返事を聞く人
またながくなった、もっとへらすか
優れた才覚を持つ者は、大抵譲れない信念などを持っており引き込むことは難しい。
玄胞が四人に言った通り、金品や地位で靡く事も滅多に無い。
故に真っ直ぐと、本音をぶつけて心を揺らしたほうが効果は見込めると玄胞はそう思い話した。
一時の間と言うのも気持ちを軽くする、いずれ行くべき場所があると言うのに雁字搦めに縛り付けられるのは避けたいだろう。
玄胞として正直に言えば非常に惜しい、あの四人は逸材、歴史に名を残してもおかしくは無い英傑だからだ。
だからと言って無理やり押さえ付けるのも玄胞はしたくはないし、そんなことをして仕えさせても反感しか湧かないと分かっている。
下手をすれば裏切りを招くし、袁家に不利益しか齎さない。
そこまで考えて非常に難しいと再認識する、今の袁家には一番欲しいものが無い。
それは『求心力』、いわゆる人物に他者を惹きつける魅力が無い。
袁家頭領である袁 本初にそれは無く、玄 玄胞を除く家臣に人を惹きつける力が無い。
精々有るのは袁家の名声と資産、それを利用して一角の将を招こうとしても早々靡かない。
来たとしても内憂になりかねないし、金品次第で簡単に寝返りかねない。
慢性的な有能な将不足、金を横領し賄賂を受けて汚職に塗れた官を要らぬと、纏めて切り捨てたのは早計だったと少し後悔した玄胞。
切り捨てる前に穴埋めとして順次に信用を置ける家臣を置いていくべきだったと、当時頭でっかちなだけであった玄胞は若すぎた。
その結果が今の袁家、それなりにできる家臣が減り、目下育成中で玄胞が人一倍以上動いていると言う状況。
(焦った結果がこれか、本初様に啖呵を切ったのも若さゆえだな)
と言いつつも玄 玄胞は未だ二十代前半、十分に若いと言える歳。
文官としての玄胞は一角と言えるが、武の方面ではからっきし。
得物を握った技量は一通りの調練を終えた新兵程度、その新兵相手に一対一で戦っても勝敗は良くて五分五分。
思いっきり後衛、代わりかどうか知らないが軍師としては才覚がある。
だからと言って戦場に出ても必勝と言うわけではない、見事な策略を繰り出しても十全に発揮できるよう的確に兵を動かせる将が居なければ意味が無い。
今の袁家は内政と、質の良い装備と錬度が高い、数の多い兵で成り立っている。
戦いは数とも言うし、他の諸侯にとっても最大勢力と言う認識で間違いが無い。
無策なりとも全軍を突撃させるだけで、罠ごと押し潰して敵軍を殲滅する事が出来る。
勿論そんな事をすればこちらも大きな損害を受ける事になるが、策などを出せない場合の最後の手段として使用できると言う点。
攻めるも守るも起点となる兵の数が整っていると言うのは、今の世の中であれば恵まれていると言ってよかった。
今の袁家はまさしく一大勢力、問題は数あれ他の勢力よりは勝っている。
例えばその財産、目が飛び出るような価格の品をいくつ買っても揺らがない程の資産。
万を超える大兵力を常時整え、一兵一兵に装備を行き渡らせる。
さらに屯田兵も導入し、作物の収穫量を揚げるに一役買っている。
余る作物は備蓄し、古くなった物は時折開放し、食うに困る者たちへ配布している。
こんな事が出来る理由はただ一つ、『金』があるからだ。
山賊が出れば調練の名目で兵を派遣するし、袁家の領内の治安が上がり兵の練度を上げる事が出来る。
安全であれば商人たちが寄ってくるし、領内で商売を始めて税などを納める。
そうしてさらに人が集まり発展し続ける、良循環となって袁家の財をさらに増やしていると言う状況。
それを画策し、実行したのが玄 郷刷、これが原因で袁家の支柱などと言われる所以となっている。
その玄胞が袁家ではない、他の主の下に仕えていたらこうはならなかった。
これを考え付く頭は必要だが、大前提である実行する為に必要な資金が調達できなかっただろう。
絶大と言って良い財を持ち、その行動を良しと認めた袁 本初が居なければこのような状況にならなかった。
結果は今の状況、破格の大金を使い、それをもう回収し終わっていると言う状況、名が広まってもおかしくは無い出来事だったのだ。
一目置かれる人物として、また他の諸侯が欲しがる理由もある。
一つはその忠誠心、いくつも来る登用の誘いを確固として断り、袁家頭領である袁 本初に忠誠を誓い続けている。
裏切る事を嫌い、主に対し常に忠実であり続けるその姿、絶対に裏切る事が無い信頼できる人物は誰だって欲しいだろう。
二つ目は名軍師になる為の条件と言って良い出来事、小で大を打ち破る策略である。
策を練り、最小の代価で最大の効果を得ると言う、優れた智謀は戦どころか政でも必要不可欠の要素。
世が世でなくとも多くに知られる存在、それが玄 郷刷と言う男である。
