魔力至上主義世界編 - 137 中世の終わり (9)
この時代の市民や村人、つまり一般人にとって、教団というのは現代でいうところの国のようなものである。
あって当たり前のものである。
なくなるということが想像できない。
自分たちの上に存在しているのが当たり前のものでもある。
倒せるような存在ではない。
教団に歯向かうやつがいたら、一般人はバカだと思うだろう。勝てるはずがないからだ。
最強の存在である。
絶対的な存在でもある。
色々と文句を言いたくなることもあるが、とはいえ圧倒的な存在感を持つ。強い権威と権力を持つ。
一般人は、なんだかんだ言ったところで教団を信じる。完璧ではないにしろ、正義だと思っているからだ。
その正義の教団が、泥草をゴミと認定している。
一般人たちは、教団様のお墨付きが得られたとばかりに、泥草たちをいじめる。
得意げになって虐待する。
一方で、権威ある教団が、魔法こそが最強の武力であると言う。その魔法を使えるようにする魔法の実はすばらしい、と言う。
一般人たちは、よろこんで魔法の実を食べる。ありがたがって食べる。
正しい教団はこうも言う。
自分たちを信じれば死後は天国に行ける、と。
それはもうすばらしい天国に行ける、と。
一般人たちはそれを信じ、さかんに教団にお布施をして、彼らの言う通りにする。
その教団が今、少しずつ崩壊しようとしている。
◇
泥草劇を見終えたイリス市民たちは、イリスの町に帰らされた。
市民らはここに到ってようやく、真実というものに気がついた。
神官たちが泥草たちに蹴散らされるのを何度も何度も何度も目撃し、泥草たちの一寸動子の力を何度も何度も何度も味わわされ、教団の言っていること(魔法が最強だとか、泥草はゴミだとかいう話)が嘘だという証拠を何度も何度も何度も見せつけられ、そうしてようやく教団という巨大な権威が間違っていると思うことができたのだ。
やっというべきか、ついにというべきか、ここにきてようやくというべきか、ともかくも真実に気づくことができたのだ。
できたが、しかしとはいえ、すぐに教団に対してどうこうしようというわけではなかった。
教団は巨大な権威と権力を持っている。
その教団相手に逆らうなど、怖くてできなかったのだ。
しかし、とはいえ、市民たちの教団への信頼というのはがた落ちしている。
今まで教団に騙されてきた、という思いがある。
あいつらのせいで、自分たちは一寸動子の力を失った……天国を味わえなくなってしまったんだ……。
そんな気持ちがある。
教団からしてみれば「お前たちもノリノリで泥草たちをいじめていたじゃないか!」と言いたいだろうが、市民たちからしてみれば、そんな事実なんてどうでもいい。
教団がムカつくのだ。
ただそれだけなのだ。
ムカつく。
しかし、怖くて手は出せない。
そんな状態が何日か続いた。
教団と市民たちは、互いによそよそしく、警戒の目を向け合い、けれども何もしない。
市民たちからしてみれば、教団は腹立たしいが、同時に恐ろしい。
教団からみれば、下手に手を出して暴走されても困るし、どうにか穏便に済ませたいと思っている。
教団と市民の衝突が起きたのは、そんな時だった。
ある1人の市民と、1人に小神官がすれ違うとき、市民が聞こえるような大声でこう言った。
「クズ神官め!」
言った直後に市民ははっとした。
彼は今までは、聖職者とすれ違うときは、心の内で叫んでいたのである。
だが、何度もそんなことをやっているうちに、気が緩んでしまったのだろう。
つい、口に出して言ってしまった。
言われた小神官は、カッとした。
「貴様ぁ! 今なんと言った! もう一度言ってみろ!」
そう言って市民に詰め寄る。
もし、ここで市民が恐れ入って、土下座の1つでもすれば、小神官も「ふん、次からは気をつけろ」と言って、矛を収めただろう。
だが、そこは人の多いにぎやかな通りだった。
すでに多くの人々の注目を浴びてしまっていた。
そういった状況で、嫌われている神官相手に土下座なんてしようものなら、一生バカにされてしまうに違いない……。
そんな思いが、市民にあった。
「う、う、うるせえぞ! クズ神官つったら、クズ神官だろうが、ボケ!」
市民は怒りと共に大声で言った。
完全に開き直っていた。
神官も、そこまで言われるとは思っていなかったのだろう。
ぎょっとした顔をしたが、そうまで言われて『栄光ある聖職者様』としては引き下がるわけにはいかない。
「なんだと、貴様ぁ! わたしを誰だと思っている!」
「誰も何も、今言っただろうが。クズ神官だ、ボケナス!」
「き、き、貴様ぁ!」
神官は顔を真っ赤にした。ここまで言われて何もしなかったら、教団の恥である。
このままおめおめと帰ってしまっては、教団からの罵声と懲罰が待っている。
「おのれぇ!」
怒りと共に右手を突き出す。
周囲の群衆がぎょっとする。
魔法の構えである。
聖職者の魔法である。当たれば待っているのは死である。
市民もぎょっとする。顔が青ざめる。
嫌な予感は当たった。
神官は魔法を発射したのだ。
赤い弾丸が市民を襲う。
一瞬ののち、弾丸は市民に命中し、彼の命を散らすだろう。
そう誰もが思った時である。
赤い弾丸がかき消えた。
そして、幼い少女が1人、舞い降りてきたのだ。
「え?」
「は?」
「ふぁ?」
誰もがわけもわからず呆然とする中、幼い少女はにっこり笑ってこう言った。
「暴力は、めっ、だよ。次、暴力をふるったら、おしおきだからね」
少女はにっこり笑うと、空へと消えていった。
後には唖然とした顔で口をぽかんとあけた市民と小神官、そして群衆たちが残されていた。
泥草たちによる、事実上の暴力禁止令が発動した瞬間である。