3.はじめての魔王討伐(再)
「剣が怖いっていうのは、初めてですね」
「うん。さすがに、そういうのが戦場に出てきても普通は死ぬからね」
「そこを魔法の素養で回避ですか……ん、なるほど」
スカイエは突然何かを思いついたように、魔法を唱えた。
「ああ、やっぱりそうですね」
「何が?」
「あのエレオノーレという子も、彼の魔法の庇護下にありますよ」
「へえ?」
さすがに驚く。通常、魔法の素養があっても、訓練を受けてないものが他人に継続的に魔法的な効果を付与するというのは考えにくい。うっかり暴発して怪我をさせてしまうというのはよくあるが。
「だからあの子も無事に森を抜けたんですか。おもしろいですね」
ふむ、とスカイエは何かを考え込む。
「魔王に質問です」
「……何だ?」
「あの騎士は、剣への恐怖がどうにかなれば、まともに戦えるようになりますか?」
すっかりわたしの呼び名が“魔王”で定着したスカイエに、少し眉を顰めながら考える。
「まあ、普通に使える騎士にはなるだろうね」
「では、やってみる価値はありそうですね」
「何を?」
「妖精お得意の、幻覚魔法です」
幻覚魔法でいったいどうするのかと思ったが、スカイエは「まあ、見ててください」というばかりだった。
「騎士トイヘルン。話は聞きましたよ」
まだ座り込んでいたトイヘルンに、スカイエはにこやかに声を掛けた。こいつは剣が怖い云々よりも、この気持ちの弱さを先にどうにかしたほうがいいんじゃないだろうか。
「スカイエさん……」
「たぶんあなた自身も気付いているとは思いますが、その怖いという気持ちをなんとかすれば、一度くらいは勝てるでしょう」
「……そうでしょうか」
さらに言うならこの自信のなさもどうにかしたほうがいいだろう、とも考えながら、ふたりのようすを見る。
「木剣での訓練ならなかなかだと魔王に聞きましたよ。それに、あなたは護りの魔法の素養持ちではないですか」
「はあ……」
「その素養があれば、怪我も最小限です。何と戦ってもかすり傷で済みますよ」
「そういうものでしょうか」
「そういうものですよ」
やけににこやかに持ち上げながら、スカイエが断言する。幻覚魔法でいったい何をどうするつもりなのか。
「そこで、私があなたに魔法をかけましょう。剣が怖いという気持ちを消す魔法です。これさえ掛ければ、他の騎士のように勇敢に戦えることは間違いありません」
「そんな魔法があるんですか?」
半信半疑の、やや疑わしそうなトイヘルンの視線を受けて、スカイエは自信たっぷりに頷く。わたしがほんとうに大丈夫なのかと心配になるくらい、自信たっぷりにだ。
「ひとの力の及ばないことをどうにかするのが魔法です。特に私は妖精ですから、人間とはまた違った魔法の使い方ができるのですよ」
「はあ……」
「まあ、あれこれ悩まず、まずは試してみましょうか」
スカイエはトイヘルンを立たせて、魔法を唱えた。トイヘルンは不思議そうに自分の身体をあちこち眺めている。
「これで大丈夫なはずです。さあ、魔王、やってみてください」
「わかった。ではトイヘルン、剣を構えろ。スカイエ、合図を頼む」
スカイエは頷いて、少し離れたところに立った。
「さあ、ふたりとも構えてください……はじめ!」
──変化は劇的だった。
これまで、剣をびくびくと怖がって、ろくに斬りかかることすらできなかったトイヘルンが、こちらの振りかざす剣をまったく気にせずに自分から打ち掛かってきたのだ。
「なるほど、これは効果的だ」
彼の剣を捌きながら、ようやく10日でなんとかなりそうだという実感が湧いてきた。これなら10日で間違いなく彼らは去ってくれるだろう。
こうしてまともに打ち合うことさえできれば、トイヘルンはそれほど弱くはない。むしろ、魔法の素養のせいでまともに攻撃を当てられない、こちらのほうが不利となる可能性すらありそうだ。
……そうはいっても、真剣でのまともな打ち合いはこれが初めてなのだから、まだまだといったところではあるが。
「これで普通に打ち合えるんだから、もう負けたっていいじゃない、魔王!」
「……ほんとうにそれでいいのか? 並のやつと手合わせして負ける程度じゃ、ほんとうに討伐できたか疑われるんじゃないのか?」
さっそく出てきたエレオノーレにそう返すと、ぐっと詰まった。彼女もさすがにそこは気にするのか。
「せいぜい10日みっちり稽古をつけてやる。この程度にわたしが負けたと思われるのは、さすがに許せない」
そこからは、毎日かなりの訓練をした。最終的に負けてやって引き上げさせるにしても、あまりに弱いものに負けるのは癪なのだ。せめて中の上くらいには使えるようになってもらわないと困る。
幸いというか、トイヘルンが騎士としての訓練をそれなりにやっていたというのは救いだった。
「ねえ魔王、いつになったらトイヘルンを勝たせるのよ」
「最終日にもう一度手合わせをするつもりだ」
