一九九〇年 春 Ⅱ
霧雨が、終わりかけていた桜を濡らしていた真夜中に、「愛しいあなた、私のために髪の毛一本変えないで…」とチェット・ベイカーが甘ったれながら訴えていた真夜中の部室で、誰かが持って来た白ワインを丸々一本全部飲んでしまった。そして険のある目元に困惑の色を浮かべて、空っぽになった瓶を黙って眺めていた。
夏を感じさせる強い西日が射し込む夕暮れに、レイ・ブライアントの『コン・アルマ』が流れていた時は、途中まで吸って灰皿に置いた煙草のことを忘れて新しい煙草に火をつけていた。そしてそんなことを何度も繰り返した。
それはぼくの気のせいなのかもしれない。
あの二度目の春の黄昏の中で、国枝さんとミュゼットのセッションをして以来、鏡子さんは、心ここにあらず、といったような感じでぼんやりしていることが多かった。
誰かが何かを話しかけても、「え?」と聞き返すことが多くてどこかうわの空だった。誰が発した言葉であっても、その言葉は鏡子さんの中に入ることが出来ずに、着地点を探してふわふわ浮かんだまま漂っている感じだった。
恒例の水曜日の午後のセッションで、ピアノやギターやドラムを触っている時でも、しょっちゅう迷子になって慌ててリフ帳を見直したり、誰かがチューニングのためにAの音を欲しがっても別の鍵盤を押したりした。
ソファーに座って週刊誌や新聞や本のページをめくっていても、目が滑って活字が頭の中に入って行かないようだった。
そんな鏡子さんの様子を目にする度に、ぼくはひどく不安になった。
鏡子さんがぼんやりしていたり、うわの空だったりするのは、別にあの出来事のせいではなくて、ただ『春』だからなのかもしれない。『春』が理由ならばどんなにいいだろう。ぼくは何度も思った。
でも、それはぼくの気のせいではない。
なぜならぼくも似たようなものだったからだ。あの出来事が鏡子さんの中にどのような変化をもたらしたのか、それはぼくには良く分からない。多分、鏡子さん自身にも良く分からなかったのではないだろうか?
ぼく自身のことで言えば、あの出来事以来、自分の持っている感覚がこれまでとはどこか微妙に変わったような感じがすることに、ある時ふと気がついた。それは色覚と物に対する距離感だった。
物の色とその大小に対する感覚が、これまでとは違って妙に不自然なのだ。ある物を見た時に、その物が持っている色が少しだけ薄くなったような気がし、その大きさが少しだけ小さくなったような気がするのだ。
例えばそれは、赤い林檎を見た時に、その林檎が持っている元々の赤さがこれまでよりも幾分薄い赤に見え、その大きさが実際の大きさよりも少しだけ小さくなったように感じる。でも実際にその赤い林檎を手に取ってみると、それは自分が良く知っている、これまでと同じような、ごく普通の何の変哲もない赤い林檎だった。
これは林檎以外の物にも当てはまることで、手に取ったりそれに触ったりする時はこれまでと変わりはなく、手に取らずに見ているだけだと、だいたいの物の色と大きさが少しずつ違った。
槇さんには変わった様子は見受けられなかった。相変わらずろくでもないことを言ったりやったりしてヘラヘラしていた。暇があるとぼくのことをよくからかった。からかわれる度にぼくはむっとしたり怒ったりしたけれど、槇さんがこれまで通り、相変わらずどうしようもない人でいることがぼくを少なからず安心させてくれた。
* * *
『あの日のあの後の記憶』が、実はぼくの中にはない。気がついたら自分の部屋のベッドの上で体を丸めて眠っていた。
「曲が終わったと思ったら、いきなり立ち上がって、猛スピードで部室を出てってそれっきりだったけど、あの日はちゃんと家に帰れたのかい? 四季くん?」
後日、恐る恐る部室に顔を出したぼくに、槇さんは笑いながらそう訊いた。
あの日、ぼくに起こった変化に槇さんは気付いていないようだった。その隣で煙草を吸っていた鏡子さんも、いつものように険のある目元を笑わせていただけだったのでぼくは正直ホッとした。もし、あの時のぼくの状況を鏡子さんに知られたとしたら、ぼくは二度と鏡子さんの顔を見ることが出来ないだろう。
あの日の翌日の明け方に、ひどい頭痛と喉の渇きに襲われて目を覚ましたぼくは、自分の置かれている状況をうまく把握することが出来なかった。枕元の目覚し時計は四時を少し過ぎたところで、それが朝の四時なのか、それとも夕方の四時なのか、そんなことすら分からなかった。割れそうな頭と喉の渇きをこらえて起き上がり、窓を開けると、町はひっそりと静まり返っていた。
フラフラしながら階段を下りて居間のテレビをつけると、アメリカの古いコメディー映画が流れていた。朝なんだ、とぼくは思った。
喉の渇きに耐え切れずに、ひねった水道の蛇口に直接口をつけて飲めるだけ水を飲んだ。でも、喉を通った水はすぐに食道を逆流して、ぼくの洋服と台所の床をビチャビチャに濡らした。そのままぼくは風呂場へ行き、溜まっていた洗濯物と一緒に、濡れた洋服や汚してしまった下着を全部洗濯機に放り込んでスイッチを押した。ガーッガーッと洗濯機の回る音を耳にすると肩の力が抜けた。そしてこれ以上温度を上げたら火傷、というぐらい熱いシャワーを延々と浴び続けていると少しずつ頭痛が治まって来た。
台所に戻って水道の蛇口を眺めた。とにかく水を飲みたくて仕方がなかったけれど、飲んだら再び逆流することは分かっていた。蛇口を横目で睨みながら、キッチンテーブルの椅子に座って煙草を吸うと、今度は吐き気とともに強烈な眩暈が襲って来た。
必死でそれをやり過ごしながら、ビール・ジョッキにたっぷりと氷を入れて、冷蔵庫の中のコーラを並々と注ぎ、それをゆっくりと一息で飲み干してから、しばらく椅子に座ってじっとしていた。居間の鳩時計のカチカチカチという振り子の音を聞いていると、胃のあたりから空気の塊が込み上げて来て、自分でも「え?」と驚くぐらいの大きなゲップが出た。もし母が今ここにいたら、「そんな行儀の悪い人間に育てた覚えはない」とくどくどと小言が続きそうなぐらい大きなゲップだった。でもそれで吐き気も眩暈もずいぶん治まった。
ぼくはもう一度ビールジョッキにコーラをたっぷりと入れて、居間のガラス戸を空けて縁側に腰を下ろした。もうこれ以上は動きたくなかった。体がだるくて重くて仕方がなかった。
ガラス戸に寄り掛かって一口ずつコーラを飲み、何度か小さなゲップをしているうちに、頭痛も吐き気もなくなって行き、混乱していた頭の中も落ち着いて来た。
なんであんなことになったんだろう?
ビールジョッキの中のコーラの泡が次々と弾けては消えて行くように、頭の中で言葉になろうとする文字は、ぼくが捕まえようとするとプツプツと弾けては消えて行った。
ただ、漠然と分かったことは、今までぼくが女性に関して経験したことと、ミュゼットをセッションした時に経験したことは、起きた現象は同じでもその質や重さが全く違う、ということだ。それはひどく甘美で抗い難いものであると同時に、とても危険で恐ろしいもののようにも思えた。
もし、あんなことが何度も起きたら…。
そう考えたぼくはゾッとした。自分がひどく忌まわしい存在のように思えた。
もし、あんなことが何度も起きたら…。
ぼくはきっと、自分をコントロールすることが出来なくなるだろう。自分の気の済むまでそれを貪欲に求め続けてしまうだろう。骨の髄までそれを貪り続けて食べ尽くしてしまうだろう。でもそれが無くなってしまった時、ぼくは一体どうするのだろうか? 正気を保ち続けることが出来るのだろうか?
