2.ヘタレ騎士
「お茶のおかわりなら、まだあるわよ」
なぜか今、わたしの家の中で茶を飲み、全員で落ち着きながら話をしている。それにしても、マリエンが勧める茶菓子をふたりが遠慮なくつまむというのは、いったいどうなのか。
「……ところで、ひとつ確認しておきたいんだけど、どうして君たちはこの森に“魔王”がいると思ったんだ」
騎士と娘はぽかんと顔を見合わせた。
「……だって、この森は“魔の森”よ? 魔物だってやたらうようよしているし、どう見たって魔王がいるならここじゃないの」
何を当たり前のことを聞くのか、という顔で説明され、かなりへこんだ。この森に家を作ったわたしに先見の明がなかったということなのか。
「……魔力は多いし魔物も多いし、こっそり住むにはいいと思ったんだけどなあ」
横でまたスカイエが笑い出している。
「ああもう、わかった。さっさと剣を合わせるから、満足したら帰ってくれ」
「あら、魔王を討伐するまでは帰れないわよ!」
「勘弁してくれ。わたしはまだ死ぬつもりはないし、君たちだってそれは同じだろう」
「じゃあ、こうしたらどうかしら。3本勝負で先に2本取ったら勝ち。殺さなきゃ何をしてもよい、ってことにするの。生きてさえいればちゃんと私が癒してあげるから、安心してね?」
うふふ、と微笑みながら首を傾げるマリエンの提案に従い、それで勝負をつけようということになった。
「はい、これで魔王の勝ちです」
既に十数回の“仕切り直し”を経て、すっかりやる気のなくなったスカイエの声が上がり、トイヘルンがぺたりと座り込む。
──はっきり言ってトイヘルンは弱かった。
「これは、相当でしたね……」
「ちょっと話にならないわね?」
魔法使いであるはずのスカイエすら絶句した。「たぶん、私でも避けられるんじゃないかしら」とマリエンも呟いている。
「基礎はできてると思うんですが」
「たぶんね、腰が引けてるのよ。ものすごーく。たぶんビビりなのね」
口々に勝手なことを述べる魔法使いたちの傍で、娘がわなわなと震えてキッとわたしを睨む。
「ちょっと魔王! 少しくらい手加減してよ! これじゃいつまで経っても帰れないわ!」
これだけやって、わたしが悪いとでもいうのか? この騎士が弱いのはわたしのせいなのか?
あまりの言い掛かりについカッとなってしまう。
「手加減と言ったって限度がある! わたしは魔法も使わず、しかも逆手で剣を扱ってるんだぞ! この上何をどう手加減すればいいんだ!」
なんなんだほんとうに。こいつの弱さはありえない。ほんとうにこれで騎士だというのか。
「……それに、いくらなんでも、200年近くそれなりに腕のある傭兵の魔法剣士として食ってきたのに、これに負けろってのは酷すぎる! どうやればこいつに負けられるというのか説明してくれ!」
座り込む騎士を指差してそう怒鳴れば、娘も負けていない。
「ええ!? でもあなたも魔王だっていうなら騎士に負けてよ! 負けるくらい簡単でしょう!? 負けてくれなきゃ騎士が姫を助けられないじゃないの!」
「その魔王というのも、君たちが勝手に言い出したことじゃないか。どうしてわたしがそれに乗らなきゃいけないんだ!」
「でも、そうじゃないと私とトイヘルンが結婚できないのよ、困るわ!」
「知ったことか! デーベルンの新兵だってこれよりもうちょっとマシだったぞ! こいつはいったいどれだけの訓練を受けたというんだ! 一週間の付け焼き刃でももう少し使える兵になるだろうが!」
「ええと、ふたりとも、落ち着いて?」
真剣にどなり合うわたしと娘の間に。うふふ、とマリエンが微笑みながら入ってきた。その間も、騎士トイヘルンは呆然と間抜けな顔のまま座り込んでいるだけだ。
「こうしたら? トイヘルンは魔王に10日間師事して、その間に一本でも取れるようになったらお姫様を連れて帰るの。取れなかったら、そうね、私が責任持って追い出すわ。その時は、ふたりで駆け落ちでもなんでもしてもらいましょう?」
また、何を言いだすんだマリエンは。
「魔王に剣を師事する騎士なんて、聞いたことないよ、マリエン」
「だって、そうとでも決めないと、きっとこの子達いつまでもここにいるわよ?」
「……確かに」
マリエンの提案に目を輝かせてわたしを見る娘と騎士に目をやり、眩暈を覚えながら頷いた。10日だけ我慢すれば、こいつらが確実にいなくなるのなら……。
「トイヘルン、やったわ。10日間あれば1回くらいは魔王の寝首をかくチャンスがあるに違いないわ」
「エレオノーレ様、俺、がんばります」
