魔力至上主義世界編 - 130 中世の終わり (2)
その日、ザリエルは人生の絶頂にいた。
大神官になったのだ。
(あはははは。これからだ! これから私の時代が始まるのだ!)
喜色満面の笑みを浮かべ、ザリエルは輝かしい未来に思いをはせた。
◇
ザリエルは高等神官である。
薄い黒髪を七三分けにし、隈の多い目をし、教団以外はゴミだと言いたげな目で見下してくる中年男である。
彼は南方のアモール地方の高等神官であった。
この地方は、かつて大陸全土を支配した古代帝国の首都が存在した歴史と伝統のある地域であり、そこの高等神官の地位は格式が高い。
格式が高いということは、他の高等神官よりも格上ということである。
アモールの高等神官よりも格が高いのは、大神官、そして教団の総本山である首都イリスを中心とした地方の高等神官である。
が、大神官ジラーも、イリス地方の高等神官イーハも、いまや牢屋で腹を突き出して聖典をベシベシ叩いている有様である。
ゆえに、今やザリエルがもっとも格上なのである。
ザリエルは、大神官ジラーも高等神官イーハも嫌いだった。
2人とも平民の出身なのである。
特に大神官ジラーなどは、古代帝国の末裔を自称しており、はなはだ不愉快であった。
「私は正真正銘、古代帝国時代から続く由緒正しい家柄なのだ」
ザリエルは常々そう誇らしげに語る。
事実である。
彼の家は古代帝国の騎士階級の家であり、古代帝国滅亡時にもアモール地方にとどまり続け、派手でも華やかでもないものの、現代まで続いている家柄である。
自らを高貴なるアモール人だと誇っている。
(だというのに、あんな平民出身のジラーだのイーハだのが偉そうにするなどけしからん! この私こそが一番偉いのだ!)
ザリエルは伝統と格式を重んじる男である。
古いものこそ正しいのだ。
もっとも古きものは、聖典である。なにしろ聖典は『原初より存在していた神』の言葉を記したとされているからだ。
この点はザリエルも同意している。
聖典こそが最も古く、もっとも正しい。
では、その次に古いものは何か?
古代帝国である、とザリエルは言う。
そして、その古き血筋を伝える古代帝国騎士の末裔たるこのザリエル様こそ、教団のトップにふさわしい。
そうザリエルは信じているのだ。
(なのに、あのわからずやのバカどもめが。ジラーなんて、大神官だと威張っているが、ちょっと魔力が強いだけの田舎者ではないか!)
ザリエルはそう不満を抱いていた。
そんなザリエルのもとに、ある日、イリスから知らせが届いた。
イリスの中神官ドミルからである。
この知らせに、ザリエルは狂喜した。
なんと、大神官ジラーと高等神官イーハと軍卒神官グジンの3人が、悪魔に魂を売り渡し、泥草に怪しげな力を授けたのだという。
3人は中神官ドミルたちが『懸命な努力』の末に捕らえ、今や無力化した上で聖なる檻に閉じ込めている。
3人が悪魔に魂を売った証拠は明白である。何しろ彼らは全員はふんどし一丁姿で、腹にベルトのごとく聖典をくくりつけ、ベシベシと叩いているのだ。どう見ても不信心者ではないか。
ついては、この3人をクビにし、新たなる大神官を決めるべく、首都イリスまでの来訪して頂きたい。
手紙にはこのようなことが書かれていた。
あまりにも信じがたい内容に「ドミルのやつ、気でも狂ったのか?」と一瞬思ったが、他の中神官たちの署名もあるし、イリスの大商会やギルド連合の署名もある。
どうやら本当らしい、と思うと、ザリエルは笑い声をあげた。
「あはははは。あのバカどもめ、ついに馬脚を現したな!」
ザリエルは大喜びした。
喜びのあまり、下手くそなダンスを踊り、側近たちを仰天させたほどである。
その側近たちにしても、知らせを聞いて、
「いやあ、めでたいですな。これからは閣下の時代ですなあ」
と喜色満面であった。
大神官というのは、現職の高等神官31人の多数決で決まる。
31人のうち16人の賛意が得られれば大神官になれるのだ。
この31人には派閥が存在する。
これまでの最大派閥は、大神官ジラー派で14人いた。
次点でザリエルの派閥であり、これは9人である。
これまで、ザリエルは大神官になりたくてもなれなかった。
まずジラーをクビにはできない。
大神官を罷免するには高等神官の3分の2以上である21人以上の賛意が必要である。
ところがジラー派が14人いる時点で、21人以上の賛意など無理である。そもそも伝統的に、よほどのことがない限りは、大神官罷免などやるものではない。
後はジラーの急死を祈るしかない。
美食放蕩で不摂生な生活を送るジラーであるから、まあ死んだところでおかしくはない。
ところが最大派閥であるジラー派の幹事長は高等神官イーハが務めている。
ジラーが急死すれば、派閥はイーハが引き継ぐ。
ジラー派は14人。あと2人、高等神官を地位や金で釣ればいいだけだ。
次期大神官の地位は、イーハになる。
(だが、今、ジラーとイーハのバカがそろって自滅した。ジラー派はこれでもうオシマイだ!)