残念ながら見た目は美男子と言うわけではない、非常に多くの者がそこら辺に居る庶人にしか見えないだろう。
見て分かるような王の才覚がある訳ではないし、誰かに仕えるまさしく王佐の才を持つ者。
そんな玄胞に惹かれる者も居るだろう、だが玄胞はそれを利用する気は無い。
その才に心酔して玄胞の下に付く者も居るかもしれない、玄胞はそれが嫌なのだ。
素晴らしい才覚を持つ者が愚かな者の下に居る事が許せない者も居る、そんな者を招き入れて主に反発し、玄胞を持ち上げたりするなど迷惑以外の何者でもないと玄胞は考えている。
故に趙 子龍、荀 文若、戯 志才、程 仲徳の四人には客将で良いので一時的に仕えてくれと頼んだのだ。
袁 本初には王の才覚が無く、主として仰ぐ者は玄胞だけしか居らず、文醜や顔良ももしもの事があれば袁紹の元から去るだろう。
命を掛けるに値しないと言う存在、帝が健やかで権力を持ち続ける世であったなら何の問題が無い。
無能だとか馬鹿だとか影で罵られるかもしれないが、玄胞が身を挺して守るのだから大丈夫であるが。
そんな世の中は疾うの昔に過ぎ、群雄がくすぶり始めている状況に、つまりは戦乱がもうすぐと控えている世の中では非常に拙い。
一角の将が少ないままの状態が続けば、食われてしまう可能性も十分にある。
玄胞だけで守り続けられるほど世の中は甘くない、どうにかして優秀な将を得なければいずれ袁家は無くなり、袁 本初が消えてしまうだろうと考えている。
だから玄胞は知を巡らし幾ら持っていても問題ない財を集め、得難い英傑を得るために奔走しているのである、
(他から引き抜くのも問題がある、引き抜けたと言う事は引き抜かれると同義。 どこかに本初様に違えない忠誠を誓ってくれる英傑は居ないものか……)
居ないのだからこんな状況。
あまり進んでいない良将獲得作戦に溜息を吐く玄胞。
(あの四方には無理でしょうが、一時的な将としてはこの上ないでしょうから、その間に何とかするしかないですね……)
よし、と玄胞は立ち上がる。
今は試験が終わって翌日の早朝、出来るだけ返事を早く欲しい玄胞だがまだかまだかと聞くにはまだ早い。
今日の執務の予定、まずは調練の様子を見に行こうと部屋を出る為に扉を開ければ。
「あ、玄胞様」
出会い頭、戸の前には女官が立っていた。
「何かあったのか?」
「はい、趙雲様が話したい事があると」
「わかった」
こちらです、と女官が通路を歩き出す。
それについて玄胞は歩き出し、返事を決めたのかなと考える。
客将の願い出を受けるか受けないか、どちらにしても早い方が良い。
女官と玄胞、話があると呼び出した趙雲の部屋へと向かう。
「それでは私はここで」
「ご苦労」
案内されたのは趙雲へと充てがった客室、玄胞は扉の前で佇まいを直して声を掛ける。
「趙雲殿、玄 郷刷です」
数秒ほどで扉の向こうから現れたのは今の部屋の主。
「お呼び立てして申し訳ありませんな、昨日の件の返事を決めましたので話をしたいと」
「それはそれは」
開かれた扉の隣に立つ趙雲の奥、玄胞は三つの陰を見る。
「ああ、他の者らも返事を決めたそうなので私の部屋に集まったのですよ」
「なるほど、それは手間が省けて言う事無しですな」
趙雲が身を引き、どうぞと入室を勧める。
玄胞は頷いて失礼と、部屋の中へ。
「おはようございます、荀イク殿、戯志才殿、程昱殿」
それにそれぞれの挨拶を返す、そこで一つ妙な感じを玄胞は感じた。
なんと言うか、そぐわない感じを受けた、正しくないと言うか違和感と言うか、とにかく妙な感覚を受けた。
視線を細めながらそうして思い出す、これはあの感覚かと。
「……荀彧殿」
「……何か」
視線を細めながら玄胞は荀彧を見て名を呼ぶ、だが間違っていないと次へ。
「……程昱殿」
「なんですかー?」
これもおかしくないと玄胞、答えてもらっていない荀彧は。
「一体なんなのよ」
と小声で呟く、聞こえていても気にしない玄胞は最後の一人を見て。
「……戯志才殿」
「はい、なにか?」
返事を聞いて違和感、そぐわない感覚。
「戯志才殿、それは偽名か何かで?」
「っ!?」
そう、戯志才の名前が本人と似合わないのだ。
一致しないとでも言うべきか、玄胞には戯志才と名乗る彼女がおかしく見えた。
「ほー、よくわかったのですねー」
「なんとなくですが、姓名がずれているような気がしたので。 私としては本名で呼ばさせていただきたいのですが、何か理由があるので?」
「……そうです、余り治安が良くない所にも見聞に行っていましたので」
「なるほど、それなら仕様が無いですね。 このまま戯志才とお呼びすれば良いですか?」
「いえ、姓は郭、名は嘉、字は奉孝と申します」
