魔力至上主義世界編 - 110 やめてくれ!
エミルたちの住む村はヒグリス村と呼ばれている。
大きな沼のある村、という意味である。
もっとも、その名の由来となった沼は、100年以上も前に埋め立てられてしまっている。
いまや、かつて沼だったところには全面的に畑が広がり、この村の中心部となっている。
村人たちは日々畑仕事に精を出す。
耕し、うねを作り、肥料を作ってまき、種をまき、草をむしり、害虫を駆除し、獣を追い払い、用水路を整備し、時折肥料を追加し、収穫し、脱穀する。
毎日、汗を流し、手を痛め、腰を痛め、そうしてやっとのことで日々の糧を得るのである。
大変な仕事である。
それでも彼らは懸命に仕事をこなす。
彼らにとって、畑仕事は大変なのが当たり前である。
なぜなら昔からそうだったからである。
そして、何より教団がそう言っているからである。
「昔ながらのやり方でやりなさい」と。
「変わらないやり方でやりなさない」と。
「それこそが神に救われる道なのです」と。
ところが、その日、おかしな出来事が起きた。
「お、おい、なんだ、あいつ」
「ありゃあシェナじゃねえか。あんなところで、何やってんだ、あいつ」
このあたり一帯には畑が広がっている。
畑の中央には十字形に広い道が通っており、道が交差したところはちょっとした広場になっている。
その広場に、女の子が立っていた。
貧しくて家族想いの女の子、シェナである。
身なりからして貧しい。
汚れとほつれの目立つ粗末な麻の衣服を着ている。黒髪はロングヘアーというよりは、単に長くてボサボサなだけである。
顔は、緊張しているのかこわばっている。
その緊張した顔で、周りの男たちに向け、遠慮がちな様子で「あ、あの、よろしくお願いします」と一礼した。
男たちは意味がわからなかった。
シェナの家は畑を持っていない。
小作農として村の誰かの畑仕事を手伝ったり、畜産の手伝いをしたり、糸を紡いだりして日銭をかせいでいる。
だが、村の中心部であるこのあたりの畑は、彼女たちに手伝ってもらったことはない。
このあたりの畑は土地が肥えていて収穫高が多く、支払われる小作料も多い。一家から立て続けに2人も泥草を出したシェナのような子に、そういう割のいい仕事は回ってこないのだ。
だというのに、一体何の用なのか?
そう村人たちが訝しんでいると、不意にシェナが、村人たちが草むしりをして積み上がっている雑草の山を両手でつかんだ。
「なんだあ?」
村人の中からそんな声が上がったその時である。
シェナの手の中の草が動いたかと思うと、パンが生まれていたのである。
「……は?」
「……へあ?」
「……ほへ?」
村人たちは、間の抜けた声をあげる。
シェナは呆然とする村人たちに構わず、次々とパンを作り出す。
そうして文字通り山のように出来たパンを、村人たちに「ど、どうぞ」と放り投げていく。
「え?」
「あっ!?」
「わっ、わっ」
村人たちは戸惑いながらも飛んできた白いものを受け取る。
パンである。
文字通りのパンである。
本物としか思えないほど、いい匂いがする。
そのパンが次々と飛んでくるのである。
気がつくと、村人たちは両手にパンをどっさりと抱えていた。
小麦を育てている畑の真ん中で、畑仕事の格好のまま、その小麦で作るパンを大量に抱えながら目を白黒させている様子は、どこか滑稽である。
が、当の村人たちからすれば、わけがわからない。
「なななな、何やってんだ、てめえ!」
村人の中から怒鳴り声が上がる。
何をやっているんだも何も、絵面だけ見れば「ある日、突然親切な少女が、一生懸命働いている村人たちにパンを分け与えてくれました」ということであり、まるでメルヘン童話のような光景なのだが、童話ならハッピーエンドであっても、現実で同じことが起これば不気味でしかない。
「お、おい、シェナ! おめえ何やってやがんだよ!」
村人が声を震わせながら叫ぶが、シェナは意に介さない。
彼女の横にはいつの間にか倒木が転がっている。
アコリリスが透明化してこっそり運んできたものなのだが、そんなこと知らない村人たちからすれば意味不明である。
その木にシェナは手を当てる。
茶色くて硬い木の幹や枝が、次々と白くてやわらかくてパンへと変貌していく。
「ま、またパン!」
シェナの横にはいつの間にか大きなテーブルが設定され、テーブルの上に置かれた木箱に次々とパンが投入されていく。
パンが山のように積み上がった箱が1つ、2つ、3つ……。
ドンドンとドンドンと積み上がっていく。
「あ……あ……」
呆然とする村人たち。
そして、とうとう。
「や、やめろ! もうやめてくれ!」
悲鳴のような声が上がった。
村人たちは、日々畑仕事をしている。
体を痛め、へとへとになりながら、重労働の農作業をしているのは、ひとえに食べ物を作るためである。
