第二話
眠い目を擦りながら学校に行く道を歩く。
金曜日の夜、謝る方法をずっと考えていたのだが、結局手紙で屋上に呼び出して謝るという方法をとった。そしてその手紙を二日飛ばして今日の朝方まで詩織に送る手紙の内容を考えていた。直接渡すのも何か気まずく、かといってロッカーに入れるのも誰かに見られたら恥かしい。その事も考えに考えた結果、結局朝一番に出て詩織のロッカーに手紙を入れる、と言うものだった。手紙も簡素なものしか書けなかけず、自分のボキャブラリーの貧弱さに涙が出てくる。
おかげで今朝、いや、この三日間寝不足でもうフラフラだ。
重い足をズルズル引きずりながら、やっとの思いで学校に付いた。
校門をくぐり校舎の玄関口に入る。詩織のロッカーは土曜日のうちに学校で調べたから問題ない。
「にしても、手紙を入れるだけなのに何でこんなに緊張するんだ?」
詩織のロッカーに近づくにつれ、心臓の鼓動が大きく、速くなるのが感じ取れる。トクントクンからドクンドクン、今はバクバクバクと鼓動が高鳴っている。
「あ、あれ? おかしいな、手が震えて上手くロッカーに入れられないぞ?」
手がガタガタガタと震え狙いが定まらない。
不味い、今こんな所で手間を食っていると人が来てしまう。
震える右手を何とか左手で押さえ込むと、半ば強引にロッカーの中に手紙を捻じ込んだ。
「あれ~燈火君、今日は随分眠そうな顔してるね」
転校生から名前にランクアップか。
「ここ三日全然寝れなかったからな。おかげで頭がくらくらだ」
「えぇぇ! 一体何やってたのさ!」
「ちょっと、手紙の内容を考えてたんだよ」
「一体どんな手紙を書いてたのさ!」
「謝罪の文面?」
「何で疑問系なの?」
「自分でも自身が無くてな」
「でも、三日間も書いた手紙なんでしょ? どれ位の量を書いたのさ?」
「五文」
「少な! え? 三日間掛けて書いた手紙がたった五文!?」
「人が気にしてる事そんな大声で言わないでくれないか」
そこで、自分の声がかなり大きくなっていた事に気が付いたみたいだ。急に縮こまって謝ってきた。
「あ、ご、ごめん」
「別にいいけどさ。それより、一つ確認したい事あるんだけどいいか?」
「うん、いいけど? どんな事?」
「屋上の鍵って普段開いてるか?」
俺が手紙を書いていて常々思っていたことが一つある。それは屋上の鍵は普段開いているのかどうかと言う事だ。手紙を書き終わった後に襲い掛かった疑問だ。俺の少ない知識では、学校で静かな場所と言えば屋上位しか思いつかなかったのだ。しかし、学校の屋上と言うのはえてして危険なもので、大抵鍵がかかっている、と玄覚さんの学校常識講座で聞いた事がある。
「開いてるけど? どうしたのさ、そんな事聞いて?」
「別に、ふと思っただけだって」
「怪しいな~。何か不埒なことでも考えてるんじゃないの」
「んなわけ無いだろ。大体転校してきてまだ一週間だぞ」
「でも、燈火君の顔綺麗だし、格好良いし、前の学校でも彼女の一人か二人居たんじゃないの?」
「いるか! 大体俺は学校に来………」
あ、やば! 慌てて俺は口を噤む。不味い、表向きは転校生になってるけど、俺、他の学校に通った事何て無いんだよな。確かそれを知られるのも不味いんだよな。玄覚さんの高校常識講座でやってた。
「く………何?」
「何でもない」
「怪しー」
俺が歌貝から目を逸らすと、歌貝が回りこんで来る。目を逸らす、回り込んでくる、目を逸らす、回り込んでくる、目を逸らす、回り込んで……
授業を全て、眠る事で全てやり過ごし、放課後に至る現在。因みに今日は古典の授業があり、一向に起きない俺に百合ちゃん先生は半泣きになりながら授業を行っていたそうな。………後で謝りに行かなきゃな。
「ねえねえ、今日何処か行かない?」
歌貝がそういいながら近づいてくる。
「あー今日は用事あるからな。てか、何で俺。歌貝って友達い無いの?」
「燈火君って結構失礼な事言うんだね」
ジトーとした視線を一身に受けながら弁解を図る。
「いや、何で俺誘うのかなって思って。普通そういうのは友達と行かねえ?」
「それだと燈火君と私が友達じゃないって事になるじゃん」
「友達なのか?」
「違うの?」
そういわれると、分からん。そもそも友達の定義って何だ? 話をしたら友達? 遊びに行ったら? 本心を言える様になったら? 思考の沼にどんどんはまっていくのが自分自身でも良く分かる。
って、今はそんな事考えてる場合じゃない!
