一九八九年 夏
『黄昏の道を歩いているすべての人たちへ』
◆コカコーラ・ベイビーズ
①コカ・コーラを日常生活の中で当たり前のように飲むようになった世代。
②空虚さと違和感を抱えた分裂・拡散・浮遊の世代。
(V・V・アプサンス著/園田博一訳『統一的明日はあるか?』一九七二年より一部抜粋)
今はどうなのか分からないけれど、当時の日本の社会の中で一番暇な存在は大学生だ、と言われていたようだ。でもこの年の夏は、ぼく自身はそれなりに忙しかった。忙しい中には愉快なこともあったし、もちろん不愉快なこともあった。
夏休みに入ってから、月・火・木・金・土・日の週六日、昼の十一時から夜の七時まで時給七〇〇円で、ぼくは自由ヶ丘の小さな古本屋でアルバイトを始めた。
佐々木さんという六十代の夫婦が二人で経営しているこの古本屋は、ぼくが小さな頃からよく足を運んでいる店で、最初に父に連れられて足を踏み入れたのは幼稚園の頃だった。父の話によると古本屋になる前は貸し本屋だったらしい。
店は古くて薄暗くて古本屋特有の黴臭さに覆われていたけれど、そこに存在する独特の無愛想さが満ちている空間は居心地が良かった。そして親爺さんは無類のジャズファンで、中学生だったぼくが始めてリー・モーガンのイエスタデイに耳を澄ましたのも、この店で小さく流れていたBGMだった。
アルバイトを始めるまで、ぼくはこの親爺さんや奥さんと、本を買ってお金を払うことと、「今のイエスタデイを演奏していたのは誰ですか?」と尋ねた時以外に会話を交わしたことがなかった。でもぼくが店に顔を出して一時間ぐらいブラブラと本棚を物色したり、脚立の上に座り込んで開高健の『オーパ』を手に取って眺めたり、古い映画雑誌を立ち読みしながら、ヘレン・メリルのハスキーボイスやクリフォード・ブラウンのトランペットに耳を澄ませていたことに、二人とも気がついていたようだった。
七月もあと少しで終わりという昼下がりに、武蔵野館にかかっていた『地下鉄のザジ』を観て、モンブランの喫茶室で紅茶を飲んでシュークリームを食べた。
父の持っている映画のビデオで初めてこれを見て以来、ぼくはこの映画が大好きになった。今でも好きだ。変わらない。
ヘルメットみたいなオカッパのへアースタイルをしたすきっ歯のザジは、おませで小生意気で頭の回転が速くて、馬鹿な大人たちを翻弄しまくっていた。彼女はただ地下鉄に乗りたいだけだった。それは彼女が置かれている状況から考えてみれば、ささやかな望みに過ぎない。にもかかわらず彼女は最後まで地下鉄に乗れないのだ。ぼくはこの映画を見るたびにザジが可哀想になった。そしてスクリーンの中のザジと子供の頃の真澄の姿がいつもダブった。
ぼんやりしていたぼくと違って、真澄は自分の置かれた状況を的確に把握しているにもかかわらず、いつもチョロチョロと動き回っていた。父や母がちょっとでも目を離すと、すぐにどこかにいなくなった。
家族でデパートに行くと、真澄はよく一人で姿を消してしまった。青くなった父と母が探し回ると、おもちゃ売り場で遊んでいたり、食品売り場のご試食コーナーでローストビーフを食べていたり、休憩所の椅子に座って噴水を眺めていたりした。おもちゃ売り場で遊んでいた時とロースとビーフを食べていた時は巡回中のガードマンに迷子として保護され、噴水前にいた時は父が自力で真澄を見つけた。
動物園に行った時も、ふと気が付くと真澄の姿が見えなくなっていた。その時もやっぱり一人で猿山を見ていたり、ゾウに餌をあげてみたり、ゴリラの檻の前でぼんやり立っていたりした。真澄を保護した巡回中のガードマンに父は平謝りに謝り、その父の傍らで母は泣いていた。決して真澄から目を離すなと父に言われたぼくは、少しも悪びれずにケロリとした顔の真澄が、ゾウに餌をあげた時の話をするのを黙って聞いていた。
そういう時、父と母はいつも顔面蒼白で走り回っていなくなった真澄を捜し、ぼくは父と母の後ろをくっついて回った。そして父が怒って母が泣いている間、真澄はいつもぼくの後ろに隠れて嵐が過ぎ去るのをじっと待った。
でも動物園の一件があってからは、そういうことがなくなった。
業を煮やした父がとうとう実力行使に出たのだ。父は人が多いところに出かける時、ぼくと真澄のズボンのベルトの部分を絶対にほどけないように太いゴム紐でガッチリと結び付けて、物理的に真澄の気ままさを抑え込んでしまった。街行く人達は、ゴム紐でつながれたぼくと真澄を面白そうに見ていた。「みっともないから止めて下さい」と母が何度頼んでも父は頑として耳を貸さなかった。可哀想だな。ぼくとゴム紐でつながれた真澄を見ると、真澄はぼくを見て「へへ……」と照れ臭そうに笑った。
自由ヶ丘にあるモンブランは、東郷青児の絵の包装紙でも有名な老舗の洋菓子店で、昔からぼくの家では、来客の時や人を訪問する時には相手の好みに合わせて、このモンブランと風月堂とオーボン・ヴュータンの洋菓子のどれかを使った。これは父の趣味だった。どの店の洋菓子もそれぞれ美味しかったけれど、ぼくはこのモンブランの喫茶室が一番好きだった。テイクアウト用のケーキショップの奥にあるちょっとレトロな感じの喫茶室は、小さい時のぼくの憧れの場所だった。
父は休みになると、ぼくを連れて良く本屋巡りをした。それはぼくが小学校を卒業する時まで続いた。その時の父は真澄を連れて行かなかったし、真澄も行こうとはしなかった。
大人のペースであっちこっちの本屋を連れ回されることが、真澄にとっては苦痛以外の何ものでもなかったらしい。初めのうちは、父は真澄も一緒に連れて家を出た。でも真澄は疲れて来ると家に帰りたいと言ってごね始め、それが聞き入れられないことが分かると、デパートや動物園の時のようにすぐにどこかにいなくなった。そのたびに、父はぼくを連れて真澄を探し回らなければならなかった。
もちろん小さかったぼくにとっても、父のペースで本屋を回ることは相当疲れることだった。それでもぼくは父の誘いを断らなかった。理由は三つある。
父と一緒に本屋に行くと、必ず欲しい本を一冊だけ買ってもらえた。
例えばそれが、『ウルトラマン怪獣大百科』でも『シートン動物記』でも『少年マガジン』でも、本の内容と値段に関係なく、「これがいい」とぼくが本を選ぶと、父はそのぼくの本と自分が欲しい本を一緒にしてレジに持って行き、黙って代金を支払った。ぼくはその父の姿を見るたびに、早く大きくなって父のように自分でレジに本を持って行って代金を払ってみたいな、といつも思った。
