魔力至上主義世界編 - 109 勇気を出すのは
「な、な、なんと言ったのですか?」
エミルが声を震わせてたずねる。
たずねられた弾正は、なんてことのない顔である。
「ん? よく聞こえなかったのか? しからばもう一度言おう」
そう言うと、ごくあっさりとした口調でこう続けた。
「魔法の実を食べると、うぬらは一寸動子を使えなくなるのじゃよ」
一瞬の沈黙。
直後、「えええええ!?」という絶叫が、あたりに響いた。
◇
エミルらが一寸動子を教わり始めてから、ちょど一ヶ月が過ぎた日のことである。
弾正とアコリリスは、子供たちを一カ所に集めた。
村にほど近い森の中に、ぽっかりと広場のように開けた空間がある。
その広場の中に、村の10歳の子供たち9人全員が集められたのである。
小さな村である。
お互いがお互い、顔見知りである。
同年代となれば、なおのことよく知っている。
だが、一寸動子を習っていることは、お互い知らなかった。
「え、お前も?」
「あんたも?」
そのような驚きの声がそこかしこで上がる。
だが、そんなことよりも、はるかに驚愕の出来事が起きた。
弾正が、
「魔法の実を食べると、うぬらは一寸動子を使えなくなるのじゃよ」
と言ったのだ。
反応は絶叫である。
「ええええええええ!?」
「は、はああああああああ!?」
「ほわああああああい!?」
エミル達は一斉に大声を上げる。
弾正は慌てない。
予想していた反応であったのだろう。
ごく落ち着いた態度で説明する。
魔法の実を食べると一寸動子の才能が消えること。
魔法は、一寸同士を捨てた代償として使えるものであること。
「う、嘘だ!」
エミルが叫ぶ。
顔には動揺の色がありありと浮かんでいる。
「嘘ではない。事実じゃ」
「しょ、証拠は!? 証拠はあるのですか!?」
「わしらはこれまで何百人という魔法を使える大人どもに一寸動子を教えてきた。しかしのう……」
弾正は一度声を潜める。
そして、こう続ける。
「誰一人として、一寸動子を使いこなせる者はおらんかったのじゃ」
「誰一人として……」
「さよう、ただの一人もじゃ。これはつまり、魔法を使えるようになれば、一寸動子は使えなくなるという証拠に他ならぬ」
再び訪れる沈黙。
だが、誰の顔にもありありと浮かんでいる感情がある。
(嘘だ)
(口先だけでデタラメを言っているんだ)
(信じられない)
(そんなはずがない)
(そんなわけがない)
そういった感情である。
(魔法の実なんて、どうでもいいよ。あんなもの食べなくたって平気さ。教団が何を言おうと知ったことか。だって自分には一寸動子があるんだからね)
などと思っている子供など誰もいない。
これにはわけがある。
この世界の人間にとって、教団とは国家のようなものなのである。
魔法の実を食べて教団に認められることは、現代で例えるなら国籍を手に入れるようなものだ。
魔法の実を食べないというのは、いわば国籍を捨てるようなものなのである。
現代人が仮に一寸動子の力を手に入れたとしても、「じゃあ代わりに国籍捨ててよ」と言われたら、戸惑うだろう。
なんとなく、弾正の人を引き込む雰囲気と、アコリリスの一寸動子の威力に魅せられて、勢いで一寸動子を教わってしまっているが、別段子供たちはまだ教団を捨てたわけではないのだ。
この世界の住民にとって、教団はまだまだ強大な存在なのである。
弾正たちの勢力は人口比で言えば首都圏の1%に過ぎず、手を伸ばした都市・村もまだまだ全体からすれば一部に過ぎない。
現代と比べれば、この世界の情報の広まりは異常なくらいに遅い。『泥草が教団をボコボコにしている』などという教団をコケにするような情報であれば、教団を恐れてなおのこと広まりにくい。
多くの人々は泥草が暴れ回っている事実すらまだ知らないのだ。
エミルの村の住民たちも、まだ知らない。正確には村の小神官の耳には一度入っているが、小神官はそれを「泥草が聖職者を倒すなどありえない話だ。馬鹿らしい」と言って取り合わず、村人たちにも知らせなかった。それゆえ、まだ誰も知らない。
だから、もし弾正が子供たちに対して始めから「一寸動子か魔法の実か、どちらかを選べ」と問いかけていたら、彼らのほとんどは魔法の実を選んでいただろう。
怪しげな一寸動子を取得するのと、魔法の実を食べて強大な教団に認められること、どちらを選ぶかと言えば後者だからだ。
だが、子供達は一寸動子を既に身につけてしまっていた。
体験してしまっていた。
人間というのは、一度手に入れたものを失うことに強い抵抗を感じる生き物である。
高価な宝石をプレゼントされた後でその宝石を盗まれれば、差し引きゼロであるはずなのに喪失感を感じて不幸になる生き物なのだ。
子供たちはすでに一寸動子の力を味わってしまっている。
ここにいる子供たちは、泥と草から味はいまいちながらもパンを作ることができる。
手のひらに乗るほどの石を、神官の魔法以上の威力で発射することができる。
(いやだ! この力を失いたくなんてない!)
