「ウィルへの挑戦」<エンドリア物語外伝80>
「チェスの相手をしてくれないか?」
桃海亭のカウンターにいるオレの前に、青年が立った。
年の頃は20代前半。茶色い髪は天然パーマらしく、クルクル巻いて、あちこち飛んでいる。使い込んで黄ばんだ白いローブは、厚手の麻布だ。一見貧乏魔術師に見えるが、肌も髪もつやつや、栄養は行き届いている。腕に掛けた革のマントも仔牛の革を使った上物だ。
「ここは古魔法道具店です。チェスの相手を探されているなら、アロ通りの………」
「金貨1枚だ」
「勝ったらですか?」
「いや、一局打つ時間の代金だ」
「負けてもくれるんですか?」
「私に勝てたら、もう1枚」
「勝てたら金貨2枚くれるんですね?」
「約束しよう」
「わかりました」
オレは奥の扉を開けた。
「シュデル、シュデル、チェスを打ってくれ」
「少しだけお待ちください」
シュデルが食堂から返事をした。
オレは振り向いて、青年に言った。
「すぐに参りますので、そちらの席にかけてお待ちください」
青年は慌てた顔で、両手を振った。
「違う。私が相手してほしいのは、ウィル・バーカーだ」
「オレですか?」
「そうだ」
青年は強くうなずいた。
「シュデルではダメですか?」
「君としたい」
「そう言われても」
オレがどうしようと考えていると、シュデルが店内に入ってきた。
「お待たせしました。どちらの方と打てばよろしいのでしょうか?」
「この人だ」
青年が首を振った。
「違う。私はウィル・バーカーと打ちたいのだ」
「店長とですか?」
「そうだ」
「でも、店長、チェスを打てませんが」
青年が驚いた。
「打てないのか?」
「駒の動かし方も知りません」
青年がオレの方を見た。
オレはうなずいた。
「なんということだ」
青年が天を仰いだ。
「相手さえすれば、金貨1枚くれるんですよね?」
確認したオレに、首を振った。
「何かないのか?」
「何かというのは?」
「頭を使うゲームでウィル・バーカーが出来るものだ」
「そんなのあったかなあ」
オレが考えていると、隣からシュデルが言った。
「ブラックジャックならできます」
「ブラックジャックか」
青年がつぶやいた。
「でも、弱いです」
青年がシュデルを見た。
「トランプゲーム、たとえば、ポーカーをやるにしても、何も考えていないので激弱です。桃海亭でポーカーやるなら、記憶力と計算力の高いムーさんとやることをお勧めします。ムーさんのポーカーの勝率は、イカサマレベルです」
シュデルが目を輝かせて説明した。
青年が何とも言えない表情をした。
「チェスでしたら、また来月にでもいらしていただけませんか?いまは留守ですが、桃海亭にはハニマンさんという凄腕のチェス打ちがいます」
青年がオレを見た。
「何か特技はないのか?」
「特技ですか」
格闘技を勉強していたが、かじったレベルだ。逃げることは得意だが、特技とは違う気がする。
「店長の特技は、昼寝です」
シュデルが断言した。
「商店街の店主の方々がいつも感心しています。立ったまま、ウトウトできるのです」
オレは頬をポリポリかいた。
「誉めるなよ」
「誉めていません」
青年が首を振った。
「私が聞いているのは、知的な特技は何かということだ」
「店長にはありません」
オレが答える前に、シュデルが答えた。
「僕も日頃から頭を使うことを店長に勧めているのですが、寝ることとサボることしか考えません。あとは、食べることくらいです」
青年が戸惑っている。
「勘違いしていませんか?店長の成績はエンドリア王立兵士養成所を卒業できたのが奇跡と言われるレベルです。勉強は嫌いで、知識は初等学校レベル、魔法については魔法概論入門編の数行分の知識です」
青年は困惑しながらも、カウンターの前を動かなかった。
シュデルの語勢が勢いを増した。
「修羅場を数々生き残っていることから、切れ者だと勘違いされる方がいられますが間違っています。店長の脳味噌は、馬と鹿を足して2で割ったくらいです」
シュデルがカウンターから身を乗り出した。
「店長が人より優れているのは、いい加減さ、怠け者根性です。面倒くさいので、問題を棚上げにするのです。腕を磨いて相手を倒すとか、事件の関係者と交渉して穏便にことを納めるとか、努力と根性がいることは一切せず、とりあえず、終わらせる方向で収束させるのです。それだから、問題が残り、トラブルを呼ぶのです。後始末も尻拭いも大変なんです。貧乏が貧乏を呼ぶのです。この苦労がわかりますか?」
青年がシュデルの剣幕に、思わずうなずいた。
「わかっていただいだようで、うれしいです。それでポーカーをしましょう」
