魔力至上主義世界編 - 12 神の子
施しが始まって1週間が過ぎた頃のことである。
宝石団のやり方が変わった。
食べ物や服の代わりに、硬貨を配るようになったのである。
パンや衣類は、その硬貨と交換だという。
「きれい……」
女の泥草がつぶやく。
硬貨と言って渡されたのは、小さく薄くカットされた宝石だった。
よく見ると、内部に悪そうな男の顔が描かれている。そのデザインはともかく、技術は実に精巧で見事なものである。
この宝石硬貨が毎日配られるという。
1日分の配給硬貨で、1日分の食べ物が手に入るらしい。
が、それ以上は手に入らない。
では、服が欲しかったり、風呂に入りたかったりしたら、どうするか?
「仕事をすれば硬貨を支払おう」
背の高い宝石団員のルートは言った。
この童は大柄であり、大人相手でもなめられにくい外見をしているので、こういった説明やら仲介やらの場によく狩り出されるのだ。
「仕事だって?」
泥草たちは露骨に嫌そうな顔をした。
彼らにとって仕事とは、市民たちに殴られることである。虐げられることである。あざ笑われることである。
嫌な記憶しかない。
そんな空気を察したのか、ルートは明るく笑ってこう言った。
「大丈夫。仕事と言っても、我々宝石団の手伝いさ。同じ泥草同士、気楽なものだろ?」
「どんなことをやるんだ?」
「たとえば、我々と施しの手伝いをしてもらう。あるいは一緒に泥草街を見回ってもらう。あるいはパンや肉の調達を手伝ってもらう」
最後の「パンや肉の調達」のところで、泥草たちは顔を見合わせた。
誰もが疑問に思いながらも、口に出せずにいることがある。
「あれだけ上質で大量の食べ物を、いったいどこから手に入れたのだろうか?」
もしかしたら、あれは盗んできたものかもしれない。
だとしたら怒り狂ったイリスの市民たちが「よくも盗みやがって」と泥草街に襲いかかってくるかもしれない。
そうなったら巻き添えだ。それは嫌だ。
一方であの飯のうまさは、ただただ最高としか言いようがない。
下手なことを言ったら、あれがもう食べられなくなるかもしれない。
そうなったら泥草たちから袋だたきにされてしまう。それも嫌だ。
とうとう一人がこれらの疑問を思いきってたずねてみた。
ルートは、はっきりとこう答えた。
「盗んできたなんて事は絶対にない。心配なら、それこそ我々と一緒に働いてみるといい。食糧の調達を手伝ってくれ」
泥草たちは顔を見合わせた。
何人かが「じゃ、じゃあ俺が……」と恐る恐る名乗り出て、ルートについていく。
夕方になると全員帰ってきた。
「おい、どうだった?」
帰ってきた彼らに泥草たちがたずねる。
「確かに何も問題なかった……というか……すごかった……」
「すごかったって何が?」
「すまん、それは俺の口からは……お前らも行けばわかる」
よくわからない回答だったが、彼らはそれ以上答えようとしなかった。
◇
「それで、どんな具合じゃ?」
神の間で弾正は茶を飲みながらたずねた。
「はい、みなさん、徐々にですがお仕事を始めつつあります」
アコリリスも、まったり茶を飲みながら答えた。弾正を相手に良い報告ができるのが嬉しくてたまらない、という様子である。至福の時間である。
隣にはネネアがいる。アコリリスが弾正に対してきらきらした目を向けすぎているのが心配なので、いつもこうしてついてきているのだが、このところはもうあきらめの境地に達しつつあるのか、黙ってずずっと茶を飲むばかりである。
「良いことじゃ」
弾正はうなずいた。
いつまでもタダで施しをしていては、やがてタダでもらうことが当たり前になってしまう。
感謝されているうちに、代価を受け取るようにすべきだと弾正は考えていた。
それに一緒に仕事をすれば、仲間意識も芽生える。
「頃合いを見て、例のやつをやるぞ」
「はいっ!」
それからしばし、まったりしたのち、アコリリスとネネアは神の間から出る。
出るとすぐ、ネネアが心配そうにたずねてきた。
「……大丈夫なの?」
「どうしたの、ネネちゃん?」
「例のやつ……あれをやったら、アコはもう普通の人じゃいられなくなるんだよ? いいの?」
