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コカコーラ・ベイビーズの黄昏  作者: 早乙女四季
7/10

一九九〇年 春

 家が家としての機能を果たすためには、土台というものが必要だ。もちろんそれは人間の住む家に限らず、犬小屋でも鳥の巣箱でも同じことだ。建物だけではなくて、植物だってやっぱり同じことだ。土台や根っこが存在していないと、ちょっとした雨が降ったり緩い風が吹いたりしただけでも、それはあっという間に倒れてしまう。

 例えば、一生懸命固い地面に穴を掘って、根っこのない桜の太い幹をその穴に差し込んで、上からしっかりと土をかけて、さらにその上をコンクリートでがっちりと覆ったとしても、遅かれ早かれ、その桜の木は枯れてしまうか、あるいは倒れてしまうかのどちらかだろう。これは時間の問題であって、枯れる枯れない、倒れる倒れない、という問題ではない。

 人間も同じだ。人間が人間としての機能を果たすためには、物理的にもそれ以外にも、『背骨』というものが必要だ。『背骨』がないと、この世に存在するありとあらゆる現象に、どのように対応すればいいのか分からない。

 あっちにフラフラこっちにフラフラ、風の向くまま気の向くまま、その場任せの成り行き任せ、出たとこ勝負であとは野となれ山となれ、みたいな感じになってしまう。それならそれでいいじゃないか、と割り切ってしまうことが一番楽なのかもしれない。でも人間は神様や仏様ではないし、もちろん神様や仏様にはなれないので、やっぱりそれは不可能だ。

 ほんのつい最近まで、ぼくはその『背骨』を持っていたようだったけれど、今のぼくにはどうやらそれがないみたいだ。あれやこれやと忙しくしていたり、ぼんやりと物思いに耽っていたり、面白おかしく過ごしていたりするうちに、いつの間にか大切な『背骨』は消えてなくなってしまったらしい。

 消えてしまった『背骨』がいいものだったのか、悪いものだったのか、それはぼくには良く分からない。いいものだった、と言う人もいれば、悪いものだった、と言う人もいるし、分からない、と言う人だっているからだ。

 いずれにしても、『背骨』について何らかのことを口にできる人は、実際に、共通した同じ『背骨』を体の中に持っていたから言えるわけで、ぼくの体の中には、最初からその『背骨』は存在していなかったようだ。あるいは存在しているのかもしれないけれど、『背骨』としての機能は、既に失われているのかもしれない。

 今のぼくの体の中に存在しているそれは、『背骨に似たようなもの』であって、決して『背骨』ではない。紛い物だ。だからとても脆い。『似たようなもの』だから、人によってその似方も痛み方も少しずつ違う。

 最初はほんの少しの違いでも、紛い物だから当然金属疲労もあるわけで、あっちこっちにガタが来る。ガタが来たら、それぞれ自分で修正しなければならない。修正に修正を重ねていくうちに、ぼくの持っている『似たようなもの』は、個人によってまるで違うものになって行ってしまったようだ。それにとても脆いものだから、やがて使い物にならなくなって来る。そうなったら、また体の中に『似たようなもの』を入れて継ぎ足さなければならない。

 そこで問題になって来ることは、『背骨に似たようなもの』を『背骨』だと思っているぼくがいたり、『似たようなもの』が使い物にならなくなったことに気付かないぼくがいたり、それに気付いてしまって絶望して川を渡ってしまうぼくがいたりすることだ。あるいは、わけの分からないものを『似たようなもの』だと思い込んで、体の中に入れてしまうようなぼくがいたりすることだ。

『背骨に似たようなもの』をぼくの体の中に勝手に入れてしまった人間達が、結構まだ元気にのほほんと存在していることについて、ぼくはもうあれこれと言うつもりはない。あれこれ言って、どうにかなる問題だとも思えないからだ。

『背骨』は既に消えてしまったものなのだ。こぼれた水は二度とグラスの中には戻らない。消えてしまったものは消えてしまったものだし、壊れたものは壊れたものだ。その残骸を掻き集めて一生懸命復元してみたところで、それはもうかつての『背骨』ではなく、やっぱり『似たようなもの』でしかありえない。仮にこの世に存在する最高の知性を集めて、かつての『背骨』の復元に成功したとしても、それがぼくの体の中できちんと機能するとも思えないし、もちろんそんなことを望んでもいない。これはどうしようもないことで、仕方のないことだ。

 彼らはそのことについて、「悪気があって入れたのではない。良かれと思って入れたんだ」とか、「それしか選択肢がなかったんだ。仕方がなかったんだよ」とか、「間違いだった。悪かった。こんなことになるなんて夢にも思わなかったんだ」などと口にするかもしれない。もしくは「入れて貰っただけでも有難く思え」と言うかもしれない。そういう場合、ぼくは、『似たようなもの』を入れて貰ったことに有難く感謝するべきなのだろうか?

 いずれにしても、それがぼくの体の中に入っていることに変わりはない。

 ただ、それが紛い物だったと気付いていても、あるいは気付いていなくても、それがまだ使い物になると本当に思っていたり、あるいは思っている振りをして、素知らぬ顔を決め込んでいる人間が多いように、ぼくには思える。そして素知らぬ顔を決め込んでいる人間が、船の羅針盤になっていたり、舵を取っていたりするので、始末が悪い。

 もういい加減にしなさいよ。そういう人たちを目にする時、ぼくはひどくイライラして、バズーカ砲か何かで全てを吹き飛ばしてやりたくなる。それが出来たらどんなにスカッとすることだろう。でも、そんなことをしても代用品は幾らでもいるだろうし、何の解決にもならないこともぼくは知ってしまっている。だからそのイライラをお腹に収めて、そして大きく溜め息をつく。

 ぼくは彼らと違って、これからまだ先の長い道を自分の足で歩かなければならないのだ。自分の中の限りある力を無駄に使うわけにはいかないのだ。だから、「さて、これからどうしようか」とない頭を絞ってあれこれ考えてみるけれど、結局いまだに、どうしていいのか分からない。歩きあぐねている。それが今のぼくの現状だ。


 * * *


 一月半ばから始まった年度末試験が終わり、それに引き続いて始まった入学試験も終わって、浮き足立った学内の空気がようやく平静を取り戻した二月の終わりに、ぼくは人の疎らな午前中の学生街を、お歳暮でうちに届いた風月堂の紙袋をぶら下げながらプラプラと歩いた。空気はまだ冷たいけれど、陽射しはすっかり春めいていた。

 年末に引いたあのひどい風邪の菌は、真澄の体からは案外すんなりと出て行ったのに、ぼくの体の中がよっぽど居心地が良かったらしく、しつこく居座り続けて、なかなか出て行こうとしなかった。

『新年おめでとうセッション』が行われている二日や三日は、食事とトイレ以外はベッドの中で過ごした。何とか風呂に入れるようになった七日過ぎには、熱も下がって吐き気も治まり、鼻の通りも元に戻ったけれど、風邪の菌が体の中を勝手に移動したらしく、ひどくお腹を壊してしまって、一日の半分ぐらいの時間をトイレの中で過ごさなければならなかった。

 ぼくはだるさをこらえてレポートを書き、腹痛と戦いながら年度末の試験を受けた。まあ、踏んだり蹴ったりだったのだ。

 この時期の大学は、学生達はアルバイトに精を出したり、車の免許を取りに行ったり、田舎に帰ったりしていて、一年を通じて一番静かな時期で、キャンパスにもほとんど学生の姿は見えなかった。それでもジャズ研の部室は、去年の春と同じように相変わらず雑然としていて、槇さんと島田さんと槌川さんと、それから鏡子さんがいつもと同じようにそこに居て、ウエス・モンゴメリーのフル・ハウスやハンク・モブレーのリカード・ボサ・ノバが流れていたりして、ぼくは嬉しかった。