本屋の中ではぼくと父は別行動だった。
ぼくは自分の欲しい本が見つかると、その本を持って本屋の中を歩き回って父の姿を探した。どんなに広い本屋でも、ぼくはすぐに父の姿を見つけることが出来た。歩き回っているうちに、別に面白そうな本を見つけると、どっちにしようか迷ったりして、最終的な一冊を決めるまでに結構時間がかかった。でも父は一度も「早くしろ」とぼくに言ったことはなかった。
そのうちぼくは値段の安い漫画や雑誌は自分のお小遣いで買い、値段の張る単行本は父と一緒に本屋巡りをした時に買ってもらうようになった。
本屋から本屋へと移動するために歩いている間、ぼくは父としりとりをした。
いつからしりとりをしながら歩くようになったのか、ぼくは覚えていない。
最初のうちは、『しりとり』の『り』から始まって、『りんご、ごりら、らっぱ、ぱんだ……』とお馴染みのやりとりだったけれど、それがだんだん回を重ねるごとに発展して行った。『東京、浦和、稚内、伊豆……』のように日本の地名限定になったり、『アメリカ、カナダ、ダマスカス、スイス……』のように世界の国名限定になったり、『聖徳太子、柴田勝家、江戸川乱歩、ポール・マッカートニー……』のように人名限定のしりとりになった。
父の口からはぼくの知らない言葉が次から次へと即座に出て来た。本当にそんな地名や国名や人名があるのかな、とあとで百科事典や人名辞典や地図帳を広げてみると、それは必ず実在していた。
言葉に詰まったぼくが、苦し紛れに自分で考えたデタラメな地名や国名や人名を口にすると、「そんな場所はない」「そんな国はない」「そんな人間はいない」と父は言った。手をつないでいる父を見上げると、父はおかしそうに笑っていた。どうしてデタラメがばれてしまうのか、ぼくはいつも不思議だった。
ぼくはとうとう最後まで一度も父に勝てなかった。でもそれは本当に楽しかった。
帰りに必ずといっていいぐらいこのモンブランの喫茶室に寄った。
そして父と向かい合って温かい紅茶を飲み、シュークリームを食べ、その日に買った本をパラパラとめくった。
それは一種の儀式のようなものだった。本格的に読み始めるのではなく、カバーを外して装丁を眺めたり、帯のコピーを読んだり、後ろに載っている新刊本の紹介文などに軽く目を通したりして、その日に買った自分の本が期待通りの本かどうかを何となく確かめるのだ。そして最後に本屋のカバーを自分の手でしっかりと付け直す。ぼくはその作業が楽しかった。
その時のぼくと父との間には、ほとんど会話がなかったけれど、ぼくはその時間が好きだった。
シュークリームを食べながら、ぼくはザジと真澄のことを考えた。
ザジには『地下鉄』という望みがあったけれど、小さな真澄にはそれがないようだった。それがないのにいつもふらふらと一人で歩き回っていた。望みが叶わなくて悲しい思いをするのと、最初から望みがない代わりに悲しい思いもしなくて済むのとでは、一体どっちが幸せなんだろう? ぼく自身はどうなのだろうか?
そんなことをぼんやりと考えた。
神戸屋でフランスパンを買い、古屋店を覗いてフーコーの『薔薇の名前』を見つけたぼくは、持ち合わせがなかったので、親爺さんに「前金を幾らか置くので明日まで取っておいてくれませんか」と頼んだ。
「前金なんかいいよ」
親爺さんはぼくがレジに持って行った『薔薇の名前』に“売約済み”の札をつけた。
「大学生になったんだって?」
「え? はい、そうですけど……」
何でそんなことを知っているんだろう、とぼくは不思議に思いながら頷いた。
「忙しいの?」
親爺さんはぼくにそんなことを訊いた。
「いえ、別に忙しくないですけど……」
ぼくは暇だった。親爺さんはぼくが持っていた『地下鉄のザジ』のパンフレットと神戸屋のフランスパンをちらりと見た。
「もし時間があるんだったら、夏の間、ここでバイトをしないかい?」
「え? バイト?」
ぼくが訊き返すと、頷いた親爺さんはちょっとためらってから口を開いた。
「うちの奥さんが体調を崩して入院しちゃってね。店の方に人手が欲しいんだ。きみのことは小さい時から良く知ってるし……」
親爺さんは笑った。ぼくは曖昧に頷いた。
「何人かバイトを雇ってみたんだけど、とにかく安い時給しか出せないから長続きしなくてね。条件のいいバイト先を見つけて辞めてっちゃうんだよ。まあ、仕方ないんだけどね……」
「はあ……」
何となく頷いたぼくに、親爺さんは、レジの本棚の最上段に並んでいる“売約済み”と札がついた『夏目漱石全集』を指差した。
「あの漱石は、きみのお父さんのだよ」
親爺さんは笑っていた。
「えっ?」
「アメリカに行く前に置いてったんだ」
「ははあ……」
思いがけない場所で父に逢って何とも奇妙な気持ちになったぼくは、改めてその『夏目漱石全集』を見上げた。
あれが父の本ならば、ぼくはあれで漱石を読んでいるはずだった。そう言われてじっくり眺めてみると、確かにあの背表紙の漱石を二階の廊下のトイレの前の本箱で出し入れしたような覚えがあった。
親爺さんの話によると、父は中学生の頃からこの店に出入りしていて、今でも会社帰りにたまに顔を出していたらしい。
「久し振りに漱石を読みたいんだけど、時間がなくてなかなか神田まで行けない」
「漱石ならうちにあるよ」
父と親爺さんとの間でそんなやりとりがあって、漱石はぼくの家からここに引越しをしたようだ。
「だからあれは売り物じゃなくて、ぼくの個人的な借り物なんだ」
「へえ……」
「まあ、仕事といっても、ここに座って、店番をしてくれればいいんだけどね。どうだろう?」
そう言って親爺さんは立ち上がって、自分の座っていたレジの椅子を指差した。
生活費は父が毎月五万ずつしっかりと銀行に振り込んでくれていて、一人で生活して行くにはそれで十分だった。家賃は払う必要がなかったし、食事は学食で済ませた。休みの間はインスタントラーメンに野菜やハムを入れて適当に食べた。洋服も滅多に買わなかったし、街に遊びに出ることもほとんどなかった。光熱費もそれほどかからなかった。かかるのは本とCD代ぐらいだった。古い映画が観たくなったら、大学の図書館の視聴覚室に行けば良かった。うちの大学の図書館は結構品揃えが豊富で、洋画も邦画も古いものから割と新しいものまでずいぶん揃っていた。好きな時に好きな映画を観ることが出来るのは、本当に贅沢で嬉しいことだった。
残った生活費には全く手をつける必要がなかったから、ぼくは大学に入ってからもお金には不自由しないどころか、日を追うごとにまた『小金持ち』になって行った。