「うん、大丈夫」
アコリリスは笑ってうなずいた。
「でも……」
「神様もそこは何度も聞いてくれたんだけれどね。でも、大丈夫。あのね、ネネちゃん。わたしね、今すごく嬉しいんだよ。こうして、わたしなんかが何かができることが。みんなの役に立てることが。神様の力になれることが。だから……」
アコリリスはネネアを真っ直ぐ見ると、笑ってこう言った。
「だから、ちょっと『神の子』になってくるね」
◇
さらに1週間ほどが過ぎた。
この日、泥草たちは、そろって泥草街の広場(宝石団が作った)に集められていた。
すでに時刻は夕暮れ時である。
なぜ集められたのかは知らされていない。ただ、集まれと言われている。
薄闇の中、何事かとざわめき声がそこかしこで響いている。
広場には大きな壇が設けられている。
宝石団の面々が舞台に立つ役者たちのように、壇上に立っている。
その面々のうち、背の高い童のルートが大声を上げた。
「全員、静かに!」
大きな声に、広場がしんと静まりかえった。
ルートは続けて、こう叫んだ、
「みなに聞く! 今日、何を食べたか?」
一瞬の沈黙のち、聴衆から声が上がる。
「……肉だ!」
「そうだ。肉だ。それから?」
「パンも食った!」
今度はすぐに声が上がる。
「そのパンや肉は、誰からもらったか?」
「宝石団だ!」
即答だった。
「美味い」と思う感覚。「腹一杯」という感覚。
二度と味わえないと思っていた、これらの感覚を思い出させてくれた人達の名である。
即答しかない。
「その通りだ! パン、肉、服。全部我ら宝石団が施した。しかし!」
ルートは叫んだ。
ここからが大事なのだと言葉に熱を込める。
「しかしである! 実は、我ら宝石団もまた、あるお方の力を借りていたに過ぎないのである! あるお方に導いて頂いてここまで来たに過ぎないのである! それこそが! それこそが我らが団長、アコリリス様である!」
ルートは手を上げる。
壇上の宝石団員たちが、さっと左右に割れる。
壇の中央が空く。
薄暗くてよく見えないが、その壇の中央に1人の童女が立っているように見える。
突然、左右からぱっと照明がついた。
まばゆい光が壇上の童女を照らし出したのだ。
豊かな金髪と形の良い水色の目を持つ、あどけなくも美しい童女だった。
ロウソクやたいまつなど、スマホ程度の明るさしかない照明しか持たなかったこの時代の人々にとって、薄闇の中で圧倒的光量で照らし出される童女の姿は、たいそう神々しく見えた。
「みなさん。わたしは宝石団団長のアコリリスです」
神秘的な光景に呆然とする聴衆に対し、アコリリスは凜と響く声で語りかけた。
ここしばらく、弾正の指導のもとでボイストレーニングに励んでいたかいがあり、即席ながらもそれなりの声量が出ている。加えて、元々の声質もいい。
あとは場の雰囲気が、勝手にアコリリスを神秘的にしてくれる。
聴衆は息を飲んでアコリリスの言葉を待つ。
アコリリスは静かに口を開いた。
「みなさんは、この一節を覚えているでしょうか?」
アコリリスはそう言うと、次の一節を暗唱した。
「神の子は、魔力のない者たちの前で、こうおっしゃった。
『このように役に立たない泥と草からも、役に立つものが作り出せる』
そして、泥と草をたいまつの火であぶると、パンができていた」
知らないはずはない。
泥草たちはここ2週間、施しを受けるたびに、その一節を口にするよう求められてきたからだ。
何度も何度も口ずさんできた。
もはや目をつぶってだって暗唱できる。
今さら何を言うのだろうか?
聴衆である泥草たちが疑問に思っていると、壇上に変化が見られる。
宝石団員の童たちが、それぞれ大きな箱を手に抱えてアコリリスの元へ来たかと思うと、足下に箱の中身をぶちまけたのだ。
ドサドサッ、ドサドサッ、と音がして、たちまち小さな山が出来上がる。
アコリリスはその山を手でひとすくい取る。
「見てください。これは泥と草です」
確かに泥と草である。茶色いグチャグチャした塊から、緑色の茎やら葉っぱやらが飛び出している。
いったい何を……?