「昔、ちょっとだけこの部に居たことがあるんです。近くまで来て懐かしくなって、それで寄ってみました」

 見知らぬ若い女性が青ペンキの扉をノックして中に入って来たのは、ぼくが持って行った風月堂のゴーフルをみんなで食べていた時だった。大学祭の時もそうだったように、うちの部は結構人の出入りが激しかったので、ぼくはあまり気にしなかった。へえ、と思っただけでピアノの椅子に座って、近くにあったモーニングを読んでいた。


 去年の夏の終わり頃に、結構有名な漫画家が、突然フラリと部室に遊びに来たことがあった。ぼくも含めて、その場に居合わせた人間のほとんどが彼の顔を知っていた。

 彼はTVや雑誌などのメディアに頻繁に顔を出していた時期があった。ぼくも何回か見かけたことがある。その時の彼がずいぶん奇抜な格好をしていたことが印象的だったし、小学生の時に少年週刊誌で彼の漫画を幾つか読んだことがあった。その中には、「子供には読ませたくない」とうちの母やPTAや教育委員会のお偉方が槍玉にあげるような、そんなまあ下品な漫画もあった。大人が読ませたくないと頑張れば頑張るほど、子供は読みたくなるものだ。かつてはずいぶん人気のある漫画家だったけれど、最近の週刊誌上で彼の作品を見かけたことはほとんどなかった。

 彼は別にうちの大学の卒業生というわけではなくて、単に家が近所なだけだった。

「散歩をしているときに、よくトランペットやサックスの音が聞こえて来るので、前からちょっと覗いてみたいと思っていたんです」

 驚きで目を丸くしたぼくらが椅子を勧めると、彼ははにかみながらそう言って椅子に座った。コーヒーを勧めてみると、「ありがとう」と受け取って嬉しそうにそれを飲んだ。

「昔からジャズが好きなんですよ。突然来ちゃってすみませんね」

 彼は恥ずかしそうにモシャモシャの髪の毛をガリガリと掻いてコーヒーを全部飲んだ。そして最後に、「これ、もし良かったら…」と持っていた紙袋を遠慮がちに置いて帰って行った。

 紙袋の中には、彼の代表作のキャラクターの絵に「○×大学ジャズ研さんへ」という文字が入った綺麗なサイン色紙と、チョコレートの詰め合わせが入っていた。そのサイン色紙とチョコレートの詰め合わせを見た時、ぼくはひどく悲しくなった。


 ぼくは昔からかなりの人見知りで、初対面の人間と向き合って話したりすることがとにかく嫌いだし苦手だった。そういう状況に陥った時は、なるべくかかわらないようにいつも『知らぬ存ぜぬ』を決め込んだ。

 この時も島田さんと槌川さんが、その見知らぬ若い女性にパイプ椅子を勧めたりして相手を務めた。ソファーに移動した槇さんはパリパリとゴーフルを食べながら文春をめくり、ドラム・セットの前に座った鏡子さんも小さく音を立ててゴーフルを食べながら、パラパラと古いジャズ・ライフをめくっていた。

 いい意味でも悪い意味でも、ジャズをやったり聴いたりする人間は、何というか、一種独特の『いかがわしさ』みたいなものを持っている人が多い。ロックやパンクやヘビメタの人が持っている『いかがわしさ』とも、またちょっと違う。でもいずれにしても、それは手で触れるものではなくて、まあ、雰囲気とか空気とか匂いのようなものだ。

 だけどその見知らぬ若い女性には、その『いかがわしさ』のようなものが感じられなかった。「もう卒業されてるんですよね?」という島田さんの問いかけに、その女性は「そうです」と答えていた。

 でも、その人は、その場にいた槇さんや島田さんや槌川さんや、そしてぼくよりも子供っぽい感じがした。同じ女性なのに、鏡子さんとはまるで違った。

 不思議なことに、その女性のことをどんなに頑張って思い出そうとしても、顔の輪郭が丸い感じだったとか、髪型がボブではなくてオカッパみたいだったとか、確かボックス型の紺色のスカートと茶色いローファーを履いていたような気がするとか、そんなどうでもいいぼんやりとした記憶しかない。「どんな人?」と訊かれたとき、説明するのにちょっと困るような、一言で言ってしまえば、あまり印象に残るようなタイプの女性ではなかった。

 自分がこの大学に通っていた時のこととか、今の自分の仕事のこととかを、その女性は色々と話していて、当然それはその場にいたぼくの耳にも入っていたはずだけれど、彼女の話の内容がぼくの頭の中にはまったく残っていない。

 モーニングを読んでいたぼくは、ちょっとお腹が痛くなって来たのでトイレに行くために席を外した。その時、その女性は島田さんと槌川さんと和やかに話をしていた。

 用を足してから生協の自動販売機で缶コーヒーを買い、階段を下りて部室の前に立った時、東西に吹き抜けになっている長くて薄暗い廊下を、ガッチリとした固太りの男が腕組みをしてブラブラと歩いて来た。

「柿崎さん」

 ぼくは声をかけた。うつむいて歩いて来た背広姿の柿崎さんは、ヒョイと顔を上げた。

 その頬っぺたは相変わらず髭の剃り跡で青々としていたけれど、眉間には深い縦皺が何本も寄り、口はへの字にきつく結ばれていて、いつもの大らかで明るくて穏やかな柿崎さんの顔とは全く違った。

 やあ、と柿崎さんはぼくを見てから、「風邪はもういいのかい?」と顔を崩した。ぼくが「はい」と頷くと、柿崎さんは「それは良かった」と言いながら部室の青い扉に手をかけた。ちょうどその時中から扉が開いて、見知らぬ若い女性が出て来た。ぼくと柿崎さんを見た彼女は、「お邪魔しました」と笑顔を浮かべて薄暗い廊下を歩いて行った。ぼくは「どうも」と何となく頭を下げたけれど、柿崎さんはチラリと彼女を一瞥しただけで何も言わなかった。

「今のは誰だい?」

 見知らぬ若い女性と入れ違いに部室に入った柿崎さんがそう尋ねた時、パイプ椅子に座って相手をしていた島田さんも槌川さんも、ソファーに座って文春をめくっていた槇さんも、ドラム・セットの前でジャズ・ライフをめくっていた鏡子さんも、みんな油を飲んだような奇妙な表情を浮かべてこっちを見ていた。