青年がポカンとした。
シュデルが奥の扉を開け、2階に向かって声をかけた。
「ムーさん、ポーカーの時間です!」
振り向くと、今度はオレを見た。
「すみません。デメドさんを呼んできていただけませんか?」
「やりすぎじゃないか」
憐憫の言葉を口にしながら、笑いを噛みしめているのは隣の靴屋のデメドさん。ポーカーの腕には定評がある。
オレが呼びにいったら、店をほっぽりだして桃海亭にやってきた。
ポーカーの参加者は、デメドさん、ムー、シュデル、青年。
シュデルが言ったとおり、ムーのポーカーは運じゃない。回数を重ねるごとに勝率が上がっていく。デメドさんは正攻法。かなり強い。シュデルはオレと同じくらいの腕だが、桃海亭店内では道具達が味方する。道具達もわかっていて、適当に勝たせるくらいでバカ勝ちはさせない。
結果、青年の一人負け。
見事に身ぐるみ剥がされている。残っているのは、パンツと靴と靴下だけだ。
「私は、ポーカーをやりにきたのではなく………」
「トータルで金貨5枚分の負けですね。ローブを返しますから借用書をお願いします」
「その……金貨5枚だが」
「払えないとかいいませんよね?」
「賭チェスをしたい」
シュデルが形のいい眉をひそめた。
「僕に勝てる自信があるというのですか?」
「私が戦いたいのは、ウィル・バーカーだ」
視線がオレに集まった。
「オレとチェス勝負をしたいんですか?」
「その為にエンドリアまで来たのだ」
「待ってください。店長は、チェスの………」
オレは片手でシュデルを制した。
「いいですよ」
「店長!」
「オレが負けたら、ポーカーで作った借金金貨5枚は払わなくていいです。その代わり、オレが勝ったら借用書と有り金置いて帰ってください」
「わかった」
「店長はチェスを打ったことありませんよね?」
「ない」
シュデルがオレに詰め寄った。
「勝負を取り消してください」
「でも、駒の動かし方ならわかるのがある。爺さんが毎晩打っていたからな」
「『わかるのがある』………どういうことですか?」」
「気にするな」
チェス仲間と店内で夜中まで打っているのだ。動かし方くらい覚える。ポーンとナイトだけだが。
オレは青年に言った。
「ひとつだけ、忘れないでください。ここは桃海亭です。いいですか?」
「魔法道具によるイカサマを認めろと言うことか?」
「安心してください。オレは、イカサマはしません。普通に打つだけです」
青年は少しだけ考えてから、うなずいた。
「わかった」
「なんか、こう、汚ねえと思うのは、オレだけかね」
デメドさんが呆れた顔でオレを見ている。
「オレ、先にいいましたよ。ここは桃海亭だと」
青年のローブと財布が、平台にポツンと残されている。オレとチェスを打ち始めて3分ほど経ったとき、いきなり店を飛び出していった。
「借用書、書いていきませんでした」
シュデルの目が怒りでつり上がっている。
「見逃してやれよ。財布は置いていったんだからよ」
デメドさんが苦笑した。
「うまくやれば、金蔓に出来たかもしれないのに店長は欲がなさ過ぎます」
オレは何もしなかった。
シュデルが持ってきたチェスボードをテーブルに置き、駒を青年の並べ方を見て、同じように並べた。
デメドさんが開始を告げ、青年が駒を1手動かした。オレが動かし方を思い出している間に、ムーが”桃海亭”らしいことをした。
異次元モンスターの召喚。
無事成功。アセピリと呼ばれるモンスターがやってきた。体長1メートル、幅50センチ。見た目は半透明のグレーのカブトムシ。丸い身体に足はなく、ヨジヨジと歩く姿はなかなか可愛い。目は退化しており、頭から生えている角のようなもので、あちこちを触る。触られた感触は、練った小麦粉を押しつけられる感じに似ている。
何度か召喚したことがあるので、人なつっこい甘えん坊のモンスターであることはわかっていた。遊んで欲しいと、オレの足や青年の足を、角で何度も押してくる。
オレは爺さんが打っていた手を思い出したので、ポーンを1つ前に進めた。青年は数秒ボードを見つめていたが、いきなりマントをつかむと、店を飛び出した。
シュデルがすぐに追いかけて「借用書!」と怒鳴ったのだが、「財布とローブで勘弁してくれ!」と逃げていった。
「可愛いのにな」
カブトムシを持ち上げると、オレの頬に角を押し当てて遊ぶ。店で相手するには少々大きいので、店の外に連れて行こうとした。
「店長、お話があります」
「すぐ戻る」
「アセピリと遊ぶのは、後にしていください」
デメドさんが笑っている。
「オレがキケール商店街の通りまで連れて行こう。アセピリなら、誰かが遊んでくれるだろう」