とまどう聴衆の前で、アコリリスは火の付いたたいまつをもう片方の手で受け取る。
……まさか! まさか!
アコリリスは手に持った泥と草を火傷しないようにさっと火であぶり、同時に一寸動子を発動させる。
今ならわかる、とアコリリスは思った。
一寸動子をやると、泥と草がうねうね形を変えてパンや肉になるのだ。
見慣れないうちは、ちょっと気持ち悪い。悪魔の術と思われてしまうかもしれない。
1000年前、神の子が泥と草を火であぶったのは、そんな気持ち悪いうねうねを隠すためだったのだろう。それっぽいことをして、ごまかすためだったのだろう。
泥草であったに違いない彼女は、そうやって泥と草をパンに変えたのだろう。
でも大丈夫。
わたしの一寸動子は……神様が開花させてくれたこの力は、きっと神の子よりも速い。
うねうねなんて見えないくらいに速い!
だから見ててください、神様!
そうして。
泥と草が、あっという間にパンに変わった。
聴衆は、しんと静まりかえる。
「パンだ……」
誰かがつぶやいた。
「パンだ……パンだよ……。泥と草からパンができたんだよ……」
また別の誰かがつぶやいた。
「神の子だ……」
「神の子……神の子だ! 神の子だよ!」
つぶやき声は次第に叫び声になっていく。
アコリリスは、ゆっくりと両手を広げた。
彼女の足下に積み上がっていた泥と草が、次々とパンになる。肉になる。服になる。
もはや間違いない!
「ああっ! 神の子! アコリリス様は神の子だったんだ!」
「本物だ! 本物の神の子だ!」
「アコリリス様! アコリリス様!」
「ありがたや……ありがたや……」
ある者は歓声を上げた。
ある者は泣き出した。
ある者は拝んだ。
ある者は万歳をした。
みな、喜んでいる。
みな、感激している。
泥草たちは、つらい日々を過ごしていた。明日まで生きられるとも知れない不安の中で生きてきた。そんな中、やっと希望に巡り会えたと思ったのだ。
ずっとずっと虐げられてきて、ゴミだのクズだのと嘲笑されてきて、そんな中で、この人ならきっと救世主になってくれると、そう信じられる人に出会えたのだ。
みな、我を忘れて喜びの声を上げた。
アコリリスは、歓声を聞きながら、そっと岩の城を見上げた。
やりましたよ、神様! 見ててくれましたか?
◇
「わはははは!」
弾正は岩の城から、集会の様子を見下ろし、高笑いを上げていた。
自分のプロデュースしたアイドルが、イベントで大成功を収めた時のような、そんな気分であった。
弾正が気にしていたのは、泥草たちが「泥から作ったものを俺たちに食わせやがったのか!」と怒り狂うことだった。
だから、しつこいくらいに神の子のエピソードを暗唱させたのだ。
泥草たち自身の口で、何度も何度も言わせたのだ。
その上でアコリリスを本人の了承のもと、神の子に仕立て上げ、一寸動子を神秘的なものに演出したのだ。
結果は大成功である。
今、泥草たちは弾正の思惑通り、歓声を上げている。
あの、あばら屋で惨めな暮らしをしていたアコリリスが、今や大歓声を浴びている。
喜びの高笑いを上げたくなろうものである。
「だが、まだじゃ。まだまだ、これからじゃ」
教団は、アコリリスが神の子であるなど、決して認めぬだろう。
教団にとって神の子とは、聖典に載っている1000年前の人物であり、自分達の教祖であり、人々を救うために地上に降臨した神聖にして唯一の存在なのである。
自分達がこれまで見下し、迫害してきた泥草が、新たなる神の子を名乗ろうものなら、「ふざけるな!」である。「劣等種である泥草ごときが神の子を騙るとはなんたる冒涜か!」である。
必ず対立を生じる。
「次の一手を講じねばなぁ」
闇の中で悪そうな顔をにやりとさせながら、弾正は思案にふけるのだった。