そのために必死になって人生の大半の時間をつぎ込んでいるのである。
そうやって何十年も生きていた。
いわば、畑仕事は彼らの人生のそのものなのである。
だというのに、目の前にいる貧しい少女は、食べ物をいとも簡単に作っている。
草から。
木から。
あっさりと食べ物を生み出している。
自分たちがこれまで膨大な時間を費やしてきたやってきたことを……今まさに汗を流しながら必死にやっていることを……目の前の女の子は軽く手をかざしただけで成し遂げてしまったのである。
しかも、やっているのは赤の他人ではない。
よく見知った村人、それも内心では見下していた貧しい女の子(なにしろ上の兄が2人とも泥草だったから、彼女も泥草なんじゃないかという目で見られていたのだ)なのである。
ショックだった。
自分達の仕事が否定されたようだった。
自分達の毎日が否定されたようだった。
自分達の人生が否定されたようだった。
自分達が今まで人生の大半をつぎ込んで働いてきたのは一体何だったんだと、そんな気持ちにさせられてしまったのである。
「やめろ! やめろお!」
「お願いだ、やめてくれえ!」
「うわああああ! やめろおおお!」
村人は叫ぶ。必死の形相で、大声で叫ぶ。
シェナはやめない。
しだいに緊張がほぐれてきたのだろう。いくぶん落ち着いた顔で、「よしっ、弾正様に言われた通り、もっとがんばるぞ」などとつぶやきながら、どんどんと食べ物を生み出していく。
テーブルが一杯になったら、また次のテーブル。
シェナはまだパンしか作れないし、そのパンもアコリリスのパンのように『飛び上がるほど美味』というわけではないが、それでもパンはパンである。
村人たちが日々必死になって作っている食べ物そのものである。
「やめろって言ってんだろ!」
村人が怒鳴る。
両腕にシェナからもらったパンを大量に抱えながらそのシェナに向けて怒鳴るというのは、どこか滑稽だが、顔は怒りに満ちている。
(パンは貴重なので捨てられないのだ。もっともシェナがパンをガンガン生み出していっているので、今まさに貴重ではなくなりつつあるのだが)
村人の1人がシェナに向けてずんずんと進む。
「やめろ!」と怒りにまかせて蹴り飛ばそうとする。
その太い足がシェナの腹目がけてブンと音がするほどの勢いで伸びていく。
シェナの顔が「ひっ!」と脅えたようにこわばる。
彼女が吹き飛び、腹を押さえて這いつくばる様を想像し、村人は嗜虐的な笑みを浮かべる。
が……。
「ぐあっ!」
村人が悲鳴を上げた。
壁にぶつかったみたいに、シェナを蹴ろうとした足が弾かれたのである。
「いてえ! いてえよ!」
足を押さえて涙目になりながら転げ回る。
不動服である。
見た目は麻の粗末な服だが、シェナが身に着けていたのは実はアコリリスの作った不動服であった。教団の魔法をこれまで幾度となく防いできた、攻撃を弾くバリアを発生させる服である。
村人の蹴りくらい、あっさりと弾き返す。
一瞬、しんとする村人たち。
が、すぐに何かに触発されたのか、叫び声を上げる。
「う、うわああああ!」
「やめろおおお! やめろおおおおお!」
「ああああああああ!」
村人たちは狂ったような声を発しながら、シェナに向かう。
ためらいながらもパンを放り出し、シェナに拳をふるう。石を投げつける。魔法を発する。
鉄製の鍬や鎌で襲いかかる。
が、ダメである。
攻撃は全て弾き返されてしまう。
「はあ、はあ……」
「ぜ、ぜえ、ぜえ……」
しまいには息が切れてしまう。
その頃には、騒ぎを聞きつけて他の村人も集まってきていた。
彼らははじめ、シェナに向けて攻撃する男たちを見て何事かとぎょっとする。
だが、すぐにその気持ちを理解する。
シェナが、次々とパンを生み出し、積み上げていくのだ。
「やめてくれ!」と叫びたくなる気持ちは理解できる。
村人たちは、来る日も来る日も農作業に明け暮れていた。
きつくて辛い農作業でも、何十年もやっていればプライドも持つようになる。
だというのに、そのプライドある仕事を全面否定するかのように、パンを次々と目の前で作られてしまったのである。それも、見下していた子供が!
村人たちは、プライドをポッキリとへし折られてしまったのだ。
「あ……あ……」
ある村人は呆然とする。
「うわ……うわああああ!」
ある村人は叫び声を上げる。
「やめろ! やめろおおおおお!」
ある村人は、シェナに向けて殴りかかり、ゴキッと壁を殴ったような衝撃に「ぎぃあああ!」と悲鳴を上げる。
シェナもはじめは「弾正様のおっしゃっていた通りだ。本当に攻撃をはじくんだ。すごい……」と呆然としていたが、やがて落ち着いたのか、村人たちに構わずパンを作り続けた。
そんな中、10人ほどの集団が現れた。
「これは何事だ!」
ヒグリス村の支配者、小神官とその部下たちである。