「……寝首をかくのは禁止だ。あくまでも訓練中にわたしから一本取れ」
「ええっ!」
娘、なぜ驚く。
「そうねえ、寝首はちょっとよろしくないと思うわ。とにかく、10日間、がんばってね? あ、魔王、私とスカイエもここに泊めて貰うわね」
翌日から、騎士を相手に剣の訓練をすることになった。カツンカツンと半日も剣を合わせていれば、さすがに気づくことだってある。
「君は、もしかして真剣が怖いのか?」
騎士……トイヘルンは言われてびくりと肩を震わせた。どうやら怖いらしい。
今日、少し訓練しただけであからさまにわかることだった。訓練用の木剣を使っての打ち合いやひとりで素振りをするだけならマシなのに、真剣に持ち替えて打ち合い始めたとたん、ぐだぐだになるのだ。
「よくそれで騎士になんてなったね。君が戦場に出たら間違いなく死ぬよ」
「そ、それは、大丈夫です」
「何が大丈夫なんだ。もしかしてもう実戦は経験済なのか、これで」
「不思議と、剣も矢も当たらないから……」
「は?」
当たらない? 彼の言葉ににわかに興味を覚える。何か強力な護符でも持ってるのだろうかと、目を眇めて集中してみれば、確かに何やら魔力を感じた。
「……これは、護りの魔法? 護符……とは違うようだけど、何か持っているのか? いや、魔法がかかって……いるにしては、弱いな」
集中し、考え込むように呟くと、トイヘルンは首を傾げ、そのようすにわたしも首を傾げる。
「え? なんのことですか?」
「持ってない? 少し待った」
わたしは魔法をいくつか唱え、改めて彼をつぶさに観察した。魔法を掛けた覚えもないのに魔法の気配があるのは、どういうことなのかと。
「……驚いたな。君には魔法の素養があるようだ。しかも防御……というか、護りというか」
「え?」
少し調べれば、すぐにわかった。防御、護り、結界……そのあたりの魔法、というより魔力の気配が強く感じられるのだ。
「ずいぶん、その方向に突出しているようだな。当たらないはずだよ、君は無意識に魔法の護りを纏ってる状態なんだ。君を狙った矢も剣も、君の魔法の力でどうにか逸らされていたってことだね。無事に森を抜けることもできたはずだ」
呆れた。無意識とはいえ、魔法の護り頼りで今までどうにか実戦を渡ってきたということか。ほんとうに危なっかしい騎士だな。
……しかもこれは厄介だ。
「今まで魔法使いに会ったことは?」
「いえ」
「なるほどな。誰も気がつかないわけだ……精霊魔法の素養みたいに周りが嫌でも気づくものじゃないからね」
ふう、と溜息を吐く。なんだか厄介ごとばかりが増えていく気がするなと眉間に皺のよるわたしの前で、彼はごくりと喉を鳴らした。
「あ、あの……魔法の素養があると、どうなんですか?」
「端的に言えば、魔法使いになれる可能性がある」
「はあ」
「けど、君の場合、気がつくのが少々遅かったから、実際になれるかどうかは微妙だ」
「そう、なんですか?」
「うん、普通は遅くても12、3くらいで訓練を始めないと、魔法使いになるのは難しい」
トイヘルンは何故かがっかりしたような顔で溜息を吐いた。
「……君はもしかして、騎士になりたくなかったのか?」
「そ、そんなことはありません!」
「ふうん?」
わたしの質問に慌てて首を振る彼を、目を眇めてじっと見詰めると、顔を紅潮させて目を逸らした。
「う、うちは、代々優秀な騎士の家系なんです。だから、俺だって、立派な騎士にならなきゃ……それに、エレオノーレ様だって……」
ああ、なるほど。
「……事情はなんとなく想像できたよ。まあ、大変だな、とは思うが」
「なら、俺に負けてください」
「それは無理だ。そもそも君に負けられる剣士なんているのかってレベルだぞ」
トイヘルンは、はあ、と、また溜息を吐いて項垂れた。
「……やっぱりそうですよね。旦那様が“噂の魔王を倒せたら結婚を認めてやる”って仰ったのだって、体良く諦めさせようとしたんだと、俺にだってわかります」
「ああ、なるほど」
「エレオノーレ様は、大丈夫、できるって仰るけど、どうしたら剣が怖くなくなるんですか。どうしたら魔王みたいに強くなれるんですか」
「いや、そこはわたしに聞かれても困るよ。剣が怖い騎士なんて会ったのは、長く生きてるが君が初めてだ」
「はあ……やっぱり俺には無理なんだ」
「……諦めるなら、帰ってくれるとありがたいんだが。それと、魔法のことならわたしよりもスカイエかマリエンに相談したほうがいいと思うよ。わたしは魔法使いではないからね」
地べたにしゃがんでのの字を書き始めたトイヘルンを置いて、わたしは休憩を取ることにした。