それに、夏休みは水曜日にジャズ研のセッションに出ること以外は特に予定がなかった。ジャズも聴けるし本も読めるし、父の本が見下ろしている場所でアルバイトをするというのも、なかなか出来ない経験だろうと考えたぼくは、その場で親爺さんに「よろしくお願いします」と頭を下げた。
実は、親爺さんのその申し出は、ぼくにとっては渡りに船だった。というのも、その時のぼくには、あまり家にいたくない理由があったからだ。
キャノンボール・アダレイの司会の声を聴き、ホレス・シルヴァーのピアノやボビー・ハッチャーソンのヴァイブの小さな音の波の中で、ぼくは店の掃除をし、本棚の本を整理した。
自分がお客として入って来ていた店のレジの前に座って、値段表を見て持ち込まれる本を買い取ったり、荷物の受け取りをしたり、買われて行く本にカバーをつけたり、お釣りを渡したりした。あの女の人はさっき手に取った料理本を買いそうだな、そこの中学生はそのまま出て行くだろうな、あのサラリーマンは時間潰しにクーラーに当たっているだけだな、とポツポツと入って来る人間の様子を眺めた。それが途絶えると本を読んだ。
そして店の倉庫はぼくにとってはまさに宝の山だった。貸し本屋時代のブーブー紙にくるまれた白土三平の古い忍者漫画なんかがたくさん放置されていて、ぼくは活字本に疲れると、その古い漫画を整理するついでに片っ端から読み耽った。
正助が一揆を起こすたびに、今度もうまく行かないことが分かっていながら、「どうか成功しますように」と祈り、カムイが『変移抜刀霞斬り』で危機を逃れるとホッとし、大猿のちぎれた手首を見てサスケと一緒に涙した。
奥さんの病院通いで忙しい親爺さんは、ぼくが一人で店を切り盛りできることが分かると、一日一回どこかで店に顔を出すだけになった。店番の合間に貸し本屋時代の漫画を整理していることが分かると、「そんなことまでさせちゃって悪いなあ……」と返ってぼくが恐縮するようなことを言い、時給を十円ほど値上げしてくれた。
* * *
七月の第二金曜日の午後一時が提出期限の日本文学概論のレポートを残して、文学部の専門課程と一般教養の前期試験が全部終わったのは、七月の初めで、ずいぶん日が長くなって来たと感じる季節に入った頃だった。
他の学部ではまだ試験がかなり残っているところもあるらしく、工学部の永倉や経済学部の加嶋は試験を受けたりレポートを書いたりと、忙しそうにしていた。
試験期間中は水曜日の午後のジャズ研のセッションもとりあえず休みになっていて、試験の終わったぼくが部室でウロウロしていると、レポートをワープロで清書しろ、学食でメシを買って来い、味噌汁が飲みたい、汚物と化したTシャツを洗濯しろ、ついでに靴下と下着も洗濯しろ、代わりにバイトに行け、代わりに便所に行け、掃除をしろ、肩を揉め、などと次々とろくでもないことばかりを言われるので、ぼくは大学には行かずに、家で本を読んでCDを聴き、ピアノやギターやベースを弾いた。気が向くと掃除をしたり溜まっていた洗濯をしたりと、一人でのんびりとした時間を過ごしていた。
でもある日を境に、ぼくの家の電話はひっきりなしに鳴り出すようになり、一人でのんびりと出来る時間は、あっという間に消え去ってしまった。
それはまだ古本屋のバイトを始める前で、ぼくが日本文学概論のレポートを出しに大学の門をくぐり、久し振りにジャズ研の部室に顔を出したことから始まった。
ぼくが青ペンキ扉を開くと、部室には槇さんと槌川さんと島田さんと、それから鏡子さんがいて、そしてその四人以外に、見知らぬ厚化粧の女とさらさらヘアーの若い男がいた。
さらさらヘアーはソファーに座っている槇さんを写真に撮っていた。その傍らで厚化粧があれこれとさらさらヘアーに指示を出したり、槇さんに「ちょっと斜めを向いて」などと言っていた。槌川さんと島田さんは、槇さんが要求されたポーズを取るたびにおかしそうに笑っていた。
鏡子さんはその輪から外れていて、椅子に座って閉めたピアノの蓋に頬杖をつき、横を向いて煙草を吸っていた。いつも口紅以外はほとんど化粧をしない鏡子さんのその白い横顔は、いつもより青みがかって見えた。
ぼくが扉に手をかけて立ったまま鏡子さんを見ていると、写真を撮り終えたらしい槇さんが、「あ、四の字」とニコニコしながら近づいて来たので、ぼくはとにかく警戒した。というのも、槇さんがぼくを「四の字」という呼び方で呼ぶ時は、何かくだらないことを言ったりやったり、面倒臭いことを押し付けようとしている時がほとんどで、この時もやっぱりそうだった。「まあいいから、ちょっとこっちにおいで」
槇さんはぼくの腕をつかんで、部室の外の廊下に連れ出した。
「あれ、何やってるんですか?」
廊下の外でぼくが部室を指差すと、槇さんはこんなことを言った。
「そんなことよりさ、四季くん、きみ、今日、この後の予定は何かある?」
「え?」
「どうなの?」
「レポートの清書とか洗濯はしませんよ」
ぼくが注意深く答えると、槇さんは綺麗な顔でニコニコしながらこっちを見た。
気をつけよう。槇さんは意味もなく綺麗な笑顔を振り撒くような人間ではないのだ。
「嫌だねえ。俺の可愛い四季くんに、そんなことをさせるわけないじゃないか」
ますます怪しい。絶対ろくでもないことを押し付けようとしているんだ。
ぼくはさりげなく深呼吸した。槇さんはそんなぼくの様子を面白そうに眺めながら笑っていた。
「今日の夕方六時に横浜の東横線の改札口を出たところに行って、そこに来た人に渡して来て欲しいものがあるんだよ」
「は?」
「渡してくれたら、あとは、はい、さようなら、でいいんだ」
「何ですか、それ?」
「後で酒でもメシでも何でも、四季くんの好きなものをご馳走してあげよう。何がいい?」
「ご馳走は別にいいです」
ぼくは首を横に振った。
「俺、明日の一限までにどうしても出さなきゃならないレポートがあるんだよ。ま、簡単に言うと、時間がないんだな」
槇さんは腕時計を覗き込んだ。
「別の日にすればいいじゃないですか」
ぼくがそう言うと、槇さんは、どうしても連絡がつかないんだよ、と困った顔をした。
「その人って、もちろん女の人ですよね?」
「まあ、そうだって言えばそうだし、そうじゃないって言えばそうじゃないし……」
槇さんはコンクリートの壁にもたれて長い腕を組んだ。
「絶対嫌ですよ、ぼくは」
「まあ、そんな冷たいことを言うなよ」
「言いますよ」
「まあまあ、そう言わずに……」
「永倉も試験終わってるはずですよ」
