一九九〇年 夏 Ⅱ
アストル・ピアソラという音楽家について、ぼくが知っていることはほとんどない。
一九二一年にアルゼンチンにイタリア系移民の子として生まれ、三歳の時に移住先のニューヨークで父から与えられたバンドネオンを独習し、一六歳でアルゼンチンに帰国した後は様々なタンゴ楽団で演奏し、作曲や編曲も手がけるようになり、一九九〇年に脳溢血で倒れ、一九九二年にブエノスアイレスで死んだ。
これは後から本を読んで得た知識だ。単なる情報に過ぎない。槇さんがぼくにくれた二つの大きな紙袋の中には、かなりの数のピアソラ関連のレコードやCDや書籍が入っていた。
ぼくがピアソラという音楽家について『知っている』ことは、ピアソラという音楽家が作り出すその音や世界観が、歩きあぐねていた一人の魅力的な日本の青年をその地に呼び寄せてしまうような力を持っている、ということだけだ。
空っぽの部屋にポツンと置かれた槇さんの使い古されたスーツケースとギターケースを、ぼくは今でも思い出す。
ぼくは槇さんに背骨がないとは思わない。その背骨の中にある夾雑物が、『爺さま』という拠り所を失ったことで、大切な核となっている部分を徐々に寝食し、屋台骨そのものが弱くなってしまっただけだ。槇さんはそれを自力で補うためにブエノスアイレスに行った。ぼくはそう思っている。
その行為はとても勇気がある。でもその行為の根底にあったものは、それが全てとは言えないまでもひどく哀しいものだった。
そしてその夾雑物はぼくの背骨の中にももちろんある。その時のぼくは、その存在に薄々気付いてはいたけれど、見て見ぬ振りをして知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。それで何とかなると思っていた。
* * *
槇さんがいなくなってしまったあとのこの年の夏休みは、ぼくは古本屋のレジの前に座って、こまごまとした雑用をこなしながら、たまにチック・コリアのスペインを流すぐらいで、あまりジャズを聴かなかった。アルゲリッチのショパンやジェーン・バーキンの歌うゲインズブールを聴いた。槇さんのくれたピアソラも聴かなかった。
そして十七歳の時に読んだロス・マクドナルドをめくった。その時のぼくはアーチャーよりもマーロウの方がはるかに好きだった。
「こんな奴いないよ」と思いながら誰もがみんなマーロウに憧れる。十七歳の時のぼくがそうだったように。でも彼のような人間は、いつの時代でも決して『まともな社会』には受け容れられない。即座に排除されて都会の片隅に追いやられてしまう。だから憧れるのかもしれない。でも今のぼくにとっては、彼はかなり眩し過ぎた。
なんて覇気のないオヤジなんだろう、と十七歳のぼくが馬鹿にしていたアーチャーの方が、今のぼくには心地良かった。ページのどこをめくっても、彼は相変わらず孤独でくたびれた冴えない中年探偵だったけれど、一貫してその傍観者としての態度を崩さない頑なさと、その頑なさを支えている必要以上に相手の中に踏み込まない節度のある優しさが、ぼくを安心させてくれた。「そんな時もあるさ」とヨレヨレの背広を来て、ぼくに言ってくれているような気がした。でもアーチャーのような人間も、決して『まともな社会』には受け容れられない。やっぱり都会の片隅に追いやられて、孤独でくたびれた冴えない中年探偵のまま年を取って行く。そして誰も彼のような人間になりたいとは思わない。
それ以外はほとんど家にいて、簡単に家事を済ませたあとは、英語と中国語とフランス語のテキストを読んで、新たにスペイン語の勉強を始めた。槇さんがぼくに言った『テ・キエロ』という言葉の意味を知りたかったからだ。綴りが分からなかったけれど、それはそのうち先に進めばなんとかなるだろうと思った。それ以外は、日本やヨーロッパやアメリカの古い映画をビデオで観たりして過ごした。
そして永倉と柿崎さんと、それから鏡子さんにも簡単な暑中見舞いを出した。本当は書きたいことがたくさんあったけれど、上手く言葉が纏まらなかった。でも柿崎さんには、暑中見舞いの挨拶の他に、ぼくはとりあえず元気にやっているとか、毎日古本屋のバイトばかりしているといったような簡単な近況報告の後に、槇さんがブエノスアイレスに行きました、と書いて出した。
槇さんと別れた日以来、ぼくは一度もジャズ研の部室に顔を出していなかった。水曜日のセッションにも参加していなかった。どうしてもそんな気分になれなかった。だから家のピアノを一人で弾いた。
そんな生活をしているぼくのバイト先に、不機嫌極まりない顔をした真澄が来たのは八月のお盆が過ぎた頃で、その日は朝から快晴で、そしてひどく暑かった。
レジの前に座って、二冊の文庫本を買った白髪のお爺さんにお釣りを渡すと、「カバーを掛けてください」と言われた。ぼくは二冊の文庫本にカバーを掛けて、「ありがとうございました」と頭を下げた。お爺さんが出て行ってしまうと、店の中にいるのはぼくと真澄と小学生らしい男の子だけになった。
男の子は三十分ぐらい前から脚立の上に座って、表紙がボロボロになった『ガロ』を読み耽っていた。昔のぼくみたいだ。どうやら彼は薄暗くて黴臭いこの店を避暑地に選んだらしい。
真澄がここに来たのは、ぼくがバイトを始めてから今日で三度目だった。それ以前は前を通ることはあっても、足を踏み入れたことはなかったらしい。
一度目は、「アルバイトを始めたよ」とぼくが電話で話をしたところ、ひどく面白がって学校帰りに様子を見に来た。二度目は、年末のひどい風邪の余波でまだ動けなかった時、ぼくの代わりに一日だけアルバイトをしてくれた。その時、真澄はバイトが終わったあとで親爺さんからちゃっかりとお好み焼きを御馳走になったようだった。「弟がご迷惑をかけたみたいですみませんでした」とぼくが謝ると、親爺さんは「楽しかったよ」と笑っていた。親爺さん夫婦には子供がいなかった。
いつものように十時過ぎにシャッターを開けて掃除を始めた時、黄色いポロシャツを来た真澄がフラリと入って来た。
「どうしたの?」
これは珍しいことだった。
真澄はぼくに何か用事がある時はまず電話をして来ることがほとんどで、いきなりバイト先に来たのはこれが初めてのことだった。
「別にどうもしないよ。なに? どうかしないと来たら駄目なわけ?」
真澄はひどいしかめっ面をしてぼくを見た。
「別にそんなことはないよ」
ぼくはそう言った。
「じゃあ、そんなふうに言わないでよ」
真澄はうろうろと店の中を歩き始めた。そして足を止めたと思ったら、小さな黒いナイロンの肩掛け鞄から袋に入った飴を取り出してバリバリと噛み砕き、指を口の中に入れて歯にくっついた飴のかけらを取った。
どうやらひどく機嫌が悪いようだ。
真澄の様子を眺めているうちにひどくおかしくなって来た。これは誰も知らない昔からのぼくの悪い癖で、真澄の不機嫌な顔を見ると、ぼくはひどくおかしくなって来てどうしても笑いたくなってしまうのだ。
「なに?」
飴のかけらを取った指をGパンになすりつけた真澄はぼくを睨んだ。
「なんでもないよ」
ぼくは込み上げて来る笑いを噛み殺しながら、店の外に出すワゴンの中の百円均一の文庫本を一冊ずつ硬く絞った雑巾で拭いて綺麗に並べ直した。
こういう時の真澄には取扱説明書が必要で、うっかり真正面から向き合ってしまうと、悪魔でも絶対に死んでしまうのではないか、というぐらいのひどい罵詈雑言を浴びせられることになる。
人にはそれぞれ、自分が認めたくない自分自身の欠点とか嫌な部分を持っていると思うけれど、こういう時の真澄はそういう相手の欠点とか嫌な部分とかを実に的確に口にする。
例えば、額の生え際がかなり後退したことを認めたくない人間に向かって「ハゲ!」と言ったり、最近ちょっと太ったことを認めたくない人間に向かって「デブ!」と言ったり、こういうことは言われたくないな、と普段から思っていることばかりを集中的に口にして、相手が反論したらそこから論を展開し、相手を徹底的に打ちのめすことで憂さを晴らすのだ。
それをやめさせるには、父のように腰を据えてその罵詈雑言の矛盾を理詰めで論破して行くか、母のように途中で泣き出してしまうか、暴力で黙らせるかのいずれかしかないような気がする。ぼくは父のように語彙が豊富ではないし、母のように簡単に泣き出すことも出来ないし、暴力は嫌いだ。だから罵詈雑言を吐くきっかけを作らない。少しでも反論したらそれこそ真澄の思う壺で、即座に言葉尻を捉えられてとんでもないことになる。ぼくは知らん顔を決め込んでそのまま店を開ける準備を続けた。
それから三十分ぐらいの間、真澄は店の中をうろつきながら、袋の中の飴をバリバリと食べ続けて口をきこうとしなかった。そして飴を全部食べてしまうと、店の奥に通じる少し高くなった敷居に腰を降ろし、上半身だけ仰向けになって寝てしまった。
それから小一時間が経っていたけれど、真澄は軽い鼾を立ててよく眠っていた。閉じた大きな目の下には黒い隈が薄っすらと出来ていた。ずいぶん疲れているようだった。
ぼくは店の中をぶらつきながら本棚の空いた所に適当に本を補充し、いつまでたっても売れない『高村光太郎全集』の背表紙の文字を眺め、“売約済”の札がついた父の漱石を眺め、ゲインズブールの綺麗なメロディーに耳を澄ました。
『彼が救われるかもしれないとか、虹の向こうに太陽が高く輝いているなんて思うのは甘い考え。もっと他のことを考えたりした方があなたのためよ』
ジェーン・バーキンがそんなことを歌い出したあたりでぼくは店の外に出た。
真夏の強い陽射しのせいで、白い石畳の道が煮えて陽炎が立ち昇っていた。店の脇の水道の蛇口をひねり、水をたっぷりと入れた青いポリバケツから柄杓で水をまくと、濡れた道から微かな湯気が上がって乾いた埃の匂いが鼻をついた。その匂いがなくなるまでぼくは店の前で打ち水を続けた。
槇さんは今頃何をしているのだろう?
