魔力至上主義世界編 - 104 さらばジラー。さらばイーハ。さらばグジン。地獄でも元気にやれよ! (3)
大神官ジラー、高等神官イーハ、軍率神官グジンは、生き地獄のような日々を送っていた。
中央門の内側に広がる広場に設置された檻。
その中に3人は閉じ込められていた。
首都イリスで最も人の出入りが激しい門の、すぐ目の前の檻に閉じ込められているのである。
完全な見世物である。
イリスにやって来た聖職者や商人や巡礼者などは、皆、奇異の目でジラー達を見る。
ふんどし一丁で、腹に聖典を貼り付け、檻に閉じ込められたジラー達に向ける目には、好意などひとかけらもない。
軽蔑と侮蔑がたっぷりとこめられた視線である。
これまで最高位の聖職者としてチヤホヤされてきたジラー達にしてみれば屈辱の限りである。
「そ、そんな目で見るな!」と叫ぶ。
「くっ、あっちに行け!」と叫ぶ。
「やめろよ! ボクを見るなよ!」と叫ぶ。
が、どれだけ叫んでも、じろじろとした視線は止まらない。
知人がたずねてくることもある。
ジラー達を助けに来たわけではない。
バカにしに来るのだ。
「いやあ、これはこれは大神官閣下、お元気そうで何よりですなあ」
そんなことを言いながら、商会長やらギルド長やらがやってくる。
彼らはかつて、大神官達にぺこぺこする立場の者であった。頭を下げ、這いつくばり、接待をし、お世辞を言い、ワイロを送り、そうして便宜を図ってもらっていた。
それが今や牢の外から大神官達をニヤニヤと見下している。
見下すだけでなく、色々と屈辱的なことをやらせる。
例えば肉を差し入れてくる。
ジュウジュウとおいしそうな匂いを漂わせたステーキが木皿の上に乗っているのだ。
これを差し上げましょう、と言う。
ただし、タダではあげない。
「土下座してください。今まで偉そうな態度をとって申し訳ありません、と10回土下座するのです。そうしたらお肉を差し上げましょう」
「なっ!」
商会長の言葉に、ジラーはうめいた。
反射的に「誰が土下座なんかするか!」と叫ぼうとした。
腐っても大神官である。プライドはある。
あるはずだった。
が、声が出ない。
「誰が土下座なんかするか!」と言えばいいだけなのに、声が出ない。
ジラーの鼻に、肉の美味そうな匂いが漂ってくる。
ごくり、とジラーの喉元が鳴った。
肉である。
おいしい肉である。
もう一生食べられないと思っていた美味な肉である。
この機会を逃したら、この先二度と食べられないのではないか?
臭くてマズイ飯ばかり日々という現状は、美食家のジラーにとって耐えがたいものであった。
そんな日々がもう2週間も続いているのだ。
精神的にも肉体的にも、もうふらふらだった。
美味い飯が食べたかった。
その美味い飯が、目の前にある。
ちょっと土下座するだけで手に入るのだ!
