強武力だった魔法。
それを捨て去るなど、大神官ザリエルにはできなかった。
「そうだろう!? 魔法は地上最強だ!」
薄い頭を七三分けにしたザリエルは血走った目で、会議に参加する神官たちをギロリとにらむ。
かつて「神を信じれば穏やかな心持になれるのです」と言っていたこの男は、今や目をぎょろりとむいて、ひたすらわめいている。
大聖堂に集まったのは、高等神官やイリスの中神官など、大幹部たちばかりである。
「その通りだ! 魔法は最強だ!」
と、ある大幹部は熱心に同意して叫ぶ。
「え、ええ、まあ、確かにその通り……ですね……」
と、ある大幹部は、とまどいながらも、場の空気に押される形でもごもごと口にする。
「……」
と、ある大幹部は無言ながらうなずく。
そうして彼らは、皆そろって首を縦に振ったのだ。
魔法は神が与えたもうた力。神に愛されし証左。
それが教団の考えである。
その魔法を葬り去るなど、彼らにはできなかったのだ。
その時、中神官ドミルが、遠慮がちに手を上げた。
「あの……」
「ああん!?」
大神官ザリエルが、もともと赤い目をさらに赤くしてにらむ。
「い、いえその、魔法が最強なのはごもっともなのですが……我々はどうすれば?」
「そんなの決まっているだろうが! 魔法だよ! 魔法なんだよ!」
「え、えっと、つまり……?」
「わかんないのかよ! 魔法の力を見せつけるんだよ! 魔法は最強だ。最強なんだ。その最強の魔法の力を、愚民どもに見せつけるんだ。いま、イリスの愚民どもは魔法のことをなめている。魔法なんてたいしたことないと思い始めている。許せるか? おい、ドミル、答えろ。お前はそれを許せるのか?」
ザリエルの言葉は事実である。
魔法が誰に対しても一切通じなくなってしまったことで、市民たちは魔法を侮り始めている。
他ならぬ自分たち自身に対して魔法がまるで効かなくなってしまったことを知ってしまったのだ。
ためしに市民同士で魔法を撃ち合っても(聖職者の魔法ならともかく、市民の魔法なら、多少痛い程度で、気を付ければ死ぬことも大けがすることもない)、何のダメージも入らない。
市民たちは自らの身をもって、(あれ? 魔法って大したこと無いんじゃない?)と実感し始めていた。
魔法が……ひいては教団がなめられはじめていたのだ。
それが許せるかとザリエルは問いただしたのだ。
ドミルとしては、立場上、答えは1つしかない。
「ま、まあ、許せませんが……」
「だろ! なら、ドミル。お前が責任者だ」
「え?」
ドミルがきょとんとする。
責任者ってなんの? と言いたげである。
「え、じゃない。お前が責任者として、イリスの愚民どもに魔法の力を思い知らせるんだ。教団の力を思い知らせるんだよ!」
「い、いえ、思い知らせるとおっしゃいましても、どうやれば……」
「そんなの、お前が考えるんだよ! いいか、おれはやれと言ったんだ。なら、お前はやるんだよ! 魔法の力を! 教団の力を! 神の力を思い知らせるんだ! 魔法は神の力だ。魔法がバカにされるということは、神がバカにされるということだ。お前は神がバカにされてもいいのか!? どうなんだ!?」
「も、もちろん、バカにされるわけには参りませんが……」
「じゃあやれ! いいか、1週間だ。1週間以内に、イリスの愚民どもに魔法の力を見せつけるんだ。魔法をなめられている今の状況を解決するんだ。いいな!」
そんなに言うならお前がやれよ、と言いたい気持ちを必死でこらえて、ドミルはたずねる。
「で、でも、どうやって……」
「そんなのお前が考えるんだよ! いいからやれ! やらないと破門だ!」
こうして、ドミルは魔法の力を見せつけなければならなくなった。