魔力至上主義世界編 - 100 高等神官イーハの屈辱
高等神官イーハは屈辱の日々を過ごしていた。
ついこのあいだまで、イーハは畏敬と尊敬と崇敬を集める存在であった。
数百万の人民を支配下に置く高等神官!
大神官ジラーに次ぐ、教団の実質ナンバー2!
神の教えの番人!
敬虔なる聖職者の鏡!
このように賞賛され、崇められてきたのだ。
とりわけ『敬虔なる聖職者の鏡』という称号は、イーハにとって自尊心をくすぐるものであった。
(ふふふ。そうだ、私は聖職者の鏡なのだ。
聖典の正しき教えを世に広め、人民に戒律を守らせ、聖典の教えに反する人間は拘束・拷問・火あぶりにする。
これこそが、私の聖なる任務なのだ)
イーハは、そう心の底から信じていた。
アコリリスの父も、その信念のもと、処刑した。
そんなイーハを、人々は崇敬すべき聖職者の見本として、敬意を持って接してきたのだ。
ところがどうだろう。
最終決戦が終わって1週間が過ぎた今、もはやイーハのことなど誰も尊敬していない。
半年前、フリフリのアイドル姿にされた時も、イーハの評判はだいぶ下がったが、今回はその比ではない。
イーハはよく街中を巡察に出かける。
高等神官という立場であれば執務室でどっかり座っていればいいのだが、イーハはそうしない。
神の教えを人民に説く立場である自分が、その人民の声を聞かなくてどうするのだと言い、市中に出て人々の生の声を聞く。
そうやってイーハが市中に出ると、人々は「おお! 高等神官様が来てくださった!」と喜びの声を上げ、歓迎の意を示したものだった。
人々が集まり、イーハを囲んで「ああ、高等神官様!」「イーハ様!」などと言ったものだったのだ。
大変に心地良かった。
(ふふふ、そうだろう。私こそが、敬虔なる聖職者の鏡、高等神官のイーハなのだ。私の教えの前に、ひれふすがよい)
それが今やどうだろう。
市中に出ても、誰も寄ってこない。
遠巻きに、冷ややかな目をこちらに向けてくるばかりである。
「うわあ……」
「あれはちょっと……」
「うへえ……」
ひそひそとイーハを指差しながら噂話をする。
「ええい、なにをやっているのだ、お前達! 私が誰だかわからぬのか! 高等神官イーハ様だぞ! 敬虔なる聖職者の鏡にして、真なる神の教えの導き手だぞ! なのになんだその態度は! 私を敬わぬか!」
イーハは苛立ちと共にそう叫ぶ。
が、周囲は冷たい目を向けてくるばかりである。
供の者として連れてきた2人の助官(高等神官が1人で外出するのは格好がつかないので、どうにか無理矢理2人だけだが連れてきた)も、表情は冷ややかである。
「貴様ら! 聞こえないのか! 私は高等神官のイーハ様なのだぞ! 正しき神の教えの体現者なのだぞ! この私を敬わぬということは、神の教えに逆らうということ。すなわち異端者として処罰されるのだぞ! わかっているのか、この不信心者どもめ!」
叫ぶイーハ。
そんな彼の背後から、声がかけられる。
「不信心者はお前だろ」
「なっ!」
イーハは怒りと共に振り返る。
背後には遠巻きに彼を見ている群衆がいる。
「だ、だ、誰だ! 誰が言ったのだ! この私が……この私が不信心者だとぉ! 許さぬ! 許さぬぞ! ええい、誰だ! 名乗りを上げぬか!」
「だったら、腹の聖典はずせよ」
また背後からの声。
「ぷっ」という笑い声も複数聞こえる。
実際、イーハは今や、ふんどし一丁、腹には聖典、スキンヘッドの頭には『教団はバカ』と書かれた信仰心のかけらも感じられない恰好なのである。
イーハは怒りで顔を真っ赤にする。
「だ、誰だっ!」
叫び声と共に再び振り返ると、そこにも遠巻きに見ている群衆がいる。
みな、素知らぬ顔をしている。
「お、おのれえ! 貴様らあああ!」
イーハがそう言って、怒りの形相で群衆に詰め寄ろうとしたときである。
「ぎいああああああああああああ!」
彼の歯に激痛が走った。
痛い! 痛い! とにかく痛い!
「ひいい! ひいいいい!」
痛みを鎮める方法は1つしかない。
イーハは群衆に囲まれている中であるにも関わらず、ふんどし姿で腹を突き出し、両手で聖典をベチンベチンと叩く。
あまりの激痛に一瞬の我慢もできなかったのだ。
必死でバンバンと音を立てながら叩く。
その時である。
突如として、イーハの頭に何かが浴びせられた。
「ぶへえええ!」
イーハは吐き出すような声を上げた。
なんだこれは!
