魔力至上主義世界編 - 135 中世の終わり (7)
「皆の者、泥草劇の始まりじゃ!」
ある日の朝、イリスの町に突然響き渡った謎の声に、イリス市民たちは一斉に度肝を抜かれた。
「な、な、なんだ!?」
「で、泥草劇?」
「というか、誰だ、こんなすさまじい大声を出しているのは?」
拡声器を使って町中に響き渡った大声に、拡声器を知らない中世の市民たちは戸惑う。
不気味である。
謎の大声が町全体に響き渡るというのが意味がわからない。
だが、謎の声はそんなイリス市民たちの戸惑いを無視して、こう続けた。
「さあ、市民諸君。これより泥草劇に招待いたそう」
すると、いつの間にか謎の金の粉が上空より降ってくる。
路上にいる市民はそのまま上空に、建物の中にいる市民は謎の力で外に引っ張り出され、いずれにせよ宙に浮かび上がる。
「ひゃっ!?」
「な、な、なにこれ?」
「あれ? これ、前に天国に連れて行かれたときに降ってきた粉じゃあ?」
「ということはまた天国に行けるのか!?」
「やったー! 天国だ!」
イリスの市民5万人は、悲鳴を上げたり、喜びの声を上げたり、様々な反応を示しながら上空へと浮かび上がっていく。
大神官ザリエルも、彼の部下の高等神官達も、名も無き普通の市民たちも、みなそろって上空へと浮かび上がっていく。
一部の楽観的な市民たちは、また前回のように天空城に招かれて天国を味わわされるのだと期待していた。
ところがどうにも前回とは様子が違う。
第一に、前は上空に城が浮かんでいたのに、今回はそれがない。
第二に、ある程度の高さまで飛んだら、そこから今度は方向が変わったのだ。上ではなく、前へと飛んで行ったのだ。
飛んで行った先。
そこにはいつの間に作ったのかという巨大な施設があった。
扇状の形をしており、扇の要(扇の持つところ)を中心として、それを囲むように階段状に椅子が並んでいる。
まるで劇場である。
というより劇場そのものではないか。
椅子は観客席。
中心部は舞台である。
その劇場の椅子へと、5万人の市民たちは次々と座らされていく。
一度座らされると、どういうわけか手足が固定されて動かない。
「なによこれ、外しなさいよ!」
「ふざけるな!」
「お、俺たちをどうする気だ!?」
口々に叫ぶが、拘束は解けない。
と、そこへ。
舞台の中央に1人の男が現れた。
黒い戦国武将のような甲冑を身にまとい、陣羽織を着た悪そうな顔をした総髪の男。
「松永弾正でござる」
弾正はニヤリと悪いながら、そう名乗った。
「ふ、ふざけるな、なんだお前は!」
「そうよ! あなた目が黒いじゃない! 泥草じゃない!」
「出来損ないの泥草め! 泥草は失せろ!」
数々の罵声の言葉。
もっとも、中には弾正のことを見知っている者もいる。
教団関係者である。
中神官ドミルに率いられて泥草たちを討伐しに向かった結果、返り討ちにあい、頭から『泥草さん、ごめんなさい』と書かれた看板を生やさせられた聖職者たち。
最終決戦に参加して泥草たちにボロ負けし、スキンヘッドにされた上に『教団はバカ』と頭に書かれた聖職者たち。
彼らは皆、弾正を知っている。
弾正が謀反の神を名乗りながら、中神官ドミルや大神官ジラーにおしおきを与えているところを、はっきりと見ているからだ。忘れようはずがない。
「あっ! お、お前は!」
「よくも俺たちをこんな目に!」
「ちくしょう! なんで体が動かないんだ! あいつをぶっ殺してやるんだ! ちくしょう!」
聖職者達は、神を信奉する者とは思えないほど情けない態度でわめくが、弾正は意に介さない。
代わりにニヤリと笑いながら、こう叫んだ。
「皆の者、聞けい! これより泥草劇を始める。静かに聞くように!」
弾正がそう叫ぶと、また金の粉が降ってくる。
すると、どういうわけかイリスの市民たちは舌が動かなくなる。声が出なくなる。
(な、なんだこりゃ!)
