便り
その日の晩を、俺はプロメテウスの下読みにあてた。単語を調べながらポセイドンの帰ってゆくところまで読み進め、キリのついたところで大きく欠伸をする。机の上はそのままに、灯りを消してベッドに潜り込もうとしたそのときだった。じき日付も変わろうというのに、メッセージの通知がきた。鳴谷の奴が思いつきで、合コンのメンバーでも募っているのではないか、と確認して、表示された項目に我が眼を疑った。個人の端末向けのメッセージは、一度軽傘の管理システムを経由してから自宅の演算アニマに届けられる。演算アニマから端末器官へのデータ送信にも管理システムにつながったアンテナが用いられる程だから、そもそも発信元の分からないデータが入りこむ余地がない。
のどに息を詰まらせたまま、俺は視床に入力された二つの空欄を眺めていた。『差出人不明のメッセージ』――。鳴谷の法螺話が眠気に満たされた重い頭にふつふつと浮かび上がり、歪んだ唇の間で弾けて苦笑に変わる。確かに噂の通りだが、あれはそもそも俺の出まかせなのだ。一瞬でも信じるなど、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
それでも俺は、メッセージをそのまま消すことができなかった。このメッセージが誰か知り合いの悪戯ならば――小さく息を吸って、メッセージを展開する。5秒、10秒、20秒。メッセージからは、何もロードされない。力を抜いて背中からベッドに身体を投げ出し、髪を両手で大きく書きあげながら、俺はかすれた声でひとりごちる。
「そりゃ、何も書いてないわな。名前も書いてないくらいだし」
それにしても、随分と手の込んだ悪戯もあったものだ。噂を聞いた誰かがしかけたのか、あるいはただの馬鹿が、メッセージの破損……重たいまどろみの中で都合のいい解釈は互いの輪郭を失うまで混じり合い、かすかに芽生えた不安の影をゆっくりと呑みこんでいった。
翌朝ギムナに出てくると、噂は益々繁殖スピードを上げていた。木霊の身辺で少し流行る程度かと思いきや、いつの間にか他学部はおろか、上級生や下級生の間でもちらほら話題になっているのを耳にする。それもよくよく聞いてみると、声の主は空を覆い尽くす程大きなフクロウだとか、睨まれたものは石にされてしまうとか、本当は森の奥に連れ去られてしまった者がいるとか、仔細はてんでバラバラだ。根も葉もないあだ花など一週間ともつまいと踏んでいたものが、根を張るどころか尾ひれを身につけて泳ぎまわっているのだから、世間も存外いい加減なものだ。
幸福なことに、俺はメッセージのことを忘れたまま二、三日を過ごすことができた。木霊も普段通りのケロリとした様子で、俺は馬鹿げた噂を真剣そうに話す連中を見下ろして、鼻で笑っていられたのだ。人々を躍らせる噂の正体を、俺は「知って」いる。俺だけが、噂が嘘であることを「知って」いる――そうした得意がっていられたのは、しかし、週の半ばまでだった。