「どうかしたんですか?」

 奇妙な空気に戸惑ったぼくがそう聞くと、島田さんも槌川さんも槇さんも鏡子さんも、さあ、というような顔をしてぼくと柿崎さんの顔を見ていた。

 レッド・ガーランドだけが、いつものように、カツン、カツンと規則正しくコードを押さえていた。

「え?」

 ぼくと柿崎さんは顔を見合わせた。

「柿崎さん、今の人、知ってます?」

 奇妙な沈黙の後、島田さんが口を開いた。

「いや、知らないよ。だから、今のは誰だい、って訊いたんだけどね…」

「それが良く分からないんですよ」

 そう言った島田さんが、ね、と槌川さんや槇さんや鏡子さんを見ると、三人ともあやふやに頷いた。

「昔、ちょっとだけここに居たことがあるって言ってたんですけどね…」

 槌川さんが説明した。

「あんなOB、俺は見たことないよ」

 柿崎さんは首をひねった。

「いや、だからOBじゃなくて、ちょっとだけ居たって、言うんですよ」

 島田さんが槌川さんを見ると、槌川さんも頷いた。「途中で辞めたってことか?」と柿崎さんは頬っぺたをポリポリと掻いて、「いつぐらいだ? それ?」と島田さんを見た。

「それが良く分からないんですよ。…それに、なんか変なんだ」

 島田さんは明らかに戸惑っていた。

「変ってどういうことだ?」

「だから最初のうちは、自分がうちの大学の卒業生だとか、自分の仕事の話とか、そんなことを話してたんですけど…」

 島田さんがそう説明する言葉を、ぼくは、そうだったな、と頷きながら聞いていた。

「でも何年に卒業したのかとか、会社の場所とか、ここに居たとき誰がいたのかとか、そういう具体的なことを聞くと、適当にはぐらかしてほとんど言わないんですよ」

 島田さんはそう言って口をつぐんだ。柿崎さんは「ふんふん」と頷きながら聞いていた。

「それで?」

 島田さんは妙な顔をして口を開いた。

「それでこの辺は全然変わらなくていい、とか、生協の中華丼は今でも美味しいか、とか、本当にここは懐かしい、とか、そんなことばっかり繰り返して言うんですよ」

 ねえ、と島田さんが槌川さんや槇さんや鏡子さんを見ると、三人とも「そうそう」という感じで頷いた。柿崎さんは「ふんふん」という感じで頷きながら、「それで?」と促した。

「それだけ」

 島田さんは言った。

「え?」

 柿崎さんが戸惑った顔で島田さんを見ると、島田さんも柿崎さんを見て困ったような顔をしていた。室内は奇妙な沈黙に包まれた。

「『それだけ』って、何ですか?」

 ぼくが思い切って訊いてみると、「だからそれだけだよ」と島田さんは言った。

「それで、『これ良かったら見てみて下さい』って言って、その封筒を置いて、それで『お邪魔しました』と言って、今出て行った」

 そう言った島田さんは、見知らぬ若い女性が座っていたパイプ椅子の上のB5ぐらいの大きさの茶封筒を指差した。

「どうも良く分からんなあ…」

 微かに眉間に皺を寄せた柿崎さんは、パイプ椅子の上の茶封筒を手に取って、「名前は?」と訊いた。

「え?」

「だから名前だよ名前」

 島田さんと槌川さんは顔を見合わせた。

「訊かなかったのか?」

 柿崎さんは槇さんと鏡子さんの方に顔を向けた。二人とも黙って顔を見合わせた。

「しっかりしてくれよ」

 溜め息をついた柿崎さんは、茶封筒の中からパンフレットのようなものを取り出すと、「なんだ、オウムじゃないか」と顔をしかめてパラパラとパンフレットをめくった。

 柿崎さんの手元を覗き込むと、結構お金がかかっていそうなパンフレットに『オウム真理教』という文字が入っていた。

「あっ、ホントだ。オウムだ」

 ぼくは思わず大きな声を上げた。

「え?」

「ウソ?」

「オウム?」

「ホントに?」

「どれどれ」

 槇さんや槌川さんや鏡子さんがそんなことを言いながら、わらわらと寄って来て次々とパンフレットを覗き込んだ。

「あー、ホントだ」

「うわー、きついなあ…」

「オウムだよ、これ」

「へえ」

「本当にいるんだねえ…」

 みんなそれぞれ顔を見合わせた。

「じゃあ、さっきの女はオウムなのか?」

 パンフレットを覗き込んでいた槇さんは、へーえという感じで腕を組んだ。

「勘弁してくれよ…」

 柿崎さんはガリガリと頭を掻いた。

「オウムってなに?」

 それまで黙っていた島田さんが憮然としてそう訊いた。

「テレビで見たことないか? ゾウだか犬だかの変なヌイグルミみたいなのをかぶって、『ショーコーショーコー』って歌ったり踊ったりして、選挙運動してただろう?」

 槇さんが笑いながら説明した。

「あの髭の奴?」

「それそれ」

「何だ、あれか。それなら俺もテレビで見たことありますよ」

 島田さんも笑った。

「セミナー参加者募集。一人につき参加費三〇万だって」

 柿崎さんの肩越しにパンフレットを覗き込んでいた鏡子さんがそう言うと、みんなは、え、三〇万? という感じで改めてパンフレットに目を落とした。

「どうも仕方がないなあ…」

 柿崎さんはいつものようにそう言うと、パンフレットと茶封筒を真ん中から一回破り、それを重ねてまた破り、大きな肉厚の手でギュッギュッギュッと三回ねじって、ゴミ箱にポンと放り込んだ。

「俺は『ラブ&ピース』は分からないでもないけど、こういうのは嫌いだよ」

 柿崎さんは大きな溜め息をついた。

「私もジョンの曲は好きだなあ…」

 鏡子さんは笑った。

「ヨーコは元気にしてるかな?」

 槇さんが言うと、「そうだなあ…」と言いながら柿崎さんはネクタイを緩めた。

「ヨーコって誰?」

「えっ?」

 そこにいた全員がギョッとして顔を見合わせた。ぼくも自分の耳を疑った。

 レッド・ガーランドのお手本のようなピアノ・ソロがふっと遠のき、カチカチと時を刻む時計の秒針の音が急に大きく耳に響いた。

「だからヨーコって誰だよ?」

 槌川さんはほんの少し険しい表情でそう繰り返した。

「ヨーコはヨーコだろ」

「…………」

「オノ・ヨーコ。ジョン・レノンの奥さんだよ」

「…………」

「知らないのか?」

「知らないよ」

 槌川さんはあっさり答えた。

「でも、名前ぐらいは聞いたことあるだろ?」

「ない」

「冗談だろ?」

「なんで?」

「なんでって…」

 言葉に詰まった槇さんは、嘘だろう? という顔で槌川さんを見ていた。柿崎さんも島田さんも唖然として槌川さんを見ていた。

「なんだよ。知らなかったってことが、そんなにいけないことなのか?」

 槌川さんの顔はいっそう険しくなった。

「いや、違うんだ。そうじゃないんだよ」

 槇さんはひどく慌てていた。

「いけないってことじゃないんだ…」

 そうだ、いけないってことじゃないんだ。

 でも槇さんは黙り込んでしまった。ぼくも何をどうすればいいのか分からず、手をこまねいて見ていただけだった。変に心臓がドキドキしていた。そして心のどこかで、柿崎さんの「どうも仕方がないなあ…」を待っていたけれど、それを聞くことは出来なかった。

 鏡子さんは愕然とした表情で槌川さんを眺めていた。何かを言おうとしてもやっぱり言葉がうまく出て来ないようだった。ぼくと目が合った鏡子さんは、その険のある目元を細くしてスッと視線を外して横を向いてしまった。


 * * *


 春は憂鬱な季節だ。

 多分、これまでのぼくが、『春』にいい思いをした経験が皆無に等しいからだと思う。

 小学生や中学生や高校生の時は、クラス替えが何よりも嫌だった。『一年』という言葉を人は簡単に口にするけれど、その言葉の短さとは裏腹に、実際の『一年』は相当長い。

『一年』は『十二ヶ月』で『三六五日』あり、時間に直すと『八千七百六十時間』、分に直すと『五十二万五千六百分』、秒に直すと『三千百五十三万六千秒』もあるのだ。

 それだけの気の遠くなるような時間を使って神経をすり減らし、やっとのことで自分のスタンスが分かり始めて来た時に、いきなり全てがおじゃんになってしまう。そしてまた一から同じことを繰り返さなければならないのだ。これは本当に憂鬱だった。