「英輔はバイト」
「加嶋も昨日で試験終わってるはずですよ」
槇さんは黙ってぼくを見ていた。
高校時代は吹奏楽部でサックスを吹いていた加嶋は、はっきり言ってデブだった。色白でモチ肌の彼は、語学のクラスで『スモウ』とアダ名をつけられたと言って深く傷ついていた。センスのかけらもないアダ名だ。
槇さんは、『歩くセクハラ』などというどうしようもないアダ名を持っていて、普段はくだらないろくでもないことばかりを口にしていたけれど、人に対する批判めいたことは口にしなかったし、自分の本当の感情も滅多に顔に出さなかったけれど、気をつけてその言動を見ていると、それはあくまでも表面上のことで、実は人に対する好悪の感情がかなり激しかった。同性に関して言えば、槇さんはチビとハゲには温かかったけれど、デブには相当冷たかった。
ゴールデンウィークが明けた頃、ぼくは槇さんと清水さんと永倉と一緒に、大学近くの『寄り道』で朝まで酒を飲んだことがあった。
『寄り道』はヨボヨボの爺さんが一人でやっている小さなおでん屋で、終電の時間になったら店を開け、始発の時間になったら店を閉めるという街の暗黒面を凝縮したような何とも不健康な店だった。そしてこの『寄り道』には誰も答えを知らない三つの謎があった。
一つは爺さんの名前だ。
爺さんは単なる爺さんで、誰も爺さんの名前を知らなかった。
次に爺さんの年齢だった。
誰も本当の年齢を知らなかった。間違いなく八十歳を越えているようにぼくの目には映ったけれど、永倉は六十代に見えるというし、清水さんは百歳を越えているんだよ、と笑っていた。
そして最後はこの店のダシだ。
しっかりと味がついているのに、いつも湧き水のようにダシが透き通っていた。その理由が、ダシの中に爺さんの謎のエキスが入っているからだ、という何だか胸の悪くなるような噂があった。
「エキスの正体は爺さんの鼻水なんだ」
槇さんが嬉しそうにそう言うと、隣でつみれを食べていた清水さんも笑いながら頷いた。
「冬場になると味が濃くなるんだよ」
たっぷりとダシが染み込んだガンモを食べていたぼくは、その時ずいぶん酔っていて、それを聞いて泣きそうになった。ぼくの隣で大根を食べていた永倉は、黙って箸を置いてしまった。
その時、少し離れた席でかなり太った男子学生が酔い潰れて椅子から転げ落ちたのを見た槇さんは、不機嫌そうに舌打ちをした。正直、その時の槇さんはかなり恐かった。
「デブのくせに酔っ払いやがって」
槇さんは吐き捨てるように呟いた。
「槇はね、心の底からデブが嫌いなんだよ」
隣にいた清水さんは笑っていた。
「何でですか?」
ぼくは永倉と顔を見合わせた。
「きみ達ね、チビとハゲっていうのは本人がどうにかしようと思っても駄目なんだよ。あれは純粋に遺伝だからな」
槇さんはぼくと永倉に視線を向けた。
「へえ……」
「でも、デブは違うんだよ」
「そうなんですか?」
「そうだ。そりゃあ、中には病気とかで太っている奴ってのもいるだろうよ。それは仕方がない。だけど残りの多くのデブはそうじゃないんだ」
清水さんが面白そうに笑っている横で、ぼくと永倉は黙って槇さんの言葉に耳を澄ました。
「自分が食いたいだけ、ガバガバガバガバ、際限なく食っちまうんだよ。だらしがないんだ。我慢が出来ないんだ。で、いけしゃあしゃあと別に誰にも迷惑をかけてない、とかふざけたことを抜かすんだ」
「別に迷惑はかけてないと思いますけど……」
「かけてるんだよ」
「どこがですか?」
「見てて不快だろう? 真夏に必死で焼肉を食ってる汗まみれのデブを見たいか?」
ぼくは少し考えてから見たくないと言った。永倉も隣で頷いていた。
「そうだろう? 電車の三人掛けの席だって二人掛けになっちまうんだぜ? 本人が分かってないだけで、迷惑をかけてるんだよ。実際は」
「ははあ……」
ぼくは曖昧に頷きながら、槇さんには何か肥満に対するトラウマでもあるのだろうか、とぼんやり考えた。そう訊いてみると、「そんな上等なもんじゃない、ただとにかく嫌いなんだ」と槇さんは答えた。
「だけど、相撲取りも太っているじゃないか」
清水さんは大の相撲ファンだった。確かにそうだな、とぼくは頷いた。
「相撲取りはデブとは言わない」
槇さんはキッパリと言った。
「どうしてですか?」
ぼくは訊いてみた。
「きみも分からない奴だなあ……」
槇さんは溜息をついた。
「例えば、昨日、きみが関取を見たとして、それを俺に話すとしたら、まず何て言う?」
ぼくは少し考えてみた。
「多分、『昨日、関取を見ましたよ』とか、『相撲取りを見ましたよ』って言うと思いますよ」
「そうだろう? 関取を見て、『昨日、デブを見たよ』とは言わないだろう?」
「ああ、まあ、そうですね……」
「相撲取りは相撲を取るために太るんだよ。目的があるだろう? そういうのはいいんだ。でも、そこに転がっているデブは、どう見たって相撲部じゃないね。ただのデブだ。ただのデブがデブでいる理由はなんだ?」
「そんなの分かりませんよ」
「どうして?」
「ぼくはデブじゃないですから」
「食うこと自体が目的なんだ。セルフコントロールが出来ない奴は最低だよ。こっちが恥ずかしくなる。俺は節度のない奴は大嫌いだ」
ぼくと永倉は、そんなものかなあ、と思いながら槇さんの話を聞いていた。清水さんは面白そうに笑っていた。
「都合のいい理屈をくっつけて、物分りのいい顔をして何でもかんでも受け容れるから、こういうわけの分からない奴らが出てくるんだ。何もそれはデブに限ったことじゃないんだ」
槇さんはそんなことを言った後に、「とにかくきみ達はデブにならないでくれよ」とぼくと永倉を見て照れ臭そうに笑った。
「そういうのが好きな女の子だっていますよ」
「それはそうだけどね、でも、その子はそういうのが好きじゃないんだよ、多分」
「知りませんよ、ぼくは」
「とにかくね、四の字みたいな一見優男で、本当は人に冷たいタイプの方がいいんだよ」
「なんですかそれは? ぼくは別に人に対して冷たくなんかないですよ」
ぼくがそう反論すると、槇さんは「あ、そうかそうか。そうだよね。冷たくないよね」とニヤリとしたので、あっ、しまった、と思ったけれどもう後の祭りだった。
「それじゃあ、行って来てね」
「…………」
「今、それ渡すからさ」
槇さんはさっさと部室に入って行ってしまったので、仕方なくぼくも中に入った。
部室に入ると、今度は島田さんがドラムセットの前に座って、厚化粧にあれこれと指示されているさらさらヘアーに写真を撮られていた。