ぼんやりと庭を眺めながら、知らず知らずのうちにぼくはそんなことを考えていた。どうしてそんな考えが頭の中に浮かんで来たのか、良く分からない。ぼくはだんだん不安になって来た。そして恐くなった。その不安や恐さが一体何なのか、そして何処から来るものなのか、良く分からなかった。分からないから、何とかそれに気付かない振りをしてそれを抑え込もうとした。でも、駄目だった。
どんなに息苦しくても構わない。
重圧に押し潰されて窒息しても構わない。もう一度、あの空間に身を置きたい。
そしてあの感覚を心行くまで味わいたい。
鏡子さんの指先の滑らかな感触が体の中に蘇って来た時、ぼくはそう思わずにはいられなかった。
目の前に厳然と存在している世界にはまだ夜が残っていて、空も空気も、ぼくを包んでいる何もかもが青く染まっていた。
* * *
『その時は良く分からなかったけれど、今になって考えてみると、あの時はきっとこうだったんだ…』
この手の言葉の中にある、『あの時』や『こうだった』の部分は、人によってもちろん違うだろうし、様々な状況があるだろう。でも、このようなことを考えたり思ったり経験したりした人は、ぼくに限らず、結構、この世の中に存在しているのではないだろうか?
物事は常にいつも変化し続けている。ぼくの目の前でも変化し続けているし、ぼくの全然知らない場所でもやっぱり変化し続けている。
その変化を当時のぼくはどうしても受け容れられなかったし、それは今でも変わらない。どうしてそれを受け入れることが出来ないのだろう。自分はどこかおかしいのだろうか?
でもぼくのそんな戸惑いや変化を受け入れられないことなんて、広大な砂漠の中に違う色の砂が一粒混じっていても誰もそれに気付かないような、取るに足らないほんの些細なことで、どうでもいいことなのだ。
なぜならこの世に存在する人間の数と同じだけ、物事の変化に対する感じ方や受け止め方も同じように存在しているからだ。広大な砂漠の中のたった一粒の色の違う砂の存在になど、いちいち構っていられない。
『あの時』や『こうだった』の部分を振り返る時、「やっぱりあれで良かったんだ」と思う人もいるだろうし、「やっぱりあれじゃ駄目だったんだ」と思う人もいるだろう。
そして、『あの時』や『こうだった』の部分について、そのことを綺麗さっぱり忘れて決して振り返らないで歩き続ける人もいるだろうし、常に振り返り振り返りしてそこに囚われながら歩き続ける人もいるだろう。
それはその人の物事に対する考え方とか、その人自身の性質や資質に関係していることで、どちらが良いとか悪いとか、そういう問題ではない。問題なのは、自分の足で歩き続けているかどうか。そのことだ。
ぼくの場合は、「やっぱりあれじゃ駄目だったんだ」の方で、その後に、「どうしてぼくはあんなだったんだろう」が続き、『あの時』や『こうだった』の部分を今でも常に振り返って、そこに囚われている。そして立ち止まるきっかけを探しながら歩き続けている。
『一九九〇年』にぼくは大学二年生になった。そしてこの『一九九〇年』という年が、ぼく個人にとっては、『あの時』や『こうだった』に相当する、本当に特別な一種の分水嶺の年になった。
でもそれはあくまでも、今になって振り返ってみれば…、の話だ。実際に『一九九〇年』に存在していたぼくには、その時の状況を正確に把握することが出来なかった。
『一九九〇年』は、表面的にも内面的にも、ぼくを取り巻く小さな世界が明らかに変質して行った年だった。
それは例えば、「昨日までは春。そして今日からは夏」というように、季節と季節の境界線になるその一日をはっきりと定めることが出来ないように、じわじわと少しずつ何かが何かを浸食していくような静かで緩やかな変質だった。
ぼくは、ぼくを取り巻く小さな世界を確たるものとして信頼し過ぎていた。そうそう変わるものではないだろう。この世界は大丈夫だろう。何の根拠もなくそう信じ込んでいた。誰かが何とかしてくれるだろう。勝手にそう思い込んでいた。
有体に言えば、それは自惚れや傲慢さや他力本願以外の何ものでもない。自衛の必要性を感じ始めた頃は時既に遅く、実際に何をどうすればいいのか皆目検討がつかなかった。最近の流行り言葉を借りれば、『有事における危機管理』がまるでなっていなかったのだ。
無邪気で無防備で鈍感だったぼくが、その緩やかな変質に気付いてオロオロしているうちに、ぼくを取り巻く小さな世界は、『中味がぎっしり詰まった飾りも何もないぶっきらぼうな箱』から、『綺麗なリボンと包装紙でラッピングされた箱を開けたら中もリボンと包装紙が入っている箱』に変質して行った。
でも世の中は、ぼくがはっきりと気付かなかっただけで、とっくの昔に『中もリボンと包装紙が入っている箱』に変質していて、ぼくを取り巻く小さな世界の変質が奇跡的に遅過ぎただけのことだった。
そしてぼくを取り巻く小さな世界の変質なんて、世の中の人にとっては別にどうでもいいことだった。変質する以前に、そんな世界が存在していたことすら世の中の人は知らなかっただろう。自分自身に関係のない世界がどこでどうなろうと知ったことではないのだ。ぼく自身がそうだったように。
自分の住んでいる世界に安住していたぼくが、その緩やかな変質にふさわしい対応をしなかったに過ぎない。変質に対するシグナルは、かなり以前から、多分ぼくが生まれる前から、常にチカチカと点滅していた。ぼくはそれを目にしていたけれど、日々の楽しさにかまけてその意味を深く考えようとしなかっただけなのだ。
その緩やかな変質について、柿崎さんは『どうも仕方がない』と言い、槇さんは『いつまでたっても止まらない金ピカのメッキのメリーゴーランド』と言い、国枝さんは『気持ち悪い』と言い、永倉は『何か得体の知れないもの』と言った。そして鏡子さんは、『基盤が失われた場所』と言った。
それぞれの表現は違ったし、その時その時でその表現の対象も違ったけれど、すべては一つのことに収斂されているような気がする。
その緩やかな変質に対して、彼らは自分の中にある「もう駄目だろうな」という諦めの気持ちを知りながら、それに気付かぬ振りをして、迷い、戸惑い、怒りに身を震わせ、ひっそりと涙を流し、自分自身を嘲笑い、それと必死で格闘した。そして彼らは血を流し、ぼくの前から消えて行った。
