魔力至上主義世界編 - 106 どこにでもいる村の子供
エミルは10歳の男の子だった。
10歳になれば、教団の儀式を受けられる。
魔法の実を食べる儀式だ。
年に一度、その年に10歳になった村の子供達を集めて、聖堂で魔法の実を厳かな儀式と共に口にするのだ。
儀式は2ヶ月後にある。
エミルはその儀式を心待ちにしていた。
家から出て行けるかもしれないからだ。
魔法の実を食べれば魔力に目覚める。
高い魔力に目覚めれば、教団に入ることができる。
そうなれば、もう父や母に脅えなくて済むのだ。
エミルは村の農家の子供だった。
さほど広いわけではないにしろ、自分の土地を持っている自作農である。
日々、土地を耕し、草を引き抜き、灌漑にたまった泥を取り除き、畑を荒らす動物を追い払い、汗と土にまみれている。
10歳のエミルも、この世界では立派な戦力である。
どこの農家でもそうだ。
ただエミルの両親は、かなり暴力的な人間だった。
中世というこの時代、子育てはかなり雑である。7人も8人も子供を産み、そのうち3人くらい育てばまあいいだろう、というくらいの適当さである。いちいち1人1人に手間暇なんてかけない。おまけに小さいうちから労働力として扱われる。
もっとも彼らには彼らの言い分があるだろう。「普通の人間が7人も8人も子供を育てようと思ったら、雑に扱うしかないだろ! そんなにたくさん産まなきゃいい? バカ言うな! 子供なんてすぐに病気で死んじまうんだから、たくさん産まなきゃ子供がいなくなって村が滅んじまう!」といった風に、彼らには彼らの理屈がある。
とはいえ、雑に扱われる側の子供としては、たまったものではない。
とりわけ、エミルの両親はかなり『ハズレ』の部類であった。
ことあるごとに暴力を振るう。
「遅えぞ! 水汲みに、いつまでかかってんだよ!」と言って殴る。
殴られて桶が引っ繰り返り、村の広場の井戸から一生懸命に汲んできた水がこぼれると「何やってんのよ、この役立たず!」と言って蹴り飛ばす。
しまいには目つきが気に入らないと言って殴る。
毎日が痛みの連続である。
この時代、児童相談所など無い。
周りの大人達も、子育てに暴力は必要、という考えを受け入れている。
誰も助けてくれない。
助けてくれないどころか、むしろ両親の味方ですらある。
何しろこの世界で一番偉い教団が「子は親に従うものです」と主張しているからである。
あと何年かすればエミルも大きくなって肉体的には両親を凌駕するだろうが、といってその成長した体で父や母を殴り返せば、待っているのは村中からの非難である。
おまけにエミルは長男である。
この世界では、長男は親の仕事を継ぐもの、という不文律がある。
将来の仕事が保証されている、と言えば聞こえはいいが、言い換えれば大人になっても両親に頭が上がらないということであり、また両親の面倒を一生見なければいけないということである。
「なんであんなクズどもの面倒を僕が……!」
という気持ちがエミルに渦巻いている。
といって、村から出て行ったところで、生活の当てはない。
コネもなければ、これといった技能もないのだ。
次男や三男であれば、村の人間が知り合いの商人だの職人だのを丁稚奉公先として紹介してくれるだろうが、長男にそんな紹介をしてくれる人などいない。
ツテがなければ、出来る仕事も限られている。
せいぜい、都市で日雇いの肉体労働をやるくらいか。自作農よりも貧しい生活である。
要するに、エミルに希望はなかった。
珍しい話ではない。
エミルのような子供は、この世界に大勢いる。
エミルは『どこにでもいる村の子供』でしかない。
だが、よくあるからといって、受け入れられるわけではない。
エミルは日々、やりきれない気持ちを抱いていた。
そんなエミルにとっての希望が『教団の儀式』である。
もしここで、高い魔力を見いだされれば、教団の一員になることが出来る。
この世界の最高権力者である教団に招かれるのだ。誰も文句を言うことは出来ない。堂々と家から出て行き、今の悲惨な生活から抜け出せるのだ。
その確率は決して高くはないにしろ、サイコロを2つ振って両方とも1が出る確率よりは高い。十分にあり得る数字なのだ。
儀式まであと2ヶ月。
2ヶ月後に人生が決まる。
そう考えると、エミルはドキドキが止まらなかった。
◇
奇妙な2人組がエミルのもとに現れたのは、そんな時期のことだった。
ある日、エミルは1人で家の畑の草をむしっていた。
昨日、父親に殴られた頬がまだ痛む。その痛みに耐えながら、一本一本、汗だくになりながら草を引っこ抜く。
何百本目かの草を引き抜いた時である。
「え?」
エミルは思わず声を上げた。
見たこともないような格好をした男女が目の前に立っていたからだ。
