魔力至上主義世界編 - 105 さらばジラー。さらばイーハ。さらばグジン。地獄でも元気にやれよ! (4)
パドレは小神官である。31歳になる。
彼は去年アコリリスにいいようにやられ、部下ともども顔に『私は泥草に負けました』と落書きされてしまい、教団の恥さらしということで聖職位を剥奪された上に、地下牢に閉じ込められたきり放置されていた。
それがこのたび釈放された上に、元の地位である小神官に戻してもらったのである。
『悪いのは全て大神官達』というストーリーが公式のものになった以上、パドレもまた『大神官達の被害者』ということになり、地位を復帰してもらった形である。
出所したパドレは2週間ほど療養していたが、このたび正式に小神官として復職し、部下を連れてイリスの街を歩いていた。
部下と言っても、かつての部下ではない。
かつての部下からは、牢屋の中で「てめえのせいでこうなったんだろうが! このクソ豚野郎が!」などと言って蹴り飛ばされるなど、さんざん暴行を受けている。今さら元の上司部下の関係になんて戻れない。部下たちは全員、近隣の別の町や村に赴任している。今、パドレと同行している助官2人は新しい部下たちである。
その新しい部下たちを従えて、パドレは「ふん」と言いながら歩いていた。
かつては小太りで丸顔で、人々を安心させるような穏やかな印象を与えていたパドレであったが、1年近い牢獄生活の末、やせてギラギラと血走ったような目をするようになっていた。
もとよりパドレの内心は出世欲・権力欲・物欲などが渦巻いていたが、それが露骨に表に出るようになったと言うべきか。
おまけにパドレは不機嫌だった。
彼が牢屋に入れられたのは、アコリリスに負けて『私は泥草に負けました』と顔に消えない文字で書かれたからであった。今も顔に残っている。
だが釈放されてみると、町中には、頭から『泥草さん、ごめんなさい』と書かれたピカピカ光る看板を生やしている聖職者だの、スキンヘッドで額に『教団はバカ』と書かれた聖職者だのが、そこら中をうろうろしているのである。現に自分の後ろをついてきている助官2人も頭からマヌケな看板を生やしているのだ。
「なんで俺だけ牢屋に入れられなきゃならなかったんだよ!」
そう言いたい気持ちでいっぱいである。
お前らのほうがよほど恥さらしじゃねえか、と叫びたい心持ちである。
下手にそんなことを言えば、また牢屋に逆戻りかもしれない。だから口には出さないが、内心はそんな気持ちであふれかえっている。
それゆえ、ぶすっとした顔で黙りこくったまま町を巡回している。
部下たちも、そんな新しい上司をどう扱っていいのかわからず、困った様子でパドレの後を付いていく。
その時である。
パドレの足がぴたりと止まった。
「おい、あれはなんだ?」
そう言って、前を指差す。
かつてパドレは部下相手でも「おや、あれはなんですか?」などと穏やかで丁寧な口調で話しかけていたが、もはやそんな風に世間体を気にする気分など失せている。
きわめてぶっきらぼうな口調で問いかける。
急に話しかけられた部下は、一瞬「え?」ととまどった顔を見せるが、パドレの指したものが何かを理解し、すぐにこう答える。
「ああ、あれは大神官様たちですね」
「大神官様たち?」
「ええ。悪魔と契約して、泥草どもをけしかけた張本人達です」
「ふうん」
パドレは大神官たちのほうに足を向ける。
そこはイリス中央門の内側に広がる広場であり、牢屋が1つ設置されていた。
中には3人のやつれた男たちがいた。
「く、くそお、僕は大神官様なんだぞ……大神官様なんだぞっ……!」
「わ、私は敬虔なる神の使徒なのだ……おのれ、こんなことをしたら天罰が下るぞ……」
「うう……ボクは歴史に名を残すんだ……お前ら愚民とは違うんだ……」
大神官ジラー、高等神官イーハ、軍率神官グジンの3幹部である。
だいぶ弱ってはいるが、それでもまだ「我々は偉いんだぞ」と言いたげな様子が伝わってくる。
そんな3人に泥球が飛んでくる。
「ぶひゃ!」
「ほぎゅっ!」
「べひゃあっ!」