『綺麗なリボンと包装紙でラッピングされた箱を開けたら中もリボンと包装紙が入っている箱』の中に一人取り残されたぼくは、茫然としている頭の片隅で、いつ止まろうか、いつ止まろうかと考えながら、馬鹿みたいに歩き続けている。なぜなら、ぼくに出来ることはそれ以外にはないからだ。
* * *
ジャズ研の様相が変わり始めたことをぼくがはっきりと自覚したのは、清水さんと武田さんが卒業し、島田さんが新たな部長となり、柿崎さんがいなくなり、槇さんと槌川さんが大喧嘩をして、『俺はもう知らない・勝手にしろ宣言』が槇さんの口から出た時だった。
大喧嘩の発端は部室にある古びたボロボロのソファーだった。些細なことだと笑ってしまえばそれは本当に些細なことなのだ。
槇さんはこのソファーが大のお気に入りで、古い雑誌を枕にそこに寝そべって、「コルトレーンのCDを聴きながら昼寝をする時の気持ち良さに比べたら、女を抱いた時の気持ち良さなんて屁みたいなもんだ」と公言して憚らなかったし、ぼくらもそれを分かっていたので、槇さんが部室に顔を出すとみんなニヤニヤしながらソファーを空けた。
この二人掛けのソファーも、国枝さんが壊したピアノと一緒で、いつからこの部室にあったのか分からないぐらい古いものだった。噂に寄ると、昔の誰かがどこかの粗大ゴミ置き場から拾って来たものらしい。
元は綺麗なベージュの布張りだったようだけれど、ぼくと逢った時の彼は、わけの分からない色をして、煙草の焼け焦げとか、何だか良く分からない汚らしいシミとかが到るところにあって、素肌に触れるとその触れた箇所が片っ端から痒くなりそうな、なんともひどい代物だった。でも滅多やたらと頑丈で、長い間、相当ぞんざいに扱われ続けたのにもかかわらず、彼はびくともしなかった。そして奇妙なほど座り心地が良かった。
温泉好きの人が一端湯船に沈むとなかなか上がって来られないように、このソファーに一度腰を下ろすと、上手い具合に体が沈んで簡単には立ち上がることが出来なくなった。
この古くて汚らしいソファーは、槇さんだけではなく、部員全員にとっての『ライナスの毛布』だった。少なくともぼくにとってはそうだった。人は、自分のそばに『ライナスの毛布』がある時はその存在を祝福せず、当たり前のようにぞんざいに扱ってしまう。そして、それを無くしてみて初めて、どんなにそれが大切なものだったのか、代わりのものなどあるはずがない、ということに気が付くのだ。
この年のジャズ研も、新入部員の勧誘活動は去年のぼくが見たようなぶっきらぼうなポスターを学内に適当に貼っただけで、それ以外の特別なことは何もしなかった。
にもかかわらず、三人の女の子と七人の男の子が入って来てひどく人数が増えた。
三人の女の子と五人の男の子は、みんな高校の吹奏楽部上がりで、初めはCJOに入ったけれど、向こうは人数が多くて楽器を演奏する機会に恵まれず、うちの方に流れてきたようだ。加嶋が一人の男の子を連れて来てから数日の間に、あっという間に一人が三人になり、三人が五人になり、そして十人になった。
そして一週間もしないうちに、彼らはまるで十年の知己のように、住所氏名は言うに及ばず、その経歴や趣味や出身地や好みや家族構成や友人関係や恋人の有無や、その他もろもろ、もうありとあらゆる細かいことを、お互いにあきれるほど良く知っていた。
「これ、良かったら見ておいて下さい」
そういう個人の細かい情報がぎっしりと書き込まれたプロフィールの紙をまとめた小冊子を、ぼくは彼らから渡された。「はあ…」と一応受け取ったけれど、パラパラと適当にめくってからそこら辺に置いた。
「それからこれ、嫌じゃなかったら書いてくれませんか? いつでもいいですから」
ぼくが渡されたものは、彼らと同じようにプロフィールを書き込む紙だった。え? と思ったけれど一応受け取った。でも嫌だったから書かなかった。なぜ嫌なのかと尋ねられてもぼくにはうまく答えられない。でも嫌なものはどうしても嫌なのだ。
そういう個人的なことは、くだらない話をしたり、ろくでもない冗談を言ったり、どうでもいいことをして遊んだりしているうちに、何となく分かって行けばいいことなのではないだろうか? うどんを食べたり、煙草を吸ったり、ジュースやビールを飲んだり、鼾をかいて昼寝をしたり、耳掃除をしたり、鼻クソをほじくったり、間抜けな顔でぼんやりしている本人が目の前にいるだけで十分ではないのだろうか?
「プロフィールの紙はまだですか?」と彼らは何度かぼくに訊いた。そう訊かれる度に、「まだ書いてない」とか、「書いたけど家に忘れた」とか、「なくした」とか適当に答えた。本当はその日のうちに、家に帰ってすぐにゴミ箱に捨ててしまったのだ。「なくした」とぼくが言った時、彼らは新しい紙をまたくれた。面倒臭くなったぼくは、無視することに決めた。
「期日通りに出してくれたのは、加嶋先輩と槌川先輩だけで、他の先輩方はほとんど出してくれないんですよ。どうしてでしょう?」
無視を決め込んだぼくに彼らはそう訴えた。まあそうだろうなと思ったけれど、「まあ、いろいろ忙しいんじゃない?」と適当に答えた。
ぼくは大学二年になって、初めて『新歓コンパ』というものに出た。去年もそうだったけれど、これまでのジャズ研には改まった『新歓コンパ』などというものはなく、適当に誰かが「飲みにでも行くか」と言い出した時に、行きたければ行けばいいし、行きたくなければ別に行かなくても良かった。
「ここは新歓コンパとかやらないんですか?」
四月の半ばにある新入部員の男の子にそう言われたぼくらは、これまでのように、「それじゃあ飲みに行こうか」という感じで福太郎に出向いた。
いつものように二階の座敷に上がって、それぞれが好き勝手に酒やつまみを注文してから適当に飲み出すと、新入部員の子達は、「今日はどうもありがとうございます」と言ったあと、わざわざ一人ずつ立ち上がってどんどん自己紹介を始めた。ぼくが唖然として見ていると、自己紹介を終えた子がビールの瓶を持って次々とお酌をして回り始めた。
そして戸惑っているぼくに、「どうしてジャズをやろうと思ったんですか?」とか、「好きなミュージシャンは誰ですか?」とか、「休みの日には何をしているんですか?」とか、機関銃のように質問を浴びせて来た。
去年の入学式の後の、あの不愉快でおぞましくて忌まわしい『足踏み・ハイハイ・両手パンパン・世界のみなさんこんにちは』の記憶が頭の中にまざまざと蘇って来た。ぼくは次第に不機嫌になって行った。