「さあ、新しいクラスになりました。気持ちを新たに、また最初から頑張りましょう」

 そんな感じで明るく元気に一方的に言われたって、ぼくはそんなに簡単に気持ちを新しくなんか出来ない。切り替えられない。いろいろと引きずっているものがあるのだ。

 だいたい『春』という季節は、ぼんやりとして生暖かくてちっとも頭が働かない。それでどんどん取り残される。どっしりとした分厚いオーバーを脱ぐことも嫌いだ。急に体が軽くなってどうにも不安で仕方がない。

 でもある時期から、ぼくは、それはそれで仕方ないと諦めるようになった。ぼくがどんなに嫌がっても春は必ずやって来るからだ。

 子供の頃、「そろそろ七夕だから」と母が買って来た大きな竹に、「秋に桜が咲くようにしてください」と書いた短冊をぶら下げた記憶がある。でも桜は秋には咲かずに、やっぱり春に咲いた。まあそうだろうな、と思った。この世に神様というものは存在しないのだ。

 ぼくの名前は春夏秋冬を一つにまとめた『四季』という名前だ。これは春夏秋冬のそれぞれの良さをきちんと感じられる日本人らしい情緒のある人間になるように、という想いを込めて両親がつけてくれたようだけれど、子供の頃のぼくはそんなことは知らなかった。

 小学校二年生の時、全ての教科書に自分の名前を『早乙女三季』と書いたことがある。それを見つけた母に理由を訊かれて、「春が嫌だから一個とって、これからは『四季』じゃなくて『三季』にするよ」と答えると、母はひどく怒ってぼくのことを「馬鹿」と何回もぶった。「ごめんなさい」と何度謝っても、なかなかぶつのを止めなかった。とうとうぼくが泣き出すと、母も一緒に泣き出してしまった。そのことを母から聞いた父にもぼくはひどく怒られた。

「人に限らず物には必ず名前があって、名前にはそれ相応の由来があり、その中には何かしらの意味が込められているんだ、それはとても大切なことで決して粗末に扱ってはいけない。絶対にやってはいけないことだ」

 さんざん怒った後で、父は最後にそう言った。そして居間のソファーに座って腕組みをしている父の前で、「自分の名前を決して粗末に扱いません。勝手に自分の名前を変えません」という文章を、父がもういいと言うまで、延々とレポート用紙に書かされた。

 でもやっぱり今でも、ぼくにとって春が憂鬱な季節であることに変わりはない。


 いつものようにこまごまとした雑用を終わらせて、途中まで降りた入口のシャッターを全部あげると、明るい春の陽射しが薄暗い店内に入って来た。

 ぼくは古本屋のカレンダーをめくって三月を出した。それから店の奥に入ってコーヒーを沸かしながらM・J・Qを流したけれど、すぐに止めてしまった。あまり音を聞きたくなかったのだ。

 レジの前に座って読みかけのプレンツドルフの『若きWのあらたな悩み』を開いたけれど、活字の上を目が滑ってしまってエドガーの足跡がちっとも頭の中に入って来なかった。ぼくは諦めてエドガーを放り出し、天井までびっしりと詰まった本の背表紙をぼんやりと眺めながらコーヒーを飲み、三日前のことをつらつらと考えた。

 結局、あのあとすぐに槌川さんは帰ってしまい、鏡子さんは困った顔で槌川さんを追いかけて行った。それから清水さんや武田さんや永倉が顔を出して、いつものようにセッションが始まり、その場は何となくうやむやのままになった。正直なところ、ぼくはうやむやのままになってホッとしていた。

 でも、その日のセッションはどうもいつものように楽しいものにはならず、変に上っ調子になったかと思うと急に空気が重くなったりした。

 簡単な曲なのに、誰かが途中で迷子になって全然違う小節のコードを見てソロを取っていたり、シンコペーションのリズムを取り損なってテンポが狂ったり、頭の一拍目が分からなくなったりした。ぼくは循環コードの曲をギターで弾いている時に、恥ずかしいことに拍子が狂ったことにも気がつかないで、ずれたままでどんどん暴走してしまった。

 ぼくから目をそらした時の鏡子さんの白い横顔が、頭の中に浮かんでは消え、消えては浮かんだ。それはなんとも哀しげで痛ましかった。道を見失って迷子になって、誰に助けを求めていいのか分からずに途方に暮れて、今にも泣き出してしまいそうな、子供のような顔だった。

 それに、あんなに慌てた槇さんを見るのも初めてだった。槇さんにはいつものどうしようもない槇さんでいて欲しかった。

 あの見知らぬ若い女性が、本当にうちの部にちょっとだけ居たことがあるのか、それとも全然関係がないのか、本当の目的はどこにあったのか、それはとうとう最後まで良く分からなかった。今も良く分からない。

 ただ、ご近所さんのレスリング部やボディ・ビル部には顔を出さなかったらしい。トイレに立った島田さんが廊下ですれ違ったスタローンに、「今日の昼頃オウムが来ませんでしたか?」と聞いてみると、「なんだそりゃ?」で終わってしまった、と言っていた。

『ゲインズブールとジェーン・バーキン』や『ボブ・マーリーとリタ』を知らないという人がいても、ぼくは全然驚かない。なぜならそれは個人的な趣味の領域で済ませられるような気がするからだ。

 でも『ジョンとヨーコ』は違う。

 ビートルズの熱狂的なファンだとか、楽器を演奏するとかしないとか、音楽を聴くとか聴かないとか、そういうことではない。もちろん知らないから駄目ということでもない。あるいは、「知っているけどそれがどうした」と言う人だっているかもしれない。でも、『それがどうした』でぼくは一向に構わない。『知っている』ということだけで充分なのだ。

 以前、コカ・コーラを飲みながら握り寿司を食べる日本人がいるというニュースをTVで見た時の違和感と、『ジョンとヨーコ』を知らないという人に遭った時の違和感は、ぼくにとっては全く同じような感覚で受け取れる。

 そこまで考えて来た時、「きみは気持ちが悪いですね」と槌川さんに言った国枝さんの言葉を思い出した。今、ぼくが感じているこの違和感は、国枝さんの『気持ちが悪い』に通じるような気がした。この感覚の根底に、ひっそりと横たわっているものは何だろう。

 仮にもし、ぼくにきちんと付き合っている女性がいて、その女性のことをぼくが本当に好きで、そして彼女が『ジョンとヨーコ』を知らなかったことを知ったら、ぼくは一体どうするだろう? 恐らくひどく戸惑うだろう。そのことを知る以前と同じように、彼女のことを好きでいられるだろうか? 気持ちのどこかで、「ぼくは『ジョンとヨーコ』を知らない女とずっと寝ていたんだ」と思い続けてしまうだろう。

 このことは、ぼくを含めたある世代にとっては根本的な問題であり、遺伝子レベルの問題だと言ったら、それは言い過ぎになるのだろうか? それともぼくが大袈裟に考え過ぎているだけで、取るに足らないほんの些細なことなのだろうか?

「いけないってことじゃないんだ」

 槇さんはそう言った。それは確かにそうなのだ。いけないってことじゃない。でもやっぱりそのあとに、「だけど…」と続けてしまう。

「だけど…、どうして知らないの?」

 ぼくはそう訊かずにはいられない。

 一体これは何なんだろう?