ぼくは撮影の邪魔にならないように、ロッカーの脇に立った。
「あら、この子もなかなかいいじゃない。ねえ、貴方の写真も撮らせてくれない?」
厚化粧がぼくを見てそう言うと、さらさらヘアーはぼくにカメラを向けて、いきなりシャッターを切り始めた。
ぼくは何が何だか分からなくて突っ立っていた。
「ねえ、ちょっと彼氏にそこのトランペット持たせてよ」
厚化粧が言うと、さらさらヘアーはシャッターを切る手を止めて、ぼくに無理矢理に永倉のトランペットを持たせると、また何回かシャッターを切った。
ぼくは昔からあまり写真を撮られることが好きではなかったし、こんな風にいきなりレンズを向けられてシャッターを切られることは、不愉快だった。嫌だった。だから本当は「やめてくれ」と言いたかった。でも、和気藹々としている雰囲気を壊すこともぼくには出来なかった。だから、ただ憮然として立っていた。
やがて厚化粧は気が済んだらしく満足げに頷いて、ぼくに「どうもありがと」と言った。
そしてピアノの椅子に座っていた鏡子さんに笑顔を向けた。
「ねえ、みんなだって協力してくれたんだから、鏡子ちゃんも一枚ぐらい撮らせてよ。そんなに嫌がることないんじゃない? なんなら彼氏と一緒でもいいわよ」
青白い顔で煙草を吸っていた鏡子さんは、ソッポを向いて返事もしなかった。部屋の空気がスッと冷たくなって、槇さんと島田さんはちょっと顔を見合わせた。
すると今度は厚化粧はパイプ椅子に座っていた槌川さんに向かってこう言った。
「あら、ごめんなさいね、私、彼女のご機嫌を悪くしちゃったみたい」
「どうも我儘ですみませんね」
槌川さんは苦笑いしながら、厚化粧に頭を下げた。
「そんな、いいのよ。私が無理強いしちゃったんだから。気にしないで」
厚化粧がそう微笑んでみんなを見回すと、黙り込んだ鏡子さんは短くなった煙草を右手の指に挟んだまま立ち上がって、スーッと部室を出て行ってしまった。
ぼくが槇さんと島田さんを見ると、二人はまだ顔を見合わせていて、厚化粧もさらさらヘアーも唖然として鏡子さんが出て行った扉を眺めていた。
「本当にすみませんね。後でよく言っておきますから」
槌川さんがそんなふうに取り成すと、場の空気はホッと緩んだ。
「あら、気にしなくていいのよ。でも、槌川くんて優しいのね」
「いや、そんなことはないですよ」
「じゃあ、雑誌、楽しみにしててね。本当に協力してくれてありがと。助かっちゃったわ」
そんなことを言った厚化粧はさらさらヘアーを引き連れて帰って行った。
「何だったんですか、あれ? ぼくも写真撮られちゃったんですけど……」
ぼくがそう訊くと、島田さんが「あの女の人ね、うちのOBなんだって」と言った。
ここ十年ぐらいの間、女の人はジャズ研にいなかったらしい。
「あの掃き溜めに鶴が来たらしいぞ」
一昨年、鏡子さんがジャズ研に入って来た時に、うちのOBや交流のある他の大学のジャズ研の人達やご近所の体育会の部員達が、何かと理由をつけて、部室にいる鏡子さんを見物しに来てちょっとした騒ぎになった、とぼくは誰かから聞いたことがあった。
「でも女の人のOBって、ぼくは聞いたことないですよ」
ぼくは首をかしげた。
「いや、俺も実はそうなんだよ。槌川さん、今までにあの人に会ったことあります?」
島田さんが槌川さんに訊いた。
「いや、会ったことはないよ。ずいぶん前の代の人みたいだから。でも柿崎さんから名前は聞いた覚えがある」
槌川さんは、お前は? という顔で槇さんに目を向けた。
「俺も昔の名簿に名前が載ってるのを見たことがあるだけだよ」
槇さんは青ペンキの扉を眺めていた。
「それで、結局、何をしに来たんですか?」
ぼくは改めて訊いてみた。
「あの人、フリーライターなんだって。契約している雑誌に載せる学生の写真が欲しいから、撮らせてくれって言って来たんだよ」
島田さんが教えてくれた。
「何ていう雑誌ですか?」
ぼくがそう訊くと、島田さんがある女性誌の名前を口にして、「俺はそんな雑誌があることすら知らなかったけどね」と笑った。
でもぼくはその女性誌を知っていた。そしてその名前を聞いたとき、あまりいい気持ちはしなかった。
その雑誌は『トレンディでオシャレ』が好きな人達を対象にしていて、一応、「女性のための総合情報誌」という感じのことを銘打っていたけれど、実際の中味は、占いとファッションとお遊びスポット紹介とあからさまなセックスの記事で埋められているだけの、ぼくとってはくだらない、そして嫌いな種類の雑誌だったからだ。
「どうして鏡子さんはあんなに嫌がったんですかねえ?」
島田さんが怪訝そうな表情で槌川さんに顔を向けると、槌川さんは、「さあ……」と首をひねって腕を組んだ。
「理由を聞いても、絶対嫌だ、嫌なものは嫌だ、の一点張りで、あとはずっと石になっちゃったんだよ」
島田さんがぼくを見てそう言った。
ぼくがチラッと槌川さんの顔を見ると、その眉間には深い縦皺が刻まれていた。
表情を曇らせた槇さんは、ソファーの上に寝そべって、古いジャズライフをめくり始めた。
* * *
この世の中に存在する人間は、まあ、ごく特殊な例を除けば、ほとんどが男か女かのどちらかで、それぞれがお互いを求め合って一緒に事を起こすのが一番いいことなのだろうけれど、なかなかそううまい具合に事が運ぶとは限らない。それがいいか悪いかは別にして、「男の下半身は別の生き物」とか「女は子宮でものを考える」という両方に都合のいい言葉があるように、ちょっとしたきっかけで、とか、何となく成り行きで、という感じで事に及んでしまうこともある。
そして、この何となく成り行きで、という感じで、ぼくは初めて女性と事を起こした。
六時過ぎに横浜駅の東横の改札出口に行ったぼくは、槇さんに言われた通りボブヘアーで花柄のワンピースを着ている女の子を探して、「あの、すいませんけど……」と彼女の名前を口にした。見知らぬ男に声をかけられた彼女はちょっと驚いて、綺麗に化粧をしている顔を曇らせてから、「そうですけど……」と頷いた。
「槇さんは今日はどうしても都合がつかなくて、ここに来れないということで、ぼくが変わりにこれを預かって来ました」
部室を出る時に、槇さんから渡されたA5の大きさの書類袋を彼女に渡すと、彼女は数回忙しく瞬きをして書類袋を受け取り、その場で封を開けて中を覗き込んで、そのままじっとしていた。
何か嫌な感じだ。
ぼくの頭の片隅で黄色信号がチカチカ点滅していた。
「それじゃあ確かに渡しましたよ」
ぼくは少しずつ後ずさりをした。
