魔力至上主義世界編 - 10 謀反の静かな始まり
パドレは泥草街の小聖堂の小神官(小聖堂のトップ)である。
30歳の男である。
小太りで、丸顔で、人々に安心感を与えるような穏やかな顔をしている。
内心は出世欲に満ちている。
ゆくゆくは大神官に、と思っている。
そのためには、あと3段。中神官になり、高等神官になり、大神官になるという過程を経る必要がある。
しかし、その3段が遠い。
30歳で小神官というのは出世としては早い方だが、彼くらいの歳で小神官になってそのまま死ぬまで小神官、というのも珍しくない。
むしろ、そのほうが多いくらいである。
大神官ともなれば一気に偉くなる。王様より偉い。
パドレは偉くなりたい。権勢を振るいたい。王侯貴族や大商人やギルド長たちをへいこらさせたい。自分の一言で思うがままに動かしたい。
豪華な住まいに、贅沢な食事、いい女も楽しみたい。教団は清貧を建前としているが、建前である。
魔法の腕だって自信がある。
今の大神官と同じく、魔法兵従者→魔法兵→助官→小神官→中神官→高等神官→大神官という出世階段を順調に上りつつある。
あと3歩である。
そんなパドレにとって、泥草街の小神官という今の地位は、あまりありがたくない。
泥草街の小聖堂と、泥草街の住民3000人を配下に治めている。
3000人というのは小神官が支配する人数としてはかなり多いが、「泥草だから」という理由であまり尊敬の対象にはなっていない。
パドレ自身も、まあ泥草どもだし、と思っている。
(泥草なんていう出来損ないのクズどもを相手にして、人生が終わってたまるか。俺はもっと上に行くんだ)
常日頃からそう思っている。
早く功績をあげて、ここからおさらばしたかった。
そんなある日のことである。
朝の祈りの儀を終え、信心深い泥草を「神のお導きがありますように」と笑顔で見送る。
泥草たちの中には自分達が罪人だと心の底から信じている者たちもそれなりにいて、彼らは小聖堂に積極的に足を運ぶのだ。
パドレはニコニコしながらも(早くくたばれ、役立たずども)と心の内でつぶやく。
彼は泥草のことを気味が悪いと思っている。
みんなが使える魔法を使えないのだ。同じ人間だとは思っていない。
出来損ないの欠陥品である。苦しんで当然と思っている。
気持ち悪いから近づきたくもない。あの青い目や黒い目を見ているだけで、嫌な気分になる。
だから、一人の水色の目をした童女が声をかけてきた時も、パドレはまったく嬉しくなかった。
「小神官様」
金髪で水色の形のいい目をした10歳ほどの童女が、話しかけてきた。
汚れたボロ布を着ている。全身が汚れている。顔色が悪い。何より赤目ではない。見るからに泥草である。
(汚らしい泥草のクソガキが)
よくよく見れば、顔色が悪いのはそういう化粧をしているからであり、肉付きは決して悪くないし、着ている服も一見汚れてはいるものの、よく見ると上等な生地を使っているのだが、汚い泥草なんて見たくないと思っているパドレは、そんなことには気づかない。
何の用かは知らないが、誰かに押しつけてしまおうと思った。
小神官は小聖堂のトップであり、何人もの下っ端を抱えている。
適当に助官にでも押しつけるか、と声をかけようとする。
その時である。
童女は口を開いてこう言った。
「わたし、自主施しをしたいんです」
パドレはゆっくりと泥草の童女に目を向けた。
「……あなたが?」
「はい!」
「ふむ……」
教団の教義は「魔力の高い者が上に立ち、弱者を救済する」である。
後者は形骸化しつつあるが、一応そうなっている。
それゆえ教団は弱者にしばしば施しをする。硬くて古いパンを与え、なかばボロボロではあるものの衣服を与える。
施しは、基本的に教団が主催する。
寄付は受け付けるが、実際に表に立って施しを行うのは教団である。
そうすることによって、寄付の中間搾取ができるし(9割ほど搾取する)、施しの表舞台に立つことで教団のイメージアップにもなるからだ。
ただし、例外はある。
教団が許可すれば、自主施しという形で、民間人でも直接施しを行えるのだ。
許可するパターンは2つある。
1つは、貴族や大商人など、日ごろ教団に多額の寄付をしている金持ちに対し、感謝の意を表して許可する場合である。金持ちにとっては名誉になるし、教団は恩を売れる。
もう1つは、弱者自身が施しをするケースである。こんな弱き者でも乏しい財を振り絞って神の教えに従おうとしているのだぞ、と宣伝することで、より一層寄付を募ろうというのである。
もっとも後者のケースは滅多にない。
貧しい者が自分から進んで施しなど、普通はしないからである。
それにゆえ、自分の担当区域でそんなことをする者が現れれば、功績になる。出世のポイントになる。
その自主施しを、目の前の童女がしたいと言っているのだ。
(ただ、しょせんは泥草だからなあ)
教団の泥草に対する姿勢は「苦しんで当然」である。
泥草は前世で罪を犯したがゆえ、現世で魔力なしという罰を受けている罪人であり、来世で真人間になるために苦しまなければならない存在と見なしている。
苦しんで当然の泥草が、今さら身を切って施しをしたからといって、何だというのか。
