編み込む人
もう60話だ、この程度しか進んでいないとは一体どういう事なの・・・
「ちょ、なんで!?」
声を荒らげたのは賈駆、汜水関に篭る全将兵に通達された命令に疑問が挙がったためだった。
「なんで撤退するのよ! あれを壊しておかなきゃ拙いわ!」
驚異的な性能を見せる曹操軍の新型投石機、数も揃え投石による援護射撃を行いながら攻められば一溜まりもない。
現に櫓は遠距離からの正確な投石で撃ち壊され、城壁の上で待機していた弓兵にも被害が出た。
今虎牢関に撤退しても汜水関の二の舞以上に苦しくなると、そう賈駆は郷刷に説明するが。
「出撃させた将兵が討たれるか捕らえられるかされても、あの投石機を壊す必要があると?」
軽快に階段を降りる郷刷は後ろに付いて行く賈駆に返す。
「あれは罠ですよ、今賈駆殿の考えるように何としても壊さなければならない。 そうしてこの汜水関から出撃したとして、結果投石機の破壊は失敗して張遼殿と華雄殿を失っていたでしょう」
「どうして失敗すると分かるのよ!」
「劉備軍には関羽と張飛、その後ろには曹操軍の夏侯惇と夏侯淵の姉妹が、その両脇から上がってきていたのは孫策軍と馬超軍。 張遼殿と華雄殿に同等以上と思われる武将が複数同時に攻め立ててくれば、敢無く討死か捕縛されるのが関の山」
あれは兵を減らす策ではなく、兵を率いる優秀な将を減らすものです。
そう賈駆に説明して、打って出る必要はないと汜水関に篭る全将兵に撤退を命じた郷刷。
「幾らこちらの方が兵数は多くとも巧みに兵を率いる者、兵の士気を高める者が居なければ烏合の衆に変わりません」
こちらが率いる兵は一万で、敵の兵数三万の優秀な武将と軍師が居ない軍勢と、兵数一万の優秀な武将と軍師が居る軍勢、どちらのほうが怖いでしょうか?
そう聞かれて賈駆は言葉に出さず後者を選ぶ。
確かに三万と言う数は大きい、だが突貫を許してしまうほどの武将が居らず、こちらの策を読んでくる軍師が居ない敵軍三万と。
兵を引っ張り上げる優れた武将に、こちらの策を見抜いてくる軍師が居る敵軍一万。
厄介さでは明らかに一万の敵軍、統率された軍勢は有象無象の軍勢よりもはるかに強か、どちらを相手取るか決められるのなら賈駆は有象無象の三万の軍勢を選ぶ。
「投石機と言う是非とも破壊したい餌、それに食いついていれば死命を制されていたでしょう」
袁紹軍は言わずもがな、他の諸侯に誇れる将は客将である趙雲しか居らず、その趙雲は虎牢関に篭っている。
文醜と顔良は袁家の双璧と言われているが連合軍や董卓軍の将に比べれば一段以上落ちる、決して悪い訳ではないが誘き出しで前に出てきた諸侯の将は相当高い質を持った将たち。
これが有象無象の賊軍であれば送り出していただろうが、はっきり言わずとも連合軍将兵の質は賊とは比べ物にならないほど高い。
董卓軍は武に置いて並ぶ者無しと言える呂布に神速の用兵と名高い張遼、猪突猛進ではあるが文醜の上位互換になる華雄。
名の立つ連合軍の武将とまともにやり合えるのは呂布、張遼、華雄、趙雲の四人となり、ここで張遼と華雄が落ちれば董卓・袁紹軍にとって大きすぎる痛手となる。
「ここに全ての将が集まっていれば出ていたでしょうが、それも無理な話」
将を割り振ったのは他ならぬ郷刷、投石機の存在を看破出来なかったのは失敗。
その失敗を帳消しにするために汜水関から出撃させるなど、さらに大きな失敗を招くだけ。
ここは一旦下がり更に深く誘い込み、投石機による被害を減らしつつ進軍速度の停滞を図る。
汜水関を空にしたことから空城の計をも疑うだろう、無論総大将の袁術が考えなしに踏み込んで来ても然程問題ない。
最も兵数が多く総大将の袁術が進めば他の諸侯は付いて行かざるをえない。
「今問題とするのは……、あちらですね」
進んでも進まなくても苦しくなる状況を作り出そうとしている郷刷が向ける視線と、問題と言った存在が階段を駆け上がっていた。
「玄胞はどこだァ!!」
