魔力至上主義世界編 - 136 中世の終わり (8)
「教団というのは世を停滞させ、人が大勢死ぬ中世という仕組みを放置し続けた諸悪の根源である。これすなわち、世の乱れのもとである」
と弾正は言う。
どう考えても弾正自身が最大の乱れのもとなのだが、しかし彼はこうも言う。
「じゃが、乱れのもとをいきなり取り除いては、かえって混乱を招く。あるいは新たなる乱れのもとの誕生を招きかねない。これは良くないことじゃ」
そもそも、と弾正は言う。
「わしは『劇的な結末』というものを望んでいないのじゃ。パンが腐るとき、劇的に腐ったりはせんじゃろう? 少しずつ、当たり前のように腐る。それと同じように、教団もごくごく当たり前のように腐り、そして終わっていくのじゃよ」
もっとも、と弾正は続ける。
「パンは、気温が高い方が腐りやすい。湿気が多い方が腐りやすい。不衛生な環境の方が腐りやすい。そういう環境作りの手伝いはしてやってもよいじゃろうて」
そう弾正は楽しげに言うのだった。
◇
さて、泥草劇が終わった後、イリス市民たちは全員無事、イリスに帰らされた。
おみやげとして、彼らの目の前で一寸動子で作ったパンや肉や果物やお菓子まで持たされての帰還である。
市民たちは呆然とした。
「あれはまやかしです! 悪魔に魂を売った見せかけの虚栄なのです!」
神官達はそう大声で叫ぶが、聞いている市民はいなかった。
彼らは正直、どう受け止めていいのかわからなかった。
市民たちはこれまでこう信じてきた。
教団は偉大である。
泥草はクズの出来損ないである。
魔法は最強の武力である。
魔法が得意な教団は最強である。
魔法が一応使える自分たち一般人は、魔法が一切使えない泥草に比べて遙かにマシである。人間と家畜くらいの差がある。
一言でいえば、教団は正しいと思っていた。
市民たちは今までそう信じてきた。
ずっとずっと信じてきた。
だが、それが今やどうか。
中神官ドミル達は、頭から変な看板を生やす。
大神官ジラー達は、ふんどし一丁で聖典を叩く。
教団は、泥草たちのガラスの塔に手も足も出ない。
一応、全ては大神官ジラーが泥草と手を結んだからだ、ということで決着した。
それで一応納得はした。
だが、あれから数ヶ月。
一行に泥草たちの活動はやまない。
教団は相変わらず、そんな泥草たちになすすべもない。
しだいに「おかしいのではないか?」という疑惑が出る。
最大の衝撃は、天国である。
謎の天空城で、3ヶ月ものあいだ、天国を味わわされたのだ。
教団が信じる者は死後行けると主張する天国に……教団の教えを信じることの最大のメリットである天国に、生きながらにして行くことができたのだ。
教団が最大の御利益として声高に唱えてきた天国を、よりにもよって出来損ないであるはずの泥草が提供してきたのだ。
市民とて、バカではない。
教団の言うことに、何かがおかしいと思うようになる。
無論、口には出さない。
ただ、何かが変だと思うようになる。
泥草劇を見せられたのはそんな時だった。
衝撃の事実が並べられていた。
泥草たちが勢力を拡大していく様子。
セイユでの数々の出来事。
最終決戦の詳細な顛末。
だが、何より大きかったのは、魔法の実の真実であった。
食べることで魔法が使えるようになる実。
10歳になると誰もが教団から支給されたこの魔法の実を食べ、そして食べた結果によって、聖職者・一般人・泥草という人生の運命の3択が決まってしまう魔法の実。
自分たちがこれまでずっと、ありがたがって食べていた実。
これを定期的に食べ続けないと魔法が使えなくなる実。
教団が生産と流通を独占し、教団の権力の源泉となっている実。
この魔法の実が、じつは食べることで、魔法よりもはるかに強力な能力である一寸動子を消滅させてしまい、代わりに劣化能力である魔法を使えるようにする代物であるというのだ。
これまでの市民たちであれば、そんな話をされても、与太話だと一蹴していただろう。
信じるどころか、ふざけるなと怒っていただろう。怒ってリンチにして殺してしまっていただろう。
だが、市民たちは教団に対して、すでに何かが変だと感じてしまっている。
加えて、泥草劇では、泥草たちはその力をまざまざと見せつけた。
たとえば、目の前で巨大な塔をみるみるうちに作ってしまった。
たとえば、大きな岩を空中に浮かべ、自在に動かして見せた。
『元大神官のジラーたちが悪魔に魂を売り、その力を分け与えられることで泥草たちは力を得た』というのが教団の主張であるが、それが真実だとするのなら、ジラーが捕まって何ヶ月も経ったのに、いまだに泥草たちがこれだけの力を使えるのはおかしな話である。
大神官ザリエル達は、「あんなのは一時的な力です。すぐに使えなくなります」と主張するが、ではその「すぐ」というのはいつなのかと問われると、彼らは口を閉ざして答えようとしないのだ。
そして、泥草劇の中では、小さな子供たち……10歳未満の魔法の実を食べなかった子供たちが、自在に一寸動子の力を使いこなして、美食やふかふかの寝具などを作り出していた。
まさに市民たちが、3ヶ月ものあいだ味わっていた天国そのものを生み出していたのだ。
そうして「ああ、教団の言うことを真に受けて、魔法の実を食べたりしなくてよかった。おかげで天国が味わえるもん」と無邪気な顔で言うのだった。
何度も何度も言うのだった。
繰り返すが、市民たちはバカではない。
そう何度も言われればわかる。
要するに、それはつまり市民たちに「お前達は教団の言うことを真に受けて魔法の実を食べたりしたから、もうあの天国は味わえないんだよ!」と言っているのと同じであったのだ。
その言葉には説得力があった。
教団がどうにも疑わしく、泥草の力を目の前で見せつけられ、そして実際に3ヶ月ものあいだ泥草たちによって天国を体験してしまっているのだ。
頭でいくら否定しようとも、心の奥底で「これこそが真実ではないか」とささやくのだ。
黒くこびりついたように決して消えない声で、ささやくのだ。
自分たちが教団の言うことを盲信してしまったから。
魔法の実を口にしてしまったから。
だからもう、あの天国は二度と味わえない。
もう二度と……。
それを理解した市民たちの感情がどうなったか。
気が狂わんばかりであった。
ある市民は(違う! そんなのは違う! 嘘だ! 嘘だああああ!)と必死に否定した。
ある市民は(正しいのはわたしたちよ! 何を言っているのよ! ふざけないでよ!)と必死に怒り狂った。
ある市民は(え? うそ……うそだろ、おい、なあ、おい、うそだって言ってくれよ、なあ、おい……)と混乱した。
ある市民は(あ、あ、あ……な、なぜ……なぜおれはあんな選択を……う、ううっ……く、くそ……くそおおおお!)と後悔した。
泥草たちによって一時的に声を出せないようにされているが、もし声が出るのであれば彼らはきっと狂わんばかりの叫び声を上げていたことだろう。
中神官ドミルがボロ負けし、天使騒動を起こされ、ガラスの塔を建てられ、泥草たちの豊かさを見せつけられ、大神官ジラーがボロ負けし、天国を味わわされ、泥草劇を見せられ、一寸同士の力をまざまざと見せつけられ、そこまでされてようやく市民たちは真実を理解した。
理解し、そして心の内で叫ぶのだった。
弾正はそんな市民たちの表情を満足げに眺めながら、彼らを全員イリスへと帰還させたのだった。