「他に何か言ってませんでしたか?」
彼女は帰ろうとしたぼくの右腕をつかんだ。「いえ、別に何も……」
ぼくは答えた。
綺麗に化粧した彼女の顔が見る見る崩れていくのを眺めているうちに、ぼくの脳裏に『槇の女の尻拭い』という言葉が閃光のように駆けめぐった。
やっぱりこういうことになった。
ぼくは思わず舌打ちをした。ピンク色のマニキュアで綺麗に彩られた彼女の爪が右腕にどんどん食い込んで痛くなって来たので、ぼくは軽く右腕を動かして彼女の手を外した。
梅雨入り宣言が出された六月の水曜日の夜十一時過ぎごろ、柿崎さんがどしゃ降りの中、「出張先のお土産だよ」と久保田を二本ぶら下げてフラッと部室に顔を出した。そして終電がなくなるまで久保田を飲みながらセッションをしたあと、柿崎さんが「出張費が浮いたから、福太郎で焼き鳥でも食おう」と言って、駅前にあるジャズ研御用達の『福太郎』という飲み屋で大騒ぎをした夜があった。
その『福太郎』で、槇さんは遊び相手の女の子がうるさくなってきたり、その子に飽きたりすると、部員を使ってお別れの挨拶をすることが多々あるらしい、ということを誰かが確かに言っていたことを、ぼくは今はっきりと思い出した。
その時のぼくは、どういうわけかとにかくご機嫌パワー全開で、永倉と加嶋と武田さんと一緒にビールやウィスキーをしこたま飲んだ後、持ち込んだ二本目の久保田にも手を出し、ほとんど狂喜乱舞していて周りの状況が意味不明な状態だった。
そのA5の書類袋の中に何が入っているのか、ぼくには分からなかったけれど、いいように遊ばれたんだなあ、と目の前で泣いている彼女をぼんやりと眺めていた。
うつむいて泣き続けていた彼女は、やがて無残に化粧が崩れてしまった顔をあげ、恨めしそうにぼくの顔をじっと見つめた。
「あたしの何が悪かったのかしら?」
「さあ……」
ぼくは少し考えてからこう言った。
「でもまあ、槇さんは悪気があってやってるんだから、あんまり気にしない方がいいと思いますけど……」
「そうよね。きっと悪気があってやってるんじゃないわよね」
「いや、だから悪気があってやってるんですよ」
「え?」
彼女は未知のバイ菌でも見たような顔で、ぼくの顔をまじまじと眺めた。
それから後はお決まりのコースで、「悪意があってやってるってどういうことですか?」から始まって、「お酒が飲みたいから付き合ってくれ」と言い、「あなたの先輩がひどいことをしたんだから、後輩として少しは誠意を見せてくれてもいいでしょう」とわけの分からない、さっぱり筋の通らないことを言った。
先輩がひどいことをしたら後輩が少しは誠意を見せる、という理屈がぼくにはよく分からなかったし、それ以上に、彼女の口から出た『先輩・後輩』という言葉が、ぼくの耳にはとても奇妙に響いた。
ぼくは槇さんやそれ以外のジャズ研の人々に対して、あまり『先輩』という感覚を持ったことがなかったし、実際にあの場所で『先輩』という言葉を聞いたことはほとんどなかった。槇さんは『槇先輩』ではなくて槇さんだし、島田さんも『島田先輩』ではなくて島田さんだ。もちろん鏡子さんだって『津田先輩』ではなくて鏡子さんだ。
仮にそれが冗談だったとしても、もしぼくが鏡子さんに向かって『津田先輩』と言ったら、鏡子さんはきっとあの険のある目元を細くして、「夏風邪はしつこいから気をつけないとね」と水と風邪薬と体温計を渡してくれるか、あるいは、紺色の革表紙の日誌に「今日、四季くんが、私のことを『津田先輩』と呼んだ。きっとまた変なものでも拾って食べたに違いない。みなさん、地べたに落ちているものを拾って食べてはいけません」などと油性マジックで大きく書いたりするだろう。
事実、まだジャズ研に入って日が浅かった加嶋が、槇さんのことを『槇先輩』と呼んだことがあった。そう呼ばれた槇さんは、「なんだい? 加嶋後輩」と即座に答えて実に嬉しそうにニヤニヤした。そして次の日からぼくを「早乙女」とか「四季くん」、永倉を「永倉」とか「英輔」と呼ぶのに、加嶋のことだけ、「おはよう加嶋後輩」とか「いい天気だね加嶋後輩」といったような感じで必ず『後輩』をつけて呼び始め、あっという間に槇さん以外の人間も、よってたかって『加嶋後輩』を連発するようになった。それは加嶋が『槇先輩』と呼ぶのを止めるまで、エンドレスで続いた。
「槇さんは先輩って感じじゃないんですけど……」
「だって先輩じゃない。だからこうやってわざわざここにこれ持って来たんでしょう」
彼女は目を吊り上げた。
「まあ、確かにそう言われればそうなんですけどねえ……」
「じゃあ、付き合ってよ」
「…………」
今頃はきっとビールでも飲みながらニヤニヤしているに違いない槇さんと、それにまんまと乗せられた脇の甘い間抜けな自分に対して、呪詛に満ちた言葉を心の中でブツブツと唱えながら、ぼくは彼女に付き合った。
流行の洋風居酒屋に入ると、彼女は次々に運ばれて来る料理を片っ端から食べ、かなりの急ピッチでビールやワインやサワーのグラスを空っぽにして、ぼくを質問攻めにした。
「あの人にはやっぱり他に付き合っている人がいるの?」
「さあ……」
ぼくは首をひねった。
実際、槇さんの私生活は謎に包まれていた。女性の影を感じない時はなかったけれど、特定の人はいないような気がした。仮にもし、そういう女性がいたとしても、それを匂わすようなことはしないだろう、とぼくは漠然と思った。
「本当にもう駄目だと思う?」
「どうかなあ……」
こういうひどいことを平気でするのだ。もちろん駄目に決まっている。
でも「駄目だと思うよ」などと言おうものなら、「どうして?」「どこが駄目なの?」と更に状況が悪化することぐらい、おめでたいぼくにだって分かる。とにかくこういう面倒臭いことが、ぼくは死ぬほど嫌なのだ。
「私、どうしてもあの人のことが好きなの。でも最近は電話にも出てくれないの。どうしてなの?」
「たまたまどっかに出かけてたんじゃないのかな?」
「どこに?」
「さあ……」
ぼくがそんなことを知るわけがない。槇さんがどこで何をしているか、ぼくが逐一知っていたら、それはそれで気持ちが悪いだろう。
彼女は槇さんとの馴れ初めを話し出したけれど、ぼくはそんなことには興味がなかった。
適当に相槌を打ちながら、ぼくは鏡子さんの黒いポロシャツから伸びていた細い手首や、無造作に組みかえたジーンズに包まれた長い足や、青白い顔で黙って部室を出て行った時の後ろ姿を思い浮かべていた。
鏡子さんは、あの時、何がどう嫌だったんだろう?