「悪いです」
「ほら、アセピリ来いよ」
オレの腕にいるアセピリをひょいと抱えると店を出ていった。
「僕の言いたいことがわかっていますね」
シュデルの顔が間近にきた。
「いいですか。イカサマで勝てば、金貨5枚が手に入りました。ギリギリ勝てば、あのタイプはもう一局ということになり、さらに金貨を巻き上がられました。うまくやれば、かなりの額が手には入ったはずです」
「イカサマはまずいだろ」
「いきなり店に押し掛けてきて、仕事中の店長にチェスをふっかけて、自己満足に浸ろうという輩など、カモにされて当然です」
「少し違うような……」
平台に置かれた青年のローブをシュデルが持ち上げた。オレに渡す。
「できるだけ、高く売ってきてください」
シュデルの目が据わっている。
「今夜、食べる物がないことをお忘れなく」
昼過ぎ、魔法協会災害対策室室長のガレス・スモールウッドさんが桃海亭にやってきた。
「桃海亭で危険な異次元モンスターで脅され、金を巻き上げられたいう苦情が魔法協会に入った」
オレは窓の外を指した。
商店街の通りでアセピリが子供たちと遊んでいる。外の人には珍しいだろうが、商店街の人々には見慣れたモンスターだ。成功召喚なので、すぐに元の世界に返すことも出来たがアセピリがまだ遊び足りないとムーに訴えたので、アセピリの希望を受け入れて今日の夕方に返すことにした。
「異次元モンスターで恐喝というのは、問題があるということで調査することになった。本来ならば、エンドリア支部が行うのだが、私情が入らないように私がやってきた」
オレはもう一度、窓の外を指した。
スモールウッドさんはアセピリを知っている。異次元モンスター辞典にも載っているくらい昔からよく召喚されたモンスター。知能は幼児レベル。温厚で人なつっこい。
「最初に確認したい。異次元召喚を行ったのは…………」
「アセピリです」
スモールウッドさんは「コホン」と咳払いをすると、再び話し始めた。
「異次元召喚をおこなったのは事実か?」
「アセピリを呼んで、アセピリが来ました」
「召喚した異次元モンスターで脅したのというのは事実か?」
「アセピリで脅せると思いますか?」
「異次元モンスターをみたことがない人間からしたら恐ろしいモンスターだろう」
オレはうなずいた。
「その通りかもしれません。わかりました。報告書に『桃海亭は賭チェスで汚いローブと銀貨1枚はいった壊れかけの財布をもらった。アセピリは隣にいた』と書いてください」
「よし、報告書には『桃海亭は危険な異次元モンスターを召喚し、善良な青年から着衣と財布を奪い取った』と書いておく」
オレはカンターから出て、スモールウッドさんに詰め寄った。
「どうしてそうなるですか!」
「魔法協会が動いたのだぞ。賭チェスの負けた代金だったとか、呼んだのはアセピリだったと報告書に書けるか!」
「書いてくださいよ。そっちが真実なんですから」
「桃海亭なのだから、悪評が多少増えても問題ないだろう」
「桃海亭だから、って、なんですか?桃海亭は真っ当な古魔法道具店ですよ」
「そういきりたたず、これを見ろ」
スモールウッドさんがローブの袖から、革の小袋を出した。
「昨日の青年から預かってきた。金貨1枚入っている」
オレの目の前でヒラヒラと左右に振った。
「今回の件、訴えたのは青年の両親で、某国の有力者だ。青年は落ち着いてから、今回の件、自分に非があったこと、ウィルが助けてくれようとしていたことに気がついたそうだ。ウィル・バーカーにお詫びとして渡してくれと頼まれた」
オレが差し出した手にスモールウッドさんは小袋を乗せてくれた。
そして「これ以上、魔法協会に迷惑をかけないように」と言い残すと帰って行った。
オレは革の小袋を握りしめた。
なま暖かい。
スモールウッドさんの体温、ではなく、青年の感謝の温もりだ。
この金があれば、肉が買える。
シュデルが奥の扉から入ってきた。
「店長、よかったですね」
オレは笑顔でうなずいた。
「では、ください」
シュデルが両手を揃えて、差し出した。
「何を?」
「それです」
「オレがもらった金だ」
「その通りです。でも、それがなければ、今夜の豆が買えません」
「昨日、ローブの代金を渡しただろ」
「ローブを売った代金と財布の小銭は、塩を購入して消えました」
「雑草入り塩スープは飽きた」
「それでしたら、ください」
オレは渋々財布をシュデルの手に乗せた。
「ありがとうございます」
シュデルは深々と頭を下げると、すごい早さで店を出ていった。
窓からは、遠ざかっていくシュデルと、子供たちと遊んでいるアセピリが見える。
オレは深いため息をついた。