魔力至上主義世界編 - 108 ほめたり、あおったり
松永弾正とアコリリスと名乗る謎の2人組は、翌日も畑仕事中のエミル少年のところに来た。
この2人が何者か、エミルにはわからない。怪しいと言えば、この上なく怪しい。
だが、彼らは泥と草からパンを生み出した。
エミルが毎日何時間も汗水流して働いているのは、すべてパンを作るためである。
そのパンを、彼らは手をひらりと振っただけでいとも簡単に作り出したのだ。気になって仕方がない。
その怪しい2人組が妙なことを言った。
「一寸動子、ですか?」
エミルは怪訝そうにたずねる。パンを作るための技だと言う。
「さよう。一寸動子と頭の中で念じながら手をかざすのじゃ。ほれ、アコリリス」
「はい」
アコリリスは、泥と草に向けて手をかざす。
「初めて一寸動子を使うと、こんな感じになります」
地面に置かれた泥と草が、ズズッとわずかばかり動く。
「少し慣れてくると、こんなことができるようになります」
泥と草が、手でちぎったように2つに分かれ、別々に動く。
「さらに慣れれば、こう。さらに慣れれば、こう」
アコリリスが「こう」と言うたびに、泥と草はどんどんと細かくなっていく。
ついには粉よりも細かく分断されたかと思うと、今度はぐねぐねと形を変え、くっつき、ついには1つの塊となった。
パンである。
「パ、パン!」
エミルは驚きの声を上げた。
「驚くことではない。うぬにも、これができるからのう」
「ぼ、僕にもですか?」
「さよう。頭の内で一寸動子と唱え、動かしたいものに向けて、動けと念じながら手をかざすのじゃ。ほれ、そこの泥と草の塊に向けて、やってみるがよい」
「は、はいっ!」
弾正の言葉に、エミルが反射的に背筋を伸ばす。
地面に置かれた小さな泥と草の塊に向けて手をかざす。
頭の中で(一寸動子! 一寸動子!)と必死に念じる。そして、動け動け、と力をこめる。
すると。
ズズッ。
そんな音と共に、泥と草がわずかながら動いた。
「わっ! わっ! 動いた! 動きました!」
「わはは! 一発で動かすとはやるのう。やはり、うぬには才能がある」
「ほ、ほんとうですか!?」
「わしは松永弾正じゃ。嘘は言わぬ」
嘘である。内心は(まあ、普通じゃな)と思っている。
一寸動子の能力をランク付けするなら、おおよそ次のようになる。
1位.アコリリス
2位.泥草の子供(例えばネネア)
3位.泥草の大人
4位.普通の子供(魔法の実を食べれば魔法が使える子供のこと)
圏外.魔法の実を食べてしまった大人
泥草の子供が大人よりも一寸動子の能力が高いのは、小さいうちに一寸動子を教えた方が飲み込みが早いし、発揮する能力も高いものになるからである。
ネネアなど、数時間でパンを作れるようになった。
エミルは4位の『普通の子供』である。
魔法の実を食べても泥草にはならない。普通に魔法が使えるようになる。そういうどこにでもいる平凡な子供だ。
何千人と一寸動子を使うところを見てきた弾正からすれば、1回使うのを見ればだいたいわかる。
アコリリスに目をやる。こくんとうなずく。彼女も同意見のようだ。
別段、失望はしない。どのみち、9割以上の子は『普通の子供』なのだ。いちいち失望していられない。
むしろ逆である。
ほめる。
「うぬはすごい」と言う。
「わしもびっくりしたぞ」と言う。
「いやはや、大したものじゃ」と言う。
無類の謀反好きの弾正であるが、人育ては得意である。かつて戦国時代の日本で、弾正は三好長慶という人物を主君としていた。この長慶を育てたのも弾正である。幼少の頃から教育し、成長させ、ついには天下人になるほどの名君に仕立て上げたのだ。
そんな人育ての名人である弾正の目は、エミルを「こやつはほめられて伸びるタイプじゃ」と見抜いている。
人育てにおいて、ほめることは大事だと弾正は考えている。叱って批判して叩いて人が伸びるのであれば、両親から日頃罵声を浴びせられているエミルは今ごろ神童である。そうでないということは、叩いても意味がないということだ。
代わりにほめる。特にエミルのような子供は、ほめられ慣れていない。こんな子供は、うんとほめるに限る、と弾正は心得ている。さかんにほめ立てる。
ほめられたエミルは驚く。
「え、そ、そんな」と恐縮する。
「ぼ、僕なんて」と顔を赤くする。
「え、えへへ、そうですか」と照れる。
弾正は言う。
「恐縮など無用じゃ。エミルよ、うぬはすごいのじゃ」
「わっ、あ、あうっ……」
ほめられ慣れていないエミルは、もう顔を真っ赤にして口をパクパクするしか出来ない。
弾正の横で、アコリリスが「むぅ……」と面白くない顔をしていることにも気づかない。
「さよう。エミルであれば、通常なら1か月はかかるであろうパン作りも、1週間もあればできるじゃろう」
そう言われると、エミルは(たった1週間か)という気がする。
(僕には才能があるんだし、がんばらなきゃ)という気になる。
