魔力至上主義世界編 - 11 圧倒的施し
泥草街が高級住宅街に変わってしまったのには、もちろんわけがある。
話は1ヶ月前、アコリリスが小神官から自主施しの許可証をもらった時までさかのぼる。
泥草街の聖堂から岩山の城に戻ったアコリリスは、神の間と名付けられた弾正の個室に入る。
そこは、畳が敷かれ、掛け軸が飾られ、花が活けられ、中央に設けられた囲炉裏には茶釜が設置され、つまるところ極めて日本風の部屋であった。
部屋に入ったアコリリスは、真っ先に弾正にこう報告する。
「施しの許可をもらえましたっ!」
アコリリスの報告に、弾正は喜びの声を上げる。
「わはは、偉いぞ。よくやった。ほーれほれほれ」
「わっ! きゃっ! わふっ!」
弾正がアコリリスのあごの下をなでてやると、アコリリスは嬉しそうに悲鳴を上げる。
「……あんたたち、何やってんの?」
アコリリスと一緒に着いてきたネネアが、呆れたような声を出す。
「うむ。しばし待て」
「そうだよ。今は至福の時なんだよ、ネネちゃん」
「はあ……」
弾正はほめる。アコリリスは喜ぶ。ネネアはため息をつく。
ほどなくして落ち着く。
ネネアが口を開く。
「それで、これからどうするの? 教団を攻めるの?」
「攻めぬ」
弾正は断じた。
「どうして? 謀反でしょ? 教団を倒すのでしょう?」
「力任せに倒したところでな、第2、第3の教団が現れるだけのことよ。雑草を引っこ抜くのと同じじゃ。抜いたところで、また新しい雑草が生えてくる」
根本的解決にはならぬ、と弾正は言う。
「じゃあ、どうするのよ?」
「世界を変える」
「世界を?」
「さよう。世界を一変させる。完膚なきまでに変える。後世の歴史の教科書で、我々が生きる今この時が歴史の最大の転換点であったと評されるくらいにな」
ネネアは困った顔をする。弾正の意図がつかめないからだ。
アコリリスを見る。彼女は「神様の言うことなら間違いはないですっ!」と言わんばかりの顔をしている。
仕方ないので自分で聞く。
「それで? 具体的にはどうするの?」
「これは異なことを聞く。アコリリスが自主施しの許可をもらってきたではないか。さすればやることは施しよ」
「施してどうするのよ?」
「それはつまりじゃな。こういうことじゃ」
弾正は説明する。
「さすがは神様ですっ!」
アコリリスは尊敬のまなざしで見た。
「よくまあ、そんな陰険なことを考えるわね……」
ネネアはあきれた顔をした。
◇
その日、泥草街に奇妙な集団が現れた。
白と水色を基調としたおそろいの服を着た10~15歳くらいの少年少女たちである。
「施しー! 施しだよー! 宝石団の施しだよー!」
「教団からお墨付きをもらった施しだよー! パン、肉、たくさんあるよー!」
建物の周りで呼び声をかけている。
建物というのは、泥草街に似わあぬ白くてきれいで堂々とした屋敷である。
あんな建物あっただろうか、と思うくらい立派な建物である。
1階は大きな入り口が開いている。
入り口の前には、これまた大きなテーブルが置かれている。
そこにたくさんの食べ物が並べられているのだ。
白くてふっくらとしたパン。焼けたばかりのジューシーそうな肉。
そのにおいが、仕事から帰ってきて空腹で疲れ果てている泥草たちの鼻に、ただよってくる。
泥草たちは、痩せて汚れた顔を互いに見合わせる。
ひそひそと疑問を口にする。
「な、なんだ、こいつらは?」
「なんで教団が俺たちに施しを?」
「いや、あれは教団じゃない。目が赤くない。泥草だ」
「そういや、最近ここらで見かけなくなったガキどもがたくさんいるって聞くな。あいつらか?」
「なんで泥草のガキどもが施しを?」
「そもそもなんであいつら、あんなきれいな服を着ていやがるんだ?」
疑問に思う彼らの鼻に、香ばしい匂いがただよってくる。
肉がおいしそうにジュージューと焼ける音がする。
泥草は肉などめったに食べられない。
賃金が安い上に、がんばって貯めて肉屋に行っても、気持ち悪い物を見るような目で見られて追い払われる。
「できそこないめ! 汚い顔を見せるな!」
そう怒鳴りつけられ、石をぶつけられる。
干からびた干し肉のかけらを売ってもらえればいいほうだ。
そんな彼らの目の前で、肉汁がしたたり、高価な香辛料がふんだんに使われた分厚い肉が、湯気を立てているのだ。
いったいどうやってこれだけの食べ物を調達したのかとか、どうしてその食べ物が自分たち泥草に振る舞われるのか、などなど疑問は尽きなかったが、空腹の前にはどうでもよくなってくる。
1人、また1人と、吸い寄せられるように、宝石団の建物へと向かっていく。
「に、肉……」
泥草の1人が言う。
「ああ、もちろん、あげるよ。でも、その前に」
宝石団の14、5歳ほどの童はにっこり笑うと、1つだけ要求を出した。
聖典の次の一節を口にすること、である。
「神の子は、魔力のない者たちの前で、こうおっしゃった。
『このように役に立たない泥と草からも、役に立つものが作り出せる』
そして、泥と草をたいまつの火であぶると、パンができていた」
この一節は「泥草のような役立たずでも、火であぶるなどの苦痛を受けることで、来世は真人間に生まれ変わる」と解釈され、泥草迫害の根拠の1つとなっている。
泥草からすれば不快な一節である。
が、そんなことより、目の前においしそうな食べ物があるのだ!