階段を駆け足で降りる兵たちを押しのけ、押し抜けられた兵は階段から落ちそうになり他の兵に掴まれて危機一髪。
それを行ったのは華雄、怒りの形相を表情に貼り付け階段を駆け上がってきた。
「うわ……」
それを見て賈駆が小さく声を上げる、一目で怒っているのが分かる様。
だが郷刷は軽快に階段を降り、華雄のもとへ進む。
「玄胞! 貴様一体……!?」
「時間がありません、出来るだけ早く撤退しなければ」
すれ違いざまに華雄の腕を掴んで、引っ張りながら階段を降りる郷刷。
「ええい、離せ! そんな事よりも一体どういうつもりだ!」
「虎牢関の前で決戦を挑みます、その準備をするためですよ」
腕を振り払われ、足を止めて大声を上げる華雄に結論から話す。
「今の連合軍に誉れはありません、今華雄殿が出陣しても誰も一騎打ちなどに応じず複数で討ちに掛かるでしょう」
だから出撃せず虎牢関に撤退する、余計な飾りを付けずに話した。
「だからと言っておめおめと!」
「ですから、華雄殿にはおめおめを飲んでいただきたい」
「何っ!」
「貴女はここで討ち取られるような将ではない、華雄殿が戦うに相応しい場所があると、そしてその相応しい場所はここではない」
振り返って華雄をまっすぐに見つめながら、郷刷は懐から短刀を取り出して華雄に差し出す。
「約束しましょう、次は必ず戦いになり華雄殿には孫策と打ち合わせることを」
約束が守られなければこれで首なり心の臓なり切り裂いて構いません、得物をつまらぬことで汚したくはないでしょう?
そう言ってあっさりと命を賭ける郷刷。
「……貴様の命、ずいぶんと軽いものだな」
「私だけではありませんよ、今の世の中は命が軽すぎる」
「……ふん、いいだろう」
奪うように短刀を郷刷の手の内より取る華雄。
「預っておく、こんな粗末なもの使わせるな」
「約束を破るくらいなら、もっと都合の良い嘘をつきますよ」
一つ鼻息、鞘に収められた短刀を手に持ったまま華雄は階段を降りていった。
「……ほんと、そう簡単に命を担保にしてちゃいつか信用してもらえなくなるわよ」
「金や地位よりもましでしょう、逃げずにそこに居るのですからわかりやすいものだと思いますけどね」
約束が果たされるならどんな約束でも出来る、そもそも負ければ命を絶たなければならないのでいまさら話でもあったが。
「で? 本当に決戦を挑む気? 峡谷で戦ったら数の利が」
「実際の所、数の利はそれほどないのですよ」
「……そんな訳無いでしょ、こっちだけでも二十万も居て、袁紹さんも合わせれば三十万に届きそうじゃないの」
階段を降りきり、隊列を揃えて虎牢関へと撤退していく汜水関の兵たちを見る。
「戦える実数は十五万位でしょう、連合軍と差ほど変わりません」
「……だから」
「函谷関の守りと峡谷閉鎖、それに割いておりますので三十万など出せませんよ」
「なにそれ、そんな話聞いていないんだけど」
「挟撃出来ればいいのですが、足止め出来ないと間に合わないでしょうから撤退妨害と虎牢関との挟撃が良い所でしょうね」
「……でも、それじゃあ」
「何か問題でもありますか? 賈駆殿は賈駆殿が望む結果だけを期待すればいいでしょう?」
振り返って郷刷が賈駆を見る。
挟撃の案には決戦で負けた場合も含まれていることに気が付いた賈駆。
もし虎牢関前での決戦で敗北した場合、将兵問わず討たれるか捕らえられるかするだろう。
その中に出陣する全ての将兵、それこそ隊を率いる将や軍師も含まれている。
つまり勘定に入れている、郷刷は己の命も終わる可能性を含めての作戦を組んでいた。
「……そういう事、最初からそのつもりだったのね。 だから負けたら死んでみせるなんて言ったわけ」
「ええ、一手で得する事が複数ありますから」
己の命を使ってまで、それこそ使えるものは何でも使う作戦を繰り出す郷刷。
そこまで策に編みこんで実行に移せる軍師はどれほど居るだろうか、自身とは違う思考に少しだけ畏怖の念を抱いた賈駆であった。