彼らがついでくれたビールを飲みたくなかった。「ありがとう」と一応お礼は言った。でもそれ以上は飲まなかった。「飲まないんですか?」と聞かれたから、「今はいらない」と答えた。そして替わりに槇さんのワイルド・ターキーのボトルを飲んだ。「ビールをついでくれ」なんてぼくは一言も頼んでない。
次々と繰り出される機関銃のような質問にも答えたくなかった。だから黙っていた。それでも質問が止まないと、「さあ」「特にない」「分からない」と答えた。ぼくがどういう理由でジャズをやろうと、どんなミュージシャンが好きだろうと、休みの日に何をしようと、昨日や今日会ったばっかりの人間に、何でそんなことをいちいち答えたりしなくちゃならないんだ。余計なお世話だ。
彼らのついだビールに口をつけて、機関銃のような質問に主に答えていたのは槌川さんと加嶋だった。困惑したような笑みを浮かべた島田さんと宮本さんは、つがれたビールを飲みながら、新入部員や槌川さんや加嶋の話に黙って相槌を打ち、時折、こっちの方に視線を向けた。
「槌川さんはね、去年の春に、プロのミュージシャンに誘われてロサンジェルスに行って、アイドルのCDのレコーディングにベースで参加したんだよ。それって凄いと思わない?」
ワイルド・ターキーをチビチビを舐めながら、加嶋のそんな言葉をぼくは黙って聞いていた。永倉は一人で安い冷酒を黙々と飲み、槇さんはそっぽを向いて煙草を吸い続けていた。鏡子さんも煙草を吸いながら、テーブルの上に肘をついて指先のささくれをむしっていた。
「じゃあ、プロになるんですか?」
「いや、プロにはなれないよ。無理だよ」
新入部員の男の子の言葉に槌川さんはそう答えていた。
「もったいないよね。そんなことないのに…。でもね、槌川さんはもう就職先が決まってるんですよね。それも凄いと思わない?」
加嶋は槌川さんにビールを注いでいた。
建築科の槌川さんはとても成績が優秀だったらしく、研究室の教授から幾つか就職先を斡旋されて、四年になる前の春休みの時点で大手一流建設会社に就職が内定していた。今はジャズ研に顔を出している時以外は、卒論を書きながら一級建築士の勉強をしているようだった。
「槌川さんなら、絶対プロでもやれると思うのに。本当にもったいないですよ。やっぱり将来を考えてのことですか?」
加嶋が槌川さんに聞いていた。
「まあ、そうだね。…俺はあいつを食わして行かなくちゃならないからな」
しっかりと頷いた槌川さんは、鏡子さんに向かって顎をしゃくった。
「えっ? それって結婚するってことですか?」
目を丸くした加嶋は槌川さんと鏡子さんを交互に見た。
「まあ、一応ね。今のところ、来年の三月に式を挙げる予定なんだけど…」
ぼくはギョッとした。永倉も酒を飲む手を止め、槇さんも煙草の煙に目を細めて鏡子さんを見ていた。
もちろんそんなことは初耳だったし、鏡子さんと接している限りではそんな話が出ているとはとても思えなかった。今までのことを考えてみても、結婚するほど二人がうまく行っているとも思えなかった。確かにあり得ない話ではない、でも…、とぼくは思った。
鏡子さんが槌川さんと結婚する?
鏡子さんが槌川さんの奥さんになる?
鏡子さんが人妻だって?
自分の本当に好きな女性が結婚するという話を聞いたら、普通はショックを受けて、悲しくなったり、腹が立ったり、落ち込んだり、せめて気持ちだけは伝えようと思ったりするのだろうけれど、ぼくの中にはそういう感情は一切生まれて来なかった。そういう自分の感情も含めて全てが不思議で奇妙なことだった。まるで現実味がなかった。
「この間、一応、俺の両親にも逢わせたんだよ。まあ、それでそういうことになってね」
槌川さんが照れ臭そうな顔でそう言うと、新入部員達から、「わあ!」とか「きゃあ!」とか「おめでとうございます!」と黄色い歓声が挙がってその場はあっという間に華やいだ。
ぼくは目の前に座っている鏡子さんを見た。右手に煙草をはさんだ鏡子さんは、白いこめかみに青筋を立てて左の中指のささくれを噛み千切ろうとしていた。
「そうなんですか?」
ぼくは小さな声でそう訊いてみた。訊かずにはいられなかった。島田さんも宮本さんも永倉も槇さんも鏡子さんを見ていた。
「え?」
鏡子さんの指先にはさまれた煙草の先の長い灰が、ぽとりとテーブルの上に落ちた。
「なに?」
鏡子さんは青白い顔をこっちに向けた。今までの話がまるで耳に入っていないようだった。
「槌川さんと結婚するんですか?」
ぼくはもう一度そう訊いてみた。
「なんだ、その話か…」
鏡子さんはつまらなそうな顔をして肯定も否定もしなかった。
そして加嶋や新入部員達が、「おめでとうございます」とか、「結婚式には呼んでください」とか、「二次会の幹事は任せてください」などと口々に話しかけて来るのを、うるさそうにウンとかスンとか適当にあしらいながら、嬉しそうな顔で笑っている槌川さんの方をチラリと見た。
「槇くん、それちょうだい」
槇さんが頷く前に、鏡子さんは槇さんのワイルド・ターキーのオン・ザ・ロックのグラスを手に取って一息に飲み干し、短くなった煙草を灰皿で消した。そしてフラリと立ち上がった。
「おい、どこに行くんだよ」
槌川さんが鏡子さんにそう尋ねると、鏡子さんは「トイレ」と答えて、手ぶらで座敷を出て行った。そしてそのまま戻って来なかった。
「早乙女先輩」
新入部員の女の子にそう呼ばれた時、ぼくはゾッとして全身に鳥肌が立った。
去年の春先に、槇さんが加嶋から『槇先輩』と呼ばれた時の気持ちや、それに対して「おはよう加嶋後輩」と即座に言い返した時の気持ちを、ぼくは自分がそう呼ばれることで理解しなければならない羽目に陥った。
その気持ちをぼくは上手く説明することが出来ない。ただそこにあるのは、生理的に受け容れられない気持ちの悪い違和感だけだ。
「悪いけど、その『先輩』って呼ぶのは止めてくれよ」
ぼくがやんわりと抗議すると、その女の子は、「え? どうしてですか?」と実に不思議そうな顔をしてぼくを見た。
「あんまりそういうふうに呼ばれるのは好きじゃないんだ」
ぼくが真面目にそう言うと、彼女は素直に「はい」と頷いたけれど、次の日になるとやっぱりぼくのことを『早乙女先輩』と呼んだ。それはその女の子に限らず、残りの二人の女の子も七人の男の子達もそうだった。
新入部員全員で示し合わせてやっているのかな?