中世の町は基本的に舗装されていない。土と泥とぬかるみの中、生ゴミが散らばっているのが中世の路上である。
その泥を丸めた球を、牢の中にいるジラー達目がけて群衆が次々と投げつけているのだ。
中には生ゴミを混ぜた球や、生ゴミそのものを投げる者もいる。
臭い。汚い。気持ち悪い。
「ひゃぎっ! や、やめろお!」
「うぎゃ! ひ、ひい、や、やめ!」
「ほごおお! ひゃひい! げえっ!」
3幹部は悲鳴を上げ、口々に、やめてくれやめてくれと懇願するが、群衆はやめない。
「うるせえ、このくず野郎!」
「悪魔に魂を売ったクソどもが! お前達のせいで泥草どもがのさばってんだぞ! 反省しろ!」
「謝れ! 土下座しろ!」
罵声を浴びせながら、次から次へと泥球を投げつける。
3幹部は両手を縛られているので手で防ぐこともできず、といって牢屋の床に這いつくばって避けようとすると、見張りの屈強な衛兵達によって悲鳴を上げるほどに棒で引っぱたかれるため、どうにか立ったまま、狭い牢屋の中をひいひい言いながら無様に逃げ回ることしか出来ない。
パドレはその様子をしばらくの間ながめていた。
が、おもむろに自分も足下の泥をすくい上げて固めると、ジラー目がけてぶん投げた。
『ものを投げる』という慣れない体の動きをしたためか、あるいは牢から出たばかりでまだ体力が回復しきっていないからか、泥球は牢屋から外れてしまう。
「ちっ」
パドレは舌打ちする。
そんなパドレに対し、部下の助官が遠慮がちに声をかける。
「あのー」
「ああん!? なんだよ」
「い、いえ、小神官様も、その、泥球を投げられるのですか?」
「悪いか?」
「い、いえ、別に……」
助官は下っ端である。そんな下っ端が、一応まだ形式的には自分達のトップである大神官に向けて泥球を投げつけるというのは、教団に所属する者として気が引けるのだろう。
「ふん」
パドレは鼻息をならすと再び泥球を作り、投げつける。
何度かやっているうちにコツがつかめてきた。あまり力任せに投げず、適度に力を抜いて投じればいいのだ。
泥球はシュルシュルと音を立てて飛んでいき、大神官ジラーに命中した。
しかもちょうどジラーが口を開けている時に、その口の中にスポッと入る形で命中したのだ。
「げえっ! うげええっ! ぺっ! ぺっ!」
ジラーは口の中に入った生ゴミ混じりの泥球を、必死になってぺっぺっと吐き出す。
そのあまりにも必死で惨めな姿に、群衆からドッと笑いが起きる。
「ぎゃはははは!」
「うわあ、かっこわるい」
「ひゃははは。悪魔と契約なんかするから、罰が当たったんだよ」
中にはパドレに対して「さすが神官様。お見事ですね」だの「やるなあ、あんた! スカッとしたぜ!」だのと声をかける者もいる。
「ははは、まあな」
パドレは適当に笑って相づちを返す。
なんとなく気分が少し良くなった。
「おい、お前達もやれ」
お供の助官2人に向けて言う。
「え?」
「は?」
助官達はきょとんとした顔をする。
「え、じゃねえよ。泥を投げんだよ」
パドレの言葉に助官達はとまどう。
「あ、いえ、私たちはその……」
「ま、まだまだ若輩者ですし」
そう言って断ろうとするが、パドレは引っ込まない。
「なんだよ、俺がおっさんだっていうのかよ」
「い、いえ、そんな」
「だったらやれよ。いいか、これは命令だぞ。やれ」
「で、でも……」
「やれ!」
「は、はい!」
パドレの剣幕に、助官2人はとまどいながらも足下の泥を固め、投げる。
2つの球がひゅるひゅると飛んでいく。
1つは見当外れの方向に外れていった。
が、もう1つの球は違った。上手い具合に檻の中に飛んで行き、軍率神官グジンの目に命中したのだ。
「ぎゃひい! 目がぁぁぁぁ!」
グジンは目を押さえて転げ回る。
「あ、当たった……」
「あはは、やるじゃねえか!」
「は、はあ……」
「ほら、ぼーっとしてねえでどんどん投げろ。当たらなかったお前もだよ。どんどんやれ」
「は、はいっ!」
「わわ、わかりました!」
助官2人はふたたび泥球を投げる。
