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動物園

 幸いにして、俺の自白しなければならない失態は騒動の発端でもあった。盆休み半ばの水曜だったから、あれは八月二十日ということになる。 帰省ラッシュが始まって動物園が空いてきたら、特設展のシロフクロウを見にいこう。ガールフレンドだと言えば怒るかもしれないが、ギムナで知り合った女の子と約束していた。

 多くの軽傘(かるかさ)市民にとって、2羽のシロフクロウはこの夏最大の関心事だった。この2羽はアラスカの研究機関から軽傘市設立二十周年を記念して贈られたもので、軽傘が世界初の完全自給都市だと教えられてはいたものの、俺が実際に凄さを実感したのはこれが初めてかもしれない。生息地を失い、今ではわずかに31羽がアラスカの冷蔵庫で飼育されるばかりとなれば、これだけもてはやされるのも無理からぬことだ。

 現にその日も、客もまばらな動物園の中、特設展の前だけに何十人もの客が並んでいた。一週間前までは連日三時間待ちの行列ができていたというから、それでも俺達は得をしたと考えるべきなのだろう。待つこと十分、俺達は自然光に満たされた白塗りの広間に通された。

 うっかり動物園からのアクセスを許可すると、端末器官を通して次々と展示の説明が頭の中に送り込まれてきた。シロフクロウは実はミミズクの仲間だとか、レミングが主食だとか、小忙しくいろいろなことを教えてくれたが、その中で気になったのは、この部屋がシロフクロウの生育環境をイメージして造られたということくらいだ。

 なるほど、広間の中央には円形の水槽が設置され、硬質樹液でできた二重の壁がアルコールで冷却された大気を挟み込んでいる。なるべく大勢の客に見せるための工夫には違いないが、行列の上流には相応の群衆が湧いているものだ。木霊は俺を引っ張って広間の中心へ分け入ったが、それでも人の頭の間から雪の積もった岩場が見えただけ。端末器官から垂れ流された有りがたい解説をバックに、俺達はなすすべもなく出口へと押し流された。


 一方通行のゲートを抜けると、アラスカの銀世界から一転、そこには青みがかった薄闇が広がっていた。木霊は俺の腕にしがみつき、ついでに俺の足をミュールの踵で二、三度ばかり踏みつけた。『ミネルヴァの森にようこそ。このエリアでは、世界中のフクロウとミミズクの仲間が活発に活動する様子をご覧いただけます』回線が開きっぱなしになっていたことに気づいて、慌ててアクセスを切る。ここはどうやら、夜行性のフクロウを展示するエリアらしい。

 暗さに目の慣れた群衆はゆっくりとほどけ出し、ルシフェリンの月明りと案内表示を頼りにめいめいの行き先へと散ってゆく。人いきれから解放された俺達は出口に向かう一群と別れて、空気の澄んだ方、澄んだ方へと逃げ込んだ。

「結局、あんましよく見えなかったね。チケットの分だけ損しちゃった」

 奥に進むに従って人気がなくなると、木霊はあけすけに愚痴り出した。通路の手すりに腰かけて足をぶらぶらさせている木霊に、俺は無難な相槌を打つ。

「ホント、あれはマジモンのぼったくりだったな。雰囲気は出てたけど、フクロウが背景に紛れちゃってさ」

 シロフクロウの擬態を見せようとした企画者の矛盾したコンセプトは、森のゾーンにも反映されていた。ドームに覆われた人工の夜を、フクロウ達は活き活きと飛びまわっているらしい。かすかな羽音に混じって、時折オカリナの低音に似たつかみどころのない鳴き声が聞こえてくる。声の主を見つけようと作りものの夜を見渡すうちに、俺は余計なものを見つけてしまった。

「この先に展望台があるってよ。元が取れるかどうかは分かんないけど、どうする? 行くか?」

 ゆるやかなスロープを上ってゆくと次第に木々の影が密になり、遊歩道を横切る冷たい月明りの方が目立つようになった。透き通った静かな闇に、こわばったミュールの音が沈んでゆく。

「ヤバ気になってきたね。なんか出てきそう」

 上着の裾を引く手が、心なしか重くなった気がした。盆の半ばとはいえ、昼過ぎの動物園に出現するのはせいぜいスリや置き引きくらいのものだろう。互いに顔が見えないのをよいことに盛大に苦笑しながら、しかし、俺は木霊の可愛い心配に付き合ってやることにした。

「幽霊ね……そういや、この間妙な噂を聞いたな……」

「やめてよね、こんなときに限って」

 ミュールの音が小刻みになり、気色ばんだ顔が黒い帳の向こうに浮かぶ。期待通りの反応に味をしめ、俺は夢中で噂の続きを考えた。

「それがさ、フクロウで思い出したんだけど……出るらしいぜ、フクロウが」

 いつの間にか、それまでかすかに聞こえていたフクロウの羽音や鳴き声が、森の奥に引いていた。その時の俺は迂闊(うかつ)な思いつきに得意になるばかりでろくに考えてみようともしなかったが、今思えば、偽物の森を隠すための偽りの夜は、俺の戯言にじっと耳を傾けていたのかもしれない。


「始まりは、一通のメッセージなんだってさ」

 くだらない出まかせだった。ただの出まかせのはずだった。

「ある日突然、承認していないアカウントから差出人のないメッセージが届く。メッセージ自体は白紙なんだ。でも、メッセージの届いたその日の晩に、奇妙なことが起こり出す」

 闇に這食(はいば)む遊歩道は、少しずつその首をもたげながら俺と木霊を深みへ(いざな)う。木々の影はますます密になり、確かに近付いているはずの月明りが、森の奥へと逃げてゆく。

「遠くから、フクロウの声が聞こえてくるんだって。あんまり小さい音だから、風と間違える奴もいるらしい。だけど、一日、二日、三日と夜を重ねる度に、鳴き声は大きく、近くなる。そうしていよいよごまかしが効かなくなってきたころに、奴が姿を現すんだ」

 知らないうちに小走りになっている木霊を追いかけながら、続かない息を振り絞って一心に語り続けた。これだけ急いで辿っていても尽きる気配のない道が、さほど広くはないこの棟のどこに隠れているのだろう。荒い息とはやる足音、主のない鳴き声を飲み込む底抜けに飢えた闇が、知らぬ間に俺達を捉えていた。

「メッセージが届いてから初めて見る満月の夜、それまでで一番大きな鳴き声が響いてくる、その方向をそっとカーテンの隙間から覗いてみる。程近いところに大きな影を認めて、正体を確かめようと眼を凝らしたその時……」


 上り坂が不意に終わり、月明りが夜に弾けた。いつになれば着くのだろう、と気を揉んでいたが、なんのことはない。向こうが頃あいを見計らっていたのだ。闇夜に慣れた目をかばい、とっさにかざした両手の向こうで、木霊が小さくあっと叫ぶ。俺はためらいがちに伸びた木霊の指の指した方を見やった。手厚く何度も塗りこめられた黒い夜空にぽっかり空いた、白く冷たい月の窓から遠く離れた高枝に。静かにたたずむフクロウの小さな影がのぞいていた。


 俺は決して忘れはしないだろう。嫌でも夜毎思い出す、厚みを持たないあの影を。

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