1人は若い男である。小袖に肩衣、袴に大小二本の刀、大きく髷で結われた黒々とした総髪、という見るからに異質な格好をしている。「わはは、殿、お命頂戴致す」などと言って主君をブスリと刺しそうな、悪そうな顔である。
もう一人は、少女である。ワンピースに似た白いふんわりとした服に、神々しい金髪、水色の形の良い目。まだ幼さを残しているが、十分に美しい少女であった。
弾正とアコリリスである。
「小僧、ちくとよいかな」
弾正が言った。
悪そうな顔をニヤリとさせている。
「は、はいっ!」
その妙な迫力に、エミルはうなずいた。
気がついたら首を縦に振っていたというべきか。
「うぬは何をやっておる?」
「は?」
「何をやっておるのかと聞いておる」
「は、はい! 草をむしっています!」
突然現れた謎の2人組のかもしだす不思議な雰囲気に、エミルはすっかりのまれてしまっていた。
本来であれば、不審者、それも泥草(目が赤くないから一目でわかる)がいきなり村に現れたのだ。大声で叫び、大人を呼び回るべきところを、律儀に質問に答えてしまっている。
「ほう、草むしりか」
「は、はい」
「何のためじゃ?」
「え?」
「何のためにむしっておるのじゃ?」
「あ、は、はい。えっと、小麦を育てるためです!」
雑草が生えていては、小麦が育たない。
その雑草を引き抜いているのだとエミルは答えた。
「なぜ小麦を育てる?」
「なぜって……」
エミルは質問の意図がよくわからなかった。
小麦を育てるのは当たり前ではないか。
だって……。
「その、食べるためです」
エミルは答えた。作物を育てなければ餓死してしまう。他に理由など無い。
「ほう、食べるため」
「そ、そうです」
「しかし、小麦を育てるのは随分と大変であろう。どうして、わざわざそんな大変なことをしてまで食べ物を作るのじゃ?」
「どうしてって……そんなの当たり前じゃないですか!」
「食べ物を作るのが大変なのが当たり前と?」
「そうです!」
弾正は「ほう」と言った。それからこう続けた。
「なぜそう決めつけるのじゃ?」
「……え?」
「なぜ食べ物を作るのが大変と決めつける? もしかしたら、もっと簡単に作る方法があるかもしれないじゃろう」
「そ、そんなのあるわけないじゃないですか!」
エミルは叫んだ。
毎日毎日、日が昇ってから暮れるまで、汗だくになり、泥まみれになり、体を痛め、しんどい思いをし、そうしてやっとの思いで小麦を育てているのだ。
それを「もっと簡単にできるんじゃないの?」と言われると、カチンと来る。
何も知らないくせに偉そうに言うな、と叫びたくなる。
弾正は、エミルの叫びを気にせず、こう言った。
「つまり、うぬは自分が正しいと主張するのじゃな。食べ物を作るのは大変だ、という主張する自分が正しいと信じておるのじゃな」
「そ、そうです!」
「なるほど。であれば、その信念は今日限り取り下げるべきじゃな。これからは、自分は間違っているかもしれない、と改めるべきじゃ」
エミルは「え?」と聞き返す。
弾正は、隣に立つ少女に向けて「ほれ、アコリリス」と言った。
アコリリスと呼ばれた少女は、大好きなご主人様に命令された子犬のように嬉しそうな顔で「はい、神様!」と言った。
そして、地面から、泥と草を拾った。
エミルがさっきまでむしっていた草である。
「この草、もらいますね」
「……え? あ、は、はい」
エミルはよくわからないままにうなずく。
引き抜いた雑草なんて、後は捨てるだけである。
あんなゴミをどうするのだろう?
そう思った時である。
アコリリスの手の上で、泥と草が高速で形を変えた。
そして、いつの間にか、そこには白くてふかふかしたパンが出来ていたのだ。
「……へ? は? はあああああああああああ!?」
エミルは叫んだ。絶叫と言った方がいいかもしれない。目を見開き、小さな口を大きく開いて、叫び声を上げた。
「まだまだたくさんありますよ」
アコリリスがそう言って手のひらをかざす。
地面に散らばっている泥まみれの草が、次々とパンに姿を変えていく。
文字通り、山のように積み上がっていく大量のパン。
あれだけのパンを作るだけの小麦を育てるのには、1000時間、2000時間という苦痛に満ちた労働をこなさなければならないに違いない。
それを、このアコリリスという少女は、手をかざすだけの一瞬で生み出してしまったのだ。
「あ、あ、あああ……」
エミルは呆然と震えながら、目の前の光景を信じられないといった顔で見つめている。
そんなエミルに、弾正はニヤリと笑ってこう言った。
「さて、うぬの名は何じゃ?」
「あ、あ、あ……」
「名はなんじゃと聞いておる」
「え? あ、は、はいっ! エミルです!」
「ではエミルよ。わしらはこれより、魔法の実の真実を暴露する。うぬには、そのための尖兵になってもらいたい。やるか、それともやらぬか。どちらでも好きな方を選ぶが良い」