 ぼくはそう考えたけれど、その『何』がよく分からなかった。その『何』を考えたり、なぜその『何』が分からないのかを考えたりしているうちに、頭の中がグチャグチャになった。


 * * *


 大学が春休みの間、ぼくはほとんど変化のない生活を送っていた。

 古本屋のレジの前に座ってレニー・トリスターノやローランド・カークを聴き、水曜日の午後のセッションに出て、それ以外は本を読み、家でピアノを弾き、ギターやベースを弾いた。

 武蔵野館にもよく通った。この年の春の武蔵野館は古いフランス映画の特集をやっていて、ジャンヌ・モローやジェラール・フィリップやアラン・ドロンとずいぶん顔馴染になった。

 飲み会や合コンにはほとんど顔を出さなくなった。いつも同じ事の繰り返しで飽きてしまったからだ。大学に入ってから、ぼくは二人の女の子と付き合った。もちろん二人にはきちんと付き合っている彼がいた。


 社会学か何かの授業でよく一緒になる同級生に誘われて顔を出した合コンで、ぼくはある女子大生と知り合いになり、彼女と何度かデートをした。鏡子さんほどではなかったけれど、スラリと背が高くてなかなか綺麗な『読書が趣味』という女の子だった。

 彼女はデートの度に、自分の読んだ本の内容についてあれこれと実に良く喋った。ただ、彼女が自分の意見としてぼくに披露した内容のほとんどは、その本に関する解説本や謎本からの抜粋だった。残念ながらぼくはその本も読んでいたし解説本も謎本も読んでいた。

 楽しそうな彼女の言葉に適当に頷きながら、「黙っていればいいのにな」と思っていた。そう思い始めた途端に、彼女を前にしてもぼくは全然役に立たなくなってしまった。そうなってしまうと彼女からの連絡はプッツリと途絶えた。ぼくも連絡をしなかった。

 もう一人はうちの大学の女の子で、鏡子さんと同じ仏文の三年生だった。英語の授業で一緒の同級生のサークルの先輩だった。

 小柄で世話好きな可愛らしい感じの彼女とは、何回か一緒に映画を観に行って食事をした。初めて彼女のアパートに行った夜に、ちょっとした騒ぎになってしまった。事が終わった後に本命の彼が合鍵を使って部屋に入って来て、ぼくは正真正銘の間男になったのだ。逆上した『トレンディ』な彼が怒鳴り始め、素っ裸の彼女がベッドの上でそれに負けじと応酬し始めたとき、ぼくはほうほうの態で彼女のアパートから逃げ出した。

 次の日に電話をかけて来た彼女はぼくに何度も謝ってから、「悪いけどもう会えない」と言った。「分かった」とぼくが答えると、受話器の向こうで鼻をすする音と一緒に、「どうして何も聞かないの?」という彼女の声がした。

 彼女のその言葉の意味も、彼女が泣いている理由も、ぼくには良く分からなかった。分からなかったから黙っていた。

「あなたは冷血人間よ」

 そう言って彼女は電話を切った。


 いずれにしても全ては馬鹿げたことだった。そんなことをやっていると、自分の中にほんの少しだけある大切なものが、際限なくどんどん外に流れ出て行くような気がした。


 ぼくは第一外国語の英語と第二外国語の中国語の他に、年明けから一人でフランス語をかじり始めた。話せるようにならなくても構わない。聞けて読めて書ければそれで充分だ。

 もちろん鏡子さんが仏文の人だったから、というのが一番の理由だけれど、それ以外にも幾つか理由があった。

 フランス映画を字幕なしで観たかったということと、古本屋の倉庫の在庫整理をしていた時に、フランス語の原書の絵本や童話がギッシリ詰まったダンボール箱が出て来て、何気なく手に取った一冊の童話の内容がどうにも気になって仕方がなかったのだ。

 その童話はずいぶん読み込まれていて、手垢にまみれてボロボロで、表表紙も裏表紙も外れてしまっていた。その童話を譲って欲しいと親爺さんに頼むと、売り物にならないから四季くんにあげるよ、と親爺さんは言ってくれた。

 ぼくがその童話に惹かれたのは、その童話の中の挿絵の女性がとても綺麗だったからだ。その女性はいつも赤い服を着ていて、そしてどういうわけかいつも同じ顔をしていた。ぼくは彼女に表情がない理由を知りたかった。


 桜の花がちらほら咲き始めた三月の半ばに、清水さんと武田さんが卒業して行った。

 法学部に在籍中に司法書士の資格を取った清水さんは、地元の青森に帰ってお父さんがやっている司法書士の事務所を手伝うそうだ。

 経済学部にいた武田さんは、なんとかこっちで仕事を持ちたいとずいぶん就職活動に精を出していたけれど、そのほとんどが書類選考ではねられてしまったようだった。

「せめて試験だけでも受けさせてくれないかなあ…」

 それがぼくの聞いた武田さんの口から出た、唯一の就職活動に関する言葉だった。

 結局、武田さんは地元の広島の小さな食品会社に落ち着いた。

 卒業式の翌日、送別会を兼ねたセッションをみんなで夜通しやったあと、「それじゃあね」と言って二人は故郷に帰って行った。


 * * *


 国枝さんに久し振りに逢ったのは、それから三日後のことだった。


 その日の午後二時頃にバイト先を出たぼくは、年度末の試験のレポートを書くために借りた小林秀雄に関する数冊の本を、大学の図書館に返しに行った。ちょうどその日が返却期限の最終日だったのだ。

 そして永倉に借りていた『スタディ・イン・ブラウン』と『クリフォード・ブラウン~アンド・マックス・ローチ』の二枚のCDと、貸してくれと頼まれていた白土三平の『忍者武芸帳』の全巻を渡すために、大学の裏にある永倉のアパートに行った。


 ジャズ研ではどういうわけか白土三平の受けがとても良かった。

 ある時、槇さんと部室でダラダラと百円将棋を指していて、何となく古本屋のアルバイトの話になり、「お客が来なくて暇な時は白土三平の古い漫画を読んだりしている」とぼくが話すと、槇さんの目が輝いて、「俺も読みたい」となったのが事の始まりだった。槇さんは、狂四郎や座頭市や木枯らし紋次郎や拝一刀などの、時代物の大ファンだった。

「今度バイト先に遊びに行く。いつなら都合がいい?」

 槇さんはぼくに訊いた。

「土日は朝の十一時に店を開けますけど…」

 ぼくが半信半疑で答えると、槇さんは本当に遊びに来た。

 その週の日曜日の朝十一時過ぎにやって来た槇さんは、崎陽軒のシュウマイの箱を「差し入れだよ」と驚いているぼくに渡した。

「懐古趣味ですよ」

 ぼくがあきれ返ると、槇さんは何とでも言いなさい、とニヤニヤした。

「面白いものは面白いし、いいものはいいんだよ。流行った時代なんて全然関係ないさ」

 そして一日中店の奥で『忍者武芸帳』を読み耽っていた。

 そのことを親爺さんに話すと、「重いのが嫌じゃなければ別に持ってっても構わないよ」ということになって、ぼくは最初に『カムイ伝』を持ち込んでみた。するとあっという間にジャズ研の中に白土三平ブームが起きてしまい、「それじゃいけねえだ」とか「オラだって一生懸命やってるだ」とか「もうどうにもならねえだ」というような正助言葉まで蔓延し出した。柿崎さんも一週間ぐらい仕事が終わってから夜中に読みに通って来た。

 そんな一連の出来事をぼくは親爺さんに話して「お金取れますよ」と言うと、「ダメダメ。四季くんの所が特別なんだよ」と笑われた。


『四畳半・風呂なし・トイレ共同・天然冷暖房完備・一ヶ月の家賃が管理費込みで九千円』という築五十年の木造アパートに永倉は住んでいた。

 その部屋には、布団とガスコンロと鍋と包丁とまな板とCDデッキ以外、家具らしい家具が一切なかった。部屋の掃除はアパートに備え付けの箒と塵取りと雑巾で済ませ、部室の並びの男子シャワー室が永倉の風呂場だった。