そう思ってしばらく様子を見ているうちに、それがそうではなく、彼らにとってごく普通の当たり前のことだということが分かって来た。分かった時点でぼくはそれ以上抗議をすることを止めた。
『先輩』をつけて呼ばれるとどうして気持ちの悪い違和感を覚えるのか、その理由を色々と考えてみたけれど、これだ、という明確な理由はぼくの中に見つからなかった。あえて言えば、これまでそう呼んだり呼ばれたりする習慣がないということぐらいだった。
ぼく以外のみんなも、やっぱり彼らに『先輩』をつけられて呼ばれた。槌川さんと加嶋は全く抵抗がないようだった。島田さんと宮本さんは困ったような顔をしながら、それでも普通に返事をした。
でも平和な対応をしたのはその四人で、槇さんも永倉も、そして鏡子さんも、頑としてそれを拒んだ。
永倉は普段と変わらずマイペースに知らぬ存ぜぬを貫いた。「どうして返事をしてくれないんですか?」としつこく訊かれて、「俺は『突発性難聴』なんだ」と面倒臭そうに答えていた。「大変ですねえ」と言われると、「まあね」と答えていた。都合のいい病気だ。
槇さんはその端整な顔にはっきりと不快な表情を浮かべ、彼らを全く寄せ付けようとはせず、冷たく黙殺した。気にいらない女の子が泣き出すまで嫌がらせをしたり、加嶋をやり込めた時のような対応すらしようとはせず、苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んで全身で彼らを拒絶した。
鏡子さんは険のある目元を細くしてそっぽを向いて聞こえない振りをした。ただでさえ貧血を思わせる青白い顔がますます青白くなって行った。槌川さんに「返事ぐらいしろよ」と責められると、黙って部室を出て行った。
ぼくを取り巻く小さな世界が揺らぎ始めた時、柿崎さんがぼくの前からいなくなった。
* * *
ゴールデンウィークに横浜のライブハウスで行われた『新入生歓迎セッション』の時も、戸惑いの連続だった。
このイベントは、その年に入った新入部員だけでバンドを組んで、大学祭に遊びに来たような人達の悪意たっぷりのヤジの集中砲火の中でステージに立ち、「どうも…」と挨拶だかなんだか分からないようなことを適当にボソボソと口にして、覚束ない手付きで演奏を披露するのが恒例になっている一種の『顔見せ』のようなものだった。
そして演奏が終わったら、また「どうも…」などとボソボソしながら、勧められた酒を飲み、飲みたくなかったら、「医者に止められている」とか、「ばあちゃんの遺言で酒はちょっと…」などと適当に嘘をついて断って、後はその場の成り行きでセッションに参加をしたり、好き勝手に何かを食べたり飲んだりしていればいいだけだった。
酒を強制する人もいなかったし、あれこれとうるさく話しかけて来る人もいなかった。せいぜい他の大学の現役部員の人とかそのOBの人がニヤニヤしながら、「やあ」とか「どうも」と言って来るぐらいだった。それに対してぼくらも「どうも…」と答えるだけだった。
それははっきりとした規則や決め事があるからそうする、というわけではなくて、そういうタイプの人たちが集まっていて、何となくそういうふうになっている、というだけのことだった。それが『普通』のことだった。
「他の大学の人に対してきちんと挨拶をすること」とか、「失礼のない対応をすること」とか、そんなことを言われた記憶はどこにもない。まあ、適当にやってればいいよ、という感じだったのだ。その『適当』がその場にいる人達との間の唯一の共通事項というか暗黙の了解みたいなことになっていて、その水面下の見えない所に、いわゆる『常識』というものが潜んでいた。
だけど、彼らにはそれらがなかった。
ステージに立った彼らは、「今日はわざわざ来て下さってありがとうございます」と丁寧に挨拶した後、一人一人がきちんと自己紹介をし、曲名を発表してから演奏を初め、曲が終わるとお辞儀をした。遊びに来てくれた人達は、いつもと勝手が違うので、恒例のヤジを飛ばすタイミングを失い、戸惑った顔でステージの彼らを見ていた。そして演奏が終わる度に、パラパラと拍手をした。場の空気は白けたものだった。
これがえらく上手かったり、逆に、聴くに耐えないぐらい下手くそだったりすれば、まだ救いもあったけれど、彼らの演奏は可もなく不可もなく、そこに「一生懸命練習しました」という感じが加わって手の施しようがなかった。
その後の自由参加のセッションの時間に入った時は、もっとひどかった。彼らは『新歓コンパ』の時と同じようにビール瓶を持ってテーブルの間を動き回り、ニコニコしながらお酌をして回った。それは男の子も女の子も同じだった。遊びに来てくれた人達も調子を合わせてニコニコしながらつがれたビールを飲んでいた。セッション会場が場末のスナックになった。
「そんなことをする必要はない」と島田さんは何度も彼らに言った。島田さんにそう言われる度に、彼らは「はい」と従順に頷いたけれど、少し時間が経つと、またお酌をして回ったり、明るい罪のない笑顔を浮かべて機関銃のような質問を次々と浴びせていた。彼らの中心にいたのは、加嶋と槌川さんだった。
なんだよ、これは?
ぼくは誰も知らないどこか遠い所に行きたくなった。居たたまれなくなって泣きたくなったのは、新入部員の女の子の一人が、他の大学のOBの隣に座って話している姿を見た時だった。
彼女はそのOBが煙草をくわえると、すぐにライターで火をつけて遠くにあった灰皿を手元に引き寄せた。ビールのグラスが空きそうになるとすかさずビールを継ぎ足した。そしてそのOBが口にしたらしい冗談に、まるで動物園の猿のように両手を打ち鳴らして大声で笑い、「やだーっ」と黄色い声を上げて、派手なアクションで相手の体を何度も叩いたりした。
別に誰が誰とどう話そうと全く構わない。『常識』の範囲であれば…。でもそれはないだろう、とぼくは思った。
「ちょっとみっともないんじゃない?」
彼女がジャック・ダニエルのボトルを持って通りかかった時、とうとう我慢が出来なくなったぼくはそう言った。
「え? 何がみっともないんですか?」
彼女が口を開くと、ひどくアルコールが臭った。その臭いを嗅ぐと気持ちが悪くなって口を開く気力がなくなった。ぼくは言った。
「もういいよ」
「えー、どうしてですかあ? 教えてくださいよお」
彼女は体を近付けて顔を寄せて来た。
教えるって、一体何を教えるというのだろう? 分からない。
ぼくは戸惑って言葉に詰まった。
彼女がやっていることは、例えば、「物を盗んではいけません」というような誰が聞いても納得出来るようなことではないのだ。それはあくまでも感じ方の違いであって、ぼくがみっともないと感じることでも彼女にとってはそうではない。別にみっともないことでもないし恥ずかしいことでもないのだ。
彼女がぼくのそばにいること自体が我慢出来なくなって来た。「本当にもういいから」と言うと、良く分からないという顔をした彼女はぼくから離れて行った。
島田さんは場末のスナックを何とかセッション会場にしようとして、宮本さんとあれこれと段取りを取っていた。
入口の近くの壁に寄り掛かって島田さんと宮本さんを見ていると、くわえ煙草の槇さんがゆっくりと歩いて来た。ぼくが黙って見ていると、槇さんはぼくの方をチラリと見てそのまま分厚いドアを開けて出て行った。
永倉はウォッカの瓶を前にカウンターの一番端っこに座って黙々とグラスを傾け、その隣に座っている鏡子さんは、頬杖をついてコーラを飲みながらぼんやりと店内の様子を眺めていた。
