魔力至上主義世界編 - 131 中世の終わり (3)
謎の天空城が多数、イリスの上空を飛来している状況に、イリスの住民達はどよめいた。
いや、イリスの住民はまだ泥草騒動に多少は慣れている。
だが、ザリエルたち大神官・高等神官たちは、ついこのあいだイリスに来たばかりである。そんなものに慣れていない。
あごが外れるほどに驚いた。
「なななな、なんだありゃあ!」
オープン型の馬車に乗った大神官ザリエルは叫ぶ。
口を大きく開け、目を見開き、顔は驚愕に染まっている。
誰もその問いかけに答えない。誰も答えなど持っていないからだ。
彼らが茫然自失としている間に、さらに不思議なことが起きた。
「お、おい、あれはなんだ!? 何かが降ってきたぞ」
「本当だ。なんだ、ありゃ?」
そう、人々がどよめく中、妙なキラキラ光るものが降り注いできたのである。
まるで光の粉である。
その光の粉が人々の服に付着した時、異様な現象が発生した。
ふわり。
人々の体が浮かび上がったのである。
「え?」
「はえ?」
驚く間もなく、人々の体はどんどんと空に向かっていく。
高く高く飛んで行く。
「ひ、ひいいいいい!」
大神官の立派な衣装を着たザリエルもまた、情けない声を上げながら飛んで行く。
飛んで行く先は天空城の1つである。
飛んでいるのはザリエルだけではない。
高等神官たちも、そしてイリスの市民全員が、宙に浮かび上がり、あちこちの天空城へと飛んで行くのだった。
残されたのはこの大惨事の中でも牢屋の中で腹につけた聖典を叩いていた、元大神官のジラーたちだけであった。
◇
「こ、ここはどこだ!?」
ザリエルは周囲を見渡した。
どこだ、も何も天空城の中である。彼は他の高等神官や市民たちと一緒に、天空城の1つの中へと吸い込まれたのだ。
そこは学校の体育館より一回り広いていどの、石造りの空間である。
天井が高く、殺風景で、巨大な石造の倉庫のようにも見える。
中には1000人ばかりの人々がいる。
みな、イリスからたった今、連れてこられた人々である。
イリスにいる何万人という住民のうち1000人しか吸い込まれなかったというわけではない。
イリスの住民は全員ことごとく吸い込まれた。
ただ、複数の天空城に分散して吸い込まれたのである。
ここはそんな天空城の中の1つである。
吸い込まれた彼らは不安そうにあたりをきょろきょろと見回す。
「なんだ、ここは!?」「あたしたちをここから出しなさいよ!」と叫ぶ者もいる。
ただただ事態のわけのわからなさに、呆然とする者もいる。
出口を探そうとうろつき回る者もいたが、ドアも窓も無いことに気づいてしまう。
そう、彼らは天空城に閉じ込められてしまったのだ。
「な、なんだ、これは……いったいどういうことなのだ……」
ザリエルは、ただただわけがわからない。
先ほどまで、彼は幸福の絶頂にいた。
大神官になり、華々しいパレードをし、人々から尊敬のまなざしを浴び、まさに我が世の春であった。
だというのに、突然空に巨大な城がいくつも現れたかと思ったら、そこにイリスにいた人々が全員吸い込まれてしまい、そして気がつくと謎の巨大な石の部屋に閉じ込められてしまったのである。
意味がわからない。
というより不気味である。これから先一体どうなってしまうのかという恐怖がある。
恐怖を感じているのは周囲の人々も同じである。
彼らは戸惑い、困惑し、そして大神官ザリエルにまなざしを向ける。
「だ、大神官様、いったいどうすれば……」
「ああ、大神官様! 我らをお導きください!」
「どうしたらいいのでしょう、大神官様……」
ザリエルとて、どうすることもできない。
いきなり現れた空飛ぶ城に吸い込まれて、いったいどうしろというのか。
だが、何も出来ませんとは言えない。大神官として、どうしたらいいのか全然わかりません、などとは死んでも言えない。
そんなことをしたら、就任初日から威厳大暴落である。
どうしたらいい……? どうしたらいいんだ……。
ザリエルは頭をフル回転させる。必死で考える。
「……祈るのだ。神に祈れば願いは届く。お前たちが十分に心の底から祈りさえすれば、解決する」
ザリエルの言葉に、人々は「なるほど」とうなずき、祈り始めた。
◇
1日が過ぎ、2日が過ぎ、3日が過ぎた。
その間、人々は飲まず食わずだった。
飢えと渇きが人々を襲う。
「み、水……水……」
「水を……水を……」
最初の内は食べ物を欲しがっていた人々も、今ではただ水だけを欲しがっている。
「い、祈るのだ……」
大神官ザリエルもまた、やつれた顔で言う。
人々はそんなザリエルに懐疑的な目を向ける。
大神官は、教団の教祖である神の子の代理人であり、神から直接神託を受けられる存在であるとされている。
数々の奇跡を起こしてきた神の子の代理人なのだ。
だというのに、その大神官がいながら、事態はいっこうに解決しない。
大神官はただ「祈るのだ」と言うばかりである。
祈っても、閉じ込められたまま脱出できない、という現状は何も変わらない。
もっとも正確には、祈っていただけではない。
どこかに隠し扉が隠されていないか探したり、魔法などで壁を破壊しようと試みたり、様々な試みがなされた。
そして、その全てに失敗した。
つい3日前までザリエルに尊敬の目を向けてきた人々は、今や彼に冷たい目を向けている。
むろん、大神官ザリエルは本来は雲の上の人である。
うかつに声すらもかけられないほどの殿上人である。
だが、飢えと渇きによる極限状態が、人々を「そんなことを言っていられるか」という心境にさせた。
そして、ザリエルに対して冷めた目を向けたのだ。
(おのれ! 下々の連中の分際で! よくもこの私にそんな視線を!)