 夏にこの部屋に遊びに来ると、少なくとも一日で体重が二キロは減る。

 もろに直撃する西日と間取りの悪さで部屋そのものがサウナと化し、とにかく汗をかく。だからビールを飲みたくなる。そうしたらアパートから二百メートルほど離れた自動販売機まで買いに行く。一度に買うビールは一人五〇〇ml.缶二本まで。部屋に冷蔵庫がないから、それ以上買うとあっという間にぬるくなってしまうのだ。ぬるいビールほどマズイものはない。部屋に戻って来たら買って来たビールを急いで飲んで、もっと飲みたかったらまた自動販売機まで買いに行く。これを何度も繰り返すのだ。汗をかくためにビールを飲むのか、ビールを飲むために汗をかくのか、どっちだろう? 少なくとも酔うために飲んでいるんじゃないな。そんなことを考えながら、ぼくは永倉と一緒に何度もアパートと自動販売機の間を往復した。

 冬にこの部屋に遊びに来ると、足腰が相当鍛え上げられる。

 通販で売っているトレーニングマシンなんかいらない。暖房器具がないので、ガスコンロの上に水を張った鍋を置き、沸騰した湯気で暖気を取るのだ。座ると寒くてどうにもならない。暖気は上に行くからだ。だからずっと立っている。お腹が減ったら、沸騰している鍋に、目が痛くなるぐらいの量の唐辛子とタバスコとカレーのルーを入れた、死ぬほど辛い豚肉と白菜の鍋を食べ、ビールを飲み、最後にそこにご飯を入れて雑炊にして食べ、またビールを飲む。そして体が冷えないうちに布団にくるまって寝てしまうのだ。

 そういう場所に、「すべてはビートルズが教えてくれた」という人が存在するように、「すべてはブラウニーが教えてくれた」という永倉が存在した。とにかくあらゆる意味で、永倉はタフだった。


「学校が始まってからでよかったのに。わざわざ悪かったなあ」

 アパートの薄暗い廊下に立った永倉は、ぼくの顔を見てそんなことをいった。

「図書館に本を返しに来たんだよ」

 ぼくが紙袋に入ったクリフォード・ブラウンと白土三平を渡すと、そうか、と頷いた永倉は、「時間があるなら上がってメシでも食ってけよ」と言った。ぼくはあまりお腹が減っていなかったけれど、「それじゃご馳走になるよ」とスニーカーを脱いで薄暗い廊下を歩いた。

 ドアを開けて中に入ると、部屋の真ん中にごま塩頭のガッチリとした体つきの中年の男があぐらをかいて包丁を握り、畳に新聞紙を広げたまな板の上でキャベツを千切りにしていた。永倉のアパートは共同玄関なので、中に人のいることが分からなかったのだ。

「親父だ」

 驚いているぼくに永倉が言った。

「どうも…」

 少し照れ臭そうな顔をした永倉の親父さんは、ぼくに丁寧に頭を下げた。

「こんにちは」

 ぼくは緊張しながら頭を下げた。

「同期の早乙女」

 親父さんにぼくを紹介した永倉は、「適当に座ってくれよ」と親父さんの手から包丁を取って、キャベツの千切りを続けた。

 ぼくがどこに座ろうかと少し迷っていると、永倉の親父さんは「どうぞ」というように自分の前に手を差し出してくれた。ぼくは座った。

「どうも、息子がいろいろとお世話になって…」

 目の前の親父さんはまた頭を下げた。

「いえ、ぼくの方こそ、どうも…」

 ぼくも頭を下げた。恥ずかしかった。

 ぼくは大学に入るまで友達の家に遊びに行ったことがなかったし、大学に入ってからもその父親や母親に逢ったことがなかった。何を喋ればいいのか分からなかったので黙っていた。永倉の親父さんも口が重い人のようで、照れくさそうな顔でもっそりと顎を撫でていた。お見合いみたいだな、とぼくは思った。

 いつもと変わりがないのは永倉だけで、キャベツの千切りが終わると、ガスコンロの火加減を見たり、鍋の蓋を開けたり、学食から持って来たらしいプラスチックの丼や割り箸を用意したりと、ガタガタやっていた。

「お前、これから何かあるのか?」

 永倉がぼくにそう訊いたので、「何もないよ」と答えると、「じゃあよかったらこれ飲めよ」と大きな徳利をぼくの前に置いた。

「徳島の地酒なんだ。結構いけるぜ」

 親父さんの方を見て笑った永倉は、学食のプラスチックのコップをぼくに渡した。

「それじゃあ…」

 ぼくがコップを持つと、親父さんが徳利を手にしてわざわざ注いでくれた。

「いただきます」

 ぼくはひどく緊張しながらその地酒を一口飲んだ。それは白く濁ってトロッとしていて、ほんのりと甘く、喉越しが実に滑らかだった。

「あ、美味い」

 ぼくは一気にコップを傾けた。

「それはよかった」

 親父さんは笑った。笑うと永倉と同じように眉毛が下がって目がなくなった。分厚い肩や頑丈そうな太い首も永倉に良く似ていた。

 ぼくが親父さんにコップを渡そうとすると、「親父は駄目なんだ」と永倉は言った。

「酒、駄目なんですか?」

 ぼくが親父さんを見ると、「まさか」と永倉は笑った。

「親父はこれから帰らなくちゃならないんだ」

 へえ、とぼくは曖昧に頷いた。

「長距離トラックの運転手をしてましてね。これからそれで徳島まで帰るんですよ」

「はあ…」

「こっちの仕事があって、それで寄ったんだ」

 永倉は割り箸と丼をぼくと親父さんに渡しながらそう言った。

 小さい時に母親を病気で亡くして以来、永倉が父親とずっと二人暮しだったことは知っていたけれど、その職業までは知らなかった。

「そうなんですか…」

 ぼくがそう言うと、「そうなんですよ」と親父さんは笑った。そしてまたコップに地酒を注いでくれた。ぼくは勧められるままにそれを飲んだ。

「出来たぞ。食おう」

 永倉は新聞紙の上に雑誌を置き、その上に鍋を乗せて蓋を取った。ワアッと湯気が立って、茶色く染まったホカホカのご飯の上に、丸々一個分のキャベツの千切りをドサッと乗せた永倉は、「これを美味く食うコツは、とにかく熱いうちに一気に食うことだ」と割り箸で鍋の中をかき混ぜた。

 ぼくと永倉と親父さんは交代しながら、割り箸で丼にキャベツの千切り入り混ぜご飯をよそった。口の中が火傷しそうに熱かったけれど、ご飯の塩気をキャベツの千切りが和らげて、それはとても美味しかった。

「美味いね。キャベツがいい」

 ぼくはご飯を飲み込んだ。

「だろ?」

 永倉は笑った。

 うんと頷いてご飯を飲み込んだ親父さんは、「味付けは何だ?」と永倉に聞いた。

「あれだよ」

 永倉はゴミ箱代わりのコンビニの袋から顔を出しているインスタントラーメンの袋を指差した。

「あれの麺を食ったあと、スープを残しておいて、それで飯を炊くんだよ」

 なるほどなあ。ぼくは感心しながらご飯を食べて地酒を飲んだ。

「メシを食いながら酒を飲むのは止めろよ」

 永倉は顔をしかめた。

「でも、ご飯の塩気と結構合うんだよ」

 ぼくがコップを渡すと、眉間に皺を寄せた永倉は地酒を一口飲んでぼくを見た。「な?」とぼくが言うと、永倉は、うんと頷いた。

 ぼくと永倉は代わる代わるコップを傾けながら混ぜご飯を食べた。親父さんは黙って混ぜご飯を食べ、そして水を飲んだ。


 これから親父を送ってから引越しのバイトに行く、という永倉のところを出た時は、太陽が一日の仕事を終えて、帰り支度を始めていた頃だった。

 大学の時計台の時刻は四時を少し回ったところで、あれ? とぼくは不思議に思った。図書館を出て時計台を見た時も、やっぱり四時を少し回ったところだったからだ。

 ぼくは普段から時計を持たない。持っていてもまず見ないからだ。外に出ていて時間を知りたかったら、少し周りをキョロキョロすれば、必ずどこかに一つぐらい時計がある。それで充分事足りる。

