交わさぬ人
何故張遼たちには一騎打ちを認めず、華雄に一騎打ちを許可を出したのか、そこには幾つかの思惑がある。
まず一つ目は約束をしたから、玄胞は裏切りや約束の不履行を嫌う。
軽い口約束であっても履行をしなければ己の格を下げることになり、信用や信頼を損なう。
無論これは単なる玄胞の考えなだけであり、一騎打ちの許可を決めた要因ではない。
二つ目、玄胞は華雄の性格を見て取り、抑えが居なければ簡単に命令を無視すると判断したこと。
功を上げれば軍規など如何ほどでもないと、その場の状況だけで物事を決める。
それを知り尋常な判断が出来る者なら腫れ物の如く華雄を扱い、職を解き僻地へと飛ばしてもおかしくない程の扱いにくさ。
しかし今の董卓・袁紹軍には華雄ほどの武を持つ者を使わず置いておくほどの人的余裕は無い。
華雄に孫策と戦わせると言う約束をせず、出陣させ命令を出しても従わないだろう。
おそらくは命令を無視して孫策へと目掛けて吶喊を仕掛けかねない、そうなれば連携どころか陣形さえも乱れ大きな隙を生むことになる。
ならば最初から向かわせれば、戦略に織り込んで運用が出来る。
三つ目、本命に対する戦力の集中を避けるため。
右翼の張遼に文醜と顔良、左翼の華雄と趙雲、そして中央、呂布 奉先。
反董卓連合軍と董卓・袁紹軍の両翼とそれぞれ力が分散している、これが一騎打ちを認めぬ理由。
言うなれば一騎打ちを避けさせることにより、両翼の進展が遅れることになる。
無論一騎打ちに勝利すればそこから強く押し込むことも出来ようが、それは相手にも言えること。
将を欠いた隊は大きな士気の低下を招き、存命の敵将の猛攻に晒されることになる。
そうなれば悪い結末が訪れることになる、しかし一騎打ちと言う危険を恐れて機会を逃すこともあり得よう。
だが今求められるのは危険を犯した上での大勝利ではなく、堅実な勝利を必要とする。
故に敵軍の強力な札を出来るだけ左右に分散させ、回せないように抑えておく必要があるのだ。
しかし天下の飛将軍、呂布 奉先と言う強力な切り札を効果的に使ってくることなど当然名軍師たちは予測してくる。
ではどうするのか? 答えはそれほど遠くない時に姿を表す。
「呂布隊、前進ですぞー!」
前進して両翼が敵軍と接近したのを確認し、中央中曲の呂布隊もさらなる前進。
「恋殿、危ないと思ったらすぐにでも下がるのですぞ!」
「ん」
呂布隊の斜め前を進む左右の隊を見ながら、陳宮の言葉に馬上の呂布が頷く。
その呂布隊は隊長である呂布を先頭にして進む、呂布隊の両端後方には金色の鎧を纏う袁紹軍の歩兵が固めている。
前進し始めてから三分ほど、敵左右の前曲の動きが変化する。
同じく華雄、張遼両隊も動きを変えて来る遠戦に備えた。
「ねね」
「はいですぞ! 皆の者、遠戦の用意ー!」
陳宮が号令を上げれば、呂布隊前方の歩兵は盾を構え、その後方では弓兵が矢を手に取る。
呂布も弓、弓本体と張っている弦の間に上半身を挟ませていた弓を取り、腰の矢筒から矢を一本、右手で方天画戟を握りながら親指と人差し指で取る。
その時には既に華雄、張遼隊と連合軍は遠戦を行なっていた。
それを見て呂布も弓に矢を番える、ギシギシと縒られた鉄の弦が軋みの音を立てる。
弓身も弦と同じく鉄、鍛え上げた屈強な男が三人掛かりでも弦を張ることが出来ない、凄まじい弾性を持つ弓の弦を軽々と引いた。
そうして天下の飛将軍、武において並ぶ者無しと謳われた呂布の一端が姿を見せた。
正面に見据える劉備軍までの距離は優に三町四十間(約400メートル)はあるだろう、弓の名手でも当たる当たらないを議論するまでもなく届かない位置。
その距離で矢を番え弦を引き、進行方向の正面、斜め上方に向かって指を離した。
鳴るのは軋んだ金属が元の位置に戻る音、耳を劈く弓矢の音は死を送り込む。
大気を打ち抜きながら鉄の矢は山形を描き、目標へと到達した。
呂布はそれを確認する前に二射目どころか三射目を放っていた、矢を撃ち放ち次の矢を取って矢に番えて狙い放つ。
その一連の動作が一秒未満、並ではない速度を持って矢を射続ける。
当然矢を射る時に馬の歩みを止めることはない、呂布隊の先頭で前進しながら揺れる馬上で矢を射る。
そうして呂布は矢を取ろうとして矢筒が空であることに気がついて弓を下ろす、射続けながら三十間(約54メートル)も進まない所で鉄の矢が切れた。
予備の矢はない、木製の矢では番えた矢を押し出す鉄の弦の弾力が強すぎて弦を離した瞬間に引き裂かれて使い物にならず、何とか耐えても空中で裂けたり分解して矢の意味を成さなくなる。
よって耐えれるだけの鉄の矢を用意させたのだが、数を揃えるのは時間が足りなかった。