ザリエルは怒りを覚える。ギリリと歯ぎしりをする。
自慢の魔法で殺してやろうかとすら思う。
もっとも、この状況で殺し合っても意味がないことは理解できる。それどころか、怒り狂った民衆が一斉に押し寄せれば、自慢の魔法を放つまでもなく袋叩きにされてしまうかもしれない。
「い、祈るのだ……」
ザリエルは再度口にする。
人々から懐疑的な目で見られようとも、他に手立てが思いつかない。
人々も他にどうすることも出来ない。祈ろうとする。
と、その時である。
部屋中に大きな声が響いてきた。
「やあ、みんな。オレは泥草のジョハンだよ」
「は?」
謎のわけのわからない声に、人々は戸惑いの声を上げる
声の主の姿は見えない。
が、声だけは大きく部屋中に響いている。
「実はね、オレたち泥草も、大神官ザリエルの就任をお祝いしようと思ってね。こうやってオレの城のパーティーに招待したんだけど、いやあ、ごめんごめん、つい忘れてて3日も放置しちゃったよ。ごめんね。
ま、でも、いいよね。じゃあ、さっそく今から歓迎だ」
そこから先は桃源郷であった。
まずは、どこからともかく、テーブルがいくつも現れる。
透明な水が入ったグラスがいくつも載っている。
とはいえ、人々はすぐには手をつけない。
状況が状況であるから極めて怪しいし、何より謎の声は「泥草」と名乗っていた。泥草と言えば下々のクズどもである。なにより『悪魔に魂を売った』穢れた連中ではないか! そんな連中の用意したものなんて、口をつけられるか!
人々はそう思った。
思うだけでなく、実際に口にした。
「ふ、ふざけるな! 下賤な泥草の用意したものなど口に出来るか!」
「そもそも泥草の分際で、あたしたちをこんなところに閉じ込めていいと思っているの! ただじゃすまないわよ!」
「そうだ! お前らの味方だった元大神官ジラーはもう牢屋に閉じ込められているんだぞ!」
……そう言っていられたのは最初だけだった。
何しろ3日も飲まず食わずなのである。
とにかく渇いて渇いて仕方がない。
そしてついに、1人の男がグラスに手をつけた。あっという間に飲み干す。ぷはぁ、と満足げな声。
1人が飲み出せば、2人目も飲み出す。3人目も飲み出す。後はもう止まらなかった。
3日ぶりの水、そして水自体が極めて上質ということもあり、人々は先を争って飲む。
大神官ザリエルや高等神官たちは最後まで抵抗していたが、それでもついに渇きに耐えきれずに飲む。
一口飲むと止まらず、あとはがぶがぶ飲み始める。
グラスの水はいつのまにかつぎ足されていき、尽きることが無い。
水の次は美食である。人生で一度も口にしたことの無いほどの美味な食事。
その次は、これまた味わったことの無いほどのふかふかの寝具。
どこからともかく流れてくる華麗な音楽。
ここちよい香り。
どれもこれも、大神官ザリエルですら味わったことがないほど高品質なものである。
人々はすっかり魅了されてしまった。
ザリエルや神官たちも、最初の内は「これは悪魔の罠だ!」などと叫んでいたが、彼らとて食べないわけにはいかず、そして泥草たちの用意した美味な食事を口にすると顔をとろけさせてしまうのだから、説得力は皆無である。
こうして1ヶ月が過ぎる頃には、人々はすっかりニートになっていた。
食って寝て、カードゲームで遊んで、ふかふかのベッドで寝る。これの繰り返しである。
今まで教団の言う通り、毎日一生懸命働いていて、死ぬほど苦しい思いをして、それでやっと貧しい生活が出来ていたのに、ここでは寝ているだけで幾万倍もの快適な生活が出来るのである。
働くのが馬鹿らしくなるほどである。
ザリエルたちも、しぶしぶという体裁ではあったが、ニートになる。
大神官になって、いきなりニートになったのは、ザリエルが史上初であろう。
「ここは天国ではあるまいか……」
「ああ、そうだわ。ここは天国だわ」
そんな声がひそひそとささやかれはじめる。
さらに月日が流れる。
彼らが監禁されてから3ヶ月が過ぎる。
そんなある日のことである。
彼らが監禁されている部屋に、こんなアナウンスが流れた。
「やあ、みんな。泥草のジョハンだよ。お祝いは楽しんでもらえたかな? じゃあ、そろそろ地上に帰してあげるね」
◇
一方そのころ、泥草都市ダイアでは、ネネアが弾正にこう尋ねていた。
「それで? ぜいたくな生活をさせておしまい? いままでも似たようなことやってきたじゃない」
弾正はニヤリと笑って答えた。
「なあに、これからじゃよ。まさにこれからじゃ。今までとは大きく違うのじゃ」
◇
なお、余談だが、イリスに取り残された大神官ジラーたちの飯の世話は泥草たちが行っていたため、彼らは置き去りにされたペットのごとく餓死することはなく、無事に腹に着けた聖典を叩く生活を続けることができたという。