子供たちにとって、一寸動子はすでに手放せないものとなってしまっていたのだ。
失うなんて絶対に嫌だ。
もしかしたら弾正の言うことは嘘かもしれないという気持ちはあるが、真実である可能性が1%でもある以上、怖くて魔法の実なんて食べられない。
では、魔法の実を食べるのをやめるか?
(そんなこと……そんなことできない!)
現代人の大半が国籍を捨てて生きるなど考えもしないように、この世界の人間の大半もまた教団の支配を外れて生きるなど考えもしない。
つまり子供たちは、『1ヶ月後に待ち構えている魔法の実の儀式で魔法の実を食べる』というのは怖くて選択できず、といって食べないことも怖くて選択できず、どうにもできない混乱状態に追い込まれてしまったのである。
弾正は、そんな子供たちを見回し、こう言った。
「うぬらはだいぶ教団が怖いようじゃのう」
子供たちは何も言わない。
事実その通りだし、当たり前のことだからだ。
彼らは既に、石ころを魔法以上の威力で飛ばすことが出来るが、そうは言っても幼い頃から『教団に逆らってはいけない』と刷り込まれてきたのだ。怖い物は怖い。
「そんなうぬらに、素敵な贈り物がある。ほれ、アコリリス」
「はい、神様」
弾正の言葉にアコリリスがうなずき、一歩前に出る。
そして一本の木に向けて石を飛ばす。
ズガァン、という音と共に、石が木の幹を貫通し、大きな穴を開ける。
「これが普通に魔法を使った場合です」
アコリリスは言った。
実のところ、威力は手加減しているのだが、そんなことは口にしない。
「ところが、この指輪をつけると……」
そう言って銀色に輝く指輪を取り出し、子供たちによく見えるように、指にはめ込む。
そして、先ほどと同じように、一本の木に向けて石を飛ばす。
するとどうだろう。
ズガァァァン!!
先ほどよりも遙かに轟音が鳴り響いたのだ。
木の幹は木片をまき散らしながら吹き飛び、ズズゥゥンという音と共に倒れる。
「と、このように一寸動子の威力を何倍にもするのです」
子供たちは驚いて口をぽかんと開けている。
弾正は、一寸動子の威力を何倍にもする指輪、という事実が子供たちの頭に染みこむまで、じっと待つ。
そして、染みこんだであろう頃合いを見計らって、こう言った。
「この指輪、欲しいか?」
欲しいか、と言われれば欲しい。
そして、人間、一度欲しいと意識すれば、ますます欲しくなる。
欲しい!
欲しい!
そんな表情が子供たちの顔に浮かんだのを見て、弾正はニヤリと笑い、こう言った。
「この指輪をうぬらのうちの1人にだけやろうと思う」
1人にだけ。
その言葉に、子供たちは互いに顔を見合わせる。
「……どうすれば?」
「ん?」
「どうすればその指輪がもらえるんだ?」
領主の息子が弾正に問いかけた。
「ほう、うぬは察しが良いのう。指輪をもらうのに交換条件が必要じゃとわかっておる」
「タダでもらえないのは当たり前だろう。言えよ」
「なあに、簡単じゃよ。一言でいえば、早い者勝ちじゃ」
「早い者勝ちだあ?」
「そうじゃ。とある仕事を、真っ先に『やる!』と言った者。この者に指輪を渡す。これは純粋に早い者勝ちじゃ。真っ先に言った者であれば、男の子じゃろうと女の子じゃろうと、金持ちじゃろうと貧しかろうと、誰であってもこの指輪を渡そう」
「な、なんだよ、その仕事って」
「わはは、そう慌てるでないわ」
弾正は余裕を持って笑う。
わざとらしく咳払いまでする。
焦らすことによって、相手の冷静さを失わせ、勢いで「やる!」と言わせてしまおうという狙いである。
事実、領主の息子の表情にイラつきが見え始めている。
さらに念押しとばかりに弾正はこうたずねた。
「ところで、うぬよ。勇気はあるか?」
「ああん? 勇気だぁ?」
「そうじゃ。勇気じゃ。うぬにはあるか?」
「あるに決まってるだろ! 俺を誰だと思っているんだ。領主の息子だぞ!」
その言葉を待っていたとばかりに弾正はニヤッと笑い、こう言った。
「それはよかった。実はこの仕事には勇気が必要なのじゃよ。