「その話はまた今度時間がある時な!」
そういい残して教室を出た俺は屋上に向かっていった。
「はあ、来ないな」
何時来る、何時来る、とドキドキしながら待つ事二時間、後三十分で完全下校時刻だ。
まあ、場所と時間に関しては漠然と放課後に屋上で、としか書いてなかったから仕方がないかもしれないけど。
屋上に三つあるベンチの中で比較的綺麗な物を選び寝転がる。
見上げる空は憎たらしい程に雲一つ無い。今日は朝から天気のいい一日だった。おかげで、太陽の光を諸に浴びる窓側の席は最高に寝心地が良かったのだ。それが睡魔を加速させる原因になり、三徹した後の体には大変に堪えた。結局睡魔に負けて寝てしまったが。
「やばいやばい、百合ちゃん先生への言い訳を考えてたらまた眠くなっちまうよ」
眠気を覚ます為に体を動かそうとしたその時、屋上の階段を誰かが上ってくるのを感じベンチに座りなおす。
足音が大きくなる度に心臓の鼓動も大きくなる。
バクバクと心臓の波打つ鼓動が聞こえてくる。
ついに屋上の扉が開き心臓の鼓動が最高潮に達し、俺が目にした人物は―――
「だれ?」
思わず間の抜けた声が口から出てしまったのは無理も無いだろう。何せ屋上の扉から現れたのは全く面識の無い男子生徒だったのだから。
あれか? あちらサンも屋上に何か用なのか?
そしたら俺が睨まれている理由が分からんのだが? あ、俺が居たら向こうも邪魔なのか? でも、俺もここを離れるわけには行かないしな。どうしたものか………
俺が思案に耽っていると、向こうから声を掛けられた。
「お前が燈火だな」
その口調は絶対的な確信を帯びていて、鋭く人差し指を俺に突きつけてくる。
「へ?」
またもや間の抜けた声が口から発せられた。
「何で俺の名前を知ってるんだ?」
純粋な疑問。何で会った事も無い奴に俺の名前が知られてるんだ?
「これを見ろ!」
ズビシイ! と言う擬音語が付きそうな勢いで一通の手紙を突きつけられた。
その手紙とは、俺が詩織に対して送ったハズのものだった。……………ひょっとしてロッカー間違えた?
「あーごめん、それ、間違えて――――」
しかし、俺の言葉を遮って見知らぬ誰かさんが声を荒げて叫んでくる。
「お前、詩織と一体どんな関係なんだ!」
「はあ?」
本日三度目の間抜けな声。
「惚けるな! この手紙に書いてある事は何だ!? さてはお前、詩織のストーカだな! 手紙の事たは脅迫文でも送ったか!?」
おかしい。俺の目前に居る奴が喋っている言葉が日本語か疑問になってくる。意味が全然分からんのだけど。何だアイツ? 手紙一つでストーカーだの脅迫だの無い事無い事ばっか言いやがって。
「お前には関係無いだろ?」
口調が乱暴になってしまうが、別に良いだろう。人を勝手にストーカー扱いする奴に敬語なんていらないに決まってる。
「いいや、あるね」
「あ、ひょっとしてお前詩織の恋人?」
「な、ななななな!何を言って!いや、でも、いずれは告白して――――」
顔を耳先まで真っ赤に染めてブツブツブツと何かを呟き始める。まるで呪文でも唱えるかの様な速さで呟いているため何を言っているかよく聞こえない。
違うのか。じゃあ何でそんなに神経質になってんだよ。幾らなんでも被害妄想過ぎる。
「じゃあ何なんだよ」
アイツは、はっと我に返り咳払いを一つついてからどこか自慢げに詩織との関係を顕にする。
「幼馴染だ!」
どこか言い切った表情と共に俺を見下す態度を取る。
「だから?」
俺の最もな疑問にアイツは信じられない! という顔で返して来る。いや、こっちのが信じられねえんだけど。幼馴染だから何? 心配するのは分かるけど些か過保護じゃないのか?