元気にしているだろうか?
ちゃんと食事をしているだろうか?
こうしてバイトに出ている時も、街を歩いている時も、スーパーで買い物をしている時も、一人で夕食を取っている時も、風呂に入っている時も、そして寝ている時でさえ、これは嘘だろう、きっと何かの間違いだろう、とぼくは何度も思った。
あの青ペンキの扉を開けて、よお、といつものように槇さんが入って来るような気がして仕方がない。ぼくがこうして打ち水をしているこの瞬間に、背中を丸めてギターを弾いたり、文春の『てこずるパズル』を解いたり、部室の古びたソファーに長い足を組んで寝そべって、『私のお気に入り』を子守歌がわりに、扇風機に当たりながら気持ち良さそうに寝息を立てているとしか思えない。
でも、あの古びたソファーはもうどこにもない。そのことを思い出すたびに、駅のホームでぼくを見送ってくれた槇さんの綺麗な笑顔を思い出した。あの掃除が行き届いた空っぽのアパートの一室で、ぼくに向けられた槇さんの誠実な言葉を思い出した。
あの大学祭の夜に見せた槇さんの怒りの対象が何だったのか、ぼくがこれまで持ち続けて来た不安とか恐怖とか違和感の正体が何なのか、それを明らかにする取っ掛かりのようなものが、あの時の槇さんの言葉の中にあるような気がした。
それは一体何だろう?
ぼくはいつもそこで立ち止まった。それ以上考えることが恐かった。
水をまき終えて店に入ると、目を覚まして起き上がってぼんやりとぼくを見た真澄は喉が渇いたと言った。
男の子は相変わらず『ガロ』に夢中で、次から次へとバックナンバーを手にしていた。よっぽど面白いのだろう。ぼくも小学生の時、庭の物置の中に入って、ダンボール箱に詰め込まれている古くて黴臭い『ガロ』をよく読んだ。
ぼくは店の奥に入って二人分のコーヒーを沸かして真澄に渡した。あっという間にそのコーヒーを飲んでしまった真澄は、もっと飲みたいと言った。ぼくはまた奥に入って一人分のコーヒーを沸かして真澄に渡した。
「観たかった映画が観れなかったんだよ」と真澄は言った。「ふうん…」とレジの前に座ったぼくはコーヒーを飲みながら何となく頷いた。
「ぼくはその映画を絶対に観たかったんだ」
「じゃあこれから観に行けばいいじゃないか」
「昨日までだったんだよ」
真澄は怒っていた。
前から大画面で観たかった大好きなグレゴリー・ペック主演の古い戦争映画が、名画座にかかることを夏休みに入ってすぐに知った真澄は、それを観ることを楽しみにして退屈な受験勉強をこなしていたらしい。
そして昨日の夕方に予備校の受験講座を全て終わらせて足取りも軽く予備校の校舎を出ようとした時に、一人の女の子から「一緒にお茶でも飲みませんか?」と声をかけられた。その女の子とは学校は違ったけれど、予備校の授業では同じ教室で顔馴染だったらしく、真澄の顔付きや口調から推察するとそれなりに可愛らしい女の子だったようで、真澄の方も声をかけられて満更でもなかったのだろう。それなら一緒に映画を観ませんかと誘ってみると、彼女は素直に頷いて、映画の後に一緒に夕飯を食べるところにまで発展した。
良かったじゃないかと笑ったぼくに、真澄は「良くないよ」とコーヒーを飲みながら怒った。
「映画は観れなかったんだからね」
「なんで?」
「ぼくは観たい映画があるからって、最初にちゃんとその子に言ったんだよ」
「うん」
「それなのに、渋谷に出たら、その子は突然、別の映画を観たいって言い出したんだ」
「なんで?」
「知らないよ。でもぼくはどうしてもグレゴリー・ペックの映画が観たかったんだ」
「そうだね」
「そうだよ。だからぼくは、じゃあお互いに観たい映画を別々に観て、そのあとどこかで待ち合わせして夕飯を食べようって言ったんだ」
「なるほど…」
笑いが込み上げて来た。いかにも真澄が言い出しそうなことだった。
「そうしたら、そんなのってないわ、ひどい、とか何とか言い出して、その子はいきなり泣き出したんだよ。それがハチ公前なんだ。ハチ公前だよ。みっとも恥ずかしいよ。信じられないよ」
ぼくはニヤニヤを必死で噛み殺した。
いきなり泣き出した女の子を前にして、慌てながら映画の時間を気にしている真澄の姿が目に見えるようだった。
「別々に観たんじゃ意味がないって泣きながら言うから、それならぼくが観たい映画を観に行こうって言うと、私はそれじゃ嫌なんだって言って泣くんだ。今日が最後の上映日だからって説明すると、今度はぼくのことを、変だ、おかしいって責めるんだ。それでまた泣くんだ。彼女が観たかった映画は今日だってやってるんだよ。おかしくて変なのは向こうの方だよ。兄貴だってそう思うでしょ」
ぼくはうんうんと頷いた。
その子は誘う相手を完全に間違えたのだ。真澄の言ったことは実に真澄らしかった。別におかしくもないし変でもない。ひどい状況の中で真澄は真澄なりの解決法を提示したのだ。
ぼくにとって大切なのは真澄であって相手の女の子ではない。そんなことを言われた真澄が可哀想だと思った。
「一体ぼくにどうしろって言うんだよ?」
「『いいよ。分かった。きみの観たい映画を一緒に観に行って、そのあと一緒に夕飯を食べよう』って言って欲しかったんだよ、きっと」
「そんなのは嫌だ」
「じゃあ、どうしようもないね」
「そうだよ。どうしようもないんだよ。だからもういいよって言って、ぼくは一人で名画座に行ったんだ。でも最終が始まって、もう四十分以上過ぎちゃってたんだよ」
「途中からでも観ればよかったじゃないか」
「そんなのはもっと嫌だよ。そういう時、兄貴は途中からでも観るの?」
「どうだろうなあ…」
ぼくは考え込んだ。
ロミー・シュナイダーが出ている映画だったら途中からでも観るけど、フェイ・ダナウェイだったら多分観ない。
ぼくがそんなふうに答えると、真澄はつまらなそうな顔で「ふうん」と言った。
「それでその女の子はどうしたの?」
「知らないよ。ぼくはそのまま銀座線で寮に帰ったからね」
真澄は、泣いている女の子をハチ公前に置き去りにしてグレゴリー・ペックに逢いに行ったけれど、残念ながら逢えずじまいだったのだ。さぞかし落胆したことだろう。
「ハチ公前にいた人達は、彼女を泣かしている悪い奴みたいな感じでぼくのことをじろじろ見るし、結局映画は観れなかったし、もう踏んだり蹴ったりだったよ」
「大変だったなあ…」
ぼくは笑いをこらえながら真澄を慰めた。
「本当だよ。本当に大変だったし最悪だったよ」
それから真澄はその女の子がどんなに自分に対して理不尽だったか、どんなにグレゴリー・ペックの映画を観ることが出来なくて悲しい思いをしたか、ということを延々とぼくに喋った。そしてひとしきり喋ってしまうとお腹が減ったと言った。
『ガロ』を読んでいた男の子は、いつの間にか店を出て行ったようだった。真澄が牛丼を食べたいと言ったので、ぼくは真澄に留守番を頼んで近くの吉野家まで歩いた。少し外に出たかったのだ。