(まあ、多少の功績にはなるか)
パドレはそう考えると、自主施しを認めてやることに決めた。
「それはよい心がけですね。いいでしょう。認めます」
「ありがとうございます!」
「いえいえ。そうそう、あなたのお名前をまだ伺っていませんでしたね」
「申し遅れました。アコリリス・ルルカといいます」
「わかりました。では、ルルカさん、こちらへ」
パドレはそう言って、アコリリスを小聖堂の中に招いた。
まず、施しの誓いの儀式を行う。
神の前で、施しを完遂することを誓う。
それが終わると、パドレは許可証をさらさらと書き、印を押す。
そこにはおおむね、このようなことが書かれていた。
・泥草に対してのみ、施しを許可する。
・施しは1年間続ける。最低でも1日パン10個は施すこと。
・施しが行われない場合、神に嘘を語った罰として、命をもって報いること
「泥草に対してのみ、施しを許可する」というのはアコリリスの言い出したことである。
考えてみれば、劣った泥草が市民様に施すなど許されるわけもないか、とパドレは思った。
泥草は、泥草相手に施すのがお似合いである。
「苦しんで当然」の泥草に対して施しをするのはどうかとも思うが、まあ泥草同士で苦しみを分かち合う分には問題ないだろう。
どうせたいした施しができるわけもないんだし。
「最低でも1日パン10個は施すこと」は教団の規定である。
自主施しをする場合、最低でもこれだけはやらないといけないのだ。
(こんな出来損ないのクソガキが1日10個もできるのかねえ)
パドレは首をひねった。
だがすぐに、まあいいか、と思った。
その時は、アコリリスが罰を受けるだけである。命をもって報いるだけである。
(汚いガキが1匹消えて、そのぶん街もきれいになるか)
許可証を受け取ると、アコリリスは「ありがとうございました!」と言って頭を下げた。
「神のご加護がありますように」
パドレはそう言って見送ると、すぐに意識は今日の美味しい肉料理に向かってしまい、アコリリスのことは忘れてしまった。
◇
それから1ヶ月後のことである。
パドレはいつものように朝の祈りの儀を行う。
教団のシンボルである丸に横線を2つ引いたマーク(弾正が言うには今川の家紋みたいな形)の前で祈りを捧げる。
しかし、今日はなぜか泥草が1人も来ていない。
ここ最近、徐々に減ってきてはいたのだが、とうとう0人になってしまったのだ。
(全員、死んじまったのか? だとしたらめでたいことなのだが)
儀式を終えたパドレがそんなことを想像していると、小聖堂の下人が慌てて飛び込んできた。
「小神官様! た、大変ですぜ!」
「なんですか、騒々しい」
「で、泥草どもが! 泥草どもが!」
「泥草がどうかしたというのですか?」
「と、ともかく一度来てくだせえ! 本当に大変なんです!」
下人はただならぬ様子である。
頭でもおかしくなったのかとパドレは思ったが、もし万が一、何かあって責任問題になっても困る。
助官らを供に連れて、聖堂を出て、下人に案内させる。
聖堂は泥草街の外れにある。
落石やら飛翔石やらの被害を受けないよう、安全なところに、しっかりとした石造りで建てられているのだ。
ゆえに泥草たちの住まうところまでは多少の距離がある。
パドレは自分から泥草街の中心に行くことはなかった。
泥草の顔など見たくもなかったし、彼らの住むところなど汚らしくて吐き気がすると思っていたからだ。
その泥草街の中心が、徐々に近づいてくる。
パドレは、泥草たちのあの痩せた顔、ボロをまとった体、みすぼらしい住まいがもうすぐ見えてくるのかとげんなりしていた。
ところがどうだろう。
目にしたのはまるで違う光景だったのだ。
「……え?」
パドレは目をパチクリさせた。
何度かまばたきをした。
ごしごし目をこすった。
あらためて目の前の情景を見た。
「……え? はい? はあ?」
何度見ても同じだった。何も変わらなかった。
あぜんと口を開く。
左右にいる助官たちも同様である。口をあんぐりさせている。
「な、な、なんじゃこりゃあああーーー!」
とうとう大声を出した。
そこには「貧しい泥草街」とはまるで違う光景が広がっていた。
道は石畳できれいに舗装されている。
その道を行く人々は、王侯貴族でも滅多に着られないような色とりどりのきらびやかで光沢のある服を着ている。みな、肉付きがよく、顔つやもよい。きれいに梳かされた髪が、さらさらと風でなびいている。
食堂らしき建物からは、美味しそうな肉が高価そうな香辛料と共にジュージューと焼かれている匂いがする。その匂いのおいしそうなことといったら、教団の人間だってこんないいものを食べていないのではないかと思えるほどである。
店頭には、白くてふんわりしたパン、最高級の香辛料であるサフラン、中世という時代には高級品であったオレンジなどが、たっぷりと並べられている。
オレンジなんて、パドレでさえ小神官就任祝いに1個だけ食べさせてもらったことがあるだけなのに! それがあんな無造作に山のように!
つまるところ、大金持ちの高級住宅街でさえありえないほどの豊かな光景が広がっていたのだ。
いったい何が起こったのか?
パドレは、わけがわからなかった。