何度も投げ、そのたびに当たっただの外れただのと言い合っている内に、次第に笑顔になっていく。
気がつくと、パドレと顔を見合わせ、楽しげに笑い合うようになっていた。
「ほら、パドレ様。きちんと狙いを定めませんと。このままだと最下位はパドレ様ですよ」
「ちっ。調子に乗るなよ。今度こそ命中させてやる。上司の威厳ってやつを見せてやるからな」
「あはは、私も負けませんよ」
気がつくと、3人で命中回数を競い合っていた。
次々と飛んでくる泥球に、ジラー、イーハ、グジンの3幹部は悲鳴を上げる。
「や、やめろ! ぼ、僕は大神官様なんだぞ! こんなことして後悔するぞ!」
「ひぎいっ! き、貴様ぁ! 小神官の分際で神に選ばれしこの高等神官イーハ様によくもこんなことを! ゆ、許さないぞ!」
「ひいっ! やめてくれ! この美しいボクを、汚さないでくれぇ!」
けれどもパドレ達はやめない。
「うるせえ、このデブ! お前なんかもう大神官じゃねえ。ただのブタだ。ブタはブタらしくブヒブヒ鳴いてろ!」
自分がかつてブタ呼ばわりされていたことを棚に上げ、パドレは罵声を浴びせる。
「ぼ、僕がブタだと! 許さないぞ! 小神官ごときが! 牢屋から出たら絶対お前なんかぼぐがひゃ!」
わめき声を上げるジラーの口に、再び泥球が入る。
「うげえっ! ぺえっ! ぺっ! ぺっ!」
「あはは、ジラーさん。油断したらダメですよ」
泥球を投げたのは助官だった。
「ふふん、どうです、パドレ様。これで私が暫定トップですね。買ったら、夕飯おごりですからね」
「くそ、負けるか。今度こそ当ててやるからな!」
「あはは、次は僕の番ですよ」
パドレ達3人は楽しく笑い合いながら、大神官達に泥球をぶつけていた。
パドレは、こう思っていた。
(牢屋の中は最悪だったが、やっとどうにかまともな生活に戻れたな。後は、俺をこんな目にあわせやがった泥草どもをボコボコにしてやるだけだな。まあ、裏切り者の大神官どもはもう無力化されてるし、近いうちにボコボコにできるだろ)
余裕しゃくしゃくの態度で、パドレはそんな風に思っていた。
彼は知らなかった。
自分の平穏がつかの間のものであるということを。
間もなく、自分もまた悲惨な目にあうということを。
◇
大陸全土に早馬が、早船が行き交っていた。
イリスで次なる大神官を決める会議が行われる。そのために大陸各地の高等神官に招集を呼びかける早馬・早船が飛ばされていたのだ。
大陸の端からイリスまで、一番遠いところで船で1ヶ月以上はかかる。
会議の開催はおそよ3ヶ月後になるだろう。
次なる大神官の最有力候補は、南方のアモール地方の高等神官ザリエルだった。
アモール地方はかつて大陸全土を支配した古代帝国の首都が存在した地域である。歴史と伝統のある地域であり、そこの高等神官の地位は格式が高い。
ザリエル本人も、格式だの伝統だのを重んじる、典型的な教団至上主義の神官である。
薄い頭を七三分けにし、教団以外はゴミだと言いたげな目で見下してくる男である。
ザリエルには勝算があった。
高等神官達はいくつかの派閥に分かれている。最大の派閥を誇っていたのは大神官派と呼ばれる大神官ジラーを支持する派閥であった。が、その大神官自身が今のような有様になったため、大神官派は事実上解体している。
そのため、2番目の勢力を誇っていたザリエルの派閥が、今や最大勢力となっている。
次期大神官は高等神官達の投票による選挙で決まる。このまま順調にいけば、最大派閥を持つザリエルに最多票が入る。つまり、次なる大神官はザリエルということになるのである。
何が起こるかわからないのが選挙であるから、まだまだ油断は出来ない。が、目の前に色濃く広がってきたバラ色の未来に、ザリエルは「うふふふ、私が次の大神官かぁ」と思わず頬をゆるめるのだった。
ザリエルは信じていた。
大神官という地位に価値があるということを。
教団が永遠に存続するということを。
自分が切望する大神官の椅子が近々無価値になるなどとは想像もせず、ましてや泥草の存在など歯牙にもかけていなかったのだ。