ちょうどお昼時だったので、この暑さにもかかわらず、自由ヶ丘の街は綺麗に着飾った人たちで溢れ返っていた。踏み切り待ちをしていると、露出狂か、と赤の他人のぼくが思わず心配になるような服装をした女の子が隣に立っていた。洋服で隠れている部分よりも外気に触れている部分の方がはるかに多いのだ。彼女の隣に立っている中年のサラリーマンは、私は何も見ていませんよという顔をしていた。端から見れば、きっとぼくも彼と同じ顔をしているのだろう。その子はぼくの妹でも彼女でもないし、そのサラリーマンの娘でもないのだ。
踏切を渡りながら、ぼくはぼくと今まで関係のあった女の子達のことを考えた。ぼくに電話攻勢をかけた初めての女の子のことや、ぼくが役に立たなくなった途端に連絡を絶った女の子のことや、ぼくのことを冷血人間を呼んだ女の子のことを思い出した。
多分、ぼくも彼女達も悪気があったわけではないのだ。あのような結末を迎えようと思ってそうなったわけでもない。ぼくも彼女達も、そして真澄も真澄を責めた女の子も、相手よりも自分の方が好きだっただけだ。ぼくは彼女達との付き合いの中で、嫌な思いはしたけれど傷ついたという思いはなかった。
もしぼくが昨日の真澄のような状況に置かれてその相手が彼女達だったら、もっとひどいことをするかもしれない。
でも、もしその相手が鏡子さんだったらぼくはどうするだろう? 恐らくぼくは鏡子さんの観たい映画を一緒に観るだろう。自分の観たい映画を観ることが出来なくても全然苦にならないだろう。ロミー・シュナイダーだってどうでもよくなってしまうだろう。映画を観るよりも鏡子さんのそばにいたい。
互いが相手よりも自分のことが好きな時、二人の間に納得出来る妥協点を見つけない限りは、その二人が上手く付き合って行くことは不可能だろう。どちらかが我慢をすれば、その我慢をしている状態が当たり前になって行き、二人の間に生じたバランスの微妙な誤差は二人の間の距離が近くなればなるほど大きくなって行くだろう。そうなったら二人の先にあるものは恐らく破綻だけだ。
ぼくはそんなことを考えながら二人分の牛丼を買い、一つを特盛にしてもらった。
特盛の牛丼をペロリとたいらげた真澄は、これから渋谷でスニーカーを買ってから高校の近くにある顔馴染の将棋クラブに遊びに行く、と言って機嫌良く店を出て行った。
夕方四時過ぎに親爺さんが店に顔を出した。病院の帰りのようで顔色が悪かった。
脳溢血で倒れて右半分に麻痺が残った奥さんはリハビリに専念しているけれどなかなか上手く行かないと、今年の春先に親爺さんは言葉少なにぼくに説明した。ぼくは黙って聞いていた。奥さんの病状と同じようにバイトの内容にほとんど変化はなかった。ただ、親爺さんは病院の方に顔を出している時間が多くなり、店に顔を出さない日が増えた。
親爺さんと交代したぼくは、東急ストアで夕食の買い物をして歩いて家に帰った。ツクツクボウシが鳴いていて、去年の夏の終わりにもこんな時間を持ったような気がした。でも同じような時間の中にいても、去年のぼくと今のぼくとではずいぶん違うような気がした。
次の日は一日中家にいた。一週間以上連続して店に出たぼくに気を使った親爺さんが休みをくれたからだ。
ぼくは簡単に掃除機を掛け、たまっていた洗濯物を片付けてから、いつものようにピアノの音階練習をした。頭の中を空っぽにしたい時、ぼくは必ずハノンの楽譜を開く。譜面にある通りに正確に指を動かすことだけを考えて鍵盤を押し続けると、ぼくの中の『ぼく』はいなくなってくれる。
それから『ウイチャリー家の女』を読みながらサッポロ一番の昼食をして、食後のコーヒーを入れて飲んだ。その日は金曜日だったのでフランス語とスペイン語を二時間ずつ勉強した。
月・水・金曜日はフランス語とスペイン語、火・木・土曜日は英語と中国語をそれぞれ二時間ずつ勉強するように決めていた。ぼくは昔から学校の授業は大嫌いだったけれど、一人でする勉強は好きだった。それは自分で決めて自分のペースで好きなようにやることだったから、とても楽しいことだった。だいたいぼくは喋っているよりは黙っている方が好きなのだ。そして勉強しながら槇さんの言った『言葉』の意味を考えた。
夕方五時過ぎに夕刊を取りに外に出ると、郵便受けの中に夕刊と一緒に柿崎さんからの残暑見舞いが入っていた。
柿崎さんは書き慣れた綺麗な文字で、ぼくが出した暑中見舞いのお礼の後に、槇さんのブエノスアイレス行きは本人から聞いた、と簡単に書いていた。槇さんのことに関してはそれ以上は何も言っていなかった。でも、最近何か変わったことはなかったか、あったら知らせて欲しいと最後に付け加えていた。何かあったのだろうかとぼくは考えたけれど、槇さんのこと以外にぼくに思い当たることはなかった。
でもそれはぼくが何も知らなかっただけで、ぼくの手元に柿崎さんからの残暑見舞いが届いた時、鏡子さんの体は取り返しのつかないほどひどく傷んでしまっていた。
八月があと数日で終わろうとしていた夕暮れ時に、徳島の実家から戻って来た永倉からバイト先に電話が入った。
「バイトは忙しいか?」
ぼくが出した暑中見舞いのお礼を口にしたあとで、永倉はぼくにそう訊いた。
* * *
例えば、犬や猫やパンダやライオン、それから薔薇やチューリップや桜やアカシアなど、この世に存在する人間以外の生き物が夢を見るのかどうかということは、残念ながらぼくには分からない。
昔、何かの本で、人間以外の動物も夢を見る、というような文章を読んだ記憶があるけれど、それが何という題名の本で、誰が書いたものなのか、という記憶はぼくの中にはない。忘れてしまった。でも、人間は夢を見る生き物だ。
人間の夢には色がない、ということをよく耳にする。でもそれはぼくに限って言えば嘘だ。ぼくは結構頻繁に夢を見る。目が覚めてしまうと、何の夢を見ていたのか、その内容は忘れてしまっていても、見ていた夢の中に存在していた色のことは、たとえそれが現実にはあり得ない色であってもなぜか記憶に残っていることが多い。
誰かが渡っていた横断歩道のラインが青だったとか、多摩川に浮かんでいたイルカが黄色だったとか、ぼくが話した見知らぬ女性が着ていたオーバーが赤だった、というような感じで。
そして夢の中の記憶に色があるように、現実に起きた出来事の記憶の中にも鮮明に残っている色がある。ぼくにとっては、この現実の世界に存在するあらゆる物が持っている色よりも、記憶の中の色の方が遥かに鮮やかで現実味を帯びている。その時もそうだったし、今もそうだ。変わらない。
ぼくの一九九〇年の色の記憶は、赤だ。赤一色に彩られている。その赤は血の赤で、鏡子さんの血の色だった。ぼくは女の人が持つ『赤』という色を、それまでも、そしてそれ以降も目にしたことがない。この年以来、ぼくの中にはその赤い色がずっと住み続けている。
北海道での一件を永倉から聞いたのは、それから二日後の八月の最終日だった。
その話のほとんどが、ぼくにとっては理解不能の連続だった。理解不能なだけに恐ろしかった。そして本当に気持ちが悪かった。