「幼馴染だぞ! 幼馴染! 幼馴染と言ったらアレなんだぞ! その、あの友達以上の関係…」
何も幼馴染幼馴染、連呼しなくたって分かったのに。
「お前が詩織の幼馴染だってのはよく分かった。だからなんだってんだ?」
俺の何が気に食わないのか知らないが、またもやアイツは声を荒げながら叫ぶ。
「どうしてお前は詩織等と馴れ馴れしく詩織の事を呼ぶ!? 桃園さんと呼べ!」
あまりの理不尽さに、もう色々と面倒くさくなった俺は―――
逃げ出した。
「あ、コラ待て!」
怒声を背中に浴びつつも一心不乱に屋上から遠ざかる俺であった。
一階まで全力で走り抜けて来たおかげか、アイツの声は聞こえるものの姿は見えなくなっていた。
このまま行けば逃げられる、そう確信して玄関に続く最後の曲がり角を曲がろうとした時、ちょうど人が曲がり角から現れた。
とっさの事で上手く体を動かす事が出来ずにぶつかってしまう。
艶を帯びた長い黒髪をポニーテイルし、切れ長の目をぶつかった衝撃に驚いたのか、大きく見開かれている。どこか、どこか、見た事のある顔………まあ、ぶっちゃけ、詩織だった。
「まったく、廊下を走る………燈火?」
あまりに唐突な出来事に詩織も驚いたのだろう、大きく見開かれた目を更に大きく見開く。幼い頃から見てきたよく見慣れた顔だが、こんなに驚いた顔は今まで見た事無い。俺と学校で会った事がそんなに驚く事なのか?
「どこに行った!?」
後ろでアイツの声が聞こえる。やば、速く隠れないと!
俺は辺りを見回すと、うず高く詰まれたダンボール箱が目に入った。中身を確認してみると空。急いでダンボールの中に身を潜める。
「な、何をしているのだ燈火!?」
俺の奇行に驚いた詩織が声を若干荒げる。
俺はそれに対して短く返答する。
「ちょっと匿って!」
その言葉に少し渋い顔をした詩織だったが、不承不承頷いてくれた。
ダンボールを頭に被り、息を潜める。
タッチの差でアイツが詩織の前に現れる。
「おお、詩織! こっちに不審な奴が来なかったか?」
「不審な奴? いや見てないぞ」
よかった、詩織はちゃんとはぐらかしてくれたようだ。
「そうか。こっちに来てないようで何よりだ。ちっ、あの変態一体どこに行きやがったんだ!」
誰が変態だ誰が!
叫びたい気持ちを必死に押し殺し耐える。
俺が居ないと思ったアイツは来た方と反対の方向へ駆けて行った。
詩織はアイツの背中へ廊下を走るな! と怒りながら注意したが聞こえなかったようで猛然と走り去っていった。
アイツの気配が完全に無くなるのを待って、ダンボールの中からごそごそと這い出る。
「たく、何なんだよアイツは」
「それはこっちの台詞だ! 燈火、お前と言う奴はこっちに戻ってくるなら私に連絡の一つでもしろ!」
「え?」
いきなりの詩織の怒声が無人の廊下に木霊し、思わず呆けてしまう。しかしそれも一瞬の事、次の言葉で我に返る。
「廊下で始めて燈火の顔を見た時思わず叫びそうになったのだぞ! お前がいつ話し掛けてくれるかとドキドキしていた自分が馬鹿らしいではないか! それに週末も何の音沙汰も無し、今日だって私に会いに来てくれなかったでは無いか! お前は私に会っても何も思わなかったのか!?」
詩織の叫びは留まる事を知らず、段々と大きくなっている。しかし、その怒声の中に明確な悲しみをを感じ取った俺はただ黙って詩織の怒りを受け入れる。
「あんな手紙一つだけ残して居なくなって……私が……私が……どれ程心配したか分かっているのか!?」
最後は殆どが涙声になり、やがて涙となって目から零れ落ちて来る。
頬を伝い、床に小さい染みを幾つも作る。
あまりの反応にどうしたらいいのやら、辺りを右往左往するしかない。
すると、俺の混乱した頭にまたもやアイツの声が響いてきた。
「やばっ」
アイツがどこの誰だか知らないが詩織の事を凄い気に掛けてるみたいだし、こんな現場を見られたらいい訳の仕様も無い。
また辺りを見回す。今度は人を二人分の隠れられそうなスペース探す。
ダンボールを見る…さすがに二人は無理か。次に近くの備品室、扉に手を掛けてもピクリとも動かない。一瞬ぶっ壊そうかと思ったが、さすがにそれは不味い。
そうこうしている内にもアイツの声は段々と近づいてくる。
仕方ない、こうなったら!