呂布が扱った弓を活かすための鉄の矢ではあるが、「撃った衝撃で壊れず空中で分解しない、狙った方向へ正確に飛ぶ鉄の矢」と言うのは木製の矢のように簡単に量産できるものではない。
そもそもあまり弓矢を使わない呂布に使用を勧めたのは玄胞であり、才があるのに使わないのは勿体無いと言うことで用意したもの。
勧められて使った呂布はもとより弓の扱いにも長け、大陸の名立たる弓の名手たちに並ぶどころか凌駕する腕前。
法外な膂力、卓越した弓術、馬術も人馬一体のごとくの扱い方、まさに天から戦いに必要な才を具えられた傑物。
「お見事ですぞ!」
「ん」
陳宮に褒められつつとりあえずは撃てる矢がない弓を一人の兵に引き取らせ、方天画戟を持つ右手をぶら下げたまま前進し続ける。
「……ねね、下がれ」
「はいです! ご武運をっ!」
「………」
そろそろ遠戦、矢が降ってくると呂布は陳宮を下がらせた。
陳宮の言葉に頷いて呂布は後方に下がる陳宮を見やって、少しだけ手綱を引く。
その姿は自然体、何も危険がない場所へと散歩へ行くような。
並み居る武人、特に機に敏い者なら覗いてしまうだろう、天賦の才と言う物を。
その一端を覗いた趙雲も、正面からまともにやれば呂布相手に勝ちは拾えないと太鼓判を押した。
ならばその呂布に率いられる兵は自ずと士気を高める、隊長である呂布についていけば敗北はないと。
当然呂布隊に付く袁紹軍兵も別の所で負けはないと、恐れを抱かず戦場へと歩を進める。
この度の戦に負けはない、例え死んでもそれは勝利に他ならない。
ならば死ぬことに恐れはない、約束された勝利に慄く者などここには居ない。
「………」
馬上の呂布、左手を伸ばして馬の頭を一撫で。
左手を戻して手綱を握り、右腕を高く上げた。
方天画戟の穂先と月牙が太陽の光を反射、キラリと光るその姿に呂布隊が動いた。
歩兵は盾を斜め上に構え、その後方の弓兵は弓を歩兵の盾と同じく斜め上へと構えて矢を番えた弦を引く。
その体制が整った時には、既に董卓・袁紹軍の両翼は戦闘に入り争っている。
怒声や鬨の声、ぶつかり合う得物の音、悲鳴と共に血が大地に撒き散らされ、互いの命運を決めつけ合う。
呂布隊、第一師団もすぐにその渦中へと飛び込む。
その合図が、師団長である呂布の手によって示された。
方天画戟を正面へと振り下ろし、歩兵は鬨を上げながら前進、それと連動して陳宮が放てと号令を出す。
呂布も馬を走らせて劉備軍へと進み、方天画戟をいつでも振ることが出来るように構えるが矢が降ってくることはない。
規律、戦法、計略と揃った者たちの戦いとなれば、当然と言って良い状況を迎える。
それが互いに矢を放って敵兵を減らす遠戦であるが、呂布隊だけが矢を放って劉備軍からは矢が飛んでこない。
何故矢が飛んでこないのかと呂布は考えるが、やることからすれば全く関係無いので考えから外した。
歩兵たちも駆けながら一向に飛んでこない矢に疑問を抱きつつ安堵して、馬に乗って先頭を進む呂布の後について走る。
そうして見る間に距離が近づく、時間にして一分もない距離。
「………」
劉備軍の先頭からさらに前、突出して単身の者が二人。
得物を存分に振るえる距離を置いて並び立ち、迫る呂布隊を待ち構える武将。
一人は艶やかな黒髪を後ろで纏め龍の意向がなされた大刀を握る少女、関 雲長。
もう一人は赤毛の短髪、小柄でありながら自身の倍以上もある矛を持つ、張 翼徳。
呂布はその二人を見ずとも強いと評した、だからと言って避ける理由にはならない。
「……突撃」
万の足音で聞こえないだろう呂布の小さな呟きに、呂布隊は掛ける足を速めて雄叫びを上げる。
その先頭の呂布は手綱を緩めて馬の腹を軽く蹴る、馬は意に介し速度を上げて劉備軍へと突っ込んでいく。
矢の如く劉備軍前で陣取る二人に向かい、右手の方天画戟を引き絞る弓の弦のごとく構え。
「待たれい! ──っ!!」
「死ね」
掛けられた声を無視して命を纏めて刈り取る、下から跳ね上がる一撃を放つ。
それは剛速にして剛激、呂布から見て右手に居た関羽に方天画戟を打ち付けるも、間一髪青龍偃月刀にて受け止め容易く吹き飛ばされ。
高速で返す方天画戟が左へと向けられ、関羽に放った物と同じ矛先が地面を切り裂き、跳ね上がる一撃を繰り出すが張飛もまた手に持つ蛇矛にて受け止め、関羽以上に弾き飛ばされる。
それは手加減なしの一撃であったが、両者とも反応して受け止めたことに呂布の予想は当たっていたが。
関羽と張飛、どちらに向かうこともなく呂布は馬をただまっすぐ劉備軍へと走らせた。
「月を殺そうとする者は許さない、連合軍に与する奴は……」
その身は万夫当たらず、武の極地が今真価を発揮する。
「ここで死ね」
次からは個別じゃなくて全体で進めます