ぶっきらぼうで口の重い永倉は、考え考え言葉を選び、ポツリポツリと話を進めた。なるべく主観を交えないように冷静に話をしようとしていたけれど、戸惑いと怒りが全身からじわじわと滲み出ていた。
永倉は決して顔には出さないけれど、ぼくよりもはるかに感情の起伏の激しいところがあった。機嫌の悪い時でも、声を荒げたり誰かに八つ当たりをしたりするようなことをしないので、つい見過ごしてしまいがちなだけだ。
永倉から電話を貰った翌日、ぼくは親爺さんに、ちょっと人と会いたいからその日は三時上がりにさせて欲しいと頼んだ。
「デートかい?」
「永倉と会うんですよ」
「なんだ。つまらないねえ」
「永倉にそう言っておきますよ」
ぼくが笑いながらそう言うと、親爺さんも「よろしく伝えてくれ」と笑っていた。
梅雨が明ける頃、永倉が『忍者武芸帳』を返しにフラリと店に来たことがあって、その時たまたま親爺さんも店に顔を出していた。
「同期の永倉です」とぼくが親父さんに紹介すると、「どうも…」とむっつりとした顔で頭を下げた永倉は、「これ、良かったら…」といきなりTシャツのお腹の部分をめくって鯛焼きの包みを取り出した。ぼくと親爺さんが目を丸くすると、「冷えたら不味いと思って…」と永倉はボソッと呟いた。ぼくと親爺さんが笑い出すと、永倉も困ったように笑っていた。それから三人でお茶を飲みながらまだ温かい鯛焼きを食べた。そんな永倉のことを親爺さんはひどく気に入ったようだった。
バイト帰りの永倉の顔色は冴えなかった。うつむき加減の狭い額によった皺が悲しげだった。その時のぼくに出来たことといえば、冷房が効いている環八沿いのデニーズの椅子に座り、その言葉に耳を傾けることしかなかった。
通りに面したガラス窓からは強い太陽の光が射し込んで、店内は必要以上に明るかったけれど、ぼくはうまくその明るさを感じることが出来なかった。
八月に入ってすぐに、永倉は槌川さんから一週間の予定で北海道のツーリングに誘われた。もともとそれは、槌川さんが研究室のバイク仲間と三人で行くことになっていたツーリングで、部外者の永倉が誘われたのはバイクに乗るからだった。永倉は高校時代からオートバイに乗っていて、その運転技術は確かなものだった。
一緒に行くことになっていたうちの一人が、どういう理由があったのかは分からないけれど、出発の三日前に就職の内定をいきなり取り消されてツーリングどころではなくなってしまった。予約していたフェリーのキャンセル料がもったいないから良かったら一緒に行かないか、と槌川さんはわざわざ永倉のアパートまで足を運んで誘ったらしい。
何となく気分転換をしたかったんだ、と言った永倉の気持ちがぼくにも少し分かるような気がした。柿崎さんがいなくなり、槇さんがいなくなり、ジャズ研の様相が変わり始め、タフな永倉も憂鬱だったのかもしれない。
ぼくが知っている限り、永倉には友人はほとんどいないようだった。時々キャンパスの中で永倉を見かけたけれど、いつも一人で歩いていた。考えてみれば、槇さんもそうだったし鏡子さんもそうだった。誰かと一緒に歩いているところを見たことがない。そして振り返ってみればぼくもそうだった。
でもその北海道行きは、永倉にとっては楽しさとはかけ離れたものだった。
フェリーに乗って三十分もしないうちに、永倉はひどい船酔いに襲われた。デッキ以外の場所はとにかく息苦しかった。船内の窓の開閉が不自由なことと船特有の独特な揺れがどうにも駄目だった、と永倉は言った。
結局、朝の九時に大洗の港を出て、翌朝の五時過ぎに苫小牧の港に着くまでのおよそ十八時間の大部分を、永倉はフェリーの男子トイレの個室の中で過ごした。そして鏡子さんも永倉と同じようにひどい船酔いに苦しんで、二等船室から一歩も動けずにずっと臥せったままだったらしい。
鏡子さんが一緒に北海道に行くことを、永倉は大洗に着くまで知らなかった。
「鏡子さんは最初からあまり体調が良くなさそうだった。顔色も悪かったし、動くのがだるそうだった。それにずいぶん不安そうで落ち着かない感じだった」
大洗のフェリー・ターミナルで鏡子さんに逢った時のことを永倉はそんなふうに話した。
最初からそのツーリングに参加すること自体、鏡子さんは気が進まなかったようだ。
「一度もツーリングを経験していないのに、自分には向いていない、嫌だと決め付けるのは良くないことだ。実際にやってみてから好きか嫌いかを決めたっていいじゃないか」
そんなふうに説得して渋る鏡子さんを連れ出したのは槌川さんだった。
もともとアウトドアが好きではないと言っていた鏡子さんは、槌川さんがバイクでどこかに出かけようと誘うたびに断り続けて来たようだけれど、槌川さんは今回は譲らなかった。
「一緒になる女とは、何か共通する趣味を持っていた方がいいと思ったんだよ」
槌川さんはフェリーに乗る前にそんなことを永倉に話した。
ツーリングに参加した槌川さんの研究室のバイク仲間は二人とも男で、女性は鏡子さんだけだった。バイクの免許を持っていない鏡子さんは、槌川さんのバイクの後ろに乗って北海道を移動するしかなかった。
「要するに、鏡子さんは自分の都合で行動する手段が全くなかったんだ」
そして鏡子さんは男ばかりの中でずいぶん萎縮して神経質になっていた、と永倉はぼくを見た。そうだろうな、とぼくは黙って頷いた。
去年までジャズ研には鏡子さんしか女性はいなかったけれど、その場にいたくないと思ったらいつでも好きな時にその場を離れることが出来た。でも旅行となると事情はちょっと違って来る。ましてやその旅行は他人の足に頼らなくてはならないのだ。いくら『婚約者』が一緒だからといって、自分以外の人間がすべて男だったら萎縮するだろうし、神経をすり減らしてしまうだろう。男のぼくだって女の人ばかりの中で、しかも自分の足を取り上げられて旅行をするのは気が進まない。というより、嫌だ。
ツーリングはほぼ一週間で、一日目は苫小牧から旭川、二日目は旭川から稚内へと北海道を縦断し、三日目は稚内から浜頓別へ移動し、四日目はオホーツク海を見ながら網走を目指し、五日目は網走から釧路湿原に、六日目は釧路湿原から襟裳岬に出て、七日目に苫小牧に戻りフェリーで帰京、という予定だった。
「良く分からないけど、一週間でずいぶん移動するんだね」
頭の中に北海道の地図を思い浮かべながら永倉の説明を聞いていたぼくは少し驚いた。
「ツーリングは観光よりもバイクで走ることが目的だからな」
「ふうん」
旅行にも色々な形態があるのだろう。ぼくは曖昧に頷いた。そのあとに、「ただ…」と永倉はちょっと口ごもってから言葉を続けた。
「山登りをする時にパーティーを組むことは知ってるよな?」
「うん」
「ツーリングもそれと同じなんだ」
「同じ?」
「一人で動くんなら何も考える必要はないんだよ。腹が減った時に飯を食って、疲れたと思ったら適当に休んで、全部自分の都合で構わないんだ。でも、何人かで動く時はそれじゃ駄目なんだ」
ぼくは黙って永倉の言葉に耳を澄ました。
