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決断

 その日の晩、俺はぼんやりと中庭でのやり取りを思い出していた。なんだか、ひどい八つ当たりをしてしまった気がする。謝るにも上手い手が思いつかず、他のことをしてもなかなか手に付かず、諦めて風呂に入り、そのまま寝間着に着換えて、疲れの染みついた体をベッドに放り出す。うつ向けに転がったまま灯りを消すと、俺はゆっくりと目を閉じた。これだけ疲れていればすぐにでも寝入ってしまえそうなものだが、いつもは気にならない換気アニマの作動音が、この夜はいやに耳についた。

 なかなか寝付けずに寝がえりを繰り返しているうちに、今度はアニマの出す鈍い音に、別の音が混じっているような気がしてくる。アニマの音よりいくらか高いが、しかし、(かど)のない柔らかい音。オカリナの、一番低い――赤く染まった中庭が眩しく蘇り、俺を浅いまどろみから引きはがした。俺は飛び起きて窓を睨みつけ、アニマの呼吸に紛れこんだ消え入るほどにかすかな音を、一か月近くも前に動物園で耳にしたおぼろげな記憶の中の鳴き声と聞き比べていた。そんなことでは到底確かめられるはずもなく、俺はいくらか逡巡(しゅんじゅん)してから、震える手でカーテンを掴み、思い切り開け放った。


 窓の外には、寝静まった街が広がっていた。家々の屋根から伸びた梢の影は沈みかけた半月の放つ冷たい光を鈍く切り出し、逆光に沈んだ対岸では、ルシフェリンの冷たい街灯が鮮やかな緑に燃えている。窓から見えるのは平和な街の様子ばかりで、妖怪どころか人っ子一人いやしない。俺はモタモタと窓の鍵を外すと、目を閉じて大きく息を吸い込み、それから乱暴に窓を開け放った。頬を打つ横風を感じ、暴れる窓枠をとっさに掴んで抑え込む。

 やはり今回もとり越し苦労だった。鈍い遠鳴りにそっと胸を撫でおろし、俺は風がやむのを待って窓から身を乗り出した。左右を大きく見渡しても、見えるのは静かな通りと、家々から伸びた梢だけ。怪しげな様子はどこにもない。そもそも、あの怪談は俺が自分ででっちあげたものなのだ。信じる方がどうにかしている。

 ところが、深く穏やかな溜息をついて鎧戸に手をかけたその時、同じ筋の家の屋根から、通りを横切って小さな影が飛び去った。俺は粟立って影を目で追いかけようとしたものの、突風に煽られた戸の不意打ちを食らい、完全に見失ってしまった。影はそれきり現れることなく、風のうねりと窓のがたつきを刺し貫く、今までにないほどはっきりとしたフクロウの鳴き声だけが、影を飲み込んだ冷たい夜から響いてきたのだった。

 その夜、俺は一睡もすることができなかった。ベッドの上で毛布を被り、ガタガタと震えながら、今まで聞き流してきた噂を思い返し、この一週間を振り返り、まわらない頭を必死に動かし――窓の外が白んで、明け烏が聞こえる頃、申し訳程度の結論にたどりついた。あの噂は、少なくとも全くのデタラメではないのだ、と。

 

 翌日、俺は授業が終わると、中央管理棟行きの水上バスに乗り込んだ。白紙のメッセージだけを見るなら、事件の原因はシステムの異常か不正なアクセスであり、警察も無視するわけにはいかないだろう。あいつは俺がでっちあげた偽物だ。本物なんてどこにもない。安っぽい模倣犯なら、あいつの正体にうってつけではないか。

 世辞にも愉快とは言えないポンプの音とともに、水上バスが停留所を離れて進みだした。高速水路がポンプで水路全体を流しているのとは違って、地上の水路では船自体が自前のポンプで進むため、音も船に付いてまわる。黙り込んで算段を確認する俺とたわいない世間話を大声で続ける数人のオバサンたちを乗せて、水上バスは宅地を抜け、オートアニマや食材の培養工場が立ち並ぶ工業地区が見えてきた。

 よそ者は土と太陽から全てを作り出す軽傘を完全自給都市と呼んでありがたがるが、生産を支えているのは工場に詰まった内臓と、蟹の足に手の生えたような工作アニマだ。あまり人も立ち入らないこの区域は、強烈な異臭と生理的な雑音で満たされている。普段は忘れていられるが、俺達は軽傘の腹の中で暮らしているのだ。

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