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抑えておきたかった人

すまぬ…すまぬ…

アンケのもちゃんとやるから……


「さて」


 組んでいた指を解き、水に溶かした墨が入った硯。

 その隣の筆置きに乗せていた筆を取って、硯の中の墨に穂を浸す。


「まずは、基本を抑えておきましょう」


 さらさらと紙に発した言葉と同じことを書き込む。


「公孫賛殿、貴女はなぜ反董卓連合軍に参加したのですか?」


 言い終えると同時に筆も止まる、そうして顔を上げた玄胞は公孫賛を見た。


「そりゃあ……、それは参加するしか無かったん、です」


 いつもの公孫賛とは違う口調、流石に普段通りに話しかけるのは不味いと思ったために矯正しての言葉。


「参加するしか無かったと言う理由は?」


 玄胞はまた視線を手元の紙へと落として、筆を走らせる。


「……えーっと、相国様が陛下を傀儡にして、洛陽で圧政を敷いていると風評を聞いて、それから数日後に──」

「日数は正確にお願いします」

「──……九日後に袁術から檄文が、風評が本当で行かなければ陛下を助ける気はなかったと咎められるし……」


 公孫賛の言葉によれば、参加せざるを得ない状況だった。

 諸侯がやるべき事に帝から与えられた封土の管理と、有事の際に帝を守るために馳せ参じる事の二つある。

 今回は後者で、巷に流れる風評を信じるのであれば帝の危機であるために駆け付けなければならない。

 更には同窓の劉備の要請もあり、公孫賛は反董卓連合への参加を決めた。

 州牧の責任も有るし、友人の劉備を放っても置けなかったと、そう言った理由であった。


「なるほど」


 それを聞いた玄胞は、公孫賛なら有り得るだろうなと考える。

 以前から言動の端々に友を思う気持ちが見える、人間的に素晴らしい人物ではあるがこれで損をしたことは一度や二度では済まないだろう。

 そんな公孫賛に仕方がないと、そう思うに足る理由はある。

 友人の劉備の要請があろうがなかろうが、宮廷の内情を知らない公孫賛は判断材料が無く、州牧の責務として動かざるを得なかった。

 玄胞の思惑としては動いて欲しくはなかった、そう思う点で玄胞の失態がある。


 公孫賛の人柄から考えれば動かぬよう抑えつけておくのは簡単だった、起こる戦いに意識を向けすぎてそれをしなかった故の失態。


「……公孫賛殿、貴女が考えるに反逆に対する妥当な処罰は一体どのようなものとなると考えていますか?」


 答えを聞いて一息付き、机を挟んで少し離れた所に座る公孫賛に向けての言葉。


「……わたしを筆頭とした族滅、が妥当じゃないかと……」

「その通りです、今回の件で公孫一族は全て死滅することになります」


 公孫賛含め、親と子の処刑。

 恨みを残さぬために拡大して、存命の高祖父から生まれたばかりの孫や曾孫までも、公孫一族であれば悉く処刑されるだろう。

 そして居なくなった公孫一族の穴埋めに誰かが派遣されて幽州を治める、そこまでが処罰の顛末。

 それを聞いた公孫賛は唇を噛む、自分だけならまだしも親兄弟、姻族も含めた全ての係累が死ぬことになる。

 こうなってしまった原因が自身に有ることを、公孫賛は悔やんでも悔やみきれないほどの無念に苛まれた。


「それが妥当であり、多くの者が納得する結末でしょう」


 玄胞の一言一言が俯いた公孫賛の心に伸し掛かり、目尻には涙すら浮かび始める。

 自身が死ぬことから来る悲しみではなく、自身の判断で罪のない親類を死なせてしまうことへの悔しさからの涙。


「ですが、陛下は恩情を示されました」


 それを聞いて、苦しさに苛まれていた公孫賛の動きが止まる。


「陛下は州牧としての責務に沿って動いた公孫賛殿への処罰として幽州州牧の権を剥奪し、我が主である袁紹様の麾下へと入り、その働きを持って陛下に忠を示すことで族滅の処罰を取り止めることを示されました」


