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はじまった人


 鎖が擦れ合う音、少女の手足には枷が嵌められ行動を制限されていた。

 その人物は孫策 伯符、孫家の現棟梁。


「はぁい、呼ばれて来たわよ」


 室内に入ってくるなり、手枷の付いた腕を振ってくる。

 笑顔で明るく気軽に、名目上沙汰を待つ身にあるまじき態度。

 しかしそれは目論見を知っている故の態度であり、玄胞からすれば民衆を魅了するであろう笑顔の下には鋭い牙が隠れているのが手に取るようにわかる。


「どうぞ、そちらに」


 公孫賛の時と同じく、椅子に座らせてから孫策の肩に文醜の手が置かれて軽く押さえつける。


(……ふーん、こりゃ動けないわ)


 重心を抑えられた、手枷と足枷に重心まで抑えられては椅子から立つこともままならない。

 見れば机を挟んで玄胞の斜め前には顔良、もし文醜を跳ねのけて玄胞に襲いかかろうものなら顔良に切って捨てられるだろう。


「それで? 話って?」


 今更何を語ればいいのか、こっちの内情なんて把握してるでしょうに。


「話ではなく命令です、孫家一門は呉に戻り次第逆賊袁術公路の討伐を命じます。 そのための必要な物資はこちらで用意しましょう」

「……わかったわ、袁術の首を持ってくればいいのね?」

「その通り、話はそれだけです」


 そう言って玄胞は退出を促す、僅かな会話で終わりを告げる。

 その仕草を見て舌打ちが出そうになる、この展開は予想通りで玄胞の掌の上だという事を強く実感させられた。


「待って、質問があるんだけど良いかしら?」

「どうぞ」


 態度には一切現れていない感情、ただ淡々と言葉を紡ぐ様はいっそ感嘆するほど。


「袁術討伐は承ったし、その物資も有り難く頂戴するわ、その後はどうなるのかしら?」

「ご安心を、約束通り助命は叶いますよ。 少なくとも此度のことで貴女方の責任追及は一切しませんので」


 何も言わない、明言しない。

 約束を履行する、それだけ。

 理解しているつもりだったけど、いざこうして突き付けられると後の無さに腸が煮えくり返りそうになる。


「そっちじゃないわ、袁術討伐後の呉の統治の話よ」

「貴女方でないのは確かです」


 そう、そうだ、この男はきっちりと約束を守る気でいる。

 ただそれだけ、それ以上のことはする気がない。

 だから私達から動かなければならない、そうしなければ一党が残るだけになってしまう。


「……玄胞、私達が呉を取り戻すためには何をしたら良い?」

「そうですね、まずは陛下に対し忠を示さねばなりませんね」


 何を持って忠誠とするか、残っているのは一門だけ。

 何かを献上する余裕など無い、そもそも寡勢の献上になんの期待も寄せては居ないでしょう。

 今の私達に残るのは『戦い』、武を中核にした行動だけ。


「我々袁家は汚れてはいけない威信があります、汚れたのならば我々自身の手で濯がなければいけません」


 忠臣を自称しながら血族から逆臣が出るなど、一も二もなく討伐に行かなければ出向かなければならないでしょう。


「我々が直接討伐に出向ければ良いのですが、他にやるべき事が山程ありまして。 貴女方が我々の意を汲み取り、代わりに成していただければ忠を示したとして呉の統治を孫家に任せてもいいと考えております」

