彼の恋
「おお!」
台所から楽しそうな声が聞こえる。なんだろうかと腰を上げると、深雪が色とりどりの箱や袋を抱えて戻ってきた。
「すごいね、モッテモテだね、『先生』?」
ニヤニヤと笑う深雪に思わずため息をつく。
「やめなさい、深雪」
「はーい、『先生』」
そう言いつつもテーブルの上に深雪は箱と袋を並べた。まったく話を聞いていない。咎めると深雪はまっすぐ手を挙げた。
「『先生』、私はデパートの食品売り場の店員として、女子高生のバレンタインにおけるチョコレートのトレンドについてリサーチしたいと思っています。仕事させてください」
「ダメです」
「わー、ケチだー」
さすがに無理矢理開封はしなかったが、深雪は不満そうにピンクの箱を人差し指でつついている。
「五個ももらえるなんてすごいなー」
「手作りは早めに食べなきゃと思って、少しずつ食べてたんだけど、そうか、まだ五個も残ってるのか」
「……ほほう。今のは『実はもっともらってました』というさりげない自慢だな? 世の独り身の男どもが聞いてたら生きては帰れないぞ?」
おどけた口調に思わず吹き出してしまう。深雪といるといつも笑顔でいられる。それはともかく、と深雪が頬杖をつく。
「女子校の先生だもんねー。しかもギリギリ二十代。そしてそこそこイケメン。白衣に眼鏡というベタな設定。そりゃモテるわー」
「褒めるならもう少し頑張って褒めて」
「今まで食べた中に本命チョコはあった?」
「まあ、それらしきものはあったね」
正直に答えると、深雪の目は輝いた。
「ほんと? すごく青春って感じだー! 先生と生徒! 禁断の恋が始まる予感!」
「始まりませんから。俺には深雪がいるから」
女性というのは本当に恋愛話が好きらしい。それにしても恋人である深雪にそんな話を吹っかけられると頭が痛くなる。大きなため息をついて、隣に座る深雪を見ると、少し頬が赤くなっている。
「突然そういうのは、ずるい」
思い返すと、ちょっと恥ずかしいことを言った気がする。というか、急にそんな反応をされたら、なんだかこちらが照れてしまう。無駄に眼鏡をかけ直す動作をしてごまかした。深雪もぎこちなく笑って、話題を戻した。
「ねえ、もしさ、私がいなかったとして、ちょっと気になってる可愛い女の子がいたとしたらさ、生徒と恋愛、なんてことしてた?」
「お前はなんて質問を……」
「いいじゃん、絶対に怒らないから聞かせてよ」
本日何度目かのため息が出た。これは答えるまで粘るつもりだ。
「絶対にない」
「えー、なんでー? 相手が好きだったとしてもないのー?」
「絶対にないな」
深雪が口をへの字に曲げた。深雪はたぶんわかってないのだろう。
「例えば、俺と深雪が結婚したとする」
「するよ。婚約者だし」
「いきなり話の腰を折らない」
「すみません」
すかさずツッコミが入ったが、今はそういう話ではない。
「それで、子どもができて、高校生になったとする。目に入れても痛くない可愛い我が子だ。そんな大切な子どもを預ける場所が学校だ。そこで働く職員にはしっかり子どもを守ってほしいと思わないか?」
深雪の顔がすうっと固くなった。察してくれたのだろう。
「そんな場所で、子どもを守るべき大人が子どもに手を出したら、親としてはどう?」
俺は教師であり、大人だ。少女漫画のような恋愛は、所詮フィクションだ。
「そんな学校に安心して子どもを預けられないだろ。そういうこと」
どんなに大人びていようが、生徒達はまだ子どもだ。それはまだわからないのだろうけれど、早く理解しろとも思わない。少しずつ成長していく過程で学んでいくものだろう。
「なあ、それはともかく、深雪が持ってきたお菓子が食べたいんだけど?」
「え? ……ああ、忘れてた忘れてた」
深雪は俺のためにケーキを焼いてきたらしい。それを切り分けるための包丁を持ってくると台所に行ったはずが、こんな話になってしまったのだ。
あまり詳しくはないが、ザッハトルテというケーキらしい。口に運ぶとしっとりとしたほろ苦い甘さが広がる。
「うまっ!」
「良かった。でも無理しなくていいからね。甘いのそんなに得意じゃないでしょ?」
確かに、ここ数日、毎日甘いものを食べているのでだんだん苦しくなってきた。が、深雪が作ったものなら不思議と食べられる気がする。
「深雪のは別」
「ありがとう。……私、協力しようか?」
視線の先にあるのは、生徒達からもらったお菓子だ。正直、消費の申し出はありがたい。
「生徒達に悪いから。それは食べるよ」
「真面目だねえ」
「あ、職員室の女の先生達からまとめてもらったちょっと高そうなチョコはあげる」
「やった! 持って帰って食べる!」
目を輝かせた深雪が、ふと窓の外を見て小さく声を洩らした。つられて視線を向けると、はらはらと雪が降っていた。
「そりゃ寒いわけだ」
「春はまだ遠いねえ」
温かい部屋でのんきにケーキを食べていると外の寒さなんて微塵も感じないが、俺と深雪はいつまでも冬の寒さについて話していた。




