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後編


「お休み、母さん」

 私はスマフォを耳にあてがったまま、電気を消そうと手を伸ばした。そしてそこに無いはずのもの、いないはずの誰かをみた。


「早く、逃げて!」

 そして聞こえるはずのない声がスマフォから聞こえた。


「死ね!」

 見知らぬ男が襲いかかってくる。ナイフを両手で握り、身体ごとぶつけてくる。とっさにスマフォを握っていた手で身体を守ろうとした。ガツッという音とガラスが割れる音がする。男の顔が目の前に現れる。目出し帽から血走った、そして怯えた目が見えた。

「やめろ!」

 丸く縮こまった身体に目いっぱい力を込めて両足で相手を跳ねのける。二人は部屋の壁と壁を背にして向かい合う形になった。男の息遣いは荒く、よく見るとガタガタと身体を震わせていた。そしておそらく、私も同じように見えているに違いなかった。男の視線が私の左手に握られた壊れたスマフォにとまる。男は三回ゆっくりとうなずくと、ナイフを右手で構えながらゆっくりと立ち上がり、玄関に向かって後ずさりする。

「追ってきたら殺すぞ」


 そう言い残して男は部屋を出て行った。生まれて初めて条件付きで『殺す』と言われ、私は安堵した。

「助かった……」

 腰が抜けたまま、玄関まで四つん這いで向かい。ドアのカギとチェーンロックを掛けた。この部屋に住むようになって、初めてのことである。そのままドアにもたれて、しゃがみこみ、何が起きたのかを頭の中で整理した。空き巣はいつ入ったのか、どこに隠れていたのか。帰宅前、そして風呂場。なぜ暴挙に出たのか。スマフォ、通報されるかと思った。そして、母からの――あり得ないが、やはりそうなのだ。もしも他界した母からの電話がなければ、どうなっていたかわからない。あの空き巣らしき男の雑な手口から想像するのは、出会いがしらの悲劇しかなかった。


「盆と正月が一緒に来た……」

 私は力なく笑った。そして母のことを思い、玄関に転がっているスニーカーをきれいに並べた。


 脱いだ靴はちゃんときれいに並べなさい

 戸締りはきちんとしなさい

 こたつで寝てはいけません


 母に言われたことが、何一つきちんとできていなかった。

 壊れたスマフォを眺めながら、私は「ごめん」とつぶやき、戸締りを確認して布団を敷いて横になった。

 冷たいはずの布団が、どういうわけか今夜は、とても温かく感じた。

 

 

おわり


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