「一緒に動いている人間の中で、一番力のない奴に合わせて予定を組まなくちゃいけないんだよ。強い奴、普通の奴、弱い奴、と三人いたら、普通の奴に合わせても駄目なんだ。弱い奴に負担がかかるからな。弱い奴に無理をさせると事故につながったりする。そうだろう?」
「そうだね」
「弱い奴に合わせるのが嫌だったり、自分のペースを崩したくなかったら、一人で動けばいいんだ。だから俺は誰かと一緒にバイクで出かけたりしないんだよ」
永倉は大学が休みでバイトを入れていない時は、しょっちゅう一人でバイクに乗ってあっちこっちに出かけていた。それは日帰りの時もあったし泊まりの時もあった。そして必ずお土産を買って来てくれた。小田原のかまぼことか芦ノ湖のキーホルダーとか秋田の稲庭うどんとか、そんなちょっとしたものだ。大体が食べ物かキーホルダーのどちらかで、一度、何を思ったのか、東京生れの東京育ちというぼくに東京タワーのキーホルダーをくれたことがあって、思わず笑ってしまったことがあった。
でもぼくはとても嬉しかった。ちょっと照れ臭かったけれど、「ありがとう」と言って受け取った。それまでのぼくは、家族以外の人間からお土産なんて貰ったことがなかった。友達からお土産を貰うとどんな気持ちになるのか、それをぼくに教えてくれたのが永倉だった。
フラリと出かけた旅先の大切な時間の中で、ぼくのことを思い出してくれたことが嬉しかった。無愛想な顔でお土産の品物を選び、店のレジの前で財布を取り出している永倉の姿がいつも目の前に浮かんだ。
永倉はただの一度も「一緒に行こう」とぼくを誘ったことはなかったし、旅に出た永倉の目にどんなものが映り、それに対してどんなことを考えるのか、ぼくにはとても興味があったけれど、そういう話をすることもほとんどなかった。足を運んだ場所と天気のことぐらいしか口にしなかった。でもそんなことはどうでもいい。自分だけの世界を持っていて、それを大切に守っている永倉が少し妬ましくて羨ましかったけれど、ぼくはそういう永倉が好きだった。
ツーリングはいわゆる大学生の貧乏旅行だったから、宿泊は全てキャンプ場でテントを張り、寝袋で寝て、食事は全て自炊だった。
初めのうちは、槌川さんや他の二人の人達も永倉や鏡子さんと一緒に食事を作った。
でも、一日中バイクを運転する日が続き、屋外での寝袋の生活の疲れがたまってくると、キャンプ場についたらテントを張るのがせいぜいで、ビールを飲んだり風呂に入ったりして食事を作ることはほとんどしなくなった。
飯盒で米を炊いてカレーを作ったり、焼きそばやお好み焼きを焼いたり、バーベキューをやったりしたけれど、その準備や後片付けなどを一手に引き受けたのは永倉と鏡子さんだった。鏡子さんも疲れていたはずだけれど、不平や不満を口にせずに槌川さんの要求通りに動いた。ぼくと同じ東京生れの東京育ちでアウトドアとはまるで縁のない環境で育った鏡子さんが、覚束ない手付きでそれらを必死にこなしていた姿は、正直見ていられなかったと永倉は言った。
鏡子さんが初めて飯盒で炊いた米は、芯が残って真っ黒に焦げ付いてほとんど食べられなかった。槌川さんは鏡子さんを笑った。
「お前は女のくせに米も満足に炊けないのかよ」
鏡子さんは頭を下げて「すみません」と謝った。ぼくは嫌な気持ちになった。
「本当は鏡子さんが謝る必要なんかないんだよ。槌川さんがやろうとしたことは、はなから無理なことなんだ」
「無理なこと?」
「バーベキューとかお好み焼きとか焼きそばとか、そういう大袈裟な料理は、長期間のバイクツーリングでやるもんじゃないんだよ」
「そうなのか?」
「さっきも言っただろ? ツーリングの一番の目的はバイクで走ることなんだよ。飯なんかどうでもいいんだ。適当にそこら辺で食えばいいんだよ」
「雑誌によく載ってるアウトドアの料理特集なんていうのはどうなの?」
ぼくはバイト先でその手の雑誌を暇潰しにめくったことがあった。
「それは車で出かけて行って、一つの場所でのんびりしたい人間がやることだ」
「なるほどなあ…」
キャンプにもいろいろあるんだな、とぼくは感心した。そのまま永倉の言葉を待った。
「移動はバイクで飯は車並み、なんて無理に決まってるんだよ」
「料理道具は持ってったの?」
「飯盒は槌川さんが新品を持って来たよ。でもそれ以外はキャンプ場で借りた。車とバイクに積める荷物の量の違いを考えろよ。バイクはテントと寝袋と着替えを積むのが精一杯だ。一週間だぜ。馬鹿なことを言うな」
「どうして槌川さんはそんな無理なことをしようとしたんだろう?」
ぼくがそう尋ねると、実際に経験してないからだ、と永倉は言った。
「雑誌や何かを見てツーリングの計画を立てたって俺に話してたからな。確かにそういうことも大切だ。でもそれは、所詮はイメージ上のツーリングなんだよ。現実は違うんだ」
イメージ、とぼくは思った。
イメージ上のツーリング。イメージ・カラー。イメージはイメージのままであれば可愛らしくて罪のないものかもしれない。でも現実世界に持ち込まれたイメージは、決して可愛らしくもないし無垢なものでもない。それはとてもグロテスクなものだ。
ぼくは部室の冷蔵庫の上に置かれていた幾つものカラフルなマグカップを思い出した。
「槌川さんはバイクには乗るけど、ツーリングに関してはド素人だ。俺の方がまだましだ。実際に一週間の長期ツーリングは今回が初めてだって言ってたからな」
「他の二人は?」
「似たようなもんだよ。だいたいキャンプ料理っていうのは、慣れた人間が傍にいて、いろいろコツを教えて貰いながらやったって、最初は誰でも失敗するんだ」
「永倉は誰に教わったの?」
「親父だよ。ガキの頃、休みになると親父のバイクのケツに乗っかって、二人でよく釣りに行った。テントと寝袋と釣り道具をバイクに積んで、鍋とか野菜とかを入れたでかいリュックを俺が背負うんだよ。それが重たいんだ」
「へえ…」
「で、そこで飯を炊いて、釣った魚を焼いたり鍋にしたりして食うんだよ」
「美味しそうだね」
「美味いよ。でも、俺だって最初は何にも出来なかった。飯盒や鍋で米をうまく炊けるようになったのは、散々失敗したあとだ。でも失敗しても黙って全部食うのが礼儀なんだ」
ぼくは今年の春先に、永倉のアパートで逢った慣れた手付きでキャベツを千切りにしていた口の重い親父さんのことを思い出した。あの親父さんなら飯盒で美味しい米を炊くだろうな、と思った。失敗した飯盒の米を黙って全部食べるだろうな、と目の前でコーヒーを飲んでいる永倉の分厚い肩の筋肉を眺めた。
槌川さんは失敗した飯盒の米を食べながら、「ひどすぎる」「食えたもんじゃない」「腹を壊すかもな」と食事が終わるまでずっと笑っていた。他の二人も笑っていた。鏡子さんは困ったような顔をして黙り込み、永倉は突発性難聴になった。
「槌川さんは冗談のつもりで言ったんだろうけど、俺は笑えなかった」
それにしても何だか良く分からなかった。もし永倉がいなかったら、槌川さんはどうするつもりだったんだろう?
