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魔力至上主義世界編 - 101 軍率神官グジンの屈辱

 軍率神官グジンは屈辱の日々を過ごしていた。


(なんでだよ……どうしてこんなことに……)


 グジンはそう思っていた。


 これまでの彼の人生は順風満帆そのものだった。

 貴族の子息アルテイスト・ド・ゲールとして生まれ、チヤホヤされながら何不自由なく暮らしてきた。

 軍に配属されてからは上官に気に入られ、盗賊退治や反乱鎮圧で功績を重ね、順当に出世してきた。

 ついには、教団の軍組織において最高の地位である軍率神官にまで上り詰めた。

 稀代の戦争名人。戦争芸術の申し子。美しき軍率神官。

 グジンは様々な言葉で賞賛されてきた。流星雨のごとき賛美を浴びてきた。彼を讃える歌も数多く作られ、大陸のあちこちで高らかに歌われてきたのだ。


 グジンは信じていた。

 自分は歴史に名を残す存在となるだろう、と。

 グジンという名は、尊敬と崇拝の記憶と共に、後世まで伝わり続けるだろう、と。


 ところが、最終決戦から1週間が過ぎた今、彼の名は軽蔑と侮蔑の対象となっている。

 グジン(尊敬)から、グジン(笑)になっているのだ。


 グジンは今、イリスにある大聖堂にほど近い大きな屋敷で寝泊まりしている。

 イリスの人口が大きく減ったために、空き家ができ、その空き家を軍で臨時接収した上で寝泊まりしているのだ。

 グジンだけでなく、軍に属する聖職者80人が同じ屋敷で寝泊まりしている。


 が、その80人がことごとく、冷たい。

 いや、80人だけではない。イリスの他の家屋で寝泊まりする軍の聖職者3万人も皆冷たい。


 話しかけても、聞こえていないふりをする。無理矢理肩をつかんで「無視するなよ!」と叫んでも、「はあ」と生返事を返す。

 報告はロクに上がってこない。指示を出しても無視される。

 軍の現状を書類にまとめたり、食糧を初めとした消耗品を確保したり、訓練をしたり、今後の計画を立てたりなど、やるべきことはたくさんあるのに、部下たちは誰も彼もが半分サボタージュを決め込んでいるのだ。

「誰がお前の言うことなんて聞くものか」と言わんばかりの態度である。

 すれ違う際に、「お前のせいでこうなったんだ」と、ぼそりと呟かれたことさえあった。


 軍の聖職者3万人がそんな態度なのには、わけがある。

 彼らはグジンを恨んでいたのだ。


 何しろ、彼らの大多数は、今やスキンヘッドなのである。

 おまけに額と後頭部に『教団はバカ』と書かれている。


 最終決戦のあの日。

 大神官ジラー、高等神官イーハ、軍率神官グジンの3幹部への罰が終わった後、アコリリスは軍の聖職者3万人に対して、こう問いかけたのだ。


「さて、これから皆様にも罰を受けてもらいます。罰は選択制としましょう。どれがいいですか?

 1つ目。スキンヘッドにして、額と後頭部に『教団はバカ』と一生消えない文字で書いてあげます。

 2つ目。ふんどし一丁、腹に聖典を貼り付けてもらいます。

 3つ目。不定期に歯の痛みを味わってもらいます。歯の痛みは、外に出て大声を上げながら聖典を叩かないと、決して消えないので気をつけてくださいね。

 さあ、どれがいいですか?」


 アコリリスにとって、この提案は慈悲である。

 何しろ、これまで泥草をさんざんに虐待してきた上に、今回もまた泥草たちを殺そうとしてきた教団軍である。

 皆殺しにされてもおかしくない。

 よくて、全員奴隷である。


 それを殺しも奴隷にもせずに、罰を与えるだけで自由の身にしてやろうというのだ。

 おまけに、ジラー・イーハ・グジンの3幹部に比べ、罰は軽い。

 幹部達が受けた「スキンヘッド」と「腹に聖典」と「歯に激痛」という3つの罰のうち、どれか1つだけでいいと言うのだ。

(ちなみに、3幹部が受けた罰には『頭の上に土下座する人形を乗せる』というのもあったが、この罰は一寸動子の精密な操作が必要であり、アコリリス以外にできる泥草が誰もいなかったため、選択肢には含まれていない)


