39.マテマティックの襲撃
「では、その最高傑作と申す作品を朗読してみせよ」
耳に飛び込んだアンジェロの言葉で、光の中から引きずり出された僕は、目をしばたたかせた。もちろん、先ほどまで見えていた光は跡形もなく消え、少し前の現実世界――と言っても死後の世界――に戻ってきたのだ。
彼は、そんな作品などありはしないだろうという顔をしている。確かに、記憶が封印された主人公の話など書いていない。プロットすら頭にない。
だが、最高傑作ならある。僕は、常に、最新作が最高傑作なのだから。
僕は一呼吸置いて、死ぬ直前まで書いていた物語を皆の前で披露した。
それは、異世界ファンタジー。
ありふれた話と笑われるかも知れない。醒めた目で見れば、そう、よくある話だ。
テンプレと呼ばれるかも知れない。
それでも、僕の空想は茫漠とした荒野を駆け巡り、淼漫たる洋中を進む。
妖異幻怪、摩訶不思議な出来事が絶えず起こり、勇者が聖剣の一刀両断で解決する。
このストーリーを、聴衆は初めは不思議そうな顔をしていたが、時代設定が中世らしいとわかってから身を乗り出してきた。
時代考証が所々違和感があるらしく、首を傾げる者もいたが、想像の世界であると割り切って自分の理解の範疇にある者たちは、しきりに頷く。
――ほら、僕の小説は、時代も国境も越えて理解されている。
百年以上前に死んだはずのハンスも、アンジェロまでもが耳を傾けている。
と、その時、僕の心の奥底から声が聞こえてきた。
「だが、その勇者には過去の記憶がない。まるで僕自身のように。それは、誰かが僕の記憶を封印しているからだ」
なぜだろう。それを言わなければいけない気がしてきた。すると、アンジェロがイヤそうな顔をする。
理由はわからないが、言わない方がいいという気持ちを抑え込んでまでも、心に浮かんだ言葉を強引に話の中に挟もうとした。
と、その時、
ドオオオオオーン!
僕がこの部屋に入るときにすり抜けてきた壁の向こうで、爆発音のようなものが鳴り響き、部屋が地震に見舞われたかのように揺れた。
仲間はほとんどが席を立ち、顔を見合わせる。
「落ち着け! いつもの行動に移れ!」
アーネストが、動揺する仲間たちを鎮めながら、僕に向かって「連中と一緒に避難しろ」と指示した。いつもの行動とは避難することなのだろう。
僕が音の方向に目をやり、一斉に避難する仲間の動きを見ているうちに、いつの間にかアンジェロが姿を消していた。だが、今は彼がどこへ行ったのかなどを推理している暇はない。
「何が起きたのですか!?」
もう避難を開始したアーネストは、何も答えず背を向ける。ハンスだけは妙に落ち着いていて、ヨッコラショと席を立った。
「襲撃です」
あまりに余裕なハンスに、僕は呆れながら「襲撃!?」と聞き返した。
「ええ」
「相手は?」
「まあ、マテマティックの輩でしょうね」
「マテマティックが? なぜ?」
すると、ハンスはフーッとため息をついて眉をひそめる。
「アーネストから聞いていませんか? どこと交戦状態にあるかってことを」
「ああ……、言われてみれば」
「さあ、行きましょう」
「アンジェロはどこへ?」
「さあ。あのお方は神出鬼没ですから」
そうして、ハンスは僕の左腕をつかんで、「ささっ、こちらへ」と部屋の奥へ案内する。
一緒に向かった先は煉瓦塀だった。でも、ハンスが右手のひらを壁につけると、波紋のように壁自体が揺らぎだした。これは、この部屋に入ってきた時と全く同じだ。
ハンスは、「要領は前と同じですから、一緒に来てください」と言いつつ波紋の中へ体を入れると、体が壁の中に吸い込まれた。僕は遅れないように彼の後ろを追い、壁の中へ身を投じた。