「きっと同じようにやったと思うよ。バイクツーリングでこういう食事を作るのは無理だって俺が言っても、そんなふうに決め付けるのは良くない、やってみなけりゃ分からないって槌川さんは言ったし、他の二人もそれは確かにそうだって納得してたからな」
「鏡子さんは?」
「無理だと思うって言ったよ。でも鏡子さんがそう言うと、槌川さんは、『お前は黙ってろ』と言った」
「なんで?」
「知らん」
「じゃあ、みんなで分担して作るしかないじゃないか」
「最初は一応そんな話だったんだ。でもいつの間にか、料理を作るのも、飯を食ってる間の細々とした雑用も、後片付けをするのも、ほとんど鏡子さんがやるようになって行った。俺や他の二人が手伝おうとすると、『手伝わなくていい』と槌川さんは言った」
「なんで?」
「分からん。だから訊いた。そうしたら、『あいつは移動中は楽をしてるんだから、それぐらいはやるのが当然だ』と槌川さんは言った。お前は長時間バイクに乗ったことがないから分からないだろうけど、ケツに乗ってる人間だって決して楽じゃないんだ。運転している人間と同じぐらい体力も神経も使うもんなんだ」
ぼくは黙って聞いていた。
「俺がそう言うと、槌川さんは、『そんなことはない。運転している人間の方が疲れるに決まってるんだ』と言った。俺がそれは違うと反論すると、『あいつは女だからな』と言い出した。俺はそれ以上話をするのが嫌になった。残りの二人はそれで手を引いたけれど、俺は手伝った。そういうもんだからな。でもその度に槌川さんは、『手伝わなくていい』と言った。俺が手伝うのを止めないと、槌川さんは俺とほとんど喋ろうとしなくなった」
「なんで?」
ぼくは良く分からなかった。
「知るか」
永倉は明らかに怒っていた。
「それじゃ何だか嫌な感じになるじゃないか。他の二人はどうしたの?」
「槌川さんが俺とあんまり話をしなくなったことに気付かない振りをしていた。でも俺にも鏡子さんにも普通に接してたよ。俺もそうした。そうしちゃいけない理由なんかないんだからな。そうだろ?」
「そうだね」
「でも、鏡子さんが俺や他の二人と話してちょっと笑ったりすると、槌川さんは不機嫌になった。そしてバイクの荷物の積み直しをさせたり、ジュースを買って来させたりした。そんなことが二、三回続くと、鏡子さんはだんだん喋らなくなった。元々愛想もないし口数の多い人じゃないからそんなに目立たなかったけど」
「そういうのは嫌だよ」
「俺だって嫌だ」
話を聞いていて、ぼくは暗い気持ちになった。何だか良く分からないけれど嫌な感じがする。ぼくはこういうのが嫌いだ。誰だって嫌いだろう。そんな調子だったら少しも楽しくなかっただろう、気分転換になんかならなかっただろう、とぼくは思った。
鏡子さんの様子が明らかにおかしいことに永倉が気付いたのは、宗谷岬から網走に向かう途中で寄ったサロマ湖の近くで、昼食を取るために食堂に入った時のことだった。
食欲がないと言った鏡子さんは、何も食べずに自分の荷物を持ったまま、トイレに入ってしまってなかなか出て来ようとしなかった。槌川さんはそんな鏡子さんに構わず他の二人と湖の周りを散策していたけれど、鏡子さんのことが気になった永倉は、食事を終えても食堂の中でぼんやり待っていたらしい。
トイレから出て来た鏡子さんの顔色は、尋常では考えられないぐらいに青ざめていた。サロマ湖を出発する時、青ざめた鏡子さんの顔を見た槌川さんは、「お前、化粧ぐらいしろよ。女だろう」と笑った。鏡子さんは黙っていた。
大丈夫ですかと声をかけた永倉に、大丈夫だと鏡子さんは答えた。でもバイクに乗るのが辛そうだったと永倉は言った。
網走のキャンプ場に着いた時、それでも鏡子さんは永倉と一緒にみんなの食事の用意をした。でも槌川さんや他の二人がビールを進めても飲もうとしなかった。
「どうしてお前は人の好意を素直に受け取れないんだ」
槌川さんがビールの入ったコップを渡すと、鏡子さんは一口だけビールを飲んだ。
そこのキャンプ場の近くには露天風呂があったけれど、鏡子さんは入りに行こうとせず、永倉と一緒に食事の後片付けを済ませると一人でテントに入ってしまった。考えてみると、大洗を出てから鏡子さんが風呂を使ったのは、旭川のキャンプ場にあった備え付けの個人向け簡易シャワー室の時だけだった。熱でもあるのだろうか、と永倉は心配になった。
夕食を取り終えて露天風呂に向かう途中で、「鏡子さんは具合が悪そうだけど、大丈夫なんですか?」と永倉は槌川さんに尋ねた。
「あいつは今、アレなんだ。別に病気じゃないんだし、お前が気にすることじゃない」
槌川さんは笑った。他の二人は少し驚いていた。
「何も隠す必要はないだろう。恥ずかしいことじゃないんだし。変に隠そう隠そうとするから、心配されたり妙な勘繰りを受けるんだよ。堂々としてればいいんだ。あいつは神経質過ぎるんだよ」
槌川さんは笑っていた。
俺は最初それがどういう意味なのか良く分からなかったんだ、と永倉は困惑した顔でぼくから目をそらした。そして俺のところは男所帯だからな、とポツンと呟いた。
ぼくはその意味を考えた。そうか、と思った。槌川さんの言動が信じられなかった。
同じ人間でも、男と女の間には精神的にも肉体的にも決して越えられない溝がある。
ぼくは小学校二年生の春休みに、女性には『生理』というものがあることを父から聞かされた。
そのきっかけはコカ・コーラだった。
ぼくが冷蔵庫のコカ・コーラを無断で飲んでしまったら、母がひどいヒステリーを起こしてしまったのだ。持っていた栓抜きを床に叩きつけた母は、金切り声をあげてぼくのことを滅茶苦茶にぶった。それまでだって冷蔵庫の中にあったコーラを勝手に飲んだことがあったけれど、別に何も言われなかった。
驚いたのと恐いのと痛いのとで、ぼくは声をあげて泣いた。それを近くで見ていた真澄もつられて大声で泣き出した。ぼくと真澄の泣き声を耳にして、母のヒステリーはますますエスカレートした。
その日はちょうど日曜日で、母の金切り声とぼくと真澄の泣き声を耳にした父は、二階の書斎から吹っ飛んで来た。ぼくと真澄に泣くのを止めるように言った父は、取り乱している母を二階の寝室に連れて行き、そのまましばらく降りて来なかった。
泣き疲れたぼくと真澄が居間のソファーに座ってぼんやりしていると、二階から降りて来た父は、「お母さんは病気じゃないけれど、今はちょっと具合が良くないんだ」とソファーに腰を降ろした。
そして、女の人には月に一回『生理』というものがあって、その時は体がだるくなったり、頭やお腹が痛くなったり、イライラしたり落ち込んだりして気持ちが不安定になる、それはお母さんの気持ちとは関係なくそうなってしまうんだ、と言ってぼくと真澄の顔を交互に見た。
その言葉の意味が良く分からなかったぼくは、黙って父の顔を眺めていた。
父は居間の本箱の中から一冊の百科事典を抜き出して該当ページを開き、それを使いながら、ぼくと真澄に男女の体の機能の違いを一から細かく説明した。その百科事典は子供向けのものではなく、図も説明文もほとんど医学書に近いものだったけれど、父の説明を聞いているうちに、事の次第がぼんやりと飲み込めて来た。
「だから、お母さんは四季のことが憎たらしくてぶったわけじゃない」
ぼくは何となく頷いた。
「これはとても大切なことだ。だから決して軽々しく口にしてはいけない」
ぼくは今度は頷かなかった。
学校で貰うPTAなどの連絡プリントを出し忘れたりすると、「どうしてこういう大切なものを今頃になって出すの」と母からひどく怒られるからだ。ぼくは父にそう言った。
「それは普通に大切なことだ。普通に大切なことはきちんと話すんだ。でも本当に大切なことは、軽々しく口に出してはいけない」
「どうして?」
ぼくは父に訊いた。
「どうしてとかそういうことじゃない。そういうものなんだ」