俺は詩織の手を引いて校舎の玄関口に無意味に置いてある男の人の銅像の影にしゃがみこんで身を潜めた。
「な、何を――――」
抗議の声を上げようとした詩織の口を手で覆い、言葉を遮る。
そして人差し指を口元に持って行き、静かに、の合図を作った。
またも、どこか腑に落ちないといった感じに俺の顔を見るが、またも、渋々頷いてくれた。
それを確認して俺も詩織の口から手を離した。
詩織が俺に近づく。自分からこんな所に連れて来てなんだが、銅像はさして大きい物ではなく二人が少しくっつかなければ完全に隠れる事は出来ない。
そんな至近距離をさらに近づけるものだから、いくら見慣れた顔だなんて言ってもさすがに超至近距離で見詰られたらドギマギしてしまう。
どうやらさっきの驚きで涙は止まったようで、普段の口調に戻っていた。
「燈火いきなりこんな所に連れ込んでどうしたのだ?……はっ、まさか、いや、そんな…」
一体何を考えてるのかは分からないが、アイツの声が着々と近づいてくるのを感じる。
俺は詩織の頬を軽く抓り、飛んで行ってしまった意識を引き戻す。
「あ、いたっ! 何をす――――」
詩織の口を塞ぎ、またもや静かに、の合図をする。
「うむ」
詩織が一つ軽く頷き、沈黙する。
「くそっ、どこにもい無い!あの変態もう帰っちまったのか?」
すると詩織がさらにさらに顔を近づけ、耳元で囁いて来る。
「燈火と深海はどんな関係なのだ?」
アイツの名前は深海って言うのか、だから何だと言う話だが。
俺も詩織の耳元に近づき囁くように言葉を発する。
「分からん」
たった四文字だけだけど。
「分からんって自分の事だろう?」
いくら言われても分からないものは分からないし、知らないものは知らない。
「そう言われても、なんか向こうから突っ掛かってきた」
「まったくアイツは」
詩織が小さく溜息をつく。もちろん深海ってやつに気づかれない様に。
「そういや、詩織と深海ってやつはどんな関係なんだ? アイツやたら詩織、詩織言ってたし」
詩織が少し考えるそぶりをして黙り込んでしまう。
そんなに答え難い事なのか?
「あ、答え難いなら無理して言わなくてもいいぞ?」
「いいや、そんなに難しい事では無いのだが、どうも深海と私とでは互いの認識が少々ずれている様なのだ」
「どういう意味だ?」
「言葉どうりの意味なのだが、説明すると長くなるのだが……」
詩織が銅像の向こう側にチラッと視線をおくる。
俺もそれにつられて視線をおくると、深海ってやつの声がしなくなったな。
銅像からまず、顔を出して気配を探るが俺と詩織以外の人の気配は近くには感じられない。
「もうこの辺りにはいないみたいだぞ」
そういって銅像の影から出てくる。
俺の跡に続いて詩織も出てくる。
「ならちょうどいい。燈火、この後時間あるか?」
「時間?」
その言葉で、昨日玄覚さんに言われたチョッパーの話を思い出す。
黒髪に長髪の女性―――詩織に全てぴたりと当てはまる。それに加え美人だし。俺がチョッパーだったら放って置かないんだがな。
「あるにはあるんだが、何すんだ?」
もしそれで夜遅くなったらいよいよ危なくなる。妖怪は基本、夜に活発に活動するからな。
「少しお茶したいのだが」
「でもよ、もう六時半だぜ。今からそんな事したら完全に日が暮れるぞ? 危ないだろ」
「なら、燈火が私を家まで送り届けてくれればいいではないか。私はまだ、お前が手紙だけ残して勝手にいなくなった事を赦した覚えは無いぞ」
それを言われた俺には断る術も無く、詩織に付き従うのだった。
辿り着いたのは三日前玄覚さんとの待ち合わせに使われた喫茶店ネコマタ。この喫茶店ってこの辺りじゃ有名なのか? それにしちゃあこの前来た時人がかなり少ないけど。
「なあ、詩織この喫茶店って有名なのか?」
詩織に何となく、それこそ世間話程度の感覚で聞いてみたのだが、意外な答えが返ってきた。
「む、燈火は知らないのか? ここは妖怪がやっている喫茶店だぞ」
「え、マジ!?」
驚きの事実に俺は慌てて喫茶店の中を探ってみる。すると感じ取れる複数の妖気。
本当に妖怪がやってるのか。…初めて見たな、噂では世の中には妖怪が経営してる店があるって言う話を。
「じゃあ、この喫茶店のネコマタってのは、ここの店主が猫の妖怪だからか?」
