魔力至上主義世界編 - 112 ほら、できた。一寸動子!
「みなさん、こんばんは。泥草ラジオのパーソナリティのシェナです」
そんなひかえめな、けれでも大音量の声が響き渡った時、深夜で寝静まっていた村人たちは一斉に起き上がった。
「な、なんだ?」
「い、いったいなんだこれは?」
ラジオもスピーカーも拡声器も知らない中世の村人たちからすれば、真夜中にいきなり『人が大声で叫ぶよりも大きな音量』が流れるというのは意味がわからない。
「さて、それでは、これから泥草ラジオを始めていきます。お送りするのは、わたしシェナです。それと……」
「あ、あの、僕はエミルです」
「ガランだ」
シェナのひかえめながらも落ち着いた声に続いて、エミルのおっかなびっくりの声、ガラン(領主の息子の名である)のどこか虚勢を張ったような固い声が村中に響き渡る。
いずれも、今年10歳になる村の子供たちである。
みな、弾正から一寸動子を習っている。
昼間、シェナが一寸動子を村の真ん中で披露し、小神官ハーゲンたちを撃退し(正確には小神官たちが勝手に無駄な攻撃をして、勝手に失敗しただけなのだが)、大量のパンを残していった後、大人たちはしばらくのあいだ呆然唖然としていたが、ようやく我に返ると、あわててシェナを追いかけた。
彼女の家はわかっている。
小さな家に、母と妹と3人で暮らしているのだ。
だが、村人たちが徒党を組んでやってきた時、シェナはおろか、彼女の母と妹の姿もなかった。
粗末な小屋はもぬけの空である。
「ど、どこだ?」
「シェナはどこにいった?」
村人たちは叫ぶ。
答える者はいない。
いなくなったのはシェナだけではなかった。
今年10歳になる村の子供たち9人全員が姿を消していたのである。
村人たちは日が沈むまで村中を探し回った。
が、結局誰1人として見つからなかったのだ。
ちなみに、子供たちの家族まで姿を消したのはシェナだけである。
残りの子供たちの家族は訳がわからず、ただ目を白黒させるだけであった。
泥草ラジオが始まったのは、そんな日の夜のことだった。
「くそ、あのガキ、何やってやがる!」
「なに、あたしたちに恥かかせてるのよ!」
エミルの両親がそんな言葉と共に憤怒の形相で外に出る。
他の村人たちも、タイマツをつけて外に出る。
「夜中にでかい声出しやがって!」という怒り。
「いなくなったガキどもが何をやっているんだ?」という疑問。
「い、いったいこの声はどこから来ているんだ……」という不気味さ。
それらが混ざった何とも言えない感情で、ともかくもタイマツと共に外に出る。
村人たちがそうしている間にも、泥草ラジオは続いていた。
「今日は村の皆さんにお知らせがあって、このラジオをお送りしています」
シェナの声がする。
これまでのシェナはどこか臆病で弱々しいところがあったが、今はひかえめながらも落ち着いた雰囲気がある。
たった1人で(正確にはシェナと似た境遇を持つアコリリスが、こっそりと影で支援していたのだが)、村の大人たち、そして教団と立ち向かい、撃退したという強烈な経験が、彼女の中の何かを変えたのかもしれない。
風格、とまではいかなくとも、堂々とした雰囲気が感じられる。
その落ち着き払った声で、シェナは続ける。
「さて、わたしたち、村の10歳の子供たちは、みんな一寸動子という不思議な力を使えます。
今日みなさんは、わたしが泥や草や木からパンを作るところをご覧になったと思います。
あれが一寸動子です。
今日みなさんは、わたしが神官の魔法を防ぐところをご覧になったと思います。
あれが一寸動子です。
すべて、この力のおかげなんです」
シェナが一気にそう言うと、エミルが後に続く。
「あ、あの、この力、すごいですよね? だ、だって、この力があればもう、あのつらい畑仕事をしないでいいんですよ?
