唖然とする人
左右は断崖絶壁の峡谷、どうやったら登れるのか見当もつかないほど険しい崖に挟まれている。
風化のせいでもろくなったのか、崖下には崩れて落ちた岩が幾つも転がっている。
その非常に高く切り立った崖のおかげでより強固な関となっている汜水関、見るからに難攻不落に見える威容は攻略の難しさを物語る。
その上汜水関の城壁の上には一目で見て分かる櫓がいくつも立っている、明らかに城壁の更に上から矢を射掛けてより籠城の優位性を上げようとしているのが分かる。
「……予想以上にやばそうだな」
一刀は呟く、黄巾党本隊討伐の際の籠城戦を体験していたが、大きさなら黄巾党本隊討伐の時の城よりもはるかに小さい。
だと言うのに一刀には汜水関があの時の城壁よりも大きく見えていた、籠城相手に三倍の兵力が要ると言うが三倍でも少ないんじゃないかと思わせる姿。
心構えの問題か、それとも篭る相手の強大さか、今までの戦いの中で最も重圧が伸し掛る。
嫌な気分だ、戦いの空気は嫌いで、今の空気はそれ以上に胃にくる。
「……黄巾党本隊を相手取った時の籠城戦よりも、間違いなく苦しい戦いになるかと……」
諸葛亮が芳しくない表情で言い、隣の鳳統も頷く。
「だけどやらなくちゃいけない、多分ここは逃せないチャンスなんだと思う」
抑えられた声、だが秘めた強さがはっきりと伝わってくる、そんな一刀の呟き。
それを聞く三人、劉備に諸葛亮と鳳統、『ちゃんす』と言う言葉がどんな意味を持つかわからない。
だが諸葛亮と鳳統は前後の文脈から『ちゃんす』は『機会』か『時機』に相当する言葉と判断し、相槌を打った。
「……雛里ちゃん、ちゃんすってどういう意味かわかる?」
「……恐らく機会や時機の事かと……」
ヒソヒソと鳳統に耳打ちする劉備、その隣では諸葛亮が先のことを語る。
「相手が余程猪突猛進で無ければ、次の会戦には耐えられないかもしれません……」
上手くいなし、極力損害を分散しなければ我々は潰されてしまうと諸葛亮。
出来る限り兵を集めたが寡勢と言わざるを得ない、万の規模と戦うとなれば一度目は何とかなっても二度目は非常に厳しい状況。
「こっちから動くってことを忘れてた、今までなんとかなるって思って行動してた。 平原のことばかり目を向けてた、初めて街を治めるからって周りに目を向けてなかった」
それを聞いて一刀は口を開いた。
今の自分達は弱小勢力、平原のみを治める相。
州牧の諸侯からすれば道端の小石に過ぎない、だが劉備たちの願いからすれば周囲に目を向けていなければいけなかった。
そうしていれば、あるいはこの連合結成の裏にある真実を掴めていたかもしれない。
「………」
「それが今の状況だな、これってかなり手痛い失敗じゃないか?」
例えればはるか遠い目的地を目指しているのに、足元だけを見て歩いていたようなもの。
視線を上げれば見えたかもしれない景色を見逃し、危険の真っ只中に出てしまった。
「乗り越えなきゃなぁ、こんな失敗は二度と犯したくはない。 俺はそう思ってるけど、皆はどう思ってる?」
「うん、私もこんなの嫌だよ」
「……私たちもです、本来なら私たちが献策していなければいけなかったんですが」
一つの事に構い過ぎた、それは致命的な失敗になりつつある。
「俺も持って頑張るからさ、次は無いように皆で力を合わせていかなきゃ」
一刀の言葉に頷く、向ける視線の先は汜水関。
距離的には十五町(約1.6キロメートル)ほど、後十二町(約1.2キロメートル)ほど進めば弓矢の射程距離に入る。
汜水関城壁の上に立つ櫓からの矢は、高さを利用した飛距離の増加を狙っており一割から二割ほど距離が伸びているだろう。
矢の飛距離は三町(約327メートル)以上四町(約436メートル)未満と言った所、これだけ飛ばせれば間違いなく先制して射撃を叩き込める。
攻城戦となれば城壁に取り付く前には必ず矢の応酬になり、高さを使える籠城側の先手が常である。
「……曹操はどうやって引っ張り出すんだ? 俺たちを壁にする気だったようだし、さすがに突っ込ませはしないだろうけど」
がっちがちに守りを固めてるのが分かる汜水関、城壁の上には紺碧の張旗、漆黒一文字の華旗、そして金色の玄旗。
汜水関から出てくる気など一切見えないその威容に、どうやったら引っ張り出せるのか検討もつかない一刀。
諸葛亮も鳳統も一応策があるにはあるが、負ける可能性を増やす行いなど軍師たる玄胞がさせるかどうかと言う考え。
「かなり自信がありそうでしたから、関から出てくると思っていいかもしれません」
諸葛亮がそう言った時には後方から大きな銅鑼の音が鳴った。