(どういうことだ! こ、声が……)
(う、うそだろ、おい……)
「わはは、心配するな。声が出ないのは一時的なものじゃ。劇は静かにマナー良く観るものじゃからな。さて、では泥草劇の始まりじゃ!」
弾正がそう言うと、童女が1人現れる。
南蛮風の長い金色の髪に、白い肌。水色の瞳はやや垂れ目でおとなしげな印象を与えるが、綺麗な形をしており、鼻筋はすっと形良く通っている。
そんな美しい童女だ。
アコリリスである。
アコリリスは舞台の中央に立つと、朗々と観客に向かってセリフを口にした。
「ああ、わたしはあわれな泥草。出来損ないとバカにされる日々」
アコリリスのセリフに、弾正も応える。
「わははは。困っておるようじゃのう」
「おお、あなたは何者ですか?」
「わしは謀反の神、松永弾正じゃ」
そう、これは演劇である。
ドキュメンタリー演劇とでも言うべきか。
弾正とアコリリスの出会いから始まって、今日に到るまでの出来事を、演劇形式で演じたものなのだ。
無論、演者は弾正とアコリリスだけではない。
ネネア(アコリリスの親友にして、弾正とアコリリスの姑役)も出る。
ルート(ケガをした妹を治してくれたことに感激して、初期の段階で弾正の仲間になった背の高い泥草)も出る。
レーナ(ルートの妹で、漫画を描いたり、泥草ラジオのパーソナリティーをやったりしている)も出る。
メイハツ(技術部門の泥草で様々な発明をしてきた)も出る。
ピルト(弾正一派の建築部門の長)も出る。
泥草側の登場人物は、基本的に本人が出る。
聖職者側の人間については、泥草たちが演じる。
「聖職者なんてやりたくない!」と嫌がるかと思いきや、みな、割とノリノリである。
大神官ジラーの演者など、希望者が殺到してオーディションまで行ったほどである(ジラーに見た目が似ている者を選ぶか、演技力のある者を選ぶかで、悩んだらしい)。
舞台では着々と劇が進んでいく。
「ああ、これが一寸動子の力なのですね!」
「さよう。うぬが使える不思議な力じゃ」
舞台の上では、アコリリスが一寸動子を使う。
むろん、実際に一寸動子を使っているのである。
泥と草がパンになる。肉になる。果物になる。
その様を、イリスの市民たちは目撃した。はっきりと目撃した。
劇は進んでいく。
アコリリスが、一寸動子こそが、教団の教祖である神の子の力なのだと、はっきり確信するシーンが演じられる。
大神官ザリエルを始めとした聖職者たちが(ふざけるな! 何を言うのだ!)と内心で叫ぶが、無論そんなのは無視される。
小神官パドレがアコリリスに、情けなくとも2度も返り討ちにあった挙げ句、『私は泥草に負けました』と顔に書かれたシーンが演じられる。
パドレ本人は観客席にいて、(やめろ! やめろおおおお!)と心の中で叫んでいるのだが、無駄である。
パドレの醜態が、イリス市民全員に知られてしまう。
天使騒動のシーンでは、市民全員が美食に狂喜するシーンが演じられる。
今度は観客席のイリス市民全員が(ひいいい! やめてくれえええ!)と、自分たちの恥ずかしい過去をあらためて見せられることに、内心で悲鳴を上げる。むろん、無駄である。
職人たちが泥草街に攻め込んだ挙げ句、返り討ちにあい、何を食べてもまずい味しかしないように舌を作り替えられるシーンも演じられる。
職人たちが(うわあああ!)と悲鳴を上げた。
中神官ドミル達が泥草街に攻め込んでボコボコにされ、頭から恥ずかしい看板を生やさせられるシーンも演じられる。
ドミルら中神官たちが(ひいいいいい!)と絶叫を上げた。
そうして様々なシーンが演じられていく。
ガラスの塔を建てて、イリスの市民たちが度肝を抜かれるシーン。
洗濯機騒動で女達が去り、男たちが取り残されるシーン。
大神官ジラー達が、屋敷を壊され、恥ずかしい巨像を建てられ、セイユの城壁を『教団を侮辱する4コマ漫画』にされ、大神官と高等神官のラブラブ像を立てられるシーン。
ジラーとイーハとグジンが、泥草たちに決戦で負けてちょんまげ頭にされた上に、アイドル衣装を着させられ、外れないリボンで3人の手を結ばれてしまうシーン。ついでに兵達がツインテールのふんどし姿にさせられてしまうシーン。
泥草ラジオと空飛ぶ絨毯(絨毯に載って飛び回りながら、贅沢を見せつける)を中心に、セイユ市民たちがコケにされるシーン。
10歳未満の子供たちがみんな一寸動子を使えることが実験でわかり、魔法の実が一寸動子の才能を燃やして魔法を使えるようにするものだと判明するシーン(一番反響が大きかった)。
最終決戦で、教団側が農民兵を犠牲にしてまで勝とうとして、ボロ負けしてしまい、ジラーとイーハとグジンの3人が泣き叫びながら土下座するシーン。
ジラーとイーハとグジンが、ふんどし一丁で腹につけた聖典を叩かないと歯の激痛が収まらない体にされてしまった挙げ句、檻に閉じ込められてしまうシーン。
ヒグリス村という小さな村で、子供たちに一寸動子を広めていくシーン。
オットー少年が天空城とゴーレムを作り出し、世界中に広めていくシーン。
それらが全てが、あますところなくイリス市民たちの前で演じられたのだ。