飢える心配もありませんし。と、とにかくすごいんです!」
領主の息子ガランがさらに後に続く。
「そこで今日から、俺達がこのラジオで、一寸動子の使い方を教えてやろうってわけさ。
なあに、簡単なことだ。俺達だってできたんだ。難しくはないさ。なあ、シェナ」
「ふふ、はい。とても簡単です。
それでは早速始めましょう。
やり方は簡単。一寸動子、と頭の中で唱えるんです。
唱えながら、まずは小さな石を動かすところから始めましょう。動け、と念じるんです。
一寸動子と唱えながら動けと念じるのが、最初は難しいかもしれませんけれども、慣れると簡単ですよ」
ラジオはその後も一寸動子のやり方について、何度も説明を繰り返した。
一方、村人たちの努力も一応実った。
ラジオを流している現場を、どうにか見つけることができた。
村の広場に、いつの間にかガラスの塔のような建物が建っており、その中にシェナやエミルたちがいたのである。
「おい、出て来い、クソガキ!」
「ここを開けなさいよ!」
村人たちはガラスの塔の壁を蹴り飛ばし、鋤や鍬などで叩く。
エミルなどはびくりとしたが、壁はビクともしない。
村人たちは叩いた。
何度も何度も叩いた。
が、まるで効果がない。ぜえはあ、ひいはあ、と疲労困憊になるばかりである。
ついには、あきらめて引き上げざるを得なかった。
泥草ラジオは深夜の村に1時間ほど鳴り響いた。
最後にシェナはこう言った。
「そうそう、わたしたちの仲間になれば、こんなラジオ講座ではなく、直接一寸動子を教えますよ? 条件は泥草さん達に謝罪することと、教団と縁を切ることです」
◇
泥草ラジオは翌朝も流れた。
「おはようございます。村のみなさん。
今日も一寸動子の練習を始めましょう。
これさえできれば、いくらでも食べ物が作り出せます。もうつらい畑仕事からは解放されるんです。ふふふ、がんばりましょうね。
それでは、まずは昨夜の続きからです。頭の中で一寸動子と唱えて……」
昨晩に引き続き、シェナが解説をする。
「そうそう、今日はエミル君とガラン君が一寸動子の実演をしてくれているんです。
2人ともそれぞれ村の目立つところでやっているので、ぜひ見に行ってくださいね。
見に行けば、一寸動子が簡単に身につくこと間違いなしですよ、ふふふ」
シェナはそう言った。
村人たちは「げっ!」と言った。
それはつまるところ、昨日のシェナと同じように、エミルとガランが人々の前で一寸動子を見せびらかすということである。
大人たちからすれば、たまったものではない。
たまったものではないが、しかし止めることはできない。
「み、みなさん! 僕はエミルです。これから一寸動子の実演を始めます。ここにあるのは何の変哲も無い泥と草です」
村の東側ではエミルが実演を始める。
「お前ら、聞け。俺は領主の息子、ガランだ! 今からお前らに一寸動子を教えてやる。ちゃんと聞けよ!」
村の西側ではガランが実演を始める。
エミルは手をかざす。ガランも手をかざす。
すると、次々とパンが生み出されていく。
山のようにパンが積み上がっていく。
昨日、シェナが作り出したパンは、こっそりと持ち帰った村人たちによって恐る恐るながら食べられ、本物であることが証明されている。
つまり、今目の前で、聖典に出てくる神の子の奇跡のように、何ともあっけなく簡単に生み出されているこのパンも、きっと本物であるに違いない。
自分達が汗水垂らしてやっとの事で生み出せるパンを、エミルたちはごくごくあっさりと生み出してしまえる。
彼らはただの子供たちに過ぎないはずなのに! 大人より弱くて役立たずのはずの子供に過ぎないはずなのに!
気が狂いそうである。
頭がおかしくなりそうである。
それでもエミルもガランもやめない。
止めようとはした。
「エミル、いいかげんにしろ、このクソガキが!」
「そうよ! あたしたちの顔に泥を塗る気なの!」
と、エミルの両親が叫ぶ。
「ガラン! やめぬか! お前は領主の息子なのだぞ!」
と、ガランの父である領主が叫ぶ。
叫ぶだけでない。
力づくで止めようとする。
が、ダメである。
拳も、蹴りも、棒も、剣も、ありとあらゆる攻撃が弾かれてしまったのである。
教団の魔法すら役に立たなかった。
「くそお! くそお!」
昨日に引き続き、自慢の魔法を10歳の子供に弾かれ、小神官ハーゲンは悔しそうにわめく。
周りのハーゲンを見る目が厳しくなる。
それでも教団に対する人々の畏怖・畏敬の念は根強い。
泥草に対する軽侮・侮蔑の念もまた根強い。
シェナが泥草ラジオの最後に、昨夜と同様、「泥草に謝罪して教団を捨てれば、わたしたちの仲間にしてあげます」と言っても、その日、彼らのもとに「仲間に入れてくれ」と言ってやってきたのは、変わり者で知られる村の大人1人だけだったのだ。
◇
とはいえ、村人たちが一寸動子に興味が無いわけではなかった。
何しろ、泥と草から簡単に食べ物を作り出すことができるのである。
飢える恐怖から解放される! つらい労働から解放される!