「槇は?」
ぼくのそばに来た柿崎さんの手には、ビールでなみなみと満たされたグラスがあった。
「今出て行きましたよ。急げば追いつくと思いますけど…」
ぼくがそう答えると、柿崎さんは「そうか」と頷いてこっちを見た。
「槌川と鏡子が結婚するんだって?」
ぼくは黙っていた。
「さっきあそこでそんな話を聞いたよ」
柿崎さんは、加嶋と数名の新入部員の男の子が座っているテーブルを見ていた。
「ぼくは、…よく知りません」
「ふむ…」
柿崎さんはビールのグラスをぼくに渡して腕を組んで壁に寄り掛かった。
「今日は国枝さんは来ないんですか?」
「ちょっと連絡が取れなかったんだ」
柿崎さんはネクタイを緩めた。
「元気なんですか?」
「誰が?」
「国枝さん」
「元気だよ」
槌川さんがやって来て、「次、どうですか?」とドラムを指差して柿崎さんを見た。
「いや、今日は俺はいいよ」
柿崎さんが首を横に振ると、槌川さんは他の大学のドラムの人を誘いに行った。
柿崎さんはしばらく黙って演奏が始まったステージや店内の様子を眺めていた。その横顔には何の感情も浮かんでいなかった。ぼくは目の前の背の高い一本足のテーブルにビールのグラスを置いた。
「ここはいつからキャバクラになったんだ?」
柿崎さんの視線の先に、他の大学のOBにしなだれかかって笑っている新入部員の女の子がいた。
「みっともないんじゃないって、さっき一応言ってみたんですけど…」
「うん」
柿崎さんは頷いたけれど、「どうも仕方がないなあ…」といういつもの言葉は出なかった。
ぼくは黙り込んだ。そして隠れるための穴を探した。もちろん穴なんてどこにもない。ブルドーザーでも持って来て、手当たり次第に穴を掘りまくって、柿崎さんの腕をつかんで一緒にその穴の中に飛び込みたかった。
「しばらくここには顔を出せないよ」
柿崎さんはポツリと口を開いた。
「え?」
「山口に行くことになったんだ」
ぼくは言葉が出て来なかった。
「まあ、サラリーマンだからね。仕方ないさ」
柿崎さんの口調は静かで穏やかだった。
「いつ行くんですか?」
「これから」
「えっ?」
心臓のドキドキという鼓動が大きくなった。
「これから?」
思わずぼくは訊き返した。
「そうだよ」
柿崎さんは頷いた。
いくらなんでもひどすぎる。それはないだろう。それはあんまりだ。ぼくは腹が立った。
「いつ決まったんですか? 転勤が決まったのはいつですか? まさか、今日決まったとか言うんじゃないでしょうね」
つい詰問調になった。
昨日の今日とか今日の明日じゃない。今日の今日なのだ。しかもこれから行くというのだ。
ぼくの言葉に対して柿崎さんはちょっと笑っただけだった。
「連絡先、教えて下さい」
ふんふんという感じで頷いた柿崎さんは、背広の内ポケットから名刺入れを出して新しい名刺を渡してくれた。でもそこには柿崎さんの勤めている会社名はどこにもなくて、大手百貨店系列のスーパー・マーケットの名前が記されていた。
「え?」
ぼくはひどく混乱した。スーパー・マーケット? わけが分からない。目の奥が痛くなって来て両足の膝頭が震えていた。
「どうしてですか?」
「何があったんですか?」
そう出掛かった言葉をぼくは必死で飲み込んだ。柿崎さんはいつものような物静かな顔をこっち向けた。
「ちょっといろいろあってね。そこの文房具売り場に出向することになったんだ」
そのいろいろを訊きたかった。でも何も訊けなかった。
「槇さんは知ってるんですか?」
「いや、知らないよ」
「鏡子さんは?」
「うん、さっきそこでね…」
カウンターの席からこっちを見ていた永倉と目が合うと、永倉は微かに頷いてウォッカを飲んだ。鏡子さんはうつむいてじっとしていた。
柿崎さんは腕組みをして壁にもたれてステージを眺めていた。ぼくは柿崎さんの頬っぺたの青々とした髭の剃り跡が好きだった。そのがっちりとした固太りの体型が好きだった。まだ一度も逢ったことのないぼく達のために、仕事を抜け出してタクシーを飛ばして駆けつけてくれた柿崎さんが好きだった。
目の前のビールのグラスを思いっきり床に叩きつけ、そこら辺のテーブルを手当たり次第に引っ繰り返して、全てを滅茶苦茶に壊したかった。大声でわめき散らしたかった。
「こっちに来た時は連絡するよ」
柿崎さんはぼくを見て笑った。
ぼくはうつむいた。柿崎さんの埃まみれのくたびれた革靴が目に入った。
柿崎さんはぼくにとって外の世界で初めて接した大人の男だった。いろんなことを知っていて、どっしりとして頼りがいがあって、優しくて常識的で、本当に困った時に逃げ込むことが出来る懐かしい大きな港のような存在だった。ジャズ研がこんな状態の今だからこそ、これまでのようにフラリと部室に顔を出して、「どうも仕方がないなあ…」と言って安心させて欲しかった。
ぼくはこれ以上首を曲げられないぐらい深くうつむいた。ぼくの目に映っているくたびれて磨り減った柿崎さんの革靴が、次第にぼやけて滲んでいった。
* * *
それは悪夢のような『新入生歓迎セッション』が終わり、柿崎さんが本当に山口に行ってしまってからすぐの、五月半ばの晴れた日の午後のことだった。
近現代文学Ⅱの講義を終えて地下に続く階段を下りると、部室の前の廊下のプラスチックの長ベンチに座った永倉がうつむいてトランペットのマウスピースをいじっていた。そしてぼくに気が付くと、「おう」と浮かない顔で頷いた。「どうかしたの?」
ぼくが口を開きかけた時、半分開いた青ペンキの扉の中からガシャンと何かが割れる音がして、きゃあという悲鳴が聞こえた。
「ソファーを捨てたんだよ」
永倉は重い口を開いた。
「え?」
永倉の言葉の意味が分からなかった。
「だからソファーを捨てたんだ」
永倉はもう一度同じ事を言った。
「ソファーって、あのソファー?」
「そうだ」
「なんで?」
「知らん」
「誰が?」
「いろいろ」
「いろいろ?」
「そうだ。いろいろだ」
「なんだよ、それ?」
「良く分からん」
ぼくの顔から視線を外した永倉は、むっつりと黙り込んで横を向いた。
扉を開けて中に入ると、ウイスキーの匂いがプンと鼻についた。見慣れたいつものソファーの場所に、見覚えのない真新しい黄色い革張りのソファーがあった。その前で槇さんと槌川さんが睨み合っていて、槇さんの足元に割れたジャック・ダニエルの瓶が転がっていた。
その傍らで新入部員の女の子が泣いていて、その泣いている女の子を他の新入部員の二人の女の子が慰めていた。他の一年生の男の子達は加嶋と一緒にひどく怯えた顔をして、槇さんと槌川さんを遠巻きに眺めていた。
激昂している槇さんと槌川さんの間に入って何とかその場を収めようとしていた島田さんは、どうすればいいんだよ、という顔でぼくの方を見た。でもぼくだって一体何がどうなってるんだ? という感じだった。
どうやらソファーに原因があるらしい。でもそれ以外の詳しい事情は良く分からない。それに事情を聞いても多分この状況を収めるのは難しいだろう。睨み合っている二人の姿を見て、ぼくは漠然とそう感じた。
槇さんと槌川さんは、見た目も性格もまるで水と油のように合わなかった。いつも風に吹かれているような自由奔放な槇さんと違って、槌川さんは大地にしっかりと根を下ろしている大木のような、質実剛健を絵に描いたような人だった。そしていつもその間に鏡子さんがいた。