どうして理由を言わなかったんだろう?
どうして槌川さんは鏡子さんを追いかけなかったんだろう?
そんなことを考えながらビールやバーボンの水割りを飲んでいるうちに、ぼくはひどく酔っ払って来た。
「ねえ、彼女はいるの?」
「え?」
「彼女はいるの?」
「だから知らないよ」
「そうじゃなくて」
「え?」
「あの人じゃなくてあなたは彼女はいるの?」
「ぼく?」
「そうよ」
「いないよ」
「どうして?」
どうして? ぼくは言葉に詰まった。
「別に理由はないけど……」
「寂しくない?」
「別に……」
「好きな人はいる?」
「いない」
ぼくは何だかすべてが面倒臭くなってどうでも良くなって来た。
店を出た後、何となくラブ・ホテルに入って、そのまま彼女と事を起こした。
ぼくは女性と寝るのはこの時が初めてだったけれど、緊張はほとんどなかった。というのも、ぼくも彼女もひどく酔っ払っていて、あっという間に事が終わってしまったからだ。
時代を問わず、古今東西の小説の中には、初めて女性と寝た時の話がよく書かれていて、それは本当に素晴らしくて天にも昇る思いだったと大絶賛している場合もあれば、それとは逆に、失敗して消え入りたいような恥ずかしさを味わった、うまく役に立たなくて死にたくなったと絶望感を丸出しにしている場合もあったけれど、ぼくの場合は、良くも悪くもそういうデコボコした感情はなかった。
「こんなもんなのかな」
彼女が隣で立てている軽い鼾を聞きながら、ぼくは天井の大きな鏡に映った自分の顔をぼんやりと眺めた。
別れ際、彼女は、自分は都内にあるミッション系の総合大学の英文科に今年入学したと言った。
「私は本当はこんなことをする女の子じゃないの。信じてくれる?」
彼女はぼくの手を触った。
「信じるよ」
面倒臭くなったぼくは適当に答えた。
すると彼女は小さな鞄の中から手帳を取り出して、自分の家の電話番号を書いたページを破ってぼくに渡し、次にぼくの連絡先を教えて欲しいと、ペンを差し出した。ぼくは一瞬ためらったけれど、とにかくひどく疲れていたし、早く家に帰って自分のベッドで眠りたかったから、まあいいか、と自宅の電話番号を彼女の手帳に書いた。
それが間違いの元だった。
* * *
信じるよ。
ぼくはそう言ったけれど、もちろん本当に彼女の言葉を信じたわけではない。
「私は本当はこんなことをする女の子じゃないの」
いくら口でそう言ったって、好きだった男に振られて、その男の使いで来た別の初対面の男と酒を飲んで、その日のうちにラブ・ホテルに入ってしまうのだ。彼女の取った行動をそのまま言ってしまえば、身も蓋もなくなってしまうけれど、実際のところはそれが現実だ。
まあ、プライドが傷ついていたり、寂しかったりと、彼女には彼女なりの理由があったのだろう。
でも、そういうことを差し引いても、はっきり言って、ぼくは彼女みたいな女の子は嫌いだ。そういう女の子とまともに付き合いたいとは思わないし、ぼくの生活の中に入って来られるのは嫌だ。それはそれ、これはこれだ。
ぼくはいわゆる世間で言う『据え膳』を食べただけのつもりだったし、彼女の方も、多分そんな所だろうと思っていた。
でも彼女は、ぼくが適当に言った「信じるよ」を本当に信じてしまったらしく、毎日のようにぼくの家に電話をかけて来た。
最初のうちは、ほっぽっておけばそのうち諦めるだろうと考えていたけれど、それは甘かった。彼女はぼくが何をしているのか、今度はいつ逢えるのかということを、一ヶ月近くに渡って受話器の向こうで繰り返し言い続け、留守電にメッセージを入れ続けた。
ぼくは小さな頃から電話が嫌いだ。意味のない電話と長電話は大嫌いだ。そして意味のない電話と長電話が好きな人間はもっと大嫌いだ。
母がどうしても手が離せない状況で、「悪いけど誰か出てちょうだい」と言われて、その場にぼくしかいない時以外、絶対に受話器を取らなかった。こちらの都合などお構いなしに、いきなり勝手に鳴り出すあのベルの音を聞くと、それまでどんなに楽しい思いをしていても気持ちが鬱屈して来る。
本来電話というものは、例えば、人が亡くなったとか、交通事故に遭ったとか、待ち合わせの時間を変えてくれとか、そういう緊急時の連絡に使う道具のはずだ。ぼくが昼寝をしていようが、髭を剃っていようが、トイレで新聞を読んでいようが、そんなことを訊くためにわざわざ使うものではないはずだ。電話が大丈夫な真澄だって、「明日一緒に晩メシ食わない?」と何か用事がある時にしか電話をかけて来ないのだ。
そんな所に持って来て、彼女からの連日の電話攻勢で、ぼくはちょっとノイローゼ気味だった。電話線を抜いてみても、ひょっとしたら真澄とかアメリカにいる母からそれこそ緊急の電話がかかってくるかもしれない、と思うと落ち着かなくなって、また電話線を入れ直したりした。でもあのベルの音がとにかく嫌だし、それよりも何よりも、誰もいない家で一人で電話線を抜いたり入れたりしている自分を客観的に眺めてみると、ぼくは単なる馬鹿たれだった。
「きみは槇さんが好きなんじゃないの?」
ぼくがそう言っても、彼女は、「もう槇さんは好きじゃなくなったの。今は槇さんよりあなたの方が全然好きなの」と臆面もなく言うのだ。「悪いけど、ぼくはきみのことが全然好きじゃないんだよ」とはっきり言うと、「じゃあ、どうしてあの時、あたしと寝たの?」と彼女は受話器の向こうでぼくを責めた。
「ねえ、一度直接逢ってちゃんと話をしない?」
「嫌だよ。悪いけどもう逢いたくないんだ」
「あなたは何か誤解してるのよ」
「とにかくぼくはこういう面倒臭いことが一番嫌なんだよ。それに電話も嫌いなんだ」
「だから逢って話をしよう、って言ってるんじゃない」
なんて馬鹿な女だろう。
頭に来たぼくは、仕方がないので電話をずっと留守電にしっぱなしにしておいた。それでもベルは鳴り続け、ぼくのイライラは募った。
部屋のベッドに寝転んで『薔薇の名前』を読んでいて、庭で鳴いている蝉の声が電話のベルに聞こえたような気がした時、ぼくはもういい加減に勘弁してくれ、と尻尾を巻いてとうとう家から逃げ出した。
そして武蔵野館やモンブランの喫茶室に避難し、親爺さんの誘いを渡りに船と、古本屋のバイトを始めたわけだ。
古本屋のレジの椅子にもたれて、コーヒーを飲みながらモンクのエピストロフィーをぼんやりと聴いているうちに、槇さんがぼくに彼女を押し付けた理由がようやくはっきり分かったような気がした。
多分彼女は、誠実で優しくて友達に自慢できる『きちんとした彼氏』が欲しいのだろう。
だとしたら彼女の選択の方向性は完璧に間違っている。槇さんは確かにすごい綺麗だけれど、ああいうどうしようもない性格だし、ぼくはぼくでこんなだ。でも次のターゲットが見つかるまで、彼女はきっとぼくに電話をかけ続けるに違いない。そんなのはまっぴらごめんだ。
薄暗い店の中にずらりと並んだ古本の背表紙を一つ一つ丹念に眺めながら、どうすれば彼女から逃げ出すことが出来るだろう、とぼくは必死で考えた。とにかくあの電話攻勢だけでも何とかしたかった。
それにしても、どうしようもないのは槇さんだった。
槇さんも電話が嫌いな人だった。部の連絡事項でアパートに電話をしても、いつも留守電になっていて、部屋にいる時でもまず受話器を取ってくれなかった。平気で居留守を使うのだ。「連絡して下さい」とメッセージを残しておいても、連絡があったことはただの一度もなかった。たまに受話器を取った時は、とにかく最悪に機嫌の悪い声で、「なに?」「あ、そう」「分かった」ぐらいしか言わなかった。
きっと槇さんも彼女の電話攻勢にうんざりしたんだろう。ぼくが彼女の電話攻勢に辟易することすら見越して、槇さんは彼女をぼくに押し付けたのだ。
ぼくの危機を尻目に澄ました顔で本棚に収まっている本を眺めていると、どういうわけか笑いが込み上げて来た。
槇さんは自分にとって一番面倒臭くない方法で、うまく彼女と手を切ったのだ。今頃は何をしているのか分からないけれど、すっきり爽快、何も問題はありませんよ、という感じで澄ました顔をしている槇さんを想像すると、どうしようもないなあ、と思いながら本当におかしくなって来てしまった。
でも、ぼくはのんびりと笑っていられる状況ではないのだ。とにかく何とかしてこの危機を脱出しなければならない。どうすればいいだろう?