「なるほど、喜んでやらせてもらうわ。 でも、袁家が本当に欲しいのは袁術の首じゃないんじゃない?」


 言葉通りなら手が足りない故に、呉の統治権を餌としてぶら下げて私達にやらせようとしている。

 手が足りない話は予想外だけど、私達に袁術を討伐させる話は可能性があった。

 だけど袁術の首を私達に落とさせるのは違う、本当の目的は……。


「本当に欲しいのは首じゃなくて袁術の身柄、でしょ?」


 捕らえた過程などどうでもいい、重要なのは袁家自らの手で袁術を処断しなければならないという事。


「ええ、その通りです。 やはり地頭がよろしい方だと説明が省けて楽に済みますね。 どうです、一門毎こちらに来ませんか? 相応の待遇を約束しますよ」

「遠慮しておくわ」

「それは残念ですね」

「だからといって縋り付くしか無いように糸を引くのは止めてよね」


 そう言えば、玄胞は曖昧に笑みを浮かべるだけ。

 こいつは本当にやりかねない、基盤を早く取り戻して冥琳や穏に頭を捻ってもらわないと。


「それでは、話はこれだけです」

「あなたに袁術を届ければいいのね?」

「ええ、身柄の受け取りは手配しておきます。 罷り間違っても逃げられると言った事態になったら、こちらも対応を変えざるを得ませんので留意しておいてください」

「……連れてきてあげるわ、必ずね。 ……それと、感謝しているわ」


 そう言えば退出を促され、兵士に連れられ部屋を出た。






 孫策は自陣に戻りながら、渋い表情を作る。

 なぜならば孫策が呼び出される前に周瑜が予想した可能性が的中したことに原因であった。

 二つの可能性を上げ、おそらくはほぼ確実にどちらかになると周瑜は示唆し、陸遜もそれに同意した。

 一つ目は『飼い殺し』、どう足掻いた所で逆賊に組みしたと言う紙札は剥がせない。

 大きな役目など与えられず玄胞の目に見える範囲で留められ、最終的には袁紹の下に組み込まれる可能性。


 孫家は武官も文官も、一勢力としては頭一つ以上抜きん出ている。

 目を背けられない悪名を押し付けて動きを制限し、孫家一門を取り込もうとする行動。

 袁紹に下ること事態が悪い事ではないことが問題だった、丸ごと抱え込んでも全く問題ない基盤を持っているため衣食住を満たすことが出来る。

 玄胞が誘ったように袁術の下に居た時とは比べ物にならない良い待遇も期待できる、期待できてしまうほどに高い能力を持っている。

 呉に執着しなければ飛躍し続ける袁紹に付いて大いに名を高めることも出来うる。


 しかしながら、やはり孫家は呉にありき。

 どうしても譲れない一線、故に誘いを断った。


 そしてもう一つ、飼い殺しよりましな『袁術の討伐』。

 こちらに関しては飼い殺しよりも可能性は低かった、理由は孫家の名誉挽回などしてやる必要がないからだ。

 反董卓連合軍戦での離反の約束も守った、玄胞が孫家に対してするべき事はそれだけで問題はない。

 孫家としてそこからさらに呉の正式な統治権が欲しいなんて言えるわけがない、言ってしまえば恥も外聞も誇りさえない下劣な者になってしまう。

 しかし恥じて何もしなければ呉に戻ることすらできない、だから恥を忍んで口にした。


 戻るために玄胞に借りを作らねばならないこと。

 する必要のない事をして貰う事、これを借りと言わずしてなんと言うのか。

 助命、仇討ち、統治権、借りが積み重なった。

 認識してしまってはもう遅い、義と情に厚い一面を持つが故に借りを無視することが出来ない。

 少なくとも三度は要求に対し大きく譲歩するか、同等の貸しで返すしか無い。


 玄胞は孫家に誘いを掛けるほど能力を認めている、認めているが故に大きくなる前に圧力を掛けることも辞さない。

 これからと言う時に野心を持たれて暴れてもらっては面倒なことになる、それを防ぐための枷でもあった。

 当然孫家の軍師たちがそれに気付くことが前提で、この事を貸しと見るか見ないかは孫家次第。