「ええ、最終日なの? 待ってるのって、結構暇なんだけど」
「マリエンに家事でも教わったらどうだ」
「帰ったらやらなくてもいいことを、どうして今覚える必要があるのよ」
「なら寝てろ」
……こいつらがいなくなったら、どうにかして外からひとが近づかないような魔法を掛けておこうと、心に誓った。
「いよいよ明日ですね。どうですか、彼は」
暖炉の前で話をしているらしいふたりをちらりと見ながら、スカイエがこちらへ来た。
「来た時に比べれば、雲泥の差だよ」
「それはよかった。相当酷かったですからねえ」
「いったい、どんな魔法を使ったんだ」
「単に、剣を見た時に湧き上がる“怖い”という気持ちを、別なものに錯覚させただけですよ」
「だけっていうけど、かなり難しくないか?」
「そこは、さすが妖精のベテラン魔法使いと思ってください」
くつくつと笑うスカイエを、少し呆れた顔で見てしまう。
「で、その魔法はいつまでもつんだ?」
「そんなもの、とっくに解けてますよ」
「は?」
「そうですね、最初の1日か2日くらいでしょうか、魔法の効果が残ってたのは。まあ、一度怖くないということを実感で覚えればなんとかなるのではと考えたのですが、目論見通りでしたよ」
何か妙に力を入れて話をしているふたりを眺めながら、頬杖を突く。
「なるほど……それは本人に言わないほうが良さそうだな」
「そうですね。わりと単純な子のようですから」
お茶淹れたわよーと言いながら入ってきたマリエンからカップを受け取りながら、「そういえば」とわたしは思い出したように口に出した。
「彼らがいなくなったら、この森に迷いの魔法みたいなものを掛けたいんだ。スカイエとマリエンは、そういう魔法を知らないか?」
ふたりは首を捻って顔を見合わせた。
「迷いですか。あるにはありますが、それを知っているのは妖精王陛下ですねえ……それに、その魔法は妖精郷を囲む森に掛かってるもので妖精郷の門外不出ですから、この森に掛けるのは難しいと思いますよ」
「幻覚魔法で……って言っても、範囲が広すぎてちょっと厳しいわよね。でも、魔王。そんな魔法をこの森にかけたらますます外の興味を引いて、ここに魔王がいますって宣伝することになるわよ」
「やっぱりそうかな……」
人払は思いのほか困難だということか。どうしたものか。
「引っ越すのがいちばん手っ取り早いんじゃないかしら」
首を傾げながら言うマリエンに、溜息を吐く。
「……引っ越しはしたくないんだ」
「では、なんとか凌ぐしかないでしょうね。彼らがいなくなったあともまた来ると思いますよ、魔王討伐が」
スカイエは肩を竦めて続ける。
「やりようによるとは思いますけど、ゼロというわけにはいかないでしょうね。対策を考えておいたほうが良いですよ」
最終日、トイヘルンはここへ来た時に身に付けていた甲冑をしっかりと着込み、わたしの前に立った。
「では、用意はいいですか──はじめ!」
最初の手合わせの時のように、スカイエの合図で開始する。
10日前は脱力するほど手応えのなかった打ち合いが、今度はまともに進んでいく。この分なら、魔法なしなどと条件を付けなくてもよかったかもしれない。
「トイヘルン、そこよ!」
まともに戦えるようになった彼の姿に興奮して、エレオノーレが声を上げた。ほんとうに、最初と比べて雲泥の差だ。
……結局、数時かけて散々やり合った結果、種族による体力の差のおかげか、どうにかトイヘルンがわたしから一本をもぎ取ることができた。こいつに、と考えると若干悔しくはあるが、納得はしようと思う。
「じゃあ、はい」
翌朝、ようやくここを出て行くというふたりを見送って外へ出ると、エレオノーレがなぜかぐいと掌を上にして手を差し出した。意味がわからず首を傾げると、イラついたようにわたしに向かってさらに手を突き付けてくる。
「ちょっと、討伐の証になんか寄越しなさいよ」
「はあ?」
「魔王を倒した証よ。当然なんかあるのよね」
「……」
わたしは黙って指輪を外すとエレオノーレに投げつけた。指輪は彼女の額に結構な勢いで当たり、地面にころころと転がる。
「それをやるからとっとと帰れ」
「ちょっと痛いじゃないの! 乱暴ね! これだから魔王は!」
ぶつくさと文句を言いながら指輪を拾い上げると、「ほんとはそのご立派な角とかのほうがいいんだけど、これで勘弁してあげるわ」と言った。こいつはいったい何を取っていくつもりだったのか。
「じゃ、トイヘルン、帰りましょ! 町まで凱旋よ!」
「あの、どうもお世話になりました」
「どうでもいいからお前たちは二度と来るな」
ぺこぺこ頭を下げながら馬に跨り、トイヘルンとエレオノーレのふたりはようやくここを出て行った。
──“魔の森”にいちばん近い町トイヘルンの領主家には、その昔、この町の名前の元であり祖となった騎士トイヘルンが、魔王を討伐した証に持ち帰ったという“魔王の指輪”が代々伝えられているという。




