後篇:おにいさんの最大の難関は……
王都のアレは笑っててアテにならないし、どうにも埒が明かなかったのでとにかく彼女を座らせ、台所を借りて水を汲んで飲ませた。子供が心配そうに彼女を覗き込んでいる。しばらくするとようやく震えが止まり、おずおずと俺のほうを見てきたので、俺はにっこりと微笑んで「落ち着きましたか?」と聞いた。
ああなんだかまだ怯えられてる気がする。
「……どうして見えてるのに平気なの?」
「ええとですね……俺の爺さんは、妖精なんですよ」
まずはどこから、と考えて、俺は話し出す。
「俺の爺さんにも魔族の知り合いくらいはいます。なので、俺も魔族だからどうこうというのはあんまりないんです」
あんまりないが、しかし王都のアレとコレは魔力でこっちを脅しに来て怖いから別だ、と内心考えつつちらりとアレを見る。まだ笑ってやがる。何がそこまでツボに入ったんだ。
彼女は手の中のカップに目を落とし、じっと話を聞いていた。
「で、俺の眼は爺さん譲りの特別製で、ほとんどの魔力の流れを見ることができるんです。高位の魔法使いでも見破れないくらいの緻密な魔法でも見えるみたいで、幻術や幻覚もこの眼には効きません。
それと、王都には、別に魔族じゃなくても姿を変えてるやつは多いんです。だから、俺も、そいつが手配されてるかどうかってことは気にしますけど、そうでなければいちいち誰何するなんてやりません」
「……そんな眼を持ってるひとがいるなんて、どうしたらいいの?」
「この眼は妖精に稀に出るものなので、俺みたいに混血で持ってる人はまず他にいないと思います。だから、大丈夫。持っているとしたら普通は妖精ですし、妖精は魔族だからどうこうなんて考えないですから」
「そうなの?」
「はい。俺も別にどうということはないですね。あ、王都で暴れるんなら、仕事なので捕まえないといけませんが」
俺があははと笑うと、ようやく彼女は笑顔になった。
「ちなみに、俺が紹介しようと思ってた魔道具屋も妖精がやってるんですよ。爺さんとも古い付き合いでこの王都でも長くやってますから、ここで魔道具を生業にするなら知っておいて損はないと思います。お得意さんもたくさんいる店ですし、内緒ですけど、その店と取引してる魔族もいるので心配ないですよ」
落ち着いた彼女がぽつぽつと話してくれたことによると、物心つく前からずっと姿を変えたまま人間として人里で暮らしていて、家族以外の者に自分が魔族であると意図せず知られてしまうのは、今回が初めてなのだそうだ。
しかもここは王都で、ばれた相手も俺という王都警備隊の兵隊とある意味最悪な状況で……そう考えたら、もうどうしていいかわからなくなってしまったのだと言う。
銀槍騎士団の騎士である兄や魔術師団の魔法使いである義姉にも迷惑をかけてしまうことになると思ったら、真っ白になってしまったらしい。
「えー……お義姉さんの言うとおり、かけてある魔法の魔力はちょっと見ないくらいに相当複雑できっちりしてて、おまけに見事なくらい自然だから、確かに並の魔法使いじゃ魔法が掛ってることすら気付かないと思いますよ」
「そんなことまでわかるの?」
「かかってる魔法が何かまではさすがにわからないんですけど、魔力があるところなら、どんな状態かはわかります。
雑な魔法使いの魔法だと魔力はぐだぐだで汚いし、すぐ綻んでいく様子まで見えるんですけど、かなりの魔法使いの魔法は魔力の流れがすごくきれいにまとまってるのでなかなか綻びができないんです。やっぱり、きれいにまとまってるほど、どこから崩したらいいのかも判りづらいんじゃないでしょうか。
……で、ディアさん、落ち着いたら、魔道具を見せてもらう約束でしたよね?」
「そんな約束してたんだ?」アレが割って入ってきた。邪魔だ。お前は子供の相手をしてればいい。
「でぃーねーたん、ないてない? だいじょぶ?」子供は許す。
彼女は頷いて、荷物からいくつかの包みを取り出した。
「一応、武器と、盾と、身につける御守りを持ってきたんです」
「へえ……この種類の魔力だと、たぶん、切味と所持者の力の強化あたりですか。盾は構造の強化と重量の軽減かな。御守りは怪我の軽減? かなりきれいにまとまってますね。長持ちもしそうだ」
「すごい、それもわかるんですか?」
「いや、魔力の種類で推測してるだけです。剣や盾は騎士団とか警備兵でも使ってる人がちらほらいるので能力の予測も付けやすいですしね。御守りはあてずっぽうですけど。
でも、お世辞抜きでこんなにきれいに出来てるものはあまり見かけませんよ。これなら俺も胸を張って紹介できます」
「褒められると嬉しいです。ありがとうございます」
「じゃあ、落ち着いたところで、お店に行ってみますか?」
「僕はスルーなんだ?」と小さく呟く王都のアレがいた気がするが、たぶん気のせいだ。
俺が案内したのは、市場通りから少し離れた小さな広場に面した“リィン魔道具店”だ。市場通りに比べて少々裏側になるため、このあたりの治安は若干不安でもある。
「こんちわ」
「あら、ルツ、珍しい。さっそく剣でも壊したの?」
「いや、それはない。今日は魔道具職人を連れて来たんだ」
「へえ?」
爺さんの知り合いの店主は、長く伸ばした癖のある明るい金の髪に淡い緑の瞳、細身で長身という典型的な見た目のリィンという名前の妖精だ。年齢はもちろん、いったい何年ここで商売をしているのかは知らないが、扱う品物の品質は折り紙つきとして知られている。
「そうねえ。うちで扱うなら、まずモノを見せてもらわないことには、何とも言えないわよ」
「わかってるよ。俺の“眼”で見てもかなりいいものだと思ったんだ」
「なるほど」
それから、彼女を振り返って手招きをする。
「ディアさん、こちらへ」
「はい。……あの、ディアと言います、よろしくお願いします」
「まあ、これはこれは珍しい。なるほどねえ」
リィンはにやにやと俺を見ながら、彼女に持ってきたモノを出すようにと促した。彼女がカウンターに荷物を広げると、リィンはそれらのものをつぶさに調べ始める。矯めつ眇めつ、時には魔法も使いながらじっくりとだ。
「あらら、これはなかなかの出来なのねえ。他にどんなものが作れるのかしら?」
リィンの質問にも、彼女はひとつひとつ丁寧に答えていく。かなり広範囲の魔法が付与できるようだ。しかも、薬も作れるって?