父はぼくと真澄に言った。
そういうものなのか、とぼくは思った。
ぼくと真澄の顔をしばらく黙って見ていた父は、「返事は?」と言った。ぼくは「はい」と返事をした。隣の真澄も「はい」と言った。
ぼくは真澄と一緒に百科事典の男女の生殖器の説明図を眺めながら、男と女は見た目は似ているけれど、どうやらちょっと違う生き物らしい、と思った。
「お母さんは生理の時はとてもコーラが飲みたくなるんだ。だからこれからは飲んでいいか聞いてから飲むようにしろ」
最後に父はそんなことを言った。夕食の時には母の機嫌はケロリと直っていて、普段と何ら変わった様子はなかった。
母はかなり神経質で感情過多みたいなところがあった。子供だったぼくは、母の機嫌がくるくると目まぐるしく変わることがいつも不思議で仕方なかった。でも、父のその説明を聞いた後は、母がすぐ泣いてしまったり、ちょっとしたことで怒ったりするのは、きっとその『生理』のせいだろうと考えるようになった。そう考えると妙に得心が行った。
男のぼくが女性の『生理』を自分で経験することは絶対に無理なことだ。だから完全に理解することは不可能だし、知識でしか分からない。それも恐らく必要最低限の知識だろう。ただ、自分の一番身近な女性の『生理』を考えた場合、確かにそれは病気ではないのかもしれないけれど、そんなに軽く扱ってはいけない事柄だと思っている。父を見ていてそう思った。
時々、父は会社が早く退けた帰りに、コカ・コーラと一緒にハーゲンダッツのアイスクリームや神戸屋のクロワッサンや亀屋万年堂の黒蜜寒天を買って来ることがあった。それらはいずれも母の好物で、子供だったぼくは冷蔵庫にしまわれたコカ・コーラを見るたびに、母が今は『生理』で気持ちが不安定な状態なんだと思った。そして真澄と一緒に父のお土産を食べながら、なるべく母の気に触るようなことをしないように気をつけた。
ぼくは永倉の話を聞きながら、父と母の顔を思い浮かべた。
その夜、トイレに行った永倉は、鏡子さんと槌川さんが駐車場のバイクの前で話をしている場を偶然目にした。二人の様子に何となく声を掛けそびれた永倉は、そのまま物陰から二人の話に耳を澄ました。
体調が良くないから一足先に帰りたい。鏡子さんは槌川さんにそう言っていた。足もないのにここから一人で帰れるわけないだろう。不機嫌そうな槌川さんの声が永倉の耳に入って来た。電話でタクシーを呼べば網走市内まで出られるし、そこから電車で釧路に行くからあなたや他の人達に迷惑はかけない。このまま一緒にツーリングを続ける方がみんなに迷惑をかけることになる。鏡子さんはそんなふうに槌川さんに話していたらしい。その鏡子さんの言葉に対して、槌川さんは黙ったままで何も言わなかったという。
夜が明けたら鏡子さんを自分のバイクの後ろに乗せて一緒に釧路に向かおう。永倉はそこまで聞いてテントに戻った。
「人の話を盗み聞きしたのは初めてだ。あれは実に嫌なもんだな。俺は自分がひどく下卑た人間になったような気がしたよ」
永倉は表情を曇らせた。
「でも、ぼくもその場にいたら永倉と同じことをしたと思うよ。仕方がないよ」
ぼくが知っている限り、永倉はそういうことが一番嫌いな人間だと思う。嫌な思いをしたんだな。目の前の不機嫌な永倉の顔を見たぼくはひどく悲しくなった。
「そんなこともあって、俺もツーリングを切り上げて、鏡子さんと一緒に釧路から帰ろうと思ったんだ」
「うん…」
「槌川さんと研究室の二人の間はうまく行っているみたいだったし、ギクシャクしている原因は、鏡子さんもそうだけど、俺もそうだったからな。俺もいい加減嫌になってたんだ」
「うん…」
「でも、朝になると、槌川さんは研究室の二人と機嫌よく話しながら、鏡子さんの荷物をさっさとバイクに積んだんだ」
「どうして?」
「分からん。俺はてっきり別行動になると思ってたんだよ。でも、そうじゃなかった」
「鏡子さんは何も言わなかったの?」
「もう口を開くのもつらそうだった。槌川さんが自分の荷物をバイクに積むのを黙って眺めてたよ。『早く乗れよ』と槌川さんが言うと、鏡子さんはバイクの後ろに乗った。もうどこか諦めてるような感じだった」
網走から美幌峠を越えて釧路湿原に出た時は、鏡子さんはやつれ切っていて口もきけなくなっていたと永倉は言った。風呂にも入れなかったし、食事もまともに取れなかった。
摩周湖に着いてラーメン屋に入った時、鏡子さんは再びトイレにこもってしまった。
どうにも心配になった永倉は、ツーリングを切り上げるか、鏡子さんだけ先に帰したらどうだろうか、と槌川さんに言った。そんなこと出来るわけないだろう、と槌川さんは取り合わなかった。それならせめて一晩ぐらい、どこか屋根のある所に泊まってゆっくり休んだらどうだろうかと永倉は槌川さんに提案した。
「そんなことをしたら、わざわざテントと寝袋を持って来た意味がなくなるじゃないか」
槌川さんはその提案を退けた。
でも後の二人もそうした方がいいのではないか、と槌川さんに言った。
「あいつはちょっと疲れてるだけなんだよ。でも俺達だって疲れてるんだからな。あいつだけを特別扱いをする必要はない」
槌川さんはどうしても譲らなかった。
「そういえば槌川の家は開業医だったな」
一人が言った。
「やっぱり内科なのか?」
もう一人が訊いた。
「産婦人科だ」
槌川さんがそう答えると笑いが起こって、その二人はもう何も言わなかった。永倉は黙った。どうしていいか分からなかった。
トイレから戻って来た鏡子さんは、青い顔をしたまま、永倉達から少し離れたところで体をまるめてじっとしていた。
ウエイトレスの女の子がコーヒーのお代りを注ぎに来た。黙り込んだ永倉は窓の外に顔を向けた。何てグロテスクな会話だろう。ぼくは槌川さんが分からなかった。
釧路湿原のキャンプ場に着いた時、鏡子さんはとうとう動けなくなった。食事の用意なんかとても出来るような状態ではなかった。もうボロボロだったと永倉は言った。
永倉が夕食の焼きそばの用意を始めた時、鏡子さんは青ざめた顔でテントの近くのベンチに座ってじっとしていた。研究室の二人が場内の風呂に行った後、一人でビールを飲んでいた槌川さんは、鏡子さんに向かって、「早く飯を作れよ」と言った。鏡子さんはうつむいて座ったままじっとしていた。
「管理事務所に行って鉄板を借りて来い」
槌川さんは鏡子さんに向かって管理事務所の方を指差した。大洗の港を出てから初めて、「嫌だ」と鏡子さんは首を横に振った。すると槌川さんは、「お前、そういう性格をいい加減に直せよ」とひどく怒鳴りつけたという。
永倉は包丁を置いて管理事務所に行こうとした。
「あいつに行かせるからお前が行く必要はない」
槌川さんは座り込んでいる鏡子さんの腕をつかんで無理矢理立たせた。
「早く行って来いよ」
槌川さんは笑いながら鏡子さんを押しやった。
鏡子さんはだるそうに体を引きずりながら管理事務所の方に歩き始めた。その鏡子さんのお尻を槌川さんは軽く蹴飛ばした。
「な、あいつは楽をしたいだけなんだ。本当はどうってことないんだよ」
槌川さんは笑っていた。
その場にいて、そのやりとりを実際に見ていた永倉の戸惑いが伝わって来るようだった。
ぼくは混乱してわけが分からなかった。何をどう言えばいいのか言葉が見つからなかった。
「鏡子さんは管理事務所からなかなか戻って来なかった。槌川さんはそのあとすぐに風呂に行った。俺は気になったから管理事務所まで行ったんだ」
「うん」
「鏡子さんは鉄板を運んでいたけど、途中で動けなくなってしゃがみ込んでいた。俺はその時になって始めて、鏡子さんの左の手首がないことに気がついたんだ」
「手首がない?」
ぼくはゾッとした。その意味がよく分からなかった。
「どういうこと?」
「ひどく腫れ上がって、手首がないんだよ。普通、人間の腕は肘から手の部分にかけて、こう徐々に細くなって行くだろう?」