「これはこれは、知っているかは分かりませんので私も名乗らせていただきます。 姓は玄、名は胞、字を郷刷と申します」
「そして袁家の支柱でござろう?」
「自身で柱を折ったのですから、支える柱にならざるを得なかったわけですが」
苦笑を浮かべる玄胞に、趙雲も笑みを浮かべる。
「それで、皆様には返事をいただけると」
「確かに、この趙 子龍、袁家の客将として扱ってもらいたい」
「風も同じくー」
「私も客将の扱いをいただきたいと」
趙雲に続いて、程昱と郭嘉も続く。
残りの一人、荀イクは。
「わ、私も客将で」
「おお、袁家にご助力いただき感謝いたします」
「か、勘違いしないでよ! 私は袁家の事なんてどうでも良いし、あなたの事もどうでもいいのよ!」
荀彧がはっきりと否定の言葉を吐くが、玄胞は笑みを作って頷く。
「勿論、ぜひとも袁家を利用してください。 こちらとしては一時期の間だけとは言え、英傑に相応しい皆様方のお力を借りれるのですから」
「言ってくれますねー、褒め殺しとはなんともむず痒くなりますよ?」
「時と場合によりますが、本当の事ははっきりと言うべきだと私は思っていますので。 早速ですが皆様にやってもらうおおまかな仕事をお見せしましょう」
そう言って玄胞は四人を部屋の外へ促す。
「ああ、そうでした。 今皆様が泊まられている部屋にご不満はありますか? 気に入らないところがあるのでしたら他の部屋を充てがいますが」
その問いに四人は首を横に振る、それなりに広い上に女官なども付いている。
将官用の部屋でも問題ない程度の部屋、不満があってもまた違う作りの部屋があるので問題は無かった。
「そうですか、それでは参りましょう」
「ふむ、玄胞殿」
「なんでしょうか?」
歩き出す五人で、そのうちの一人の趙雲が玄胞に声を掛ける。
「客将になったとは言え、共に仕事をする仲なのですから」
「ああ、すみません。 これは繕っている訳ではなく地なので、変えろと言うのも難しい話なのですよ」
流石に内心で考える時は多少崩れるが、そうでない場合誰にでもこのような口調の玄胞。
「そうなのですか、それであれば仕様が無い。 とりあえずは私の真名を受け取っていただけますかな?」
と、行き成りの問題発言に玄胞と趙雲を除く三人が各々に驚く。
「……受け取るのは問題などありませんが、呼ぶ事とはまた別ですよ?」
「ほう、それはどう言った意味で?」
「申し訳ありませんが、私は他の方の真名を呼ぶ事は極力控えております。 はっきり申し上げれば呼びたくは無いと言うのが本音です」
「それは何故?」
「……あまり人様に話すようなことではないので、勿論趙雲殿が嫌いと言う訳ではありませんよ?」
「それは玄胞殿個人の問題と言った所ですかな?」
「ええ、全く持ってその通りです。 主である本初様からも真名を受け取っておりますが、一度もお呼びした事はありません」
これまた大きな事、忠誠を誓う主から真名で呼ぶことを認められているのに呼ばない。
ここまで来れば奇特な人間ではなく、奇人変人の域と言って良いかもしれない玄胞。
「なるほど、これは押し通すのは難しいでしょうな」
「申し訳ありませんがこれについては諦めていただく他無いかと。 代わりと言ってはなんですが、私の真名を預けさせて頂きたい」
「ちょっと、それはどう考えても……」
「不公平と?」
「確かに、真名を預けられてはこちらも預けるのは分かりますが。 預けても呼ばないとなると拒否されている事とさほど変わらないかと思うのですが」
「それは分かっております、ですから私の真名を受け取らなくても構いません。 失礼と理解した上での、私個人としてどうしても押し通したいことですので」
この件に関しては一切引く気は無いと、確固たる意思にて玄胞は答えた。
「……く、アハハハハ!」
どうにもおかしな玄胞に、我慢していた笑い声を趙雲は上げる。
「いやはや! どうにも奇妙なお方だ、大陸を巡ってなお一度もあなたほどのおかしな方は見たことはありませんぞ!」
「でしょうね」
玄胞も口元を押さえながら笑いをこぼす。
「でしたらなおさら、私の真名を受け取ってもらいたい。 無論呼ばなくても結構、いずれ真名で呼ばせて見せるので」
「……あー、趙雲殿もずいぶんと……」
「嫌ですかな?」
「いえいえ、趙雲殿がそれで良いというなら私からは何も。 それでは真名を」
佇まいを直す玄胞に、趙雲も笑みを残したまま真っ直ぐと玄胞を見つめ。
「姓は趙、名は雲、字は子龍、そして真名は星。 玄 玄胞殿に我が真名を受け取って貰いたい」
「確かに、では私も。 姓は玄、名は胞、字は玄胞、真名は安景。 子龍殿のお好きなように我が名をお呼びしていただきたい」
そうして、趙 子龍と玄 郷刷はお互いの真名を預けあった。
真名を呼ばない理由はちっぽけな理由