 もっとも、アコリリスにとっては慈悲にあふれる提案でも、教団軍からしてみればそうではない。

 軍の中でざわめきが起こる。


「な、なんだ、いったいどういうことだ……」

「ふ、ふざけるな! 俺達に罰だと!?」

「泥草ごときが調子に乗るんじゃねえ!」


 混乱や罵倒の声が上がる。

 そんな中、アコリリスはさらにこう言った。


「あ、そうだ。歯の痛みと言っても、虫歯になった事が無い人も大勢いますよね。じゃあ、まずはそれを体験してもらいましょう」


 アコリリスがそう言って手をかざす。

 たちまちのうちに何十人かが「ぎゃああああああああああ!」「痛い痛い痛い痛いいいいいいいいい!」と絶叫した。

 さすがのアコリリスでも一度に3万人を歯痛にするのは難しいので、泥草たちが手分けして軍の者達の歯に激痛を与える(アコリリスほど上手くできなかったが、ともかくも激痛は与えられた)。


 一通り痛みを味わってしまうと、軍人達はもう逆らう気力を失っていた。

 痛みになれているはずの軍人でさえ気力を失ってしまうほど激烈な痛みだったのだ。

 もとより、彼らは戦いに負けたのだ。逆らえない立場であることは、認めたくはないにしろ、理解はしている。それでも最後の意地のようなものがあって、その意地で抵抗していた。その最後の意地が、苛烈な歯痛で折れてしまったのだ。


 折れてしまった以上、アコリリスの言う通り、3つのうちのどれか1つを選ばなければならない。


 とはいえ、選択肢3の「歯に激痛」はない。あんな痛みは二度と味わいたくない。極々一部のドMの聖職者を除き、選択肢3は除外された。

 選択肢2の「腹に聖典」も、聖典を侮辱する行為であり、こんなことをやったらもう聖職者でいられなくなることは皆よくわかっているため、極々一部の変態露出狂の聖職者を除き、選ばれなかった。

 残るは選択肢1の「スキンヘッド」しかなかった。これもこれで『教団はバカ』と侮辱の言葉を頭に書かれるのだが、それでも腹に聖典を貼り付けることに比べれば侮辱の度合いはずっと低い。


 こうして、軍の聖職者3万人の大多数は、スキンヘッドになり、頭に一生消えない落書きをされたのだった。


 もっとも、彼らは自らの現状を「自分で選んだ結果なのだから仕方ない」などと思ってはいない。

「全部グジンのせいだ!」と思っている。


 セイユの決戦で負けた時は、軍にとってはじめての泥草との戦いであり、意表を突かれたのはみんな同罪ということもあり、まだ仕方ないという雰囲気があった。

 けれども、今回の最終決戦は二度目であり、十分に準備する時間もあったのだ。にもかかわらずこの体たらくである。いったいグジンはなにをやっていたのだ?

 彼らは、憤りの声を上げ、グジンを憎む。


「俺達がこんな目にあったのは、全部グジンの野郎のせいだ!」

「そうだ! あの野郎が、バカみたいな作戦を立てたから、こんな目にあっているんだ!」

「なにもかもあいつが悪い!」

「その通りだ! グジンが全部悪いんだ!」


 おまけに、彼らは皆、舞台の上で情けなくも土下座するグジンを見ていた。

『心を入れ替えます! 軍率神官グジンは、これからは泥草様のために生きます! だから許してくださいいい!』などと言って、ぺこぺこ頭を下げるグジンを見ていた。

 そして、こう思ったのだ。

「ああ、こいつはもう終わりだな」と。

「もう、こんなやつの言うことを聞く必要はないな。下手に聞いていたら、俺達の立場まで悪くなっちまう」と。


 結果としてグジンは、ジラーやイーハと同じく、終わった人扱いされていたのである。

 当然、グジンに対する皆の態度も冷たくなる。


「くっ……」


 グジンとしては屈辱のうめき声を上げるしかない。


 最終決戦から1週間が過ぎたその日も、グジンは屈辱で顔をゆがませながら、執務室で1人、書類仕事をしていた。

 以前なら、1人きりで仕事をするなんてことはなく、取り巻きなり、吟遊詩人なり、女なりをはべらせながら仕事をしていたのだが、彼らは皆、どこかに行ってしまった。

 広い執務室でポツンと1人ぼっちで、グジンは書類を書いていく。


 その時である。

 突如、歯に激痛を感じた。

 不定期かつ突発的に襲いかかってくる激烈な歯痛である。


「ひぎいいいいいいいいいいいいい!」


 グジンは叫び声を上げると、執務室から出ようとした。

 外に出て聖典を叩かないと、この痛みからは解放されないのだ。


 が、ドアが開かない。


「ひいいい! ひいいいいい!」


 痛みで悲鳴を上げながらドアノブを何度もガチャガチャやるが、外から何かで固定されているのか、錠が開かない。

 部下の誰かが、嫌がらせでグジンを閉じ込めたのだ。


(なんでだよおおお! なんで開かないんだよおおおおおおお!)


