1.宵
「魔法使いの相棒」の後日談的な話
ユールの紹介でかの“魔王”に弟子入りし、師団寮を出て……なんとなくどころではなく不思議だと感じる弟子生活が始まった。
まず最初は使える魔法やら知識やらをあれこれと試されたり確認されたりで、本格的な訓練に入ったのは1ヶ月も過ぎたあたりだったろうか。もと弟子……というか、かつて彼から訓練を受けていたという半妖精の女の子が「魔王様はスパルタなのでがんばってくださいね」と真剣な顔で言っていたけれど、なるほど、これは確かにスパルタかもしれないと思う。
はっきり言って、師団の仕事と並行で訓練を続けるのは相当にキツい。5日で魔術書を1冊読みきって次の5日で中身を習得するなんて、学生時代に鬼と言われた教官でもそんな無茶は言わなかった。これで家事雑事までやることになってたら、とっくに限界を迎えてたかもしれない。
……だが、魔王は意外に器用というか、家事雑事に関しては要領よく彼自身がさっさとこなしてしまっていた。
「──“魔王”がこんなに家事が得意だったなんて、驚いたわ」
夕食を食べながらそう言うと、彼は「口に合わぬなら、自分で作れ」と私を一瞥するだけだった。
「大丈夫よ。それに私、出された食事はありがたく全部戴く主義なの」
「そうか」
この魔王と呼ばれる魔族は、いまいち掴めないなと思う。あまり話さないし、表情も乏しいし、何を考えているのかがいまひとつわからない。ユールのように微笑みで煙に巻くのもアレだけど、彼のようなタイプも面倒くさそうだわ、と思う。
けれど、面倒くさいタイプだろうがなんだろうが、ユールの言う通り、彼は魔法使いとして確かに高位だった。長生きしている魔族というのは、さすが、伊達ではないのだなと思う。訓練中の彼の講義はとても有意義で、なるほど、エディトが魔族を師匠にしようと考えたのにも頷けた。魔族討伐なんてものがなかったら、きっと魔術師団にだって多くの魔族が所属してたに違いないだろう。
「いったい、どれくらい時間があったら、これだけの知識を得られるのかしら。驚きだわ」
思わず感嘆の声を漏らすと、彼はいつものように私をちらりと一瞥する。
「……お前も、時間が足りないと思うクチか」
「そうね、そりゃ時間があればあるだけありがたいし、やりたいこともたくさんあるわ。でも、限られてるからこそ頑張れることもたくさんあるのよ。人間のいいところはそこね」
お前“も”? と内心首を傾げながら、けれど澄ました顔を作って答えると、彼は「そうか」と小さく微笑んだ。それはいつもの口元だけに浮かべる形だけの笑みではなくて、なんだ、ちゃんと笑えるんじゃないの、と思えるものだった。
──やりたいこと。
それはもちろん、あの“リベリウス”になってしまったカリンを仕留めることだ。今の私じゃ魔法も何もかも及ばないし、誰かあれ以上に剣を使えて私に付き合ってくれる剣士だって探さなければならない。そのための時間だって、どれくらい必要なのかわからない。
ともすれば、とても無理なのではないかと諦めてしまいたくなるけれど、それだけは絶対に嫌だ。オルトに合わせる顔がない。
……あの時、ユールに水鏡を突きつけられて、よかったのか悪かったのか未だにわからない。けれど、あの時、私が何をすべきか固まったのは確かだ。自分の矜持にかけて、やり遂げなくちゃいけない。
夜、暗い空を見ながら考える。
最初は、本当に、珍しいものを手に入れた研究者としか彼を見ていなかった。こんなすごいものを研究できるなんて羨ましくて、どうにか食い付きたいと思っただけだったのだ。知的好奇心は、いつだって自分の原動力だったから。
彼から向けられている好意にはもちろん気づいていた。だって、いつものことだから。たいていの男はこの見た目にひっかかるし、中身も見た目に準じるものだと思ってるから、どうせ彼もそうなんだろうと考えていた。なら、利用してやるだけだもの。
エルネスティのいいところはこういう負けん気が強くて下手な男よりもしっかりしてる中身のほうよ、わからないやつが馬鹿なだけ……なんて言ってくれたのは、エディトくらいだったのだ。
──それが、いつから変わっていたのか、自分でも気づいてなかった。はっきり自覚したのはほんとうにあの時のあの場所だったのだ。
だから、もう後がないなら悔いが残らないようにと、自分の一世一代の告白だったのにあっさり流されてその上……。
「落として持ち上げて谷底に叩き落すなんて、最低よ」
本当に最低。悔いが残りまくりだわ。でも、その一方で拒絶じゃなくてよかったと安堵する自分もいる。もう彼はいないのに。いるけど会えないのといないから会えないのは似て非なるものだという言葉は誰のものだったか。どちらがより残酷なことなのか。
ぼんやりと視界が滲む。いろいろ思い出してしまうから、夜は嫌いだ。特に、ひとりでいる夜なんてろくなことを考えないから余計に嫌いだ。
溜息を吐いて窓辺に蹲る。こうやっていつまでも引きずってうじうじとしている自分が一番嫌いだ。
女なんだからとかひ弱なくせにとか言われ続けることが悔しくて、知識と魔法を手にして強くなりたいと願っているのに、いつになっても強くなった実感なんて湧かない。むしろ、自分はどこまでいっても弱い存在でしかないのだと思うばかりだ。
ふと顔をあげれば、東の空には白い月が浮かんでいる。白き月と道標の神は、暗闇を照らし迷えるひとに道を教えてくれるというけれど、私にも辿るべき道を示してくれるのだろうか。
「……子供の頃は、もっと世界は単純だと思ってたのにな」
ぐしぐしと目をこすりながら独りごちる。こんなに複雑な気持ちで月を眺める日が来るなんて、と考えていると、扉が叩かれた。
「開いてるわ」
がちゃりと開いて入ってくるのは、魔王だ。あたりまえだ、この家にはふたりしか住んでいないのだから。
彼は部屋に3歩踏み入れて、それから少し驚いたように小さく目を見開いた。
「……後にしたほうがいいか?」
「……そうやって変に気を回す男ってもてないわよ」
「ではどうしろと」
今度は目を眇める彼に、くすりと笑う。
「そういう時は、何もないかのように振る舞うのがいいのよ」
「では次からそうしよう」
それだけを言って踵を返す彼に、「待って」と声を掛ける。
「用があるんでしょう? 少しくらい、話をしていってもいいんじゃないかしら」
はあ、とあからさまな溜息を吐いて、彼は振り返る。
「招待状の件で確認しておこうと思ったことがあっただけだ。別に今でなくてもいい」
再び扉へと向こうとする彼を慌ててもう一度呼び止めて……「私が、話をしたいのよ」と告げる。
「こういう状況で、ひとり放って置こうなんて、やっぱりあなたもてないでしょう」
「……お前は何がしたいのだ」
少し呆れたような口調で、彼は私に問い返す。
「別に、話がしたいと思っただけよ……ひとりでいても、つまらないから。たまには少しくらい付き合ってくれてもいいでしょう?」
もう一度目をこすって、私は立ち上がった。
「お茶を淹れるわ。座ってて」
窓の外には輝きを増した白い月が、ゆっくりと昇っていく。




