そして、彼女の恋
ベッドからするりと抜け出して、冷蔵庫を開ける。持参したペットボトルのお茶を取り出すときに、うっかりピンクの箱を落としてしまった。慌てて拾い上げると、一枚のカードが床に落ちていた。箱に入れてあったのだろうとはわかったし、見てはいけないものだとはわかった。「偶然見ちゃった、ごめんね」と心の中で言い訳しながらで、私はカードを手に取った。
〈松川先生 ずっと好きでした。 春田恵〉
「はるた、めぐみ、かな? けい、かな?」
女の子らしい丸文字で丁寧に書いてある。その可愛らしいカードの裏を撫でると、よほど筆圧をかけて文字を書いたのだろう、小さな凹凸が感じられる。お疲れ様とねぎらって、そっとカードを箱に差し込んだ。
恋に大人も子どもも関係ない、と思う。この春田恵の気持ちを、教師という立場でばっさり切ってしまう彼は、やはり少々女心に疎い。あの細やかな凹凸にどれほどの思いが込められているかなんて知りもしない。
でも、彼は私のものだ。
ペットボトルを持ってベッドに戻る。できるだけ静かに動いたつもりだったのだが、彼を起こしてしまったらしい。
「ん、深雪、どうしたの?」
「お茶飲みたくて。ごめんね、起こした」
「じゃあ、俺も喉渇いたからちょうだい」
私の手からペットボトルを受け取ると、彼は喉仏を大きく動かしながらお茶を飲んだ。そして、私を抱き寄せてまた眠る。衣摺れの音を冷やかすように、風が下品な声を上げて吹き荒れている。
「風の音、すごいね」
「本当だね」
「ねえ、そういえば、春一番が吹かない東北には、いつ春が来るの?」
前に彼が春一番が吹かない理由を教えてくれたことがある。全国ニュースを見ていて、すっかり春一番が春を連れてくるものだと思っていた私は、それはそれは驚かされたものだ。
「気象庁は三月からって言ってた気がする。二十四節気だと節分から。天文学だと春分から」
「色々だねえ」
「季節は目に見えないからね。それぞれが都合のいいように解釈してるよ」
「そっか」
「うん」
もう寝よう、とぴったりと体が重なる。手を伸ばしてお腹を触る。この中にどれほどの女の子の禍々しい思いが詰まっているのか。でも頬を寄せているこの平たい胸の中で、本当に思っている相手は私だけだ。そう思う。そう思っていたい。そうでしょう?
「ねえ、春太」
「ん?」
「あったかいね」
「そう」
「うん」
私は目を閉じた。誰でも自由に春を決めていいなら、このぬくもりが感じられた今この時から私は季節を春にしたい。
「おやすみ」
ちょうど各地で春一番が吹いたというニュースが舞い込みました。
素敵な春が皆さんに訪れますように。