 変だな…。

 ぼくは立ち止まって時計台を見上げたけれど、やっぱり時刻は四時を少し回ったところだった。まあいいや。多分、ぼくがおかしいのだろう。徳利にたっぷりと入っていた地酒を、キャベツの千切り入り混ぜご飯を肴にして、ぼくは永倉と二人で結局全部飲んでしまったのだ。

 夕陽に映えた五分咲きの桜がとても綺麗で、うまい具合に全身に酔いが回ってぽかぽかと暖かく、体がふわふわと浮き上がるような感じで、実にいい気持ちだった。

 ブラブラと人気のないキャンパスの中を歩いているぼくの足は、いつの間にか部室に向かっていた。

 地下に通じる中央広場の階段を降りて東側から廊下の入口に立つと、反対の西側の吹き抜けから射し込んでいる強い西日が、カビの生えたコンクリートの壁と床に反射しているせいか、毎日のように歩いているこの場所がいつもとはまるで違う場所に見えた。

 反射する西日が眩しくて、ぼくは少しふらつきながらゆっくりと廊下を歩いた。一番西側にあるジャズ研の青ペンキの扉はどうやら開いているらしく、微かなピアノの音色が途切れ途切れに聞こえて来た。その途切れがちに聞こえてくるピアノの音は、いつもの音階練習やアドリブのソロとは少し様子が違っていた。

 ちょうど廊下の真ん中ぐらいまで歩いて来た時、ぼくはひどい眩暈に襲われて冷たいコンクリートの壁に左手を付き、そこでしばらくじっとしていた。

 ピアノは何かのメロディーとそれに合うコードを探しているようだった。一つか二つの小節のメロディーが単音で流れた後、次にそのメロディーに基本コードが付いて流れて来た。それが何回も繰り返され、繰り返されるたびに基本コードにテンションの音が付いたり消えたりした。ときどきピアノの音に混じってギターとベースの音が入った。誰かが記憶を頼りに耳で譜面を作っているらしい。どうやらそれはワルツのようだった。ぼくはそのメロディーに聴き覚えがあった。


 年度末の試験期間中、文学部の研究棟に行って、教授の研究室の前に設置されたダンボール箱の中に日本文学概論のレポートを放り込んだぼくは、途切れがちのアコーディオンの微かな音色を聞いた。音に惹かれて人気のない研究棟の廊下を歩き、階段を下りて行くと、アコーディオンの音色は徐々に大きくなった。

 太陽の光がほとんど射し込まない、薄暗い地下二階の小さな研究室のドアが半分ぐらい開いていて、そこから明るい蛍光燈の光と一緒にアコーディオンの音が流れ出ていた。ぼくはしばらく薄暗い階段の踊り場に立って、アコーディオンの音色に耳を澄ませた。

 アコーディオンの奏者はとにかく下手くそだった。しょっちゅうメロディーラインの音を間違えたり、スカスカと空気ばかりを漏らしたりしていた。うまく弾きこなせればジャン・ギャバンやエディット・ピアフが出て来てくれそうな曲だった。

 時折、若い女性と年老いた男性の笑い声が、下手くそなアコーディオンの音色に混じった。二人の笑い声はとても楽しそうだった。ぼくは足を忍ばせて廊下を歩き、ドアの陰から研究室をそっと覗いてみた。

 園田教授の授業は、ぼくも前期の一般教養の『西洋中世美術史』で取っていた。でもそれは、進級する単位の数を満たすための辻褄あわせに用意されたような授業で、出席も取らなかった。金曜日の五限という時間帯も良くなかった。ぼくが園田教授の顔を見たのは前期試験を含めて四、五回がいいところで、ぼく以外の学生もほとんどがそんな感じだった。オリエンテーションの時、この人の授業にきちんと出席し続ける学生が果たして存在するのだろうか、と心配になったほどだ。

 園田教授はとにかく見た目が絶望的に貧相だった。乾いたタクアンみたいにシワシワに萎びていて、分厚いレンズが曇った眼鏡は鼻からずり落ち、禿げ頭には鳥の雛のようなポワポワの髪の毛が所々に生えているだけだった。いつも同じような擦り切れて色の褪せた背広を着て、背中を丸めて教壇に立った。声も小さくてマイクを通しても聞き取れず、教師らしい威圧感はどこにも見当たらなかった。彼の全てがくたびれていた。「こうなったら人生おしまい」と全身で言っているような人だった。

 ぼくも含めて、学生達は心の底から園田教授を馬鹿にしていた。いや、馬鹿にすらしていなかった。彼はほとんどこの世に存在していないに等しかった。

 ドアに背中を向けて丸椅子に座った鏡子さんは、アコーディオンのボタンを両手であちこちと押さえて音を出していた。古びた研究書に埋もれた園田教授は、面白そうに鏡子さんの覚束ない手元を眺めていた。

 ぼくはそのままその場を離れた。


「どうも、こんにちは」

 部室の青ペンキの扉を開けてそう言った時、ぼくの呂律は相当怪しかったようで、その場にいた槇さんは、おやおや、という顔をした。

「四季くん、ずいぶんご機嫌じゃないの? 花見酒でもしたのかい?」

 槇さんはニヤニヤしてぼくを見ていた。

「自分は酔っていない、と思っているのが真の酔っ払いで、ああ、酔っているな、と自覚がある時はただの酔っ払いなんですよ」

 ぼくはパイプ椅子を足で近くに引き寄せて、ドサッと腰を降ろした。奇妙に体が浮ついて、立っているのがちょっと辛かったのだ。

「それで今のきみはどっちなの?」

「もちろんぼくはどっちでもありませんよ」

「なるほど…」

 槇さんは深く頷いた。

 気が付くと、ピアノの前に国枝さんが座っていて、ソファーには鏡子さんがいて、二人とも面白そうにこっちを見ていた。

「こんにちは」

 ぼくは二人に頭を下げた。

「こんにちは」

 鏡子さんが笑いながら言った。

「こんにちは。ぼくのことは覚えてますか?」

 国枝さんはニコニコしていた。

「もちろん覚えてますよ」

 ぼくは頷いた。

「あっちのピアノ、あれを壊したのは国枝さんですよね?」

 ぼくは荷物置き場になっている古いピアノを指差した。

「あ、やっぱりそうなってるのかな?」

 国枝さんはちょっと困ったような顔をして荷物置き場のピアノに目を向けた。

「そうなんですか?」

 槇さんは訊いていた。

「壊した覚えはないんですよ、ぼく…」

 国枝さんは首をかしげていた。

「でも、壊したのは国枝さんなんですよ」

 ぼくはそう言った。

「みんなにもそう言われましたよ」

 国枝さんは苦笑いしていた。

「ほら!」

 ぼくは嬉しくなった。

「いいな、神様。ブルーノートの神様。ライオンが生きてたら万歳三唱」

 ぼくが両手を挙げると、国枝さんはまた困ったような顔をしていた。

「どこで飲んで来たの?」

 鏡子さんが訊いた。

「ミニラですよ」

 ぼくは言った。

「ミニラ?」

 槇さんがぼくを見ていた。

「そうそう、親子。怪獣のゴジラとミニラ。ゴジラをギューッとちっちゃくするとミニラになります」

 ぼくは楽しくなって来た。どういうわけか、何とも言えずひどく気持ちが良かった。

「ゴジラの映画でも観て来たの?」

 鏡子さんがそう訊いていたので、「お酒をついで貰いました」と頷いてから、「キャベツの千切り混ぜご飯と徳島の地酒は合うんです」と説明した。

「ははあ…」

 槇さんはニヤニヤしながら頷いていた。

「シュールねえ…」

 鏡子さんは笑っていた。

「でもなかなか楽しそうですよ」

 国枝さんも笑っていた。

「さっきの曲はなんですか?」

 ぼくがそう訊くと、鏡子さんは「ミュゼットよ」と教えてくれた。

「ミュゼット?」

「そう、ミュゼット。一九三〇年代にパリで大流行した音楽」

「へえ…」

「どうしても楽譜が欲しくて音を探してたのよ。そうしたら槇くんが顔を出して、二人であれこれやってるうちにメロディーは何とか音符になったんだけど、なかなかコードが上手くつかなくてね…」

