聞き取る人
洛陽へと続く第一の関、汜水関の上には新たな旗が立てられ風に靡く。
それは漆黒の華一文字、連合軍は関を守る将が増えたかと攻める事がより厳しくなったかと見る。
しかしそこに攻略の目を見つけるのは華雄と因縁のある孫策と仕える周瑜。
孫策の天幕の中で、僅かに揺れる火に照らされて語る。
「……誘き出せると思う?」
「奴だけならばな」
真正面から攻めた所で、十万の兵が詰めると言われる汜水関を落とせるとは思っていない二人。
ならば他の手段できっかけを作るしかない、その一つの手が華雄であったが。
周瑜が言う通り、華雄一人であれば孫堅絡みの挑発を一つや二つで汜水関から引っ張り出せると考えた。
だが汜水関には玄胞も詰めている、早々こちらの思惑通りに動かせてくれるかと疑問に思う。
「今更退くというのも無理でしょうし、袁術が認める訳が無いでしょうね」
「退けたとしても悪い風評が間違いなく立つ、董卓の事に対しての風評を押し切れたのは数の利。 こちらの弱体化を狙い、嬉々として玄胞は風評を流してくるだろうな」
今に始まった事ではない玄胞の奇行、以前の謀反を薦めて来た時の様に理解しがたい行動。
今回はそれに輪を掛けた様な、董卓軍への味方。
世の風評は董卓討つべしと言う物で、董卓に味方をすれば間違いなく悪として風評が流れる。
今の呉のように仕方なく参戦したわけでもなく、選択する事が出来たというのに董卓に味方した。
軍師である周瑜と陸遜も、皇帝の件で選ばれなかった袁紹は董卓に嫉妬して連合軍に参加すると見ていた。
従姉妹である袁術の性格や袁紹の風評から鑑みてそう判断したが、玄胞が説き伏せたか予想と逆の行動。
現実は董卓に組し、連合軍の敵としてそこに居た。
間違いなく軍師泣かせの玄胞、さらには強かに周泰の離反を誘発しようと働きかけて来たから厄介極まりない。
そう考えれば袁術への謀反の薦めも、この反董卓連合の事を予見しての行動か。
争う事になっていれば反董卓連合には参加しないだろうし、そもそも発足すらしてなかったかもしれない。
「正直、後ろを気にしなきゃいけなくなるなんてねぇ」
孫策の言う言葉、それは周泰の離反を懸念するもの。
周泰の話では曹操も玄胞の下に人を送り込んでいた、今の周泰の扱いと同じように憂いを残しただろう。
孫策が玄胞と会った時に感じた漠然とした感覚、いつもの『何だか上手く行きそう』と言う、これも漠然としたものだが、その勘よりもさらに薄い表現しがたい感覚。
話し続けて固まっていく感覚、それは勘へと至り『この男は危険だ』と告げた。
だからこそ今のうちにどうやって始末をするか、根拠の無いそれに従い考えた矢先。
『今私の事を葬ろうと考えましたね?』
余りにも呆気なく頭の中の考えを見透かされた。
勘は外れていなかった、だからこそそこで考える事を止めた。
勘に従い細作、周泰を送るべきではなかったのも後に証明された。
周瑜の提案と、己に沸き立った感情を勘よりも優先した結果。
「関わるべきではなかったか……」
「でしょうね、まあ何とかなるわよ」
「また勘か?」
「さぁ、どうでしょ」
少なくとも問題は無いと、何とかなると孫策は考えていた。
ただの楽観でそう思っているわけではなく、いつもの勘と周泰の言葉を信じているからだ。
それに今連合軍と董卓・袁紹軍が敵対しているとは言え、その後も敵であり続けるというのも不利益を齎す。
この戦いに勝つか負けるか、その後だがどちらにせよここで倒れる気など一切無い。
玄胞の掲げる理想が叶わないと言ったが、同調できないわけではない。
むしろそれが実現出来ると言うなら、喜んで協力するつもりの孫策。
協力するつもりではあるが、実現出来るならの話。
そうでなければ話にならない、ただの口先だけなら喜んで南海覇王を持って玄胞の頸を取りにいく。
「ま、今後次第よね」
「その今後は誰が考えると思っている」
はぁ、と疲れたように溜息を吐く周瑜。
どうやって敵を打ち倒すか、それを考えるのは軍師の役目。
当然今攻略方法を考えるのは汜水関の事、推定十万の兵が詰める関。
正攻法で攻め落とすなら三倍は必要、そして今の連合軍は二倍にも届いていない。
これで暢気に攻め込めばあら不思議、ではなく当然連合軍は大損害を被る。
「効率的に攻めるならば攻城兵器を活用したい所だが、残念ながら我々は持っていない」
「そこは袁術に期待しておきましょ」
攻城兵器など金が掛かる物を、一介の客将になっている孫家が保持できるわけも無く。
どこか金を持っている諸侯が効果的に運用してくれればいい、……持ってきている袁術が効果的に使用出来るかどうかは別の話だが。
効果的な運用がダメそうならば、恐らくダメだろうが袁術から借り受ける事も考慮する。
「厄介よねぇ、あの男。 味方だったら頼もしかったでしょうけど、敵になったら──」
不意に孫策は口を閉ざし、すぐ隣に立て掛けていた南海覇王を手に取る。
それを見た周瑜も腰に据えてある鞭、『白虎九尾』に手を掛け。
「敵か」
「いえ……」
孫策が視線を向ける方向、天幕の入り口。
神妙な表情を浮かべたまま否定するが。
「……やっぱり敵のようね」
否定を肯定へ、孫策は歩き出して天幕の外に出て周瑜もすぐ後に続いて天幕を出る。
外は疾うの昔、数刻前に日が落ちて辺りは篝火を焚いて陣地を照らしていた。
その様子はどう見ても敵襲で湧いた雰囲気ではない、篝火の薪が爆ぜる音と時折聞こえる虫や鳥の鳴き声だけ。
「──孫呉の兵に告ぐ! 全員直ちに敵襲に備えよ!!」
そんな中、ビリビリと肌を打つような気迫を持って孫策が大声を上げる。
それから十数秒後、孫策の言葉が間違いではない声を周瑜は聞く。
「──……ぅ、……しゅう、……敵襲ゥー!!」
闇の帳が落ちた時刻、疾うの昔に戦いは始まっていた。