嘘かもしれない。でも本当だったらすごいことである。それに子供たちは実際に目の前でパンを作り出しているのだ。本当である可能性は高い。
ラジオでは、朝、昼、夕、夜、と1日4回講座が流れてくる。
一寸動子のやり方を懇切丁寧に、何度も基礎から説明してくれる。
その気が無くても耳に残る。
教団は「やつらは悪魔だ! 言うことを聞いてはいけない!」と叫んでいる。
だが、今年はどうも不作気味である。飢える恐怖がある。
(ちょっとくらいなら……)
(バレなければ……)
そうやって村人たちは、講座で教えられた通り、頭の中で一寸動子と唱えながら、小石に動けと念じてみるのだった。
が、大人たちはすぐに失望することになる。
全然発動しないのだ。
(なんだ、嘘だったのかよ!)
(ちっ、騙しやがったな!)
(くそっ!)
何度やっても全然小石が動かないことに大人たちはがっかりし、練習をやめてしまったのである。
シェナたちが何らかの方法でパンを作り出したのは事実であっても、一寸動子と念じればパンが作れるというのは嘘だと大人たちは考えたのだ。
大人たちは「一寸動子なんて嘘」という固定観念にとらわれてしまった。
だから、小さな子供たちが「ねえ、見て、お父さん、一寸動子できたよ」と言って小石を動かすのを見せた時も、「どうせ風か何かで動いているだけだろう」とまともに取り合わなかった。
大人である自分達が出来ないことが、子供なんかに出来るわけがない、という思いもあった。
子供たちは子供たちで、大人たちに相手にされないので、そのうち大人たちを無視して自分達だけで一寸動子を練習するようになった。
そうして1週間が過ぎた。
泥草ラジオは変わらず続くし、一寸動子の実演もまた変わらず続いていた。
パンを簡単にポンポン作り出す彼らを見ていると頭がおかしくなりそうになるが、多少は慣れてきた。
そうやって多少は落ち着きを見せてきた、そんなある朝のことである。
とある農家の男が起きると、テーブルの上に大量の果物が載っていることに気がついた。
「……は?」
寝ぼけているのだろうか。
男は目をこする。
もう一度見る。
果物である。大量のうまそうなリンゴやオレンジがテーブルの上に山盛りに載っているのである。
「な、な、なんだこりゃああああ!」
男は絶叫した。
彼の家は決して裕福ではない。こんなテーブルからあふれるほど山盛りの、しかも新鮮そうなリンゴやオレンジがこんな大量にあるなんて、あきらかに異常である。
「あ、お父さん。おはよう」
あぜんとする男に、彼の7歳になる息子が声をかけてきた。
「お、おい、おめえ、これなんだ? 知ってるのか?」
男が震える手でテーブルのパンを指差しながら、息子に問いかける。
「え、あ、うん、これはね、こうやって……」
息子はそう言うと、手に持っていた泥と草の塊に対して何やら念じる。
するとどうだろう。
彼の手の上にあった泥と草が、たちまちのうちに美味そうなオレンジへと変貌したのである。
「ほら、できた。一寸動子!」
息子が無邪気そうに笑って言う。
男はあんぐりと口を開ける他なかった。
その日、村人たちは気づいた。
気づいてしまったのだ。
9歳以下の子供と泥草だけが一寸動子を使える、ということに。
・泥草ラジオにお便りを頂きました。ありがとうございます。今回は、読み上げるタイミングがありませんでしたが、タイミングが合えばどこかで読みます。
・誤字脱字報告ありがとうございます。すぐには反映できませんが、参考にした上で適宜対応します。