1.囚われの姫君
「目を開けたら異世界でした」
後日談的な話。皇都が壊滅して数年後のできごと。
「やあ。あなたの根城はやはりここでしたか。あなたらしいと言うべきか」
やけににこにこと笑う妖精に、わたしは知らず渋面になっていたようだった。
「あなた、今人間からなんて呼ばれているかご存知ですか? 魔王ですよ、魔王。エルスターが崩れたのも皇城が崩れて皇帝陛下が下敷きになって死んだのも、全部魔王の逆鱗に触れて呪いを受けたからだそうですよ。今の皇国の混乱も、全部、魔王が悪いという話です。確かに逆鱗には触れたかもしれないですけど、あれ全部魔王の仕業とか、破天荒すぎて笑いました。あなた、いつの間にか魔神並の力を持ってることにされてますね。
あれが人間の自業自得というのは大抵の妖精なら知ってますけど、人間の流言飛語はすごいですね。私も妖精郷を出てから長いですが、今回はさすがに驚きましたよ」
いつもはどちらかというと無表情に近いのに、今日に限って何がツボに入ったんだか、笑いっぱなしでしゃべりっぱなしだ。
「それで、わざわざこんなとこまで何しに来たんだい、スカイエ。その話をするためかい?」
中に招き入れて茶を淹れながら聞くと、彼は改まったように座り直した。
「ああ、妖精王陛下から、あなたのご協力に感謝しますとの伝言を持ってきました。褒美を、とも仰ってましたが、おそらくあなたは受け取らないだろうと思ったので……今後、あなたが必要とするなら、妖精郷はあなたの後ろ盾となることをお約束しましょう、ということになりましたよ──魔王」
“魔王”と呼んで、スカイエはまた表情を崩してくつくつと笑う。何がそんなにおもしろいのか。
「……そんなに“魔王”が気に入ったというなら、もっとそれらしい口調で話してやろうか」
「それ、いいですね。そのうち、魔王討伐の騎士とかが現れますよ。この家も、魔王らしく城にでも改装したほうがよいんじゃないでしょうか」
肩を震わせて笑い続ける妖精に、わたしの眉間の皺はますます深くなる。
「君たちが資金と維持のための人員を出してくれるなら、考えてもいいよ」
はあ、と溜息を吐いてそう言えば、スカイエは「なら、そのように妖精王陛下に打診しましょうか?」と返してくる。どこまで本気かわからない妖精に「いや、やめておく」と溜息をもう一つ吐いた。妖精は意外に悪ふざけや冗談を好む種族でもある。冗談で城なんぞ建てられては困る。
それにしてもいったいどうしてこんなことになったのか。だいたいわたしを魔王などと呼んだのは、リベリウスだけだったはずだ……あの場にいた人間たちが、わたしにすべておっ被せたということか。
「そんなに考え込んでも、今さらあなたの“魔王”という称号はひっくり返りませんよ」
「……君みたいな妖精が、悪ノリしている姿まで眼に浮かぶしね」
さらにもうひとつ溜息を吐く。
──と、結界の中に誰かが入った気配がして、外に目をやった。
「……誰かが入ってきたみたいだ」
「きっと、魔王討伐の騎士ですよ」
またくつくつと笑いながらスカイエが言う。
「見に行くならご一緒しましょうか。
……そうですね、私はさしずめ、魔王に従う参謀の魔法使いという役回りでどうでしょう」
「どうでしょうって……君がそんなに魔王ごっこが好きだなんて知らなかったよ」
「いやあ、だって、まさか友人が“魔王”などと呼ばれる日が来るなんてねえ……」
いかに飄々と冷静に見えても、やはり妖精は妖精か。わたしは「それじゃ、境界を見てくるよ」と立ち上がった。
「魔王はどこ!」
「……君は、誰だ?」
結界との境い目あたりをうろうろしていたのは、馬を連れて裾がぼろぼろに裂けたドレスを纏った人間の若い娘だった。馬自身も彼女自身も身体にいくつも擦り傷ができているのは、恐らく、魔物にでも追いかけられて森を駆け抜けたからだろう。
「魔王はどこ!」
「……迷い込んだのか? 外に送ってやろうか?」
「迷ってないわ! 魔王はここにいるんでしょう?!」
「……あなたの目の前の人物が、魔王ですよ」
「え?」