鏡子さんはある意味で二人の緩衝地帯のような存在だった。その鏡子さんの姿が見えなかった。でももし仮にこの場に鏡子さんがいたとしても、多分口をはさんだりはしないだろう。彼である槌川さんとの間にも、友人である槇さんとの間にも、鏡子さんには鏡子さんなりのスタンスがあるということにぼくは何となく気が付いていた。
「お前、本当にいい加減にしろよ」
槌川さんに向かってそう口を開いた槇さんの端整な顔には、あの大学祭の最終日の夜と同じように表情というものがまるでなかった。本当に怒っているんだな、とぼくは思った。
「何が気に入らないんだ? 新しい綺麗なソファーがただで手に入ったんだ。だったら古いソファーを捨てたって別に構わないだろう」
普段から口数が少ない槌川さんはかなり興奮しているようで、少しどもりながら槇さんを見上げて睨んでいた。一歩も引かないという感じだった。
「そういうことじゃないだろう」
槇さんの口調は奇妙なほど冷静だった。それが返って槌川さんの怒りを誘ってしまうようだった。
「じゃあどういうことなんだ? 分かるようにきちんと説明しろ。みんなお前に使わなくてもいい気を使って神経を磨り減らしてるんだ。いい加減にそういうことに気付いたらどうなんだ? 我儘もいい加減にしろよ」
「もういいんです。私が悪いんです。だから止めて下さい」
泣いていた女の子が槌川さんの腕を取った。
その二人を眺めていると、ぼくの目の前で起こっているこの出来事は、実は見るに耐えないくだらない茶番劇とか安っぽい三文芝居なのではないか、とふと思った。そういうくだらない安っぽい状況に、槇さんが自分の意志とは関係なく強引に引きずり込まれているような気がして、どうにも馬鹿馬鹿しくて仕方がなくなって来た。そしてそれを真剣に見ているぼく自身も、知らず知らずのうちにその馬鹿馬鹿しい状況に参加しているのだ。
一体なんだろう、これは…。
ぼくはぼんやりと槇さんの綺麗な顔を眺めていた。
「もういい」
槇さんはそう吐き捨てた。
「何がもういいんだよ」
槌川さんは声を荒げた。
「無知な人間っていうのは本当に恐いよ。俺はもう知らない」
「無知ってなんだ」
部室を出て行こうとした槇さんの腕を槌川さんはガッチリとつかんだ。
「俺に触るなよ。無知だから無知って言ったんだ。それの何が悪い」
そう冷たく言い放った槇さんは槌川さんの手を振りほどいた。『無知』と言われた槌川さんより、『無知』と口にした槇さんが血を流しているようだった。
「勝手にしろ」
最後にそう言い捨てた槇さんは、静かに部室を出て行った。
部室に来た真新しい黄色い革張りのソファーは、泣いていた新入部員の女の子の父親がただで寄付してくれたものだった。彼女の父親は輸入家具の会社を経営していて、そのソファーは買い手がつかずにずっと倉庫に入りっ放しになっていたということだ。
「サークルの部室にあるソファーが古くてボロボロだ」ということを娘から聞いた父親は、夜中に自分でトラックを運転してその黄色い革張りのソファーを部室に運び、古いソファーを回収して行ったとあとで島田さんから聞いた。
彼女も彼女の父親も、もちろん悪気なんて全然なくて本当の善意でやったことだろう。その場にいた島田さんや加嶋や他の新入部員が、「ありがとうございます」と彼女の父親にきちんと頭を下げてお礼の言葉を口にしたように、ぼくは彼女に対して「ありがとう」と言うべきなのだろう。多分それが世間一般の常識というものなのだろう。だけど、ぼくは「ありがとう」と言わなかった。言いたくなかった。
彼女はソファーのことをまず他の新入部員全員に話し、彼ら全員が加嶋に話し、加嶋は部長の島田さんに話し、島田さんは槌川さんに話した。島田さんからソファーのことを聞いた槌川さんは、新しいソファーを入れることにあっさりと賛成したらしい。そこにはためらいとか逡巡というものはなかったようだ。
「槇くんには話した方がいいと思うけど…」
その時、鏡子さんは槌川さんにそんなふうに言ったらしいけれど、槌川さんは鏡子さんの言葉に取り合わなかった。
「槇が一番ソファーを使うんだから、新しいソファーが来れば喜ぶだろう」
槌川さんのその言葉に、鏡子さんは「そう」と言ったっきり口をつぐみ、この件に関しては槌川さんと一言も喋ろうとしなくなった。これはあとになって、ぼくが槌川さんから直接聞いたことだ。
「あんなことになるとは思わなかったんだ」
槌川さんはそんなこともぼくに言った。
「ぼくは槇さんが喜ぶと思ったんだけど…。サプライズみたいな感じでさ。そういうのって、良くあるじゃない? ちゃんと話をしないで勝手にソファーを取り替えたりしたから、あんなふうに怒ったのかな? 別に槇さんを軽く見たりしたわけじゃないんだよ。でも、やっぱりちゃんと謝った方がいいよね?」
加嶋はぼくにそう言った。
もちろんぼくは、槇さんが喜ぶとは思わなかった。だいたい好きだったソファーを勝手に処分されたとか、自分に話をしなかったとか、ないがしろにされたとか、そういうくだらない理由は槇さんの中にはないだろう。そういうことではないのだ。もし加嶋が本当にそう考えているとしたら、その思考回路はあまりにもお粗末ではないか?
謝るって何をどのように謝るんだ?
「ちゃんと話をせずに勝手にソファーを取り替えたりしてすみません」
そんなことを言って頭を下げようとでもいうのだろうか…。
加嶋は不安そうな顔でぼくを見ていた。
自分で考えろよ。ぼくに聞かないでくれ。
ぼくが黙っていると、加嶋は困ったような顔でしばらく隣でモジモジしていたけれど、やがて何も言わずに離れて行った。
「話が出てからあっという間に、あの新しいソファーが来ちゃったんだよ。俺はもちろん槇さんにも相談しようと思ってたんだけど、どうしても連絡がつかなかったんだ」
島田さんはぼくにそう言った。
そうだろうな、とぼくは思った。
槇さんはとにかく気まぐれで、こっちが捕まえたい時にはまず捕まらない人だった。電話嫌いなのはぼくといい勝負だった。部室にいる時以外はどこで何をやっているのか良く分からない人で、自分の私生活が覗かれることを極端に嫌う人だった。
鏡子さんにもそういうところがあった。あらゆる意味で二人はとても良く似ていた。
鏡子さんが園田教授のゼミを選び、研究室に頻繁に出入りしていることは、結婚の話まで出た槌川さんですら知らないことだった。ぼくだって偶然あの場面に遭遇しただけで、それがなければきっと知らないままだっただろう。
「園田教授はゼミを持っているんですか?」
ある時ぼくがそう切り出すと、ちょっと驚いた鏡子さんは、「どうして?」と訊いた。ぼくは学年末の試験のレポートを出しに行った時に見たことを正直に話した。
「そうよ。園田先生は私の主任教授よ」
笑いながらそう答えた鏡子さんは、それ以上のことを話そうとはせず、この話はこれでおしまいという顔をして貝のように口を閉じてしまった。ぼくはもっと訊きたかったけれど訊かなかった。
話したければ話すだろう。『話さない』ということは、とどのつまりは『話したくない』ということなのだ。
それが他人にとってはどんなにつまらなくて些細なことでも、その人にとってはとても大切なことで、自分の胸の中だけにひっそりとしまっておきたいことがある。それをあれこれ訊き出そうとすることは、その人の内面に土足で踏み込むようなものだ。もしぼくがそんなことをされたら、踏み込んで来た人間をひどく憎み、二度と寄せ付けないだろう。