耐え難い精神的苦痛と空腹と肉の匂いが、ジラーを動かした。
体を恥辱で震わせながらも、両腕を縛られた状態で、両膝を地面につけ、頭を地面にこすりつける。
そうして、屈辱で顔を歪めながら、こう言った。
「い、い……今まで、偉そうな態度を取って、も、申し訳ありません……」
商会長は「ぷぷっ」と笑った。
「あはははは! 本当に土下座しましたよ。見てくださいよ、大神官ジラー様が土下座しましたよ!」
商会長の部下たちも、
「ぎゃはははは、だせえ!」
「うわあ、みっともないなあ」
と言って笑う。
「ほらほら、大神官閣下。あと9回ですよ。早くしないと、お肉は犬の餌にしちゃいますよー」
「ぐぐぐっ……くそぉ……くそぉっ!」
ジラーは顔を真っ赤にしながら恥辱に耐え、再び土下座する。
2度、3度、4度と屈辱で歯ぎしりをしながら、嘲笑の笑い声を浴びつつ、頭を地面にこすりつける。
そして、きっちり10回土下座した時、「しかたないですねえ。ほら、お肉ですよ」という声とともに、木皿に乗ったステーキが、檻の中に入れられた。
ちょうど大神官ジラーと軍率神官グジンの間だった。
とたん、グジンが動いた。
両腕を縛られた状態で、胴体を伸ばし、口を突き出して肉を横取りしようとしたのだ。
土下座したのはジラーだが、そんなことグジンにとって知ったことではない。
まずい飯で気が狂いそうになっていたのはグジンも同じだったのである。
「この肉はボクのだ! ボクのおおおお!」
だが、ジラーも負けてはいない。
屈辱の土下座を10回もしたのに、肝心の肉を奪われてしまってはバカ丸出しではないか。
すぐに動く。
「ふざけるな! 僕の肉だぁ!」
肉に向けて伸ばした2人の頭が、ゴツンとぶつかる。
「ぎいいっ!」
「ひうう!」
2人の目に火花が散る。
一瞬ひるむが、それで止まる2人ではない。
「僕の肉ぅぅぅ!」
「うるさい! 美しいボクにこそ肉はふさわしいんだ!」
そう言って2人は歯をむき出しにして、互いに牽制する。
2人の高位聖職者が肉を巡り、欲望をむき出しにして争う姿はあまりにもあさましく、あまりにもみっともなかった。
「あーあ、情けねえなあ」
「人間ああなっちゃオシマイだよなあ」
人々は呆れと嘲笑のこもった表情で眺める。
そんなジラーとグジンの醜い争いは、唐突に終わりを迎えた。
「ぎいやああああああ!」
ジラーは突如として叫び声を上げた。
「痛い痛い痛い痛いいいいいいい!」
歯痛である。強烈な歯痛がジラーを襲ったのだ。
「ひいいいい! ひいいいいいい!」
ジラーは慌てて腹を突き出し、両手で聖典をパンパンと叩く。
彼の両手は鎖によって縛られているが、両手首をがっちりと押さえられているわけではないので、聖典を叩くことはできる。
ジラー達が『どうしようもない不信心者であり、冒涜的な存在である』ということを見せつけるため、わざと腹の聖典を叩けるような縛り方をされているのだ。
「ひぎいいいいい!」
ジラーは泣き叫びながら、必死で腹の聖典をパチンパチンと音を立てて叩く。
初めてこの光景を見る者達(イリスにやってきたばかりの行商人や巡礼者など)は「な、なんだあれは!」とギョッとした顔で、イリスの住民のように既にこの光景を見慣れている者達は「またかよ」と言いたげな呆れ顔で、ジラーの聖典叩きを眺めている。
聖典叩きをしたのはジラーだけではなかった。
これで肉をひとりじめできるぞと喜び、さっそくかぶりつこうとしたグジンもまた強烈な歯痛に襲われたのだ。
「ぎょぎいいいいい! な、なんでええええええ? なんで今ああああああ!?」
絶叫しながら、グジンもまた腹を突き出し、聖典を叩く。
パチンパチンと派手な音を響かせながら、何度も何度も叩く。
残されたのは高等神官イーハである。
一応、敬虔な聖職者を自負し、清貧を自慢しているイーハからしてみれば、みっともなく肉にがっつくことには抵抗があった。
が、ここ2週間の牢屋生活で、イーハはすっかり参っていた。