「ふうん。ルツの紹介でもあることだし、今日持ってきたものを店に置いてみる? たぶん、これならそれほど待たずに買い手がつくんじゃないかしら。売れたらルツに知らせればいいかしら?」
「ええと、兄が王都にいるので、そちらでも」
「お兄さん?」
「はい、銀槍騎士団第2隊のフォル・マンスフェルダーです」
「あら、あの討伐小隊の小隊長ね。へえ」
「ご存じなんですか?」
「そりゃあもう」
「……俺に知らせてください。紹介した手前、結果は気になりますから」
リィンがにやっと笑いながら、「はいはい」と答えた。今度実家に帰ったら、爺さんになんか言われそうだな。
「それと、注文を受ける気はある? ルツに聞いてるかもしれないけど、うちはお客と職人の仲介もしているのよ。うちの手数料は品物の価格の1割を、お客と職人で折半ていうことにしてるわ。ただ、その場合は定期的にうちに来てもらう必要があるんだけど」
「お願いします。今の住まいは王都から少し遠いんですけど、これで生計が立てられるようなら、近くに引っ越すことも考えてるんです」
「そう。じゃあ、まずは10日に1回くらいここへ顔を出してちょうだい。売上の引き渡しもその時ね。注文も、あればまとめてそこで渡すことにするわ。納期はその都度相談ていうことにしましょう」
「はい、よろしくお願いします」
店を出て、再び彼女を兄の家へと送った。歩きながら、他愛もないことを話す。
彼女はリィンとの話がうまくいって、幾分かはしゃいでいるようだった。これが軌道に乗れば、親元を出て独り立ちできると繰り返していた。
「本当に、何から何までありがとうございます。こんなにお世話になってしまって、どうお礼をしたらいいのか」
家の前に着いたとたん、ぺこぺこと頭を下げようとする彼女を押しとどめて、俺はずっと考えていたことを、思い切って口に出した。
「……今日会ったばかりで、何て軽い奴だと思われるかもしれませんが、ディアさんさえよければ、これからも会ってもらえませんか」
「え……」
一瞬の後、彼女の顔が真っ赤に染まり、その手ごたえに俺のテンションも上がる。よし。
「王都へ来た時だけでもいいんです。どうか、是非」
「あの、ええと……はい」
「──ありがとうございます!」
やった、俺がんばった! 嬉しさに、思わず彼女をがっしりと抱きしめてしまう。
「あの、ルツさん……」
彼女はもぞもぞと動きながら困ったような声を上げた。慌てて俺は我に返り、身体を離す。
「あっ、すみません、うれしくて……つっ!?」
と、いきなりバチンという盛大な音とともに静電気のような痛みが走り、俺は手を離して一歩下がってしまった。彼女も驚いて目を丸く見開いている。
……というか、魔法? こんな街中で?
「──おい不埒者。貴様はいったい何者だ。その制服は王都警備隊、それも第1だな。速やかにお前の所属と名前を述べろ」
「お義姉さん? 兄さまも?」
低く地を這うような声に振り向くと、彼女がお義姉さんと呼ぶ、魔術師団の制服を着た魔法使いが立っていた。腕を組み仁王立ちで俺を睨み、まるで伝説の鬼神のような姿だった。
「……あー、エディト? 街中で精霊魔法はやめておけ、な?」
これが彼女の兄夫婦なのだろう。銀槍騎士団の制服を着ている兄らしき人物が後ろから恐る恐るといった風体で声をかけているのだが、若干どころではなく自分の妻に引いているようにも見える。
つ……と汗が一筋流れ落ち、俺は逆らってはいけないことを悟った。自然、直立不動で敬礼の姿勢を取る。
「王都警備隊第1隊第8小隊小隊長のルツ・フェルダタールです」
「ふむ……フォル、私はこれからこの不埒者にいろいろと尋ねなければならないことがあるので少々忙しくなりますから、あとはお願いします。ディア様はゆっくりしていてくださいね」
「あ、ああ……程々にな?」
「お、お義姉さん……?」
魔法使いの指示に従いしおしおと後に付いて中へと入ると、王都のアレも居たのだが、奴は魔法使いとは決して目を合わせようとしなかった。わかってやがる。
その後、魔法も容赦なく使った尋問とも言えるような質疑応答はたっぷり3時間ほど続き、俺は自分についてのあれやこれやをすっかり洗いざらい喋らされていた。
そのまま夕食に招待されたが、何を食べたかなどまったく記憶に残っていない。
帰り際、彼女の兄上が憐れみの視線とともに肩を叩いて送り出してくれたが、兄上はもう少し自分の妻をコントロールしたほうがいい。
彼女に、こんな恐ろしい義姉が……あの王都のアレすらドン引きさせる恐ろしい魔法使いの義姉がついているとは、想像もしなかった。
がんばれ俺。負けるな俺。