 しかし気が付いているので貸し、恩として見る事しか出来なくなっている。

 この事を貸しとせず無視しようものなら致命傷になりかねない、周囲の認識、広がる風評、それらが孫家一門を殺す一突きに成り得る。


「あーやだやだ」


 袁紹軍に囲まれて南側の外に陣を敷いている孫家の軍勢。

 手枷足枷を付け直されて戻ってきた孫策の一言、それに出迎え落胆して返したのは周瑜。


「その様子だと上手く行かなかったか……」

「いえ、予想通りよ。 向こうとしてはどっちに転んでも構わないんでしょうけど。 いやになるのは玄胞よ、玄胞」


 周瑜が手枷を腕組みをして一つため息を吐く。


「やはり奴は駄目か」

「ダメダメ、ほんとだめ。 あれは借りを作っちゃいけない奴よ」

「手遅れではあるがな」


 はぁー、ともう一度ため息を吐く孫策。


「わかってはいたけど、間違いなく中枢に食い込んでるわね、袁家は」


 統治者を任命するのは相応の地位が必要となってくる。

 宦官を排し、反董卓連合が結成され攻め上がられた時、誰一人味方しなかった所に唯一救援として駆けつけ、それらを撃退した。

 その結果に皇帝と董卓からの厚い信頼を得られたと考えられるのは容易だ。

 国政の場に置いて影響力と発言力は、どうあがいても朝廷の雀どもでは抑えられるとは到底思えない。

 家柄も十分で三公を何代も輩出し漢を支えてきた実績がある、そこに今回の功績を乗せれば抑えられる者は皇帝か、あるいは董卓しか居ないだろう。


「何にせよ、趨勢は決まっちゃったわねぇ。 これで董卓が実は風評通りの人物だったり、贅沢のしすぎで心変わりしない限りは安寧の道よねぇ」


 そう言って振り返る孫策、見るのは遠目に見える南皮の巨大な城壁。

 ある程度地位を持つ者が見れば、巨大な城壁は凄まじい力の象徴でもある。

 建築にどれほどの金と人足を費やしたか、凹凸の少ない壁面はどれほど気を配ったか。

 そして聞く所によると、あれ程の城壁を僅か数年で築き上げたと言う。


「……ねえ、冥琳。 あれ、陥落させるにはどれ位兵力がいると思う?」

「攻めん、出来るなら包囲して兵糧攻めにする」


 一言で切って捨てる、ただそれだけで巨大な城壁を突破する事が至難だと示した。


「直接落とす必要があったら?」

「最低でも反董卓連合並みの兵数が必要だな、当然全ての指揮権が我々の下にあって初めて攻城が成り立つ程度だろう」

「成り立つ、ねぇ……。 出来るって言ってくれないの?」


 それを聞いて周瑜が鼻で笑った。


「あれに強攻を仕掛けるなど下策中の下策、余程の阿呆でなければ大きな損害を出して打って出られるだろうな」

「そうよねぇ、全くどんだけなのよ」


 孫呉の宿願、孫策の母、孫堅が望んだ覇道。

 その道は未だ見えず、だが未来は今生きる者のためにある。

 死者と過去に引き摺られた道か、あるいは決別して……。


「……まあ、まずは地盤を固めないとね」


 孫策は振り返り孫家の臣下を見て。


「さてと、それじゃあ皆、移動の準備よ」

「……南陽攻めか」

「策殿、南陽攻めは良いが兵糧などはどうする?」

「それは袁家のえらーい人が用意してくれるわよ、武器とかも返還してくれるから準備が整い次第河南へ出発よ」

「簡単に言ってくれるな、袁術の兵がどれ位残っているかもわからないというのに」

「でもやらなきゃぜーんぶ手からこぼれ落ちるわ、だからね?」


 そう言って孫策は笑い、周瑜はまたため息を吐き。


「わかっている、やり遂げてみせよう」

「そうでなくっちゃ! さあ、やるわよ皆! 孫呉の地を我々の手で取り戻すわよ!」


 その光景を見ていた兵たちは皆腕を突き上げ、波紋のように広がる鬨の声を上げていた。


これから動かなきゃいけないので孫家を南皮の周りに置いとくと邪魔になるんで

恩を押し付けつつ袁術連れてきたら統治させてあげてもいいよという追い出し

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