中心人物2人がこの上なく無様かつ不信心な形で自滅したのだ。
残りの高等神官の中に、全体をまとめられる者などいない。誰が中心についても「なんでお前に従わなきゃいけないんだ」という気持ちになる。とうていまとまらない。
まとまらなければ解散しかない。
ジラー派は事実上の壊滅である。
そうなればザリエルの派閥が最大勢力である。
というより、他にこれといった派閥がない。
事実上の勝ち戦である。
それなりに金と地位で釣る必要はあるだろうが、そう苦労はしないだろう。何しろ他にライバルたりえる者がいないのだ。
「ふふふ、大神官ザリエルか。ふふふふふ。あっははははは!」
ザリエルは楽しげに笑うのだった。
◇
そして3ヶ月後。
ザリエルはイリスで大神官となっていた。
イリスは愉快なことでいっぱいだった。
大神官ジラー、高等神官イーハ、軍卒神官グジンの3人が、報告通り檻に閉じ込められ、ふんどし一丁で腹にくくりつけた聖典を叩いていたのである。
まぎれもない変態であり、不信心者である。
「おやおや、大神官ジラー様に高等神官イーハ様ではありませんか。ずいぶんと変わり果ててしまいましたなあ」
とザリエルが言った時の、ジラーとイーハの悔しそうな顔を、ザリエルはハッキリと覚えている。
思い出すだけでも、笑いが止まらない。
あの顔を見られただけでも、イリスに来た甲斐があったというものである。
もっとも、仰天したこともあった。
何しろイリスと来たら、
・広場という広場に謎のガラスの巨塔がそびえ立っている
・『泥草さん、ごめんなさい』と書かれた看板を頭から生やした中神官や、『教団はバカ』と額に書かれたスキンヘッドの神官たちがうろうろしている
・城壁の一部が崩れている
・すぐ隣にダイアという謎の泥草都市ができている
という意味不明な惨状になっているからだ。
とはいえザリエルは、これを『ジラーたちが悪魔に魂を売って得た力を、泥草たちに与えたからだ』と信じている。
泥草ごときが、独力で巨塔を作ったり、神官たちを倒したり、都市を築いたりなどできるはずが無いではないか。
何もかも、ジラーたちのせいに決まっている。
そしてそのジラーたちは、今や無力化されて檻の中である。
泥草どもも、ほどなくしてその力を失うに違いない。
そう思っていた。
むしろこれを機に、イリスから自分の出身地であるアモール地方へと教団の本拠地を移設する良い機会ではないかとさえ思っていた。
要するに、大した問題では無いと思っていたのだ。
ザリエルにとっての最大の関心事は来たる大神官選挙なのである。
そして、彼は既に自分が次期大神官になれると確信していた。
なにしろ、周りの人間の態度が全然違うのだ。
敬われているのである。
いや、これまでもアモール地方の高等神官として、十分に敬われていたのだが、それでも自分以上に敬われている大神官ジラーと高等神官イーハがいたから、全然嬉しくなかった。
が、今や、まるで次期大神官のごとき敬われかたである。
『ごとき』というより、もはや『事実上の』と言うべきであろう。
格の高いアモール地方の高等神官であり、最大派閥の領袖なのだ。
9割9分、次期大神官である。
それは集まってきた他の高等神官の態度にも現れていた。
彼らは、公式・非公式問わず、ザリエルを訪れると、来たる大神官選挙においてザリエルに票を投じると宣言した。
無論、地位や金も求めたが、似たようなことを言う高等神官は大勢いるのだ。
「それはありがとう。でも、○○高等神官は、もっと低い地位でも票を投じると言っているよ?」
こう言えば、高等神官たちも要求を下げざるを得ない。結果、想像よりも遙かに安く票が手に入った。
ザリエルとしても、昔から自分の派閥に属している高等神官に最も手厚く報いる必要があったから、この点は大助かりであった。
昔から結構多いのだ。焦って大神官になろうとして地位や金をばらまきすぎた挙げ句、古い支持者をないがしろにしてしまい、結局裏切られて大神官になれなかった、というパターンが。
こうして、選挙の結果、ザリエルは圧倒的多数で大神官の地位を得た。
厳かな儀式を経て大神官に任じられたザリエルの初仕事はパレードである。
馬車に乗って、イリスの町中を回るのだ。
人々の大喝采を浴びながら、オープン型の馬車に乗ったザリエルは、笑顔で手を振りながらゆっくりと町中を回る。
(ああ、私はとうとう大神官になったのだ。
さあ、これからどんどんやるぞ。まずは悪魔の力を借りた泥草たちを叩き潰すことだな。
まあ、あんな連中、我々教団が本気になれば一捻りだろう。裏切り者のジラーたちももう無力化されているのだ。楽勝だな。
それから、たっぷり贅沢三昧もしたいな。せっかく大神官になったのだ。世界中からよりどりみどりの美女たちを集めて……)
「たたた、大変です、ザリエル様!」
突如として響き渡る神官の大声に、ザリエルは不快そうに眉をひそめた。
楽しげな妄想を邪魔するとは。
いや、そもそも今は大事なパレード中ではないか。
「いったいなんなのだね! 今は神聖なるパレードの真っ最中……」
「あああ、あれを! あれをご覧ください!」
「あれ?」
ザリエルは、神官が指をさすほう……空へと目を向け、そして仰天した。
空飛ぶ城がいくつもイリス上空に向けて飛んできていたのだ。