ミルト・ジャクソンのバイブの響きに合わせて、フラフラフラフラ気持ち良さそうにピアノを弾いているモンクを聴いているうちに、ぼくは、あっ、とひらめいた。
それならぼくも、自分以外の誰かに彼女を引き受けて貰えばいいじゃないか。
ひどく嬉しくなったぼくはあれこれとジャズ研の人間の顔を頭に思い浮かべて、結局、永倉のアパートに電話をした。
槇さんが『歩くセクハラ』なら、永倉は『歩く核弾頭』みたいに相当ゴツかったけれど、そんなに底意地が悪い方ではなく、無愛想で口は重いけれどあまり細かく物事にこだわらない大雑把な所があって、心身ともにやたらとタフだし、まあ、一番良さそうだった。
ぼくが正直に事情を話すと、ふん、とか、へえ、などと受話器の向こうで相槌を打っていた永倉は、ひと通り全部聞き終わるとあきれたようにこう言った。
「引っ掛かるお前もお前だ」
「でももう引っ掛かっちゃったんだよ」
「それは災難だったな」
「こんなにひどいとは思わなかったんだよ。とにかく電話だけでも何とかしたいんだ」
「留守電にしとけばいいじゃないか」
「してるよ。でもあの呼び出し音が嫌いなんだよ。この間は蝉の鳴き声が電話のベルに聞こえたんだ」
「そんなわけないだろう」
「そんなわけあるんだよ」
「そういうのをノイローゼって言うんだぜ」
受話器の向こうで永倉は珍しく笑っていた。
「とにかく、ぼくはもう嫌なんだ。永倉、引き受けてくれよ」
「俺は構わんよ。午前中と午後は引越しのバイトでふさがってるけど、夜ならいいよ。適当に段取りしてまた連絡しろよ」
「でも相当しつこいんだよ。大丈夫かな?」
「だけどそういう子なんだろ?」
「そう」
「だったら適当に様子を見て、うるさくなったら誰か他の奴を紹介するよ。その手の子が喜びそうなタイプがバイト先にゴロゴロいるから」
永倉はこっちが拍子抜けするぐらい、あっさりと承知した。
その夜、家に帰ったぼくは、留守電に彼女の「会いたい」というメッセージが入っているのを聞いて、さっそく彼女に連絡を入れて、「明日の夜に逢って話をしよう」と告げた。彼女は「待ってるから」と受話器の向こうで笑っていた。それからぼくは永倉に電話をして、明日の午後六時にマリンタワーに行ってくれと頼んだ。永倉は「分かった」と受話器の向こうで言った。
翌日から、ぼくの家の電話はぱったりと鳴らなくなった。その日の夜、ぼくは一ヶ月ぶりぐらいで久し振りにぐっすりと熟睡することが出来た。珍しく夢も見なかった。
お盆が過ぎたある日、三時過ぎに店に顔を出した親爺さんと交代して、東急ストアで夕食の買い物をして、ぼくはブラブラと歩いて家に帰った。ツクツクボウシが鳴いている気持ちのいい夏の終わりの夕暮れだった。
台所で買って来たモヤシを一袋全部入れてインスタントラーメンを作り、朝日新聞の夕刊をめくりながらキッチンテーブルで食べた。
インスタントラーメンは実にいろんな種類が出回っているけれど、ぼくの家では昔から、インスタントラーメンといったら『サッポロ一番』と決まっていた。父が好きなのだ。ただ母は料理が趣味みたいなところがあって、あれこれと手の込んだものを毎日作る人だったので、なかなか『サッポロ一番』を口にすることができなかった。一人暮らしを初めて、好きな時に好きなだけ『サッポロ一番』を食べられるようになってぼくは本当に嬉しかった。
ぼくは塩が好きで真澄は味噌が好きだけれど、食べる前に必ずぼくも真澄もかなり多めに酢を入れた。そうすると味が引き締まってより美味しくなるのだ。ぼくはかなり大きくなるまで、刺身に山葵をつけるように、インスタントラーメンには酢を入れるものだと思い込んでいた。
そして父のステレオのボリュームを落としてハンコックの処女航海を流しながら、コーヒーを入れて居間のソファーに寝っ転がって、庭に面したガラス窓から射し込む西日でメモを取りながら『薔薇の名前』を読んだ。何の抵抗もなく次から次へと活字が頭に入って来た。久し振りに本を読んでいるという感じがした。
部屋の中が薄暗くなって活字が見づらくなって来たころに、庭の方から鈴虫の小さな鳴き声が聞こえたような気がした。
ぼくは起き上がってカップを片手にサンダルを引っかけて庭先に出た。そしてしばらくじっとして、夕焼けが微かに残っている薄紫色の空を眺めていると、また鈴虫が小さな声で鳴き出した。その小さな声を聴いていると、ぼくの胸の中に、鏡子さんの険のある青白い横顔がふっと通り過ぎて行った。
鏡子さんに逢いたいな、とぼくは思った。