臭い! 汚い! ねばねばする! ドロドロする! なんだこれは!
それは生ゴミだった。
誰かが生ゴミの入った箱の中身を、聖典を叩いているイーハの頭の上からぶちまけたのだ。
腐った悪臭を放ちドロドロに溶けた生ゴミが、イーハにこびりついている。
「うげええ! べっ! べっ!」
あまりの臭さと汚さに、イーハは悲鳴を上げてぺっぺと吐き出す。
おのれ! 誰だ、こんなことをしたのは!
そう叫びたかったが、歯の激痛がまだ続いており、それどころではない。
生ゴミで滲みる目をつぶり、吐き気をもよおす悪臭に耐えながら、再び腹を突き出し、ペチペチ聖典を叩く。
何度も何度も叩き、ようやく痛みが引く。
「ひいっ、ひいっ、ふうっ……」
痛みの余韻に、イーハがひいひい息をついていると、周囲から呆れと失望の声が聞こえてきた。
「さっきから、なにやってんだよ、あれ……」
「本当よ。ゴルバの真似して神聖なる聖典を叩くなんて」
「あんなのが高等神官なのかよ。ただの不信心者じゃねえか」
「がっかりだわ」
「な、な、なんだとぉ!」
生ゴミで目が滲みているため、なにも見えない中、イーハは怒号を上げる。
「おのれ、誰だ! この私が不信心者だと! 誰よりも敬虔で真摯なこの私が不信心者だと! おのれ! おのごふっ!」
突如として、顔面に痛みが走る。
自分が誰かに殴られたのだと、すぐには理解できなかった。
高貴なる高等神官である自分が、誰かに殴られるだなんて、そんなことあるはずがない!
そう思っていたのだ。
が、現実としてイーハは今ボコボコに殴られている。
「うるせえ! 不信心者はお前だろ!」
「ゴルバの真似しやがって! ムカつくんだよ!」
「お前なんか聖職者じゃねえよ、この面汚しが!」
四方八方から、拳が、蹴りが飛んでくる。
「ほぎゅっ! ごぎゃっ! ひっ! や、やめっ! やめっ! ひいっ!」
イーハは悲鳴を上げるが、攻撃の手はやまない。
魔法を放とうにも、集中力を高める暇も無く、目も見えないのだから狙いも定められない。
「た、助け、お前ら、助けろ!」
助官達に助けを求めるが、反応はない。
巻き込まれるのを恐れてどこかに逃げてしまったのか、関わり合いになりたくなくて他人の振りして遠巻きに見ているのか、あるいはひょっとすると一緒になってイーハを殴っているのかもしれない。
いずれにせよ、イーハは見捨てられてしまったのだ。
しばらくして、攻撃の手はやんだ。
イーハは、一応まだ現役の高等神官である。
さすがに殺すのはまずいと思ったのかもしれない。
足音と共に、人々は去って行く。
「ぐっ、ぎっ、がっ……」
イーハはよろよろと立ち上がる。
滲みていた目がようやく開く。
手で顔を触ってみると、あちこちが腫れ、血が流れている。
「くっ……ぐっ……ううっ……」
惨めだった。あまりにも惨めだった。
ついこのあいだまで、崇高なる高等神官イーハ様として、教団の教えの守り人という扱いを受けてきた。
尊敬され、畏敬され、ちやほやされてきた。
誰もが自分のことを認め、誰もが自分のことを崇敬し、逆らう者は容赦なく火あぶりにし、とてもいい気分になることができたのだ。
それが今や、生ゴミの臭いをぷんぷん漂わせながら、不信心者呼ばわりされながらボコボコに殴られ、部下からも見捨てられる始末である。
「おのれ……おのれ……おのれぇ……」
悔し涙をポロポロと流す。
「許さない……絶対に許さないぞ……」
イーハは怒りを燃やした。
よくも自分をこんな目にあわせたな!
よくも高等神官である自分をこんな惨めにしてくれたな!
絶対に許さないからな!
ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!!!
だが……だが、どうすればいい?
どうすれば……。
「ひとまず……大神官様のところに行くか……あの人も同じく苦しんでいるはずだ。であればきっとぐはっ!」
イーハのつぶやきはそこで終わった。
ガツンと後頭部に衝撃が走ったからだ。
イーハの意識はそこで途切れた。
イーハとグジンのその後を書こうと思ったのですが、イーハの話だけで終わってしまいました。
次回はグジンのその後です。
そして、記念すべき魔力至上主義世界編の第100話が、ふんどし姿のおっさん……。