それは事前に決めていた停止の合図、それに従い劉備軍は進行の歩みを止めた。
「……まだ結構距離があるぞ」
じりじりと汜水関に近づいていく連合軍、予測される籠城側の弓矢の距離まで後一町(約109メートル)以上もある。
互いに攻撃を仕掛ける事が出来ない距離、こんな中途半端な距離で何をするのかと一刀は三人とで考えるもわからない。
「……内応でも成功させたんでしょうか」
一つの可能性を提示する鳳統、敵と通じて門を開かせその隙に汜水関へとなだれ込む。
だがそれには劉備軍を壁とする意味はない、連合軍の先頭なのだからいの一番に突撃させ無ければ邪魔になる。
劉備軍を矢避けにしても意味はない、曹操軍も当然進み出るのだから汜水関から降り注ぐ矢の雨を味わわなければ近づけない。
となれば向こうの動きを待つのではなく曹操軍がここで何かをする、十分ほどの話し合いでその結論に至った一刀たちは次の瞬間目を剥くことになった。
「……すげぇ」
「おっきな岩が飛んでるよ……」
気付いたのは劉備軍の後方から上空を横切って汜水関へと飛んでいく岩、はるか空高く汜水関へと山形の線を描いて落ちて行く。
「すごい、これなら関から出ざるを得ないでしょうね……」
少なく見積もって五町(約545メートル)以上もの飛距離を叩き出して飛んでいく岩、大きさ的には明らかに城壁ではなく櫓や人を狙った大きさ。
当たれば一撃で櫓はへし折れて倒れるだろうし、人に当たれば一発であの世行きな速度で飛んでいた。
しかも一つではない、ほんの僅かな時間差を作って次々と岩が飛んでいく。
曹操が持ちだした秘密兵器は新型の投石機、既存の投石機とは一線を画す驚異的な代物。
「……籠城側から手を出せず、攻城側からは一方的に攻撃を加える事ができる。 籠城側からすれば絶対に壊したい攻城兵器です……」
「どうりで自信満々だった訳だ」
矢が届かない位置から岩を投げ飛ばしてくるなんて厄介極まりない、自分たちが籠城している時にやられたらと思うと寒気がする。
多少危険を犯してでも壊しておきたい、それだけ危険な物。
諸葛亮と鳳統は自分たちが籠城側だったら間違い無く破壊に向けて動く、恐らくは他の諸侯も同様の考えを浮かべているはずだと断言した。
一刀だって一目見れば分かる、城に篭ってて上から岩が降り注ぐなんて堪ったもんじゃない。
「……総員に戦闘の準備を」
「雛里ちゃんの言う通りです」
汜水関から出陣してくる、曹操の投石機を壊すために無理をしてでも狙ってくると。
だから戦闘準備をして備えなければと、諸葛亮と鳳統は言う。
「うん! それじゃあ皆! 準備して!」
劉備の掛け声に兵たちが声を上げる、汜水関から董卓・袁紹軍が出陣してくると意気込む。
陣形を整え、開くだろう門をしっかりと見据える。
「………」
緊張する一瞬、後数分もしないうちに門が開いて将に率いられた軍勢が姿を現して向かってくると。
そう考えチャンスを無駄にしないようにと自分に言い聞かせる一刀であったが。
「……出てこないな」
一分、二分、三分、時間が経つが門が開く気配がない。
その間にも投石は続けられ、櫓が倒れていく。
その崩れる櫓の上には兵は居ない、投石が始まった時点で急いで降りていたのを確認していたので無人の櫓が壊れるだけ。
櫓が壊されるのは籠城に支障が出るので出陣してくるはずだ、と思うがやはり門が開く気配は一向に訪れない。
「……おかしいな」
「そうですね、放って置けるほどの物ではないと思うんですが……」
既存の倍以上の投擲距離を持つ投石機、もう別次元と言っていい強力な物であるから捨て置けないはず。
だと言うのに董卓・袁紹軍は動きがない、まるでそこに居ないかのように汜水関は静まり返っている。
「……斥候、出してみたほうがいいかな」
「……はい、すぐに向かわせます」
「なんで出てこないんだろうね?」
事軍事方面を多くは知らない劉備からしても、曹操の新型投擲機は危ないものだと理解できる。
出来るだけ早く壊しておきたい、そう思う物を前に放置しておけるか。
命じられた馬に乗った斥候が汜水関に注意を払いながら近づいていく、劉備軍の隣からは他の諸侯の斥候も馬で駆けていた。
まさか放置しておく訳はないだろうと、その思いは数分の時間を掛けて汜水関を探ってきた斥候の言葉でかき消された。
「報告します! 汜水関に人影なし! 静まり返っております!」
それは無人、連合軍の侵攻を阻むはずの籠城軍は、その汜水関の内に僅か足りとも存在していなかった。
( ゜Д゜)
( ゜Д゜ )<超兵器、真桜謹製絡繰投石機