と言っても、大した勇気などいらぬ。簡単なことじゃ。
実はのう、村のど真ん中、皆が畑仕事をしている目の前で、一寸動子を使ってパンを山のように作ってほしいのじゃよ。
簡単じゃろう? さあ、これを『やる!』と一言いえば、指輪はうぬのものじゃぞ?」
弾正の言葉は、教団に真っ向から喧嘩を売るものであった。
何しろ教団というのは、世の進歩というものを全面的に否定している者たちの集まりである。
『自分達は正しい。だから、自分達の作り上げた今の世の中も正しい。一切変える必要なんて無い。変えるやつは異端者だ。死刑だ』と考えている集団である。
教団にとって、村人というのは、昔ながらのやり方で未来永劫に畑仕事をすべき存在なのである。
だというのに、それに真正面から逆らって、彼らの目の前で泥と草から食べ物を作り出すのだ。
ケンカを売る以外のなにものでもない。
いや、そもそも、泥と草から食べ物を生み出したのは、教団の教祖である神の子の奇跡なのである。聖典にはそう書かれている。
その神の子の奇跡を、ただの村の子供にやられてしまっては、彼らの立つ瀬が無い。
つまり、あらゆる意味で教団に歯向かう行為なのである。
『大した勇気などいらぬ』などというものではとうていない。
領主の息子もひるむ。
「ぐ……ぬ……」とうめく。
教団の恐ろしさは、幼いころから教え込まれている。彼らの魔法のすごさを目の当たりにし続けている。
「やる!」と言うことは、その教団にケンカを売ると決断することと同義である。
簡単に「やる!」なんて言えない。
だが、領主の息子は、先ほど自らの口で「俺は勇気がある」と言ったのだ。
今さら「できません」とは言えない。
(もうひと押しか、ふた押しすればいけるじゃろう)
そう踏んで、弾正がさらに領主の息子をあおろうとした時である。
「……わ、わたし、やります!」
声がした。
見ると、貧しい身なりの少女が体を震わせながらも、決意に満ちた顔をしていた。
貧しくて家族想いの女の子。家族のために毛布を作ろうとしていた女の子。名をシェナと言う。
「ほう」
意外なところから上がった声に、弾正は驚く。
自分のことよりも、弱った母と幼い妹のことを大事にする優しい女の子だとは思っていた。
事実、一寸動子を教えているときも、口にするのは「これで家族を楽にできる」という話ばかりだった。
確かに優しい。
だが、まさかこの場面で声を上げる勇気も持ち合わせているとは思っていなかったのだ。
「シェナよ。うぬがやるのか?」
「はっ、はい」
「村のど真ん中で一寸動子を使い、自慢する役じゃ。うぬにできるか?」
「で、できます。なぜなら……」
シェナは少しの間、うつむいたが、すぐに顔を上げ、こう言った。
「わたしは教団が大っ嫌いだからです!」
「ほお……」
聞くと、シェナにはもともと兄が2人いたという。
ところが、この兄がそろって泥草だった。
一家から泥草が出た場合、その泥草と縁を切らないと、一家もまた差別される。
シェナの一家は「おにいちゃんがいなくなるなんて、いやぁ!」と泣くシェナをなだめつつ、断腸の思いで兄たちと縁を切った。
泥草は、村はずれのあばら屋に住んで村のきつい雑用をタダ同然でやらされるか、村から出て行くか、2つに1つの道を選ばないと行けない。
兄たちは、村に残ってはシェナにかえって辛い思いをさせると思い、村から出て行った。
10歳の子供が縁もゆかりもないよその土地でやっていけたかどうか。その後のことはわかっていない。
おまけに、一家から2人も泥草が出たことで、父の立場も悪くなり、その心労が原因か、病に倒れてあっけなく死んでしまった。
シェナの家はもともと裕福というわけではなかったが、一家の大黒柱を失ったことでますます貧しくなった。
以来、シェナは教団が大嫌いなのだと言う。
「で、ですから弾正様。お願いです。その役目、わたしにやらせてください!」
「よかろう!」
弾正は即決した。
「うぬのその願い、わしが叶えてしんぜよう。わしは謀反の神じゃからな。神とは願いを叶えるもの。存分に暴れるがよい!」