それに何よりパンを作れるようになりたい。
これができるようになれれば、こんな村に閉じ込められなくても生きていけるのだ。
両親から罵声を浴びせられることもないし、汗水垂らして1日中働くこともない。嫌な連中に頭を下げることもない。
だから、弾正から、
「修行は厳しいぞ。ついてこられるか?」
と言われた時も、
「はい、できますっ!」
と元気よく答えてしまうのだった。
◇
1時間が経った頃、弾正たちはエミルのもとを去ることにした。
「明日までにこれこれできるよう、練習しておくように。大丈夫。才能のあるうぬならできる」
そう言って、普通の子供なら十分こなせる課題をエミルに与える。
大人達に練習現場を見つからないようにするため、身につけると透明になる腕輪を与え、これを身につけてかつ人気の無いところで練習するようにと言う。
「これが守れぬと、一寸動子の力を失うことになる。かつて、そうなった者がおっての。実にあわれじゃった」
弾正がそう言うと、エミルはぶるりと震えた。
せっかく手に入った希望を失うなんて、冗談じゃなかった。
「わはは、無論、エミルであればこの約束は守るなどたやすいことじゃ。期待しておるぞ」
そう言われると、エミルとしても期待に応えなきゃ、という気になる。
「は、はい! わかりました」
緊張気味に答えるエミルの声を背に、弾正たちはその場を去った。
彼らは忙しかった。
何しろ、村には今年10歳になる子供が合計9人もいるのだ。
弾正たちは、エクナルフ地方にいる100万人近い10歳児全員に一寸動子を教えるつもりでいる。他の都市や村でも、弾正配下の泥草たちが10歳児らに一寸動子を教えていることだろう。
弾正たちだけが「わしらは偉いから」などと言ってサボるわけにはいかない。
9人全員に教えねばならぬ。
もっとも、教え方は9人それぞれで異なる。
たとえば、領主にも10歳になる息子がいるが、彼はエミルと違ってほめられ慣れている。
それに食べ物に不自由などしていない。一寸動子を使ってパンを目の前で作って見せても、「だから何?」という反応を返すに相違ない。
この世界の領主というのは、実質教団の下請けで農地や農民や税の管理を請け負う存在に過ぎないが、それでも庶民よりよほど良い暮らしをしている。白いふかふかのパンを作って見せても、ありがたがらないだろう。
代わりに力への憧れがある。
日頃教団から召使いのように扱われ、けれども魔法の力には逆らえず、悔しい思いをしているのだ。
もっと力が欲しい。
そんな渇望がある。
だから石を飛ばして岩を粉砕する、という魔法以上の力を見せつける。
「す、すげえええ! なんだ、それ! な、なあ、なんだよ、それ!」
たちまちのうちに領主の息子は食いつく。
「一寸動子じゃよ」
「一寸動子だあ?」
「さよう。ほれ、一寸動子と頭の内で唱えながら、そこの白い小石に向けて動けと念じてみるがよい。まあ、もっともうぬには無理かもしれんがのう」
「はあ!? 誰にもの言ってんだよ。それくらい!」
領主の息子が手のひらを突き出すと、たちまちのうちにコトリと小石が小さく動く。
「どうだ!」
領主の息子が胸を張る。
が、しかし。
「えい」
アコリリスが手をかざすと、同じ小石がコトコトコトと、より激しく動く。
「く、くそっ!」
領主の息子は怒りの声を上げる。
自分自身への怒りである。よくよく考えてみれば、このアコリリスと名乗る女の子は、さきほど目の前で岩を粉砕して見せたのだ。なのに、ちょっと小石をコトリと動かせただけで自慢げな顔をしてしまった自分のなんとマヌケなことか。
「ええい、見てろ! すぐにお前と同じだけのことが出来るようになってやるからな!」
領主の息子はそう言って勝手に練習を始めてしまった。
後は放っておいても大丈夫だろう。
勝手に練習して勝手に伸びるに違いない。
エミルに対してはほめて伸ばすのであれば、領主の息子に対してはあおって伸ばすとでも言うべきか。
エミルと同様、透明になる腕輪だけ渡し、弾正たちはその場を去る。
他の子供達に対しても、弾正は彼ら彼女らに合った指導をした。
貧しくて家族想いの女の子には、食べ物の他に、冬になれば凍える家族のためにと暖かそうな毛布も目の前で作って見せ、彼女のやる気を出させてやった。
信心深い男の子には、聖典に出てくる聖人(教団の教祖は神の子だが、その神の子の弟子が聖人)が岩を動かしたエピソードを取り上げ、目の前で同じように岩を動かしてみせた。そうして、「神の奇跡の技をうぬにも授けよう」などと言い、彼にやる気を出させてやった。
赤のカラーコンタクトも。忘れずに目にはめておく。泥草だと思われると話がややこしくなるからだ。最初エミルの前に現れたときは、それを忘れてしまったがために、ぎょっとさせてしまったのだ。
子供たちはみな、才能相応に成長していった。
そうして、1ヶ月が過ぎた。