永倉は日に焼けた太くてがっちりした左腕をぼくの前に差し出した。
「うん…」
「それがそうじゃないんだ。肘からここの親指の付け根までが全部同じ太さなんだ。手の平も指も、全部が熱を持っている感じで、ひどく腫れ上がってるんだ。あれじゃ物なんか持てない。指を少し動かしただけで震えが走るほど痛いはずだ。肘から指先までが、まるで象の足みたいに膨れ上がってるんだよ」
ぼくは声が出なかった。
「俺がどうしたんですかと聞くと、ちょっと手首を捻っただけだと鏡子さんは言った。でも、俺はもちろん嘘だと思った」
「どうして?」
ぼくは聞くのが恐かった。でも聞かずにはいられなかった。
「左の手首だった部分に、紫色の痣が残ってたからな。網走のキャンプ場で一緒に晩メシの支度をした時はそんなことはなかった。だからそれ以降のどこかで、誰かに凄い力でつかまれたんだろう」
永倉は誰とは言わなかった。ぼくも聞かなかった。
どうしてそんなことをするんだろう。
どうしてそんなひどいことになってしまうんだろう。
ぼくは分からなかった。怒りよりも何よりもわけが分からなかった。そのわけの分からなさが気持ち悪さと恐さを呼び込んだ。
「ちょっと捻ったりしたぐらいじゃ、あんなひどい腫れ方はしないと思う。あの腫れ方は骨折だよ」
「骨折…」
ぼくは鏡子さんの細くて白い手首を思い出した。
「鏡子さんは大丈夫だって言ったけど、俺は一応持って行った湿布薬を渡した。鏡子さんはありがとうと受け取って湿布薬を貼ろうとしたけど、手が震えて貼れなかった。だから俺が貼ったよ。でも、あんな湿布薬を貼ったって、あの腫れ方には焼け石に水だ」
「うん…」
ぼくは頷いた。頷くことしか出来なかった。
「俺は自分がひどく恐ろしいことをしているような気がした」
永倉は青い顔をしてぼくを見た。
その夜、永倉はテントの中で寝付けないままあれこれと考え事をしていた。でも深夜の二時を過ぎた頃、鏡子さんが永倉の元にやって来て、悪いけれど今からバイクを出して貰えないかと遠慮がちに頼んだ。鏡子さんは自分の荷物をまとめていた。釧路空港まで連れて行って欲しいと鏡子さんは言った。永倉は二つ返事で承知した。
俺はもう限界だった。この状況は何だろう。そう考えれば考えるほど分からなくなった。このままバイクに乗せて連れ回したら、鏡子さんは死んでしまうんじゃないかと不安で仕方がなかった。だから鏡子さんからそう頼まれた時は心底ホッとしたと永倉は深い溜息をついた。
自分の荷物をまとめてテントをたたんだ永倉は、まるで何かに追い立てられるように鏡子さんをバイクの後ろに乗せて、そのままキャンプ場を後にした。
「それでどうしたの?」
「朝方、釧路市内に着いて、鏡子さんを大丈夫そうなビジネスホテルまで送って、そこで別れた。あのままじゃ人前に出られないからな。それほどひどい状態だったんだ。俺はそのまま釧路から朝一番の飛行機で羽田経由で徳島に帰った。とにかく一刻も早くあの場所を離れたかった。俺は恐かったんだ」
そう言ってぼくを見た永倉の顔は、ひどく青ざめていた。
別れ際、それ以来鏡子さんとも槌川さんともまだ顔を合わせていない、と永倉は言った。
槇さんに逢ったかとぼくが聞くと、永倉は逢ったと頷いて黙っていた。柿崎さんに暑中見舞いを出したら残暑見舞いの返事が来た。槇さんのことは知っていたよとぼくが言うと、うんと頷いた永倉は、槌川さんは槇さんのことを知らないと思うと言った。
「鏡子さんは話してないのかな?」
「分からん。でも話題に出なかったからな。あの様子だと、多分何も知らないよ。少なくとも俺は話してない」
ぼくは何となく頷いた。
「あと、最近何か変わったことがなかったか、あったら知らせて欲しいって書いてあったんだけど、このことなのかな? 永倉は何か思い当たることはある?」
ぼくがそう訊くと、永倉は「ない」と首を横に振ってから、一応このことは知らせておいた方がいいかもしれないと言った。
「連絡先は知ってる?」
「知ってる。でもお前の方がいい」
「永倉の方がいいよ。直接行ったんだから」
「俺は文章は駄目だ。話すのはもっと駄目だ。分かるだろ? お前が知らせてくれ」
「分かったよ」
ぼくが頷くと、永倉はGパンの後ろポケットから取り出した小さな白い紙の袋を黙って差し出した。「ありがとう」とぼくが受け取ると、「じゃあまたな」と永倉はバイクに乗って横浜のアパートに帰って行った。ぼくはその後ろ姿が見えなくなるまでぼんやりと歩道橋の下で立っていた。
お土産の袋を開けると、中から灯台の形をした金色のキーホルダーが出て来た。それは手の平にすっぽりと収まってしまうぐらい小さなものだった。ぼくはGパンのポケットから家の鍵を取り出してそのキーホルダーをつけた。キーホルダーが入っていた小さな白い紙の袋は薄汚れてクシャクシャだった。
ぼくは黄昏の道を家路に向かった。
歩き慣れた住宅街はひっそりと静まり返っていて人の姿はどこにもなかった。耳に馴染んだ車の音や蝉の声もしなかった。目の前の真っ直ぐに伸びたアスファルトの道の先に夕陽が落ちて行った。
ふと何かの気配を感じて、ぼくは足を止めて後ろを振り返った。でもそこには長く伸びた自分の影以外には何もなかった。
真澄が来た日に店に流していたゲインズブールの綺麗なメロディーがぼくの頭に流れた。
『天を信じ、神を信じ、すべてが憎らしく見えても、心臓の血が騒いでも、彼が救われるかもしれないと心配するのは甘い考え。助けて、と何度も叫びたくても、本当のことなんか誰が分かる?』
ジェーン・バーキンはそんなことを歌っていた。本当のことなんかきっと誰にも分からない。
目の先がふっと翳ったような気がした。ぼくは永倉がくれたキーホルダーを握り締めて歩き出した。
「キャンプ場を出て、真っ暗な道を釧路の町に向かって走っている間、俺はずっと恐かった…」
青ざめた顔の永倉がぼくに言った最後の言葉を思い出した。
「…バイクは確かに動いているのに、同じ場所を堂々廻りしているような感じで、前に進んでいる感覚がまるでないんだよ。道路標識を見ても、本当に自分が標識を見たかどうか、すぐに分からなくなるんだ。だから走っていると不安になった。それに鏡子さんが本当に後ろに乗っているのか分からなくなって、恐くて仕方なかった。全然重たくないんだよ。紙みたいに軽いんだ。乗せ忘れたんじゃないか、途中で落っことしたんじゃないか、って何度も自分の腹を見て、そこに鏡子さんの手があるかどうか確認するんだ。でもジャンパーをつかんでる鏡子さんの手を見ても、そこから目を離すと、本当に自分が鏡子さんの手を見たのかどうか、やっぱり分からなくなるんだよ。振り返って鏡子さんが乗ってるかどうか確認しようと思っても、振り返るのが恐いんだ。バックミラーを見るのも恐いんだよ。だから何度もブレーキをかけようと思った。でも恐くてバイクを止められないんだ。恐さが先に立って、何が恐いのか、どうして恐いのかなんて、どうでも良くなった。とにかく一刻も早くこの場所から離れよう。何が何でもこの状況から抜け出そう。もうそのことしか考えられなくなった。何か得体の知れないものが地面から這い出して来て、足首をつかまれるんじゃないか、バイクごと引きずり込まれるんじゃないかって、恐くて仕方がなかった。俺は本当に恐かった。あんなに恐い思いをしたのは、生まれて初めてだ」
ぼくは実際にその風景を目にしたわけではない。その風景が実在するのかどうかも分からない。でも、その時のぼくの脳裏に広がって来たのは、ある一つの風景だった。
それは、太陽が沈んであたりが暗くなっても、遠くの山々に照り映えて残っている夕陽の光の中に、アスファルトで綺麗に塗り固められて延々とどこまでも続いている、長い長い終わりのない一本の黄昏の道だった。
三日後、槌川家と津田家の名前が印刷された結婚式の招待状が、郵便受けの中に入っていた。