4.異能力の覚醒
「うわああああああああああああああああああああっ!」
女性の絶叫を1オクターブ下げたような僕の叫び声が、建物のあちこちの壁に反響する。自分の声がこんなにも重なって耳へ返ってくるなんて、久しぶりの体験だ。
急に驚かされることが大の苦手な僕は、こんなことでも相手が期待する以上の反応を示してしまう。大抵の場合、ここで心臓がキューッと締め付けられて、あまりの痛さにしゃがみ込むのだ。
でも、おかしな言い方ではあるが、心臓が動いていないだけ助かった。
今、僕の足下で何が起きているのかは、見なくてもわかる。叫び声にギョッとしたエイダとデデキントが僕の足下を指さすが、そうしなくても事態は掌握している。
だが、怖いのだ。そいつの顔を見るのが。
ところが、その恐怖に打ち勝たなければいけなくなってきた。石畳の上に立っているはずが、下の方へズルズルと引きずり込まれるのだ。
悪魔が引っ張る。つまり、足が、体が、地獄へ向かっている――。
僕は、下を見まいとして硬直している筋肉の抵抗に打ち勝ち、目を剥いて足下を見る。
いない。なら、後ろだ。僕は体をねじって、尻の下方向を見る。
いた。やはり、そいつは想像通りの奴。サングラスをかけた男だ。
ポマードで髪を固めたテカテカする頭だけが石畳から出ていて、僕の脛の半分から下が、もう石畳の中に潜り込んでいる。
「てんめええええええええええっ!! 何しやがる!」
直ぐさましゃがみ込み、持っていた本の厚い表紙側で、奴の頭を思いっきり叩いた。
二度、三度、四度。
サングラスが表情を隠すので、ダメージのほどは正確にはわからないが、眉一つ動かさないところを見ると、あまり効いていないようだ。
(そうだ! あれは半分冗談だったけど、本の角で攻撃しないと!)
僕は本を持ち替えて、角を思いっきり振り下ろす。
ガツンという衝撃が本を通して手に伝わると同時に、男の眉が歪んだ。どうやら、悪魔にもはっきりと痛覚はあるようだ。
これは行ける。二度。三度。四度。五度。
すると、耐えきれなくなった男が手を離したらしく、足の自由が利くのがわかった。
僕は石畳に手をついて、弾みをつけながら――まるで水みたいで不思議なのだが――潜り込んでいる両足を抜いた。
ところが、奴がせり上がってきて、スーツ姿の全身が現れた。
恐怖におののく僕は体が硬直していたので、簡単に胸ぐらをつかまれる。そして、奴は右の拳を振り上げて反撃を開始した。
二度、三度、四度。
僕の左頬は、パンチングボールのように強打される。この仕返しで感じる痛みは、生きていたときと何も変わらない。
抵抗するため、本を振り上げる。しかし、それはあっけなく払いのけられた。
哀れな本は、放物線を描いて路上に転がり、真ん中辺りで開いた状態になった。
続いて、奴の渾身の一撃が左頬に炸裂。それがあまりに強烈だったため、僕は本の方向へ飛ばされた。
(ああ……力が出ない。
ついに……地獄行きか)
でも、諦めるのはまだ早い。
意識が飛びそうになりながら、とにもかくにも本の方へ手を伸ばす。これが僕の唯一の武器なのだから。
石畳に頭を打ち付けた途端、目の前に無数の火花が見えた。頭の周りに星やヒヨコが回るというもんじゃない。鼻から痛みが抜けるほど、めちゃくちゃ痛いぞ。
激痛に耐えきれず、目をつぶる。本は――右手の指が触っているようだ。でも、つかめない。
エイダとデデキントが戦っているらしい物音がする。これでは、助けに来てくれるなんて期待できそうにない。
と、その時――、
(ん!? なんだ、この感覚は!?)
全身に電気が走る。意識がはっきりしてくる。力が漲る。
半眼となった僕は、周囲の石畳が何かの光を反射しているのが見えた。
右手の方向を見ると、腕が光っている! 本も光っている!
胸元を見ると、どうも僕の全身が光っているみたいだ。
完全に意識も体力も回復した僕は、本を手にして、輝きをまだ保ったまま立ち上がった。すると、本は、僕の胸の中へと吸い込まれていく。
僕は直ぐさま、奴の正面へ体を向ける。サングラスに映っている縦方向の光は、間違いなく僕のだ。悪魔は、この異様な姿に怖れをなして、無表情ながらも後ずさりをする。
「セッキーが覚醒したわ!」
「本当だ! 凄い凄い!」
悪魔と対峙するエイダとデデキントの声を背中に受けながら、僕は自分ではないと思えるほど豪胆になってきた。
「てめえええええっ! 派手にやってくれたよな!
さてと、こっちも反撃開始と行こうか!!
覚悟しろよ!!!」
言葉遣いまで違う。今までの自分は、ここにはいない。
怒髪天を衝くという生まれて初めての感覚に震える。
――これが覚醒した自分なのか。
僕は、左の口角を軽く右手で拭くと、不敵な嗤いを浮かべて奴に飛びかかった。
本の角で攻撃、は結構好きです。
実際にやってはいけません。。