進んで暗唱する。
すると、食べ物が渡される。
うまそうな肉である。パンである。
「ああっ!」
泥草の男は感動の声を上げると、夢中で肉にかぶりつく。
うまい!
そうとしか言いようがない。
かみちぎると肉汁がジュワッとあふれるとか、塩加減がほどよいとか、ピリッと香辛料が効いているとか、かめばかむほど口の中でほどけていく感触が素晴らしいとか、色々と言うことはできるが、ともかくもうまいのである。
うまいのも当然で、この肉は弾正が日本人的こだわりを込めて作らせた逸品であり、大神官でも味わえないほど高品質なものである。
あっという間に一皿たいらげる。
皿はもう空である。
もう終わりか? まだないのか?
宝石団員はにっこり笑って言った。
「おかわりはいかがかな? 我ら宝石団は、たっぷりと食べ物を用意しているのでね」
気がつくと、わっと泥草たちが建物に押し寄せていた。
「肉! 肉! 肉ぅっ!」
「食い物! 俺にも食い物!」
「落ち着いて。食べ物はたっぷりあるよ」
「4列に並べ! 並ばないとやらないぞ!」
その日、泥草は久しぶりにお腹いっぱい食べた。
こんなにもたくさん食べたのは、それこそ魔力なしと判定される前の、子供の頃以来であっただろう。
「ああ、うめえ! うめえよ!」
「よかった! 生きててよかった!」
「ありがとうございます! 宝石団様、ありがとうございます!」
泥草たちは感謝と感激でいっぱいだった。
◇
施しは翌日も行われた。
この日から、パンと肉に加え、スープにワインまでふるまわれるようになった。酒場の濁った酸っぱいワインではなく、透き通って芳醇な香りのするおいしいワインである。
翌日も、また翌日も施される。
この頃になると、仕事に出なくなる泥草もぼちぼち現れ始める。
彼らは食べ物を手に入れるために働いている。
汗だくになり、殴られ、バカにされ、笑われ、そうして手にしたわずかばかりの賃金で、固くて不味い黒パンや、わずかばかりの豆や塩を買うのだ。
すべては食べ物のためである。
その食べ物が、タダで配られているのだ。しかも働いて買うよりもはるかに上質なものが、である。
なぜ働かなくてはいけないのか?
次の日になると、服も施されるようになった。
羽根のように軽く、光沢があり、やわらかでなめらかな肌触りの不思議な服一式が、泥草街の住民全員分用意されていた。
これだけで日本円にして数百万……下手すると一千万円以上は行くだろう。
「あ……ああ……」
多くの泥草たちはとまどった。
車や家をタダで配られているようなものだからである。
嬉しいというより「え? いいの? ほんと?」と思う。
第一、これだけの見事な服をこんなにたくさん、一体どうやって手に入れたのか? 本当に受け取ってしまっていいのか?
そんな疑問は浮かんだが、山のように積み上がった服を見ると感覚がマヒしてしまう。
あれだけあるなら1つくらいもらってもいいか、という気になってしまう。
1人、また1人と、とまどいながらも受け取っていく。
それでもなお、ためらう泥草も、自分の周りの人間がどんどんと受け取っていくと、自分ももらわないと損だという気になってくる。
ほどなくして、ほぼ全ての住民に行き渡る。
「せっかくのきれいな服でも、体が汚れてるから……」
こんな泥草のために、公衆浴場も用意した。
いつの間に建てられたのだろう、と思うような立派な施設が、泥草街にどっかりと居座っている。
中に入ると、そこは大浴場である。
大理石で作られた石造りの浴場は透き通ったお湯で満たされ、高級品である石けんがふんだんに備え付けられている。
「お前、誰だ!?」
「そういうおめーこそ?」
きれいになった泥草たちは、知り合い同士、お互い誰だかわからずに驚きの声を上げる。
そんな光景がそこかしこで見られる。
驚きの声は、やがて笑い声へと変わっていく。
そうして彼らは湯から上がり、もらったばかりの上質な衣服に着替える。
「なあ、この服、街に持って行って売ったら、金になるんじゃねえか?」
泥草の1人が、知り合いにそっと言う。
「バカ言え。なるわけねえだろ」
「どうして? こんないい服なんだぜ」
「で? 持って行ってどうなる? あいつらが素直に金出すと思うか?」
「……いや。盗品扱いされて終わりだな」
「第一、お前、金もらってどうする? まずい飯やボロボロの服を買うくらいしか使い道がないじゃねえか」
「……だな。そんなものよりよっぽどいいものが、ここにあるな」
そうして彼らは自分の着ている服を見下ろす。
平民たちが一生かかっても買えないような、そんな最高級の服を泥草である自分達が今着ているのだ。
なんだか誇らしい気持ちになった。
そんな気持ちになるのは、泥草になってから初めてだった。