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屋上の声

作者: 青椒

 いつものように屋上の隅に座り込んで、私はウォークマンを取り出した。

 座る場所はいつも同じだ。見つかりにくくて、汚れが少なく、人が来ず、明るすぎないところ。ごみがそこだけ不自然に少ないから、注意深い人が見れば遠目からでもわかるだろう。


 壁のくぼみに体をなじませながら、ウォークマンを取り出す。中古で買ったもので、買った当時から液晶面に細かな瑕が付いていた。買ってから数年、瑕はさらに増えて表示は退色し、使い古されたキーは擦り切れ、元々のプラスチックの色が露出しつつあった。

 屋上の給水タンクのすきまから、雲一つない青空が覗く。ただでさえ見づらい表示画面が、今日はどうしようもなく見にくい。私は絡みついたケーブルをほぐすこともせずに、そのままイヤホンを耳にはめた。青空と音楽に囲まれて、しばらく何も考えずに座っていようと思った。

 昨日と同じ、代わり映えのしない曲を、私は延々と聞き続ける。ニルヴァーナの二枚目。百ドル札を追いかける幼児の姿も、いい加減見飽きてきた。カートコバーンのシャウトが、現実との間に薄い膜を作ってくれる。私は引き裂かれ、ハート型の箱に閉じこめられ、イマジナリーフレンドと一緒に架空の銃を撃った。

 頭ががんがんして不快だった。歪んだ音が鼓膜と脳をすり減らしていく。それでも私はイヤホンを外す気にはなれないでいた。聞きあきた音楽はもはや音楽と言うほどのものではなくなってしまって、着なれた服のように私の体に馴染んだ。

 いつまでたっても空は青かった。ひんやりとした地面は監獄のようだ。私はイヤホンから流れる曲を小さく口ずさんでみる。俺は嫌な奴、俺は嫌な奴、俺は嫌な奴、俺は嫌な奴、俺は嫌な奴、俺は嫌な奴、酔っぱらいの…… 下らない歌詞、でも私には必要なのだ。音量を上げようとして少し躊躇い、現実に引き戻される。爆音、でもチャイムの音を完全に覆い隠しはしない音量。自分のいじましさ加減に思わず小さな笑いが漏れた。私の声に呼応するかのように、下階から笑いさざめく声がする。そう、今は昼休みだ。当たり前だ、授業中に抜け出てくるなんて、私にできるはずがない。流れこんできた焦燥感は胃の中にぐったりと居座って、もう何を聴いても無駄だとわかった。体温で少し温まった床のコンクリートがたまらなく嫌になってきた。

 粋がっているのでも、授業をサボるのでも、タバコを吸っているのでも、弁当を食べるのでもない。誰にも話しかけず、話しかけられず、昼休みのあいだじゅうずっと三角座りで時間が過ぎるのを待つだけの、無為で孤高の私。耳と目を閉じ口を塞いで孤独でいるうちに、いつのまにか私はどこにも行けなくなってしまっていた。

 五限のベルが鳴った気がして、私はふらふらと立ち上がった。イヤホンを外しても勿論音楽は鳴り続けていたが、叫び声はもはや不快なしゃかしゃかした音にしか聞こえなくなった。

 日陰を出て、よろよろと階段に向かう。本当に雲一つ無い空。吸い込まれそうな青色を見ていると急に息が苦しくなって、その場に立ちすくんだ。明日も、昼休みになれば私はここに来るだろう。明後日もしあさってもその次の日も。だげど、いつまで待っても、仮にどこかに逃げ出せたとしても、雲の上の空は青いままだ。世界が広すぎるのだと思った。どこに行こうとも私はこうやって屋上で空を眺める羽目になるに違いない。

 きっと、私はどこにも行こうとしないだけなのだ。どこかに行けば、何かを変えられるかもしれないとも思う。そのことが余計に吐き気を催させた。結局のところ、私はもうどこにも行かないのだろう。きっとそれで良いのだ。

 私は暗い非常階段を一段一段降りていった。声はもう聴こえなかった。

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