スカイエがまだ笑いながら娘にそう告げると、彼女はぽかんと口を開けたままわたしを見上げた。
「うそ。なんで魔王がこんな優男なのよ」
「やさ……」
彼女の言い草に思わず絶句すると、また後ろでスカイエが噴き出し、今度こそ苦しそうに笑う声が聞こえた。
「ま、まあいいわ。あなたが魔王なら……そうね、弱そうだし、これならトイヘルンでも勝てそうね」
「すまないが、話が見えないので説明してくれないか」
本当はなんとなく見えてはいるのだが確認の意を込めてそう尋ねると、彼女はふふふと笑みを浮かべて胸を反らし、言い放った。
「私は魔王に攫われたの。助けに来た騎士トイヘルンと私は恋に落ちて、そのまま結ばれるのよ」
「……はあ」
見えていたものとあまり違わない返答に、言葉に詰まる。
「ところで、ねえ」
「何か?」
「塔は? どうして城じゃないの? 魔王のくせに」
「……君はいったい何を期待してここへ来たんだ」
「だって、魔王に囚われた姫君が閉じ込められる場所っていったら、魔王城の塔でしょう? 彼が来た時に困るじゃない」
「──帰れ」
「嫌。私はトイヘルンが助けに来るのを待つの。あなたが魔王なら、さっさと私を閉じ込めなさいよ!」
「ちょっとマリエンも呼びますね。キーランとグウェンが妖精郷に帰ってしまったのは残念ですけど、荒事になるなら彼女がいたほうがいいですし。実はあの後、あと10日早く皇都にいられればと非常に憤っていたんですよね。だから今回も呼ばないと、さすがに怒ると思うんです。ああそうだ、ついでにその娘の着替えも持ってきてもらいましょう」
笑い続けながらスカイエが伝達魔法を飛ばしてから約二時後、大荷物を抱えたマリエンまでがにこにこと笑いながらここにやってきた。
「あなたが、魔王に囚われたお姫様?」
「そうよ」
胸を張ってそう答える娘にマリエンはくすくす笑うと、彼女の着替えらしき荷物を取り出した。
「あらあら、傷だらけね。男性陣は癒しの魔法も唱えてくれなかったのかしら。ねえ、魔王、風呂場くらいあるんでしょう? 借りるわよ」
「好きにしてくれ」
とても自然にマリエンからすらも“魔王”と呼ばれ、わたしが憮然としたままそちらを指さすと、マリエンは「では姫君、身支度を手伝いますわ」と娘の手を引いて行ってしまった。
「騎士トイヘルンというのは、いつ来るのでしょうね」
スカイエがいかにも楽しみだというように、外へと目をやる。
「この森の魔物はどれも結構強いんだ。人間の騎士というなら、まともにこの森を抜けて来るんだろうが……その騎士はまず、ここまでたどり着けるのか?」
「でも、あの娘は抜けてきましたよ」
「……それは正直ものすごく驚いた。馬が必死に走ったんだろうけど、相当運がいいよ、あれは」
「なら、騎士も必死に馬を走らせて来るんじゃないですか?」
「そんな運の持ち主が何人もいるもの……あ」
誰かがわたしの結界の中に入ってきたことが感じられて、思わずしゃがみ込んでしまった。
「よくもまあ、次から次へと……」
呆れたことに、自分の鎧も馬用鎧も傷だらけでぜいぜいと息を荒くしている騎士がひとり、この場所にたどり着いていた。馬上槍は折れているし、馬用鎧の一部も剥がれ落ちたように無くなっている。いったいここまで来る間に何があったのやら。
「ま、魔王、出てこい! エレオノーレ様を返せ!」
「……スカイエ、あの娘を返したら、ふたりでおとなしく帰ってくれるかな」
「まずは、あの娘がおとなしく帰ってくれるかじゃないでしょうか」
窓から外を眺めつつ横のスカイエに聞くと、予想通りの答えが返ってきた。
「あら、もう来たの?」
「まあ、トイヘルンの声だわ! もう来てくれたのね!」
身支度が終わったのか、戻ってきたふたりが外でうるさく騒ぐ若い騎士の声を聞きつけて、娘の顔が輝いた。いきなり窓に走り寄るとばたんと開けて、「トイヘルン! 私はここよ!」と叫び出す。
「姫! そこにいらしたのですね、お待ちを!」
「さあ、魔王! 私の騎士が来たわ! おとなしくやられなさい!」
にわかに活気付く騎士と、どうしてそうも偉そうなのかわからないどこぞの娘。
……勘弁してほしい。