 はっとして顔を上げた公孫賛、反動で涙が頬を伝う。


「公孫 伯圭、貴女は陛下の恩情に報いるや否か?」

「………」


 呆然として玄胞を見つめる公孫賛、言葉の意味を頭の中で理解しようとしているのだろう。

 数秒して公孫賛が動き出す、立ち上がろうとがたがたと椅子が揺れて押さえつける文醜が叫んだ。


「む、報いる! 報いるから! だから!」

「ちょ、立つなって!」


 公孫賛の姿は必死だった、州牧剥奪と誠心誠意働くことで一族郎党皆殺しが避けれるなら誓いたくもなるだろう。

 それが自分のせいであったのなら尚更に。


「静かに、落ち着いてください」


 言葉に力を入れて窘める、感情的になった相手に強く言い聞かせるのは何時だって効果的である。

 その声に公孫賛は我に返って、力が抜けたように椅子に腰を落とした。


「では、陛下の寛大な恩情を裏切らないようお願いします。 これで尋問は終わりです、沙汰は追って知らせますので」


 次の方を連れてきてください、そう言って公孫賛に退室を促す。

 しかし、公孫賛は一向に立とうとせずに呆然と見つめてくるだけ。

 この後の予定は詰まっている、終わったことに長々と付き合う余裕はない。

 玄胞は親衛隊に連れていくように親衛隊に命じ、扉の前に立っていた親衛隊員は公孫賛に歩み寄って立たせる。


「……え、本当に?」


 どうやら公孫賛は信じられないようだった、むしろこのまま処刑場にでも連れて行かれるのではないかと言った様相。


「貴女に嘘をつく理由があるのですか? 態々連れてきて尋問などせず、処刑場に連れて行って首を落とせば済むことでしょうに」


 公孫賛の首を落とし、軍を引き連れて幽州へと向かい、公孫一族を根絶やしにする。

 それを行って、幽州州牧の代わりを置くだけ。

 処刑することが決まっているのなら、今行ったものは本当にただの無駄でしか無い。


「お望みとあらば、すぐさま貴女の首を落とさせ、公孫一族を滅ぼすよう命じますが?」


 それを聞いた公孫賛は顔を青くして横に首を振る。


「いや、いや……、なんでも……」

「では」


 早く連れて行け、そう親衛隊に目配せ。

 それに従って親衛隊員は公孫賛を室外へと連れ出す。

 その際、扉の前で公孫賛が振り返って口を開いた。


「その……、ありがとう」


 まっすぐに、心の底からの吐露。


「それは陛下へと捧げる言葉です」


 公孫賛の一言を、切って捨てる玄胞。

 助ける気が有ったとは言え、決めたのは劉協。

 ならばその言葉を向けるべき相手は自分ではない。

 玄胞は軽く手を振り、やっと公孫賛は退室していった。







「……あの、安景さん」


 次の尋問相手が来るまで少し時間がある中、少しでも時間が惜しいと仕事に励む玄胞に顔良がおずおずと声をかける。


「何です?」


 視線すら向けず、筆を走らせ続けながらの返事。


「……えっと、本当に処刑しないんですか?」


 最上位のみの思惑で決定されたことで、理由を知らない顔良の疑問はもっともだった。

 古来より歴史を紐解けば、国家の主体である王や皇帝に仇なした者が敗北した場合の結末は凡そ同じもの。

 後顧の憂いを断つために、主犯となる者は当然、その家族や親類、生まれたばかりの赤子でも構わず滅ぼされる。

 今回の事件で皇帝に反逆した者は、定例と同じく処刑されるであろうと顔良は考えていた。

 途中で降ったとしても意味がない、逆賊の一党となったその時点で如何なる理由でも許されることではないからだ。


「ええ、陛下が決めたことでありますから」


 勅命である、臣下であるならば従わねばならない。

 不平不満があったとしても、握る権力がこの国と陛下によって齎されたものであるならば反することは出来ない。


「処刑したほうが後々楽、とは言えませんが……。 顔良殿は処刑して欲しかったのですか?」

「ち、違います! そういうことじゃなくてですね……、ちょっと、そのぉ……」


 顔良は処刑をして欲しいわけではなく、この甘すぎる決定に不自然さを感じての問いかけだった。


「……顔良殿」

「……はい」

「世の中知らなくて良い事があると思いませんか?」

「……あっ、はい」


 何かを察したように、顔良は口を閉じた。

 それを聞いていた文醜は何言ってんだ? と首をかしげていた。

 実際のところは隠す隠さない以前の、何を考えて判断を下したのかわからないために濁した。

 同時に顔良や文醜が皇帝の思惑を知ったとしても、特に戦場への影響は無い、或いは少ないと判断した。

 知る必要がない事は、知ったところで意味がないという事にもなる。


「別に心配はいりませんよ、織り込み済みです」

「……それなら、まぁ……」


 難しい事はこちらで考える、二人はただ命に従って武具を振るえばいい。

 そう文醜と顔良に告げ、次なる尋問相手を待つ玄胞だった。


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