「確か前に来た時、玄覚さんがそう言っていたぞ。なんでも玄覚さんの昔の知り合いだとか」
へえ、玄覚さんのねえ。前に来た時はそんなそぶり見せなかったけどなあ。……てことは玄覚さんと来た事あるのか。
俺はネコマタに入りながら詩織に聞いてみる。
「詩織ってここに玄覚さんと来てたんだな。何でまた?」
これも世間話のつもりだったんだけど、返答はさっきのものより数段驚くべきものだった。
ウェイトレスに案内され席に着いた詩織はその言葉を聞いた途端、急に不機嫌になっていった。
「そうだな、あの日の事は良く覚えている。お前の手紙が届いた日の夕―――」
そこまで聞いた俺は机の幅広く両手を付け、勢い良く頭を下げる。
「すいませんでした!」
まさかこんな所に地雷があるとは、油断した! 今は兎に角謝ってこの場を凌ぐしか…
少しだけ視線を上げ詩織の表情を窺い見る。
まだ不機嫌な顔をしているが、さっきよりは少しだけ表情が柔らかくなっている。
どうやら怒りの爆発は買わなくてすみそうだ。
俺が頭を上げると丁度ウェイトレスが注文を確認に来たようだ。
もうすぐ七時を指そうとする店内に掛けられている時計を一瞥する。もうこんな時間だし、ここで晩飯でも食っていくか。
素早くメニューに目を通し何を注文するかを決める。
「えーっと、モンブランとフルーツタルト、チョコレートケーキにショートケーキ、シュークリーム―――」
それから程なくしてメニューにあるスイーツを殆ど頼み終える。
詩織の方をみて見ると呆れ顔でこちらを見ていた。
「よく食べるのだな」
「ん? まあな、ついでに晩飯を食ってこうと思ってな」
すると詩織の肩がピクリと揺れる。
あれ、また不味い事言った?
「晩飯とは、あの大量のスイーツの事か?」
……あっ、そういや詩織も玄覚さんと同じくらい食事に五月蝿かった様な…
恐る恐る詩織を見ると、案の定、怒っている。
「まさか、玄覚さんと別れてからずっとこの様な食生活を続けているのか?」
疑問と言うよりはただの確認作業といった感じで俺に問い返してくる。
「いや、まあ、そうだな」
鋭い眼光に睨まれ縮こまってしまう。これは玄覚さん並のお説教が来るか、と思い身構える。
しかし、詩織は俺の予想に反して短い溜息をはく。
「はぁ……」
それから、少し待ってもお説教は始まらない。
これから途方も無く長いお説教を聞く心構えをしていた俺としては少し拍子抜けしてしまう。いや、この場合は感謝すべきか。
そうこうしている内に大量のスイーツが俺の目の前に運ばれてきた。
「おお! これは中々。いただきます」
目の前に運ばれてきたスイーツの数々に軽く簡単の声を上げながら、合掌。片っ端からパクついていく。
「む、このモンブランは中々。詩織も食ってみるか?」
そういって詩織の方にモンブランの皿を差し出す。
「燈火はここに何をしに来たのか忘れたのか?」
「何って飯を食いに………じゃなかったな。うん、確か深海との関係だっけ?」
「全く」
また溜息をこぼす詩織。
「そんなに溜息ばっかついてると幸せ逃げてくぞ」
そういってまたスイーツを口に入れる作業を開始する。
「お前が私の気持ちに気づいてくれぬ限り私に幸せは訪れぬと思うのだがな…」
「何か言ったか?」
モンブランに夢中で気づかなかった。
「別に。そんな事より私にもそのモンブランを一口貰っていいか?」
「お、別にいいぜ」
フォーク一杯にモンブランをとり詩織の口元まで持っていく。
「な、な、な、何をしゅる!」
何をそんなに驚いたのか、分からんが早く食ってくれないとモンブランが落ちちまう。
「ほら、早く」
少し身を前に乗り出し、さらに詩織の口元に近づける。
すると、漸く意を決した詩織がカプっとモンブランに食いつく。
良く噛んで咀嚼し嚥下する。
「うむ、美味しいな」
モンブランの味に満足したのか詩織の表情がフッと柔らかくなる。詩織の頬に少し朱が差していたのは恐らく窓から入ってくる夕焼けの光を反射しているからだろう。
その後、キッチリ全てのスイーツを完食した俺達は店を後にした。…もちろん代金は全て俺が払った。
詩織を家に送った後家に着いたのはもう八時を少し過ぎた頃だった。
「何か忘れてる様な? ………おお! 詩織と深海のかんけい――――じゃなくて、詩織に手紙の事謝るの忘れてた!!」
俺の悲痛な叫びが空しく広がる今日この頃だった。