その真新しい黄色い革張りのソファーは、やっぱり二人掛けだったけれど、古いソファーとは比べものにならないぐらい立派なものだった。イタリア製でバーゲンで買ってもウン十万円ぐらいするらしい。「なんたらかんたらなんたらかんたら」と長ったらしいブランド名を加嶋が教えてくれたけれど、ぼくには覚えられなかった。確かに座り心地は最高に良かった。だけど部室にはそぐわなかった。
その真新しい黄色い革張りのソファーのブランド名を覚えられなかったように、ぼくは新入部員達の名前を覚えられなかった。はっきり言ってしまえば覚えようという気持ちが最初からなかった。
彼らには、それまでのジャズ研の人間が持っていたような『いかがわしさ』がまるで感じられなかった。
ぼくが去年、何度もはらわたが煮え繰り返るような思いをさせられた『底意地の悪さ』もなかったし、なぜかぼくも質の悪い嫌がらせやひどい騙しをしようという気にならなかった。
朝っぱらからバーボンやスコッチを舐めながら、ビル・エヴァンズとスコット・ラファロの掛け合いを聴いてうっとりしたり、ブルー・ミッチェルやウイントン・ケリーのご機嫌さにつられて気持ち良く昼寝をしたりするような『不健康さ』もなかった。
その代わり、彼らはとても明るくて人懐っこくて屈託がなかった。彼らは時間になったらきちんとほとんどの授業に出席し、各教科の情報をこまめに交換し、その情報を『先輩』であるぼくからも欲しがった。
「文化人類学の授業のノートがあったら欲しいんですけど…」と言われた時、ぼくは驚いた。というのも、ぼくはどの授業でもまずノートを取らないからだ。だいたいノートと名のつくものを持っていなかった。必要なことは教科書に書いてあるし、ちょっと補足事項のメモを取りたい時は教科書の余白に書き込めばそれで済んだ。それで済まない時は手帳のメモ用紙を使った。
「ノートは持っていないんだ」
ぼくがそう言うと、彼らは変な顔をした。
大学の授業に関してぼくがジャズ研のお世話になったのは、そこら辺に放り出してある使い古しの教科書を借りたことぐらいだった。それにぼくは自分の専門課程の講義に関する必要最低限の情報しか持ち合わせていなかった。一年生のうちの一般教養や語学の授業は、指定された教科書を読んでおけば困るようなことはなかった。足りなかったり分からないことがある時は、その部分の参考書を探して読めばいいのだ。
レポートの提出や試験の時は、求められたことに対する自分の考えをそのまま文章にすればいいだけのことだ。日本語で書いてある文章を読んで日本語で答えればいいのだ。こんな楽なことはない。
英語や中国語だって、単語の意味が分からなかったら辞書を引けばいいし、文章の構造が分からなかったら文法書を見ればいいのだ。フランス語だって同じだ。単語の意味と文章の構造が分かれば、あとは日本語を扱うのと同じだ。書いてある内容だってだいたいは理解出来る。書いてある内容が分からない場合は、その内容そのものが難しいわけで言葉が難しいわけではない。当たり前のことだ。
小学校の時の『算数』や中学や高校の時の『数学』のように、数字とか理解不能な記号の羅列を見て、それこそたくさんの紙を使って計算問題を解かなければならないわけではない。
だから彼らのそういう熱心さが、ぼくには良く分からなかった。
彼らはきっと世間が認めるような『いい子』なのだろう。でも彼らの明るさや人懐っこさや屈託のなさは、ぼくにとってはうるさくて馴れ馴れしくて図々しいものだった。
彼らは交代制で毎日部室を掃除した。ゴミ箱が溢れる前にこまめにゴミを捨てに行った。二つあったゴミ箱にゴミ袋を入れ、『燃えるゴミ』『燃えないゴミ』と綺麗な色のカラーペンで書いた紙をそれぞれに貼った。
踏み潰された床の上の煙草の吸殻を綺麗に掻き集め、どこかから持って来た可愛らしい卓上灰皿をあっちこっちに置いた。湿気取りや消臭剤やゴキブリホイホイも置いた。転がっているビールの空き缶を拾い、飲みかけのワインや日本酒やウイスキーやウォッカのボトルは冷蔵庫にしまった。散乱していた楽譜や週刊誌や雑誌や漫画や新聞を種類別にきちんと分け、それを収納するための本箱のようなものをダンボール箱で作った。汚れた毛布と寝袋をクリーニングに出して邪魔にならないようにしまった。聴きっ放しのCDやテープやレコードをきちんと並べてインデックスと目録を作った。
彼らがやっていることは、一日一善を絵に描いたような『正しいこと』だった。
ぼくは去年の春、逢ったばかりの鏡子さんと交わした会話を思い出した。
「掃除とかしないんですか?」
「だいたいいつもこんな感じだけど?」
あまりの部室の散らかりように驚いたぼくがそう訊くと、鏡子さんは面白そうに笑いながらそう答えた。
雑然とした汚らしい部室は、少しずつ整然とした小奇麗な空間に変わって行った。
そんな状況に、何かが変だ、とぼくはひどく息苦しくなった。そして違和感を覚えた。その違和感はぼくの体の中に既にあるもので、単に忘れていただけだった。それは『数学』にまつわる、例の『ゾッとする何とも言えない気持ち悪さ』と同質のものだった。
槇さんは滅多に部室に顔を見せなくなった。ぼくは古本屋のバイトを終えてからもう一度電車に乗って大学に行き、改めて部室に顔を出すことが多くなった。
槇さんがたまにフラリとやって来る時はいつも夜が深くなってからだった。そんな時はだいたい永倉か鏡子さんがいた。槇さんも鏡子さんも就職活動をしているようには見えなかった。
卒業したらどうするのだろう?
槇さんは京都の老舗の和菓子屋の次男坊だった。去年の夏の終わりに、家から送って来たという落雁を部室に持って来て食べさせてくれたことがあった。上品でほんのりと甘く、口に入れた瞬間に溶けてなくなってしまうような繊細な落雁だった。あまりに溶けるのが速くてぼくが頼りなさそうな顔をしていると、「口の中に残った甘さの余韻を楽しむんだ」と槇さんは面白そうに笑っていた。それは本当に美味しかった。その時、「家はもう兄貴が継いでいるんだ」と珍しく家族のことを口にした。「他に兄弟はいるんですか?」と訊いてみると、「妹がいる」と答えてそれっきり口をつぐんだ。
鏡子さんは本当に結婚するのだろうか?
ぼくはそのことが気になって仕方がなかったけれど、もちろんそれは訊かなかった。
「あの女の子、どうした?」
前期試験が始まった六月の終わりに中央広場で永倉と昼飯を食べていた時、ぼくは何となくそんなことを訊いてみた。
「一回遊んで、バイト先の奴に紹介した」
「ふうん…」
「あれは、人形と一緒だな」
「人形? マネキンみたいなやつのこと?」
「そんな上等なもんじゃない。人型に切り抜いたペラペラの紙みたいなもんだ」
「そうなの?」
ぼくがそう聞くと、永倉は箸を止めた。
「頭の中にあるのは、男と食い物とファッションとテレビのことだけだ。それ以外には何もない。あの子の話の内容が俺にはさっぱり分からなかった。何もないから一人でいると不安になるんだ。だからうるさく纏わりつく。俺はそんなのに吸い付かれるのはまっぴらだ」
顔をしかめた永倉は、残りのカツ丼を黙々と食べた。ぼくは冷やし中華を半分食べて箸を置いた。どうにも食欲が出なかった。
「これからどうなって行くんだろう?」
綺麗に丼を空っぽにした永倉は、プラスチックのコップの麦茶を飲み干して煙草に火をつけ、たくさんの学生達が目の前を通り過ぎて行く姿を黙って眺めていた。
「多分ああなるんだ」
永倉の視線の先には、背中にアルファベットで大学名とサークル名が入ったおそろいのジャンパーを着た男女数名のグループが、楽しそうに食事を取っていた。
前期試験が終わった七月の半ばに、槇さんが、ぼくの前からいなくなった。