魔力至上主義世界編 - 138 中世の終わり (10)
泥草の幼女による事実上の暴力禁止令が発せられた。
それどころか、その日の夜、拡声器を通したイリス中に聞こえる声で、あらためて暴力禁止令が布告された。
「暴力を振るうのは、世の乱れのもとじゃ。よってこれは漏れなく禁止致す。
治安はわしらが保証する。うぬらは安心して平和に過ごすが良かろう」
松永弾正を名乗る悪そうな男の声で、そんな宣言が為された。
当初、教団も市民も、その意味がわからなかった。
暴力はダメと言っても、まさか泥草たちも、教団や市民を隅から隅まで監視するわけにもいくまい。
(ようするに、アレは口先だけの脅しだ)
そう神官達も市民達も思った。
◇
口先だけではないことがわかったのは、翌日のことだった。
昨日と同じようなことが起きたのだ。
前回とはまた別の神官と市民が衝突し、揉め、激昂した神官が市民に対して魔法を使った。
そこまでは昨日と同じだった。
昨日と違うのは、泥草が現れなかったことだ。前回は泥草がやってきて、魔法をかき消した。
その泥草が助けに来なかった。
(やっぱり口先だけだったんだ)
と人々は思った。
そして、魔法を撃たれた市民――青ざめた顔をしている市民に対し、間違いなく死ぬと思っていた。
が、そうはならなかった。
ぽふっ。
そんな音と共に、市民が魔法をかき消したのである。
市民は何もしてない。
ただ「ひ、ひいっ!」とおびえていただけである。顔を青ざめさせていただけである。
にもかかわらず、彼の目の前で魔法が消えたのだ。
しかも、昨日と違って、泥草が助けに来ていない。
「……は?」
と、魔法を放った神官が驚く。
「……へ?」
と、見物している群衆が驚く。
「……ほわ?」
と、魔法をかき消した当の市民が驚く。
ありえない光景だった。
いや、弾正が現れてから、泥草たちが何度も何度も神官たちの自慢の魔法をかき消しているのだが、今回魔法を吹き飛ばしたのはただの市民である。目が赤い。泥草ではない。
にもかかわらず魔法をかき消した。
泥草が助けに来たわけではないのに、これは一体どういうことか?
「バ、バ、バカな! バカな!」
魔法をかき消された神官が絶叫する。
絶叫しながら、魔法を放つ。何度も何度も放つ。
が、ダメだった。
ぽふっ。ぽふっ。ぽふっ。
魔法は全てかき消されてしまった。
「そ、そんな……ありえん……ありえん……」
神官はあぜんとすることしかできなかった。
◇
その日の夜、弾正が拡声器越しにイリス中に響き渡る大声でこう言った。
「イリス市民どもよ。今日、神官の魔法が市民によってかき消されたのは聞いたじゃろう。あるいは、直接見たものも大勢おるじゃろう。
あれは別段、あの神官が情けないからではない。あの市民が特別に優れておるからでもない。
簡単な話じゃ。
うぬら市民ども全員を、魔法が効かないようにしてやったのじゃ。泥草たちの防御技術の劣化版とでもいうべきものを施してやったのだ。
通じないようにしたのは魔法だけじゃ。
普通に殴ったり蹴ったり石をぶつけたりする攻撃は通じる。
あくまで魔法だけを、どの市民に対しても一切通じないようにしてやったのじゃ。
わはは、うれしかろう。世の中から暴力が減ったのじゃぞ。
そうそう、泥草の本気の攻撃は魔法ではない。ゆえに、うぬら市民も泥草の攻撃は防ぐことはできんから、そこのところはよく注意致すのじゃぞ」
教団は、伝説のドラゴンが白昼闊歩していたとしてもこうは驚かないであろうというほど、仰天した。
教団の権力の源泉は魔法である。
弾正がこの異世界に来たばかりの頃、謀反の下調べとして酒場で聞き込みをした。
その時、弾正はこんな話を聞いている。
――男が言うには、王も貴族も教団の言いなりらしい。
――王も軍を持っているが、弓や槍では魔法に勝てない。威力・射程距離・連射、どれを取っても魔法は弓を圧倒している(素材の問題で、この世界の弓は性能が低い)。鉄の鎧を着ても、魔法に貫かれる。魔力が高いやつをスカウトしようにも、みんな教団に入ってしまう。
――戦っても勝てないから、言う通りにするしかないのだという。
そう、教団の聖職者達は魔力が高い。
その魔力の高さにものを言わせて魔法を使う。
この魔法が強力だから、誰も彼も教団の言いなりになっているのである。
最強の武力である魔法を自在に操るから、みな、教団に逆らえないのである。
その魔法が、もはや誰にも通じないと弾正は宣言した。
教団からしてみれば、自分たちの権力の源が霧散したと言われたようなものである。
例えるなら、自動車の発明を目にした馬車屋のようなものか。
「う、う、うそだ……うそだろう……」
「そんなわけがない……そんなわけがない……」
深夜だというのに、神官達は誰もがあぜんとしたまま眠りにつけなかった。
◇
翌朝、パニックになった教団が早速行動を起こした。
市民たちに魔法を放ったのだ。
無差別乱射というわけではない。
さすがにそこまで錯乱はしていない。
が、似たようなものか。
町中を集団で練り歩き、適当に風体が怪しそうなやつ、貧乏そうなやつを捕まえて、「貴様、不信心者だな」とか「異端者に違いない」とか言って、適当に聖典の語句を引用してそれらしいことを言った後で(要するに一応形式らしきものを整えた上で)、「神の御名の元に、処刑する!」と言って魔法を放ったのだ。
「ひいっ!」
魔法を放たれた市民たちは仰天する。
が、大丈夫だった。
ぽふっ。
間の抜けた音と共に、魔法がかき消えてしまったのだ。
全力で魔法を叩き込もうとも、連発して魔法を叩き込もうとも、どうあがいても魔法が通じない。
若年の市民にも、中年の市民にも、壮年の市民にも、老年の市民にも、とにかく魔法が通じない。
「そ、そ、そ、そんな……そんな……」
「あ、あ、あわわわわ……」
神官達は、茫然自失とするのだった。