 怒りがこみ上げてくるが、いまはそれどころではない。

 外に出て聖典を叩かなければいけないのだ!


(聖典を! 聖典を叩かなければ! 早く聖典を!)


 地位と立場のあるいい歳した大人が、太陽の光の下でふんどし一丁で神聖なる聖典をベシベシ叩こうと必死になるのは、何とも奇妙な光景であるが、本人は必死である。


 が、ドアが開かない! 外に出られない!


 窓から出ようにもここは3階である。

 突発的な歯の痛みに対応できるようにするなら、本来なら1階を執務室にすべきなのだろうが、軍率神官である自分は一番大きくて立派な部屋を専有すべきだというプライドがグジンにはあり、その一番大きくて立派な部屋は3階にあったのだ。


 それゆえ、こうしてドアが開かないと外に出られない。

 出られないと、地獄のような痛みが消えない。


「ぎいいいい! ああああああああ!」


 激痛による苦悶の声を上げながら、必死にドアを開けようとする。

 ガチャガチャ強く回す。ガンガン蹴り飛ばす。ドスンと体当たりをする。

 が、ドアは開かない。

 とうとう魔法を使う。歯が痛くて痛くて集中できず、なかなか魔法の赤い光が出て来ないが、どうにか発射に成功する。


 聖典をベシベシ叩くために魔法を使った人間は、人類の歴史上、グジンが初であろう。

 赤い光の弾丸が、ドアを撃ち抜く。


 が、それでもドアは開かない。

 焦ったせいで、ドアの留め金を破壊するのに失敗してしまったのだ。

 2度、3度と続けざまに魔法を放ち、さらに体当たりをする。

 ようやく開いた。


 飛び出すように部屋から出ると、外に出ようと廊下を駆ける。


 ガッ!


 が、何かにつまづき、派手に転倒してしまった。


「ぐべっ!」


 両手と膝をすりむく。


「おやおやあ、軍率神官様じゃあないですか。すみませんねえ、足が引っかかっちゃったみたいで」


 わざと足を引っかけたであろう部下がニヤニヤしながら言う。


(くっ!)


 怒りと屈辱でグジンは顔を真っ赤にするが、すぐに歯の激痛に顔をしかめる。


(くそっ! おぼえてろっ!)


 そう心の中で悪態をつきながら立ち上がると、駆け出し、外に出た。

 そして、腹を突き出すと、聖典を叩き始めた。


 ベシン!

 ベシン!


 さんさんと輝く太陽のもとで、ふんどし姿のおっさんが、腹を突き出して聖典をベシンベシンと叩く。


 その時である。


 ドン!


 背中に衝撃が走った。

 誰かが背中を蹴り飛ばしたのだ。


「ひゃあ!」


 グジンは勢いのまま転がった。

 彼の目の前には川が流れていた。その川に向かって川岸をゴロゴロと転がっていき、ついにはザバンと落ちてしまった。


「ひゃぎいいいいいいいいいいいいい!」


 思いっきり口に水を含んでしまったので、すさまじく歯が()みた。

 激痛がますますひどくなったのだ。


 それでもグジンは何とかよろよろと立ち上がる。

 幸いにして水深はさほど深くない。

 流れによろめきながらも、どうにか川の中で立ち上がると、腹を突き出し、再びパンパン叩く。


 スキンヘッドのふんどし男が、ずぶ濡れになりながら川の真ん中で腹を突き出して聖典を叩いている光景は、妖怪物語に出て来そうなくらい不気味な光景である。

 そんなグジンに岸の上から侮蔑の声が浴びせられた。


「うわあ……なにあれ? 変態?」

「気持ち悪っ……なに、あのハゲ、ずぶ濡れになって聖典を叩いてるわよ……」

「人間、ああなったら終わりだな……」


(く、く、くそお! ボ、ボクが変態だと! ふざけるなよ! ボクは軍率神官グジン様なんだぞ!)