「そうしたら国枝さんが遊びに来て、あっという間に基本コードを見つけてくれたんだよ」

「すごいなあ…」

 ぼくは感心した。

「だろ? でもそれだけじゃつまらないから、テンションをつけたり消したりして、いろいろ試して遊んでたんだ」

 槇さんは笑っていた。

「すごいなあ…」

 ぼくは国枝さんを見た。

「そんなことないですよ。メロディーラインがしっかりしてれば、基本コードをつけるのは簡単なんですよ。コツさえ飲み込めば誰にでもすぐに出来ます」

 国枝さんは笑った。笑うとやっぱり無防備で人懐っこい顔になった。頭の調子は大丈夫なのかな? ぼくはぼんやり国枝さんの顔を眺めていた。「何かキメをつけましょうか?」と国枝さんが槇さんに聞くと、槇さんはウッド・ベースの弦をはじきながら、「いいですねえ…」と頷いていた。

「どんな感じにしましょうか…」

 ピアノの前に座って、あちこち鍵盤を押さえながら音を探し始めた国枝さんの手元を、鏡子さんと槇さんが覗き込んでいだ。

 国枝さんは相変わらず奇妙な格好で枯れ木のようにヒョロヒョロしていた。坊ちゃん刈りの頭がやっぱり不自然に大きくて重そうで、椅子に座っていても体が斜めに傾いていた。

 西側の明り取りの窓から射し込む夕陽が眩しかった。国枝さんのピアノに合わせて槇さんがウッド・ベースでルート音を出したり、鏡子さんが五線紙にコード記号を書きとめていたりするのを、ぼくはぼんやりと眺めていた。

 ぼくは一年前に始めて鏡子さんに逢った時のことを思い出した。記憶の中の鏡子さんは相変わらず綺麗だったし、今、ぼくの目の前にいる鏡子さんもやっぱり一年前と同じようにとても綺麗だった。何も変わってない。

 ぼくは、初めてこの場所に足を踏み入れた時の、あのむせ返るような濃密な春の黄昏の中にいた。


 アスファルトで固められた道を歩くのと同じように、人は、果てしなく深い海の底を歩くことが出来るだろうか?

 果てしなく深い海の底だから、歩く以前にきっと水圧でペシャンコに潰れてしまうだろう。息が続かなくなって窒息してしまうだろう。体が重たくて動くことすら出来ないだろう。イルカと友達になれたジャック・マイヨールにだって、それはやっぱり無理だろう。

 ぼくがその時引きずり込まれた世界は、そんな果てしない深い海の底のような世界だった。そこはぼんやりと明るくてほのかに暖かく、体は重くてうまく思うように動かない。でもちょっとでも気を緩めると、浮力が働いてブワーッとどこまでも浮き上がって行ってしまうので、全身に力を込めて踏ん張り続けるのだ。

 ぼくはその場所が深い海の底だと気が付きたくない。でも、自分が今いる場所が深い海の底だと頭の片隅では既に分かっているのに、それでもやっぱり気が付かないふりをして、重たい水を両手で掻き分け、ゆっくりゆっくり急いで歩いているのだ。

 ぼくは生まれて初めて本当に好きな女性の体に触った。完成した譜面を渡してくれた時、鏡子さんの指先がぼくの指先にほんのわずかに触れた。たったそれだけのことだ。それだけのことなのにぼくはひどく動揺してうろたえた。鏡子さんの指先の感触がぼくの体の隅々にまで行き渡り染み透った。

 自分の気持ちを持って行ってしまった相手の体に触れると、持って行かれた気持ちだけではなく、それ以外の、自分の持っている全てのものも根こそぎ相手に奪われてしまうということを、ぼくは初めてその時に知った。


「ミュゼットよ」

 鏡子さんがそう教えてくれたその曲は、『A・A・B・A』形式の三拍子のワルツで、正しいステップを踏める人が聴いたら、きっと踊り出したくなるような曲だった。

 初めのうちは、拍子をとらえ、リズムを守り、小節数を数えながら、譜面に記された基本コードをギターの弦に置き換えることで精一杯だった。それでもやっぱり迷子になった。居場所を見つけられずにウロウロしていると、鏡子さんがテーマメロディーを入れてくれたり、槇さんが頭の一発目にパシンとシンバルを打ってくれた。ぼくが道を見つけるまで、国枝さんがウッド・ベースでルート音だけを鳴らし続けてくれた。

 曲調がつかめてくると、だんだん楽しくなって来た。ぼくは息を殺し、耳を澄ませ、全身を緊張させて、延々と指を動かした。基本コードだけを押さえているのに飽きて来ると、鏡子さんの鍵盤の音に耳を澄ましてテンションを加え、槇さんのブラシの拍子に合わせてリズムをずらした。コード進行を覚えた頃に、ぐるぐると頭の中で何かが回り始め、体がふわふわと浮き上がりそうになった。

「ピアノはぼくより貴女の方がいいですよ」

「ぼくのピアノは汚いんです。こういうタイプの曲の時は、貴女のピアノのように綺麗な方がいいですよ」

 国枝さんの言葉通り、鏡子さんのピアノの音色はとても綺麗で絹のように滑らかだった。それは鏡子さんの指先の感触と同じだった。

 メジャーからマイナーに転調する、サビの部分に入る直前のキメが決まった瞬間に、ぼくの体はカッと熱くなった。ぼくが入れたテンションの上に国枝さんのブルーノートが乗る度に、ぼくの胸の奥底はざわついて全身が波立った。絹のように滑らかな鏡子さんのピアノの音色に自分の音が重なると、身体中の血管がドクドクと大きな音を立てて脈を打った。

 駄目だ、とぼくは思った。

 ギターを弾く指先だけは奇妙に自由に動くのに、体がもたついて重たくて仕方がない。ひどく息苦しくてどうにもならない。頭の中で鳴り始めた大砲と心臓の鼓動が重なった。全身が痺れて鳥肌が立ち、何かわけの分からない大きな塊のようなものがお腹の下のあたりから喉元まで込み上げて来て、「わーっ」と叫び出しそうになった。ぼくは全身に力を込めて踏ん張り続け、駆け出しそうになる足を何とか止めようとした。素知らぬふりで、深い海の底をゆっくりゆっくり歩き続けようとした。

 ぼくはもうやめたかった。止まりたかった。

「もう止めてくれ」

 そう叫び出しそうになった時、ぼくの両足は深い海の底からフワッと離れた。あっ、と思った瞬間に全身から力が抜けて行き、体が鉛のように重たくなった。ぼくはバラバラに拡散し、海の中をフワフワと浮遊しながら、どこまでもゆっくりと浮き上がって行った。


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