清貧と言っても、それは高等神官にしては質素なほうという意味であり、一般市民と比べればイーハは十分に贅沢な暮らしをしていたのだ。
日々のまずくて臭くて少ない飯と、それによる空腹とに、イーハは心も体もだいぶやられていた。
そして今、おいしそうな肉の乗った皿が、目の前にある。
ジラーもグジンも聖典叩きに必死であり、肉を食べられる状態ではない。
「えーと、あー、うむ。このままではこの肉は誰にも食べられず、腐ってしまうであろう。これは大変にもったいないことであり、神の意思にも反している。であれば、この私が食べるのも、やむをえなかろう」
イーハは白々しい猿芝居をすると、肉の皿に近づいた。
そして口を開け、犬のようにそれを口にくわえようとしたところで。
「ひぎゃああああああああああ!」
強烈な歯痛に襲われた。
「ああああああああ! 痛いいいいいい! 痛い痛い痛いいいいいい! なんでえええ? なんで私もおおおお!?」
絶叫をあげながら、必死になって聖典を叩く。バチンバチンと音を立てて叩く。
今や牢の中で、3人の高位聖職者がふんどし一丁で腹を突き出して「ひゃぎいいい!」「ひいいいい!」「ぎあああああああ!」と絶叫しながら聖典をパーンパーンと叩いていた。
異様な光景に人々はますますギョッとしたり、あきれ果てたり、侮蔑の視線を向けたりする。
その時である。
1匹の痩せた小さな猫が、ひょいっと牢の中に入った。
そうして腹の聖典をベチベチ叩く哀れなおっさん3人をよそに、皿の上のステーキをひょいっとくわえると、牢から出て行こうとした。
ジラーは仰天した。
ちょうど歯痛がおさまり、さあ肉を食べるぞと言うところで、肝心の肉を猫が持ち去ろうとしているのだ。
「ぼ、僕の肉うううううう!」
ジラーは叫び声を上げながら猫に飛びかかる。
が、猫はさっと身を翻すと、鉄格子の隙間から抜け、肉をくわえたまま牢屋の外に逃げてしまった。
「ぎょぎゃあっ!」
ジラーは顔面から鉄格子にぶつかった。
群衆はどっと笑った。
肉を手に入れるために土下座し、グジンと醜い争いを繰り広げ、腹の聖典を叩き、やっと食べられるかと思ったら猫にかっさらわれてしまったのである。
滑稽なこと、この上なかった。
「ぶひゃひゃひゃひゃ!」
「さすが大神官閣下! 皆を笑わせてくれますなあ!」
「あっははははは! 何やってんだよ、あいつ、だっせえ! ぎひゃひゃひゃ!」
ジラーは屈辱で、どっと顔を赤くした。
「ぐっ、くっ、うううううう……」
悔し涙をポロポロとこぼす。
あまりにも惨めだった。惨めすぎた。
「うっ、ぐううっ……」
「ちくしょう……ちくしょう……」
見ると、歯痛がおさまったのか、イーハとグジンもまた悔し涙を流してる。
どうしてだ。
どうしてこんなことになったのだ。
我々は地上で最も高貴な人々であったはずなのに、一体どうして……。
「ぎゃはははは! あいつら、泣いてやがるぜ!」
「うわあ、なっさけねえ。それでも大神官かよ。あ、もうすぐ大神官じゃなくなるんだっけ。ご愁傷様」
「ひゃはははは。かっこわりい!」
群衆はゲラゲラと笑った。
笑うのはこれが初めてではない。
彼らは毎日のように大神官達をあざ笑っていた。
笑うことで、問題が解決したような気になっていた。
悪いのは全て大神官達3人であり、その3人がこうして無力化された今、すべての問題は解決したのだと。
いきがっている泥草たちも、悪魔と契約した大神官達の支援を失った今、風前の灯火であり、やがて新しい大神官が生まれる頃には、何もかも元通りになるのだと。
そんな気分になっていた。
中神官ドミル達も、聖職者達も、商会長もギルド長も、イリスの市民たちも、皆が皆、そう思っていた。
そう信じていた。
弾正がいればこう言っただろう。
「そんなわけはなかろう。何もかも元通り? 違うな。これから一層、変化は加速していくのじゃ。二度と元に戻らぬほどに加速していくのじゃよ。覚悟しておくのじゃな」
あと1話ほど大神官たちの引退話をやったら弾正サイドの話に移る予定です。