 そう叫びたかったが、痛みのあまり「ひゃぎいいいい!」という悲鳴しか声が出ない。

 代わりに必死に神聖なる聖典を叩く。ジャブジャブ音を立てながら、バシンバシンと音を響かせながら聖典を叩く。


 異様な光景に、川岸に見物人が増えていく。

 中にはグジンを知っている者もいる。


「おい、あれ、グジン様……いや、グジンだよ。あの軍率神官の」

「え? アレが?」

「そうだよ、アレが」

「うわ……」


 軽蔑の言葉に、グジンが悔しそうに顔を歪める。


(ちっ、ちくしょう! 何だよ、アレって! ボクは天才なんだぞ! 美しき軍神なんだぞ!)


 群衆は、グジンの屈辱など構わず、軽蔑と侮蔑のこもった声で「アレがグジンかよ」などと言い合う。

 中には、歌を歌う者も出てくる。

 吟遊詩人か放浪楽師の類なのだろう。

 器用にリュートをかき鳴らしながら、『変態グジン』と題して、グジンがふんどし姿で腹にくっつけた聖典を叩く変態だということを、親しみやすいメロディで朗らかに歌う。

 群衆達も面白がって一緒に歌う。

 大合唱である。

 グジンの聖典を叩くバンバンという音が、ちょうどドラムのようにリズムを与え、それが滑稽で、群衆はますます愉快そうに笑う。


 ほんの半年前まで、人々はグジンの流麗さ・偉大さを讃える歌を歌っていた。

 それが今や、滑稽な歌を歌われ、笑いものにされている始末である。


(くっ! なんでボクが! ボクがこんな目にあわなきゃいけないんだよおおお! 栄光にあふれるこのボクが! ボクがああああ!)


 痛みと悔しさで、涙をポロポロと流しながら腹の聖典を叩く。


 そうして、どれくらいの間叩いていただろうか。

 やっと歯の激痛が消えた頃には、川岸に人影はなくなっていた。

 飽きて興味を無くしたのか、それとも、一応まだ現役の軍率神官であるグジンを露骨に侮辱し続けるのはまずいと判断したのか、あたりは寂しく静かになっていた。


 岸に上がったグジンは、ずぶ濡れのまま、ぽつんと1人立ち尽くす。

 惨めだった。


「ぐっ、くっ……ううっ……」


 悔しさと屈辱で嗚咽を漏らす。


「なんで……なんでだよ! なんで美しいこのボクが! 歴史に名を残すこのボクがこんな目に……!」


 グジンの周りにはもう誰もいない。

 かつて彼を讃える歌を歌っていた吟遊詩人もいないし、取り巻き達もどこかに行ってしまった。

 部下達ももう、彼に従おうとはしない。

 グジンは1人だった。


 それだけでも惨めなのだが、現状はまだ底ではない。

 このまま行けば、さらなる悲惨な運命が彼を待っているだろう。下っ端への降格か、投獄か、死刑か。

 いずれにせよ、耐えきれぬほど苦痛に満ちた日々が待っているに相違ない。


「どうすればいい……? どうすれば……? 考えろ、考えるんだ! ボクは軍事の天才、グジン様だぞ!」


『教団はバカ』と書かれたスキンヘッドの頭をひねり、必死に打開策を考える。

 何かないか? この現状を打破するアイデアは何か……何か……。


(あっ!)


『名案』が浮かんだ。


「そうだ! 反乱だ! 反乱を起こせばいい!

 軍の連中の中には、本心ではボクを慕っているやつらだって、まだ大勢いるはずだ。

 いや、ボクを慕っていなくても、あいつらだってあんな頭にされたんだ。このままじゃ立場がまずくなるという点では、ボクと同じだ。

 そいつらを集めて、イリスを制圧するんだ。歯向かう連中は、ボクの天才的な用兵術でぶっとばせばいい。

 ようし、いける! いけるぞ! そうと決まれば早速わひゃあああ!」


 突如、グジンの体が宙に浮いた。

 誰かがグジンを背中からドンと押したのだ。


 バシャン!


 再びグジンが川に転落する。